第21話:義理と道理
レイヴンとの約束を取り付けて一階に下りてみると、そこに居るのはルカだけだった。宿の主も家の主も不在だと云うのに、長椅子に足を組んで座る様はまるでこの家の主のようだった。
「あら、やっぱり起きたわね」
一人の茶会を楽しんでいる様子をぼうっと見ていると、しばらくしてから声をかけられる。多分下りて来た時から存在には気付いていたのだろうが、お茶を飲むのに忙しかったようだ。ルカのそんなマイペースな性格もなんとなくわかって来ている自分に、少し苛ついて溜め息を吐く。
「ごめんなさいね、お嬢様はおでかけ中であたしがお留守番を頼まれてるのよ」
「……出掛けた?」
母国ならたぶんまだまだ日中と云ったところだろうが、西大陸は日が沈むのが早い。外を見ればもう日が暮れかけている。ルリエールは朝からあちこち出かけるものの、日が暮れるとダグが帰って来るからか夕方にはほとんど家に居る。珍しいなと思う気持ちが伝わったのか、ルカはおもしろうに口元に笑みを浮かべた。
「身体に良いような食材を集めてくるので、ビルさんが出掛けないようちゃんと見ていてくださいね! って、息まいて出て行ったわ」
まったく医者の鑑ねと笑うが、生憎とルリエールは宿屋だ。しかもなったばかりの。あんたが看護師ではなかったのかと返すべきだろうが、そんな元気もない。
「……そういえばあんた、前はリヴァーシンの神殿? に入ったことがあるんだっけ?」
ネイシャを迎えに行くのだったと思い出して、奇跡的に覚えていたことを口にすれば、ルカは不意を突かれたらしくきょとんとしている。以前誰かに聞いた気がしていた。この西大陸では医療関係者というのは結構特別な存在らしい。立ち入りが危ないからと立ち入り禁止区域がたくさんできても、医療従事者だけは特別入れることが多い。
「あら、ずいぶんあたしに詳しいのね。何所の誰がおしゃべりさんなのかしら?」
「さぁ……」
いつ誰に聞いたかなんて覚えてるわけがない。なんとなく覚えていた、それだけだ。
リヴァーシンにとって、王宮よりも女神の方が力を持つことがある。一応は王の下に侍ているのが神官だが、彼らは神の御遣いであり、ロウリーンリンクの守護役。王と云えども神の下に居る者であり、神官が慕うのはあくまでも女神だと云う。リヴァーシン王は既に連行されており、リヴァーシン内の反勢力の努力も重なって、もうリヴァーシンと云う国は王をなくしてクレアバール帝国に従っている。
唯一反対しているのは、筆頭の神官だけ。ならばその神殿とやらに行くのが手っ取り早いというのが、回らない頭で考えた結果だ。
「確かに一度だけ招かれたことがあるわ。だけど駄目よ、教えられないわ」
ただ訊いただけだと云うのに、ルカは先回りして答えをくれた。俺の考えることは、単純でわかり易いのだろうか。
「ルカ」
「あんた、本当に何も考えてないでしょう。現実的に考えてごらんなさい。そんな壊れた心臓持ってるあんたが行ったところで、あっけなく殺られるだけよ」
それはもう清々しいほどの正解をもらって、ぐうの音も出ない。確かに何も考えていないのだ。身体が動くとは云えまだ本調子ではないし、神官にまたあんな技を出されたら死ぬ可能性もある。ネイシャを助けるどころではない。
「だけど、行かないと」
「……まったく、世話が焼ける奴ね」
呆れたように溜め息を吐く様はまるで妹に叱られている気分になる。我が家ではよくある図なのだ。立ちあがったルカは、俺の前まで来てじっと顔を覗き込む。
「あたし、あんたに似てると思っていたんだけど、違ったみたいね。いえ、変わったのかしら」
いや、似てるとか云われても困ります。あんたほど勝手じゃないし……、いや、あんた以上に自分勝手かもしれないし。いろいろ浮かぶものの、結局言葉にならない。
