第10話:何気ない日常
私は暖かな温もりのもと、光で目が覚めた。
起き上がって周囲を確認し、今までとまるで違う世界であることを確認する。ふわふわで暖かい寝台、窓から差す光、そして手を伸ばせば開けられる世界。そのどれもが私にはとても眩しく、そして恐ろしくもあった。だがいつまでも恐れているわけにはいかない。
私は起き上がって扉を開ける。自分で開くことができる。外の世界はいつもなら静まり返っているばかりだったのに、ぱたぱたと下からもう音が鳴っている。人が居る音だ。階段からそっと降りてみると、そこには慌ただしく動く人が居た。
「あ、おはよう、ネイシャ!」
「おはよう、えっと、ルリエール?」
「ルリで良いわよ、みんなそう呼ぶからね」
にこにこと今日も明るい笑顔で迎えてくれる、そう、ルリエール・ラジュール。ここの宿の主人で、ダグの娘さん。ダグは港で船員やっているって聞いた。でも船員って何するんだろう。
「随分早いのね。疲れているからぐっすり眠ると思ったのに、まだ7時よ」
いつも神官が来る時間だ、と私は思う。ずっと続けていた習慣と云うのは、なかなか抜けないらしい。
「リュースは?」
「まだ寝てるわ、ビルさんは最近遅いの。以前はすごく早かったんだけど……」
「リュースは寝坊をしても怒られないの?」
ルリエールは目をぱちくりさせてから、くすっと小さく笑った。上品な笑い方だった。
「なら、ネイシャが起こしてあげたら?」
「起こすの?」
「うん、ビルさんはお客さんだから自由にしてもらって構わないんだけどね」
本当は疲れているだろうけど、と少し悩んだ風を見せたが、私を見て微笑んだ。
「ネイシャが会いたいのなら、起こして来たら? 階段を上がってネイシャの部屋とは逆の、一番左奥の部屋よ」
リュースに会いたいのは本当だったから、私はこっくり頷いて上へ戻る。一番左奥。私の部屋とは逆方向。一応とんとんとノックをしてみるけど、返事はない。入って良いのかなと躊躇ったのは、ほんの一瞬。
──ネイシャ。
そう呼んでくれた、あの人。ルリエールも、ダグも、レイヴンも良い人。だけどあの人はちょっと違う。それでもあの人が、私をそう呼んでくれた。静かに扉を開けると、ベッドに寝転ぶリュースの姿があった。大きいなぁ。同じベッドなのに、リュースははみ出るのではないかと思う大きさだ。私もいつか、こんなに大きくなっちゃったら嫌だなぁ。
「リュース」
小さく呼んでみるも、返事はない。ベッドの傍まで走り込んで、顔を覗き込む。寝ているみたい。ルリエールが云ってたように、疲れているのかなと思う。でもやっぱり、お話がしたい。綺麗な紺色の髪を触ってみるけれど、リュースはぴくりとも動かない。
もしかして死んでいたりしないよね。
いきなりそんなことを思って口の前に手を出すと、ちゃんと息をしていたから安心する。ただ静かに寝ているだけなのに、どうしてそんなことを思うのかわからなかったけど、綺麗な顔をじっと見ていると、なんだか不安になった。
「リュース」
不安になって急かすように呼ぶと、意外にも簡単に目を覚ました。迷惑そうに目が開けられるも、片目は閉じたままだったけど。
「なんだよ……」
「おはよう」
「……おはよ」
「朝だよ」
「だから……?」
「起きないの?」
「……まだ眠い」
「いつまで寝るの?」
「眠くなくなるまで」
云いながらも半分目が閉じかかっていて、今にも眠ってしまいそうだ。 リュースが眠くなくなるのっていつだろう。ぽかぽかしたお天気の中なら、いつまででも眠れてしまいそう。どうしたら良いんだろうとぼんやりリュースの腕を掴んでいたら、
「おいこら起きやがれ!」
怒鳴り声が聞こえて思わずびくっとしてしまう。慌てて後ろを見ると、レイヴンがすごい勢いで飛んで来て、リュースの頭を思い切り叩いた。羽で。
「うわ、うざいー……この莫迦鳥……ていうかおまえなんで居るの。もう帰って来たわけ?」
「今朝は何がなんでも起こして薬飲ませないといけないからな、さっさと起きて飯食いやがれ」
レイヴンが顔面でばさばさと羽を振りかざすので、流石のリュースも嫌そうに目を開けた。
「こいつ起こす時は、多少暴力も可ぐらいに考えないと、一生起きてこないぜー」
「う、うん……?」
「餓鬼に余計な入れ知恵してんじゃねぇよ」
不機嫌そうに呟いて起きたリュースは本当に眠そうで、ちょっと悪いことをした気分になった。
「あの、ごめん、ね?」
「……なんでおまえが謝るの」
「だってリュース、怒ってるから」
「怒ってねぇよ。眠いだけ」
「こいつが無愛想なのは昔からだ」
「悪かったな……」
本当に不機嫌そうに見えてしまう。
「さぁて、嫡男も起きたことだし、飯にしようぜ」
「食わないおまえが仕切るな」
「朝は俺が監視役だから」
とんとんと進んでいく会話に付いて行くことができず、ぼんやり置いて行きぼりになってしまう。なんとか思い出して理解した時には、既にリュースが深く溜め息を吐いて私を見ていた。が、すぐに立ちあがってすたすた歩き始めてしまう。歩幅がだいぶ違うから、リュースに追いつくのは大変だ。慌てて踏み出したは良いが、今度は突然立ち止まるリュースに突っ込んでしまう。少しだけ不服になりながらリュースを見上げると、眉を顰めて私を見ている。