「あんたが軽い男だったら、ここで口説き落とせるのに」
いきなり何がどうしてそんな話になるのか、理解するのに少し時間がかかった。付き合いの期間はそう長くはないものの、ルカの性格はなんとなくわかって来ている。いつも何所か自分には関係ないという態度を取りながら、その実すごく心配性だ。自分が心配される対象にあることは少なくとも俺を動揺させ、うまく返す言葉が見つからない。
「まあ、顔は余裕合格ね。あんたと話すのもそれなりにおもしろいから、やっぱりお望みなら愛人に迎えてあげるわよ。えーっと……昇格して三人目ぐらいかしら」
口説き落としてここに留まらせる。黙ってしまった俺をどう思ったのかわからないが、つらつらと並んで来る言葉は実にスムースだ。いつものルカらしさに、俺は反射的に答えてしまう。
「遠慮します」
「えー、三番も気に入らないのぉ?」
「で、その一番手は何所に居るわけ」
「さぁ、何所かしらねぇ」
そう云って視線を逸らし溜め息を吐く様は、芝居がかっていてとてもわかり易い。
「あんまりそうやって平気なふりしていると、本命戻って来たときに辛いぞ」
要らないことだったかもしれないがつい云ってしまえば、すごい顔をされてしまった。ルカの動揺した顔というのを初めて見たかもしれない。驚いたのはルカだと云うのに、その反応に俺のほうが焦ってしまう。
「あー……、余計なこと云った? あ、別に詳しい話も訊くつもりないから」
「ちょ、何か云う前に断らないでよ」
いやだって、どうしよう。地雷っぽかったし。
「あたし、そんなわかり易い? 今まで誰にも云われたことなかったのよ」
「……いや、たまたまだろ」
すごくわかり易く見えたのだが、回りは気付いていないか気付かないふりをしているのか。俺は言葉を出すのが遅いらしいが、たまに後先考えず云ってしまうこともある。答えようがないので保留にするしかない。ただ俺は今のわざとらしい顔をする伯父を一人、見ているからかもしれない。女たらしを自称して「結婚しないのはすべての女性を愛しているから」と豪語してしまうような胡散臭い奴は、実のところ本命が居るのではないか。そしてその本命となぜだか知らないが世の中的にうまく行かず、そう振る舞うしかない。俺が感じただけで本当はどうなのかはわからないが、明らかにカモフラージュのような気がしてしまう。まぁ俺の推測で四十を過ぎている伯父の恋愛話など、どうだって良いのだが。
ルカは小さく溜め息を吐くと、彼女にしては珍しいぐらい穏やかな表情をする。美人なだけに黙っていれば映える顔だ。
「──誰も支えが居ないって、淋しいものよ。だからそうなっちゃう」
だからって愛人を六人囲う必要は何所にあるんだかわかんねぇけど……支えが居ない、か。支えが折れた俺は、淋しいのだろうか。わからない。
さてとルカが長椅子から立ちあがり、さっさと玄関へと向かってしまう。さっきまで一応は俺を止めようとしていたはずだが、なんとなく見ていると彼女はわざわざ振り返って微笑んだ。
「女神さん、助けるんでしょう? 考えるわよ、絶対に助かる方法をね」
なんで急にこんなたくましくなるんだか。
・・・・・
行き着く先は、シーバルト海賊団。だが今日はいつもの騒がしい雰囲気と違っており、デヴィットが静かに船前に居るだけだ。
「おまえたちか、何用か」
船から視線を動かさずに、彼は俺たちを出迎える。歓迎とは遠い出迎えだったが、ルカはそんなことはまったく気にせず、自分の要件を堂々と云ってのける。まぁ俺も気にしてはいない。
「ちょっとお宅の船長に相談があったのよ」
「ああ、大将か……」