「何?」
「……ゆっくりで良いから、こけずに来い」
頭をぽんと軽く叩いて、リュースはさっさと行ってしまう。またまた置いて行かれてしまったけれど、心の中には暖かい何かが溢れていた。
・・・・・
買い物に訪れる町カーヴレイクは、戦地だったとは思えないほどいつだって活気に溢れている。
「あら、ルリエール、ビルも。嫌だ、デートね」
「ち、違います、買い出しに来ただけで……!」
そうやって反発する人ほど、からかわれるものである。そう云う意味で、ルリエールはものすごくいじり易い。ルカが人の悪い笑みを浮かべているのは、彼女もそう思っているからなのだろう。慌てたルリエールがわざとらしく話を振る。
「ル、ルカさんは?」
慌てたルリエールがわざとらしく話を振ると、
「あたしは今日久々におやすみもらったからね、豪遊しに来たのよ」
ルカはわざわざ片目を閉じて答える。こういうのが様になるのはなんでだろう、そしてそういう癖を何所かで見たことがあるのはなんでだろう、いろいろ疑問が駆け巡ったものの、面倒くさいので全部スルー。
「そういえばルカさん、また山脈の向こうでまた一つ国が潰れたみたいですけど……」
「ええ、聞いたわ。だけどあたしの故郷とは随分離れた山岳地帯みたいね、三日天下だそうよ」
「そうですか……」
いきなりでっかい規模の話をされて、どうがんばっても突っ込めない。三日で終わってしまう国とはいったいどんなところなのか。──っていうかちょっと待て。
「……ルカの故郷って、やっぱり山脈越えたところなのか?」
「そうよー。あたしに恋い焦がれて堪えられないのなら、今度一緒に帰る?」
「行きたいと云えば、行きたいんだけど」
「あら、本当に引っかかってくれちゃった」
「ビルさん!」
「いや、違うし」
そんな非難がましい目で見られても。いや、今のはそもそも、俺が悪いのか? ただ単純に、ルカの故郷ってもんに興味があるだけなんだけど、俺の確認事項など知らないルカは、呆れたように俺を見る。
「そんなに山越えしたいって云うの、あんたぐらいよー?」
「──ちょっと、気になるから」
ウィリアムズの故郷はきっと向こうなのだろうと思うと、少し見てみたくもなった。いや別に、あいつのためとかそう云うんじゃなくて、まさかそんなこと、まったく思ったりしてないけど。ウィリアムズが捨てた地を、見てみたいと思った。一応は借りがあるわけだし。うん、借りだよな。たぶん。勝手に押しつけられたようなもんでもあるけど。俺に西の言葉を無理矢理叩き込んだ人物を思い出しながらルカを見ると、やっぱり何所か似ている気がする。
「何が気になるのよ、荒れた土地ぐらいしかないわよ」
「まぁ、そうなんだろうけど」
言及するのは控えておこう。ルカのこともいまいちよくわかっていないし、軽率な発言をすると後で放棄したくなるほど、面倒くさいできごとに発展してしまうこともある。しばらくは、様子見だ。
必要なものを買い占めて帰る途中、ルリエールは本当に何気なく訊いて来た。
「ビルさんは次、何所の国に向かわれるのですか?」
「あー……」
特に何も考えていない俺としては、どう答えるべきか結構悩ましい質問だ。その間に覚悟を決めた顔をして、ルリエールはぐっと拳を握りしめて俺に提案する。
「あの! よ、良ければもう少し、滞在されませんか?」
……や、そこまで熱くならなくても良いと思うんだけど。いったい何所からこの親切心は来ているのだろうか、久しぶりに大陸外から来たもの珍しさなのか。
「別に嫌なわけじゃねぇけど、あんま一箇所に居ない方が良いんだ。今回もなんか目立つことしたし」
あまりにも目立ち過ぎて、今後を考えると頭が痛いぐらいだ。たとえ出航できるとしても、もう今さらな感じがある。もちろん長居し過ぎないのならしないほうが良いのだが、一番問題なのがここの暮らしに慣れてしまっている自分のような気もする。買い物へ行くというルリに当たり前のように同行して荷物持ちをやっている自分に、何をやっているんだろうと呆れつつある。そう云いながらも、出られないと現状の所為にして逃げ出さない。
「ビルさん、あの……」
「もし、俺が居なくなった後に、俺を訪ねるような奴が来たら、何も知らないと云ってくれ」
きっと莫迦な連中は、残念なことにこの大陸にも居るのだろう。北にも居たような考えなしの莫迦はきっと、俺の利用価値を考えて勝手な考えで狙って来るだろう。
俺の価値なんて、ないにも等しいのだが。
「それで、あんたたちに迷惑はかからないはずだから。まぁ、訪問される迷惑はあるだろうけど」
「それぐらい、問題はありませんが……」
問題はないが、他に何かがある。ルリエールは明確に訴えていたが、俺は残念ながら、それに答える気がない。本当に今さらだが、深く関わるつもりはないのだ。ルリエールたちの詳しい事情もあまり知らないし、無理矢理知りたいとも思わない。ただこんな俺に莫迦みたいに親切なこの町を荒らされるのも非常に後味が悪い
結局俺は中途半端に恩義を忘れて、報いることをせずここを去る。ここでしたことを何もかも記憶の底に放り込んで、また別の土地に進むだろう。俺は居場所を求めていない。俺の居場所はどう逃げたところで、あの家にあるのだから。