ぽつりと云ったものの、その後は沈黙を続けてしまう。以前より話し易い雰囲気があるとは思ったが、今日はまた振り出しに戻りかけている気がした。基本的には沈着冷静、無口な男だ。
「あいつに、いや、シーバルトに頼みたいことがあるんだ」
ここに来たルカの真意など、流石の俺でもわかる。だったらここは俺も、頭を下げるべきところだ。
「……待っていろ」
静かにからからと車椅子を転がして、デヴィットは船の中へと入って行く。 静まり返っているシーバルトは、たまの静かさを喜ぶよりも不気味な感じがしてしまう。
「ああ、もしかして今日って、ひきこもりの日かしら」
ぼんやりと船を見ていたところで、ルカがそんなことを呟く。
「ひきこもり?」
「ああ、えっと、なんか東にはあるんでしょう? そういう習慣が。──静かなシーバルトなんて、不気味よね」
それには同意するが、あのジョーにひきこもりという言葉がそもそも似合わない。東大陸の話をされると、実際はアリカラーナ生まれの俺としては言葉が少なくなってしまう。どうしたものかと思っていたところで、ばんと扉の開く音が盛大に響いて船内にジョーの姿が見られた。
「あーっやってられるか!」
「お待ちください、アソン!」
「だからそれも止めろって云っただろ、ここは何所だと思ってんだ!」
「……それはその……そうなんですが」
「今まで何も起こってないだろ。ったく、おまえの頭の固さには感心するぜ」
「ですが今は戦が終わったばかり、何が起こるかわかりません」
肩を怒らせながら歩くジョーの後ろからちまちまと付いて来る男は、俺もまだ顔を合わせたことがなかった。会っていたかもしれないが覚えていない。ただなんと云うのか。これだけ目立つ恰好の男なら忘れないと思うから、たぶん初対面だと思う。
「待たせたな、ビル。体調は大丈夫か?」
船から下りて来たジョーは、さっきの不機嫌さなどまるで消していつも通り喰えない笑顔を見せる。
「……そっちが終わってからで良いんだけど」
「え、ああ、もう終わってるぜ?」
「終わっていません!」
「……煩ぇぞキヨタカ、そんなにこだわるのなら帰れよ」
「できるわけがありません」
ジョーの冷ややかな言葉にも、奴は負けじと歯を食いしばっている。この間会った神官とはまた違うが、似たような雰囲気の服装は千鶴よりもさらに浮いて見える。布を重ねまくった末に動きも遅いし、何よりその長過ぎる帽子のようなものはどんな意味を成すのだろう。唯一素肌が見える顔は色も白いから、船から出ることも少ないのだろうか。
「面倒くせぇなぁ……。あ、そうだ、ビル。おまえは物忌みを信じてるか?」
モノイミ?
「信じる信じないの問題ではありません。物忌みは陰陽に則り朝臣のために調べた穢れの日。外に出ることなど、私が許しません」
ご丁寧にちびっこいのが説明してくれたおかげで、ほんの少し理解できた。が、所詮少しだけだ。東の方から来たのは本当だが、東の大陸には行ったこともない。聞きかじった文化だけが頼りだ。ルカが云っていたひきこもりと併せると、要するに占いで外に出るなってことだとはわかる。
「まぁ、こんな調子でな。しばらく争ってるわけだ」
「こんな他国に来てまで……面倒くさいんだな」
「そ、面倒くさいんだよ」
「面倒の一言で済ませないでください」
いやぁでも、確実にその面倒で済ましたくなるような事実だ。要するに占いのようなものだろうと予測はつけたものの、結局詳しくないので突っ込めない。ただ面倒そうだな、というのが本音だ。
「貴方が、東から来たと云う御仁ですか」
どうしたものかと考えていたところで、ちっこいのにそう突っ込まれる。
「そう、東の方から」
「でしたら、貴方からも朝臣を説得してくださいませんか。物忌みに外へ出るなんて……」
これ以上ないぐらいに恐ろしいと肩を震わせる様は、同情を誘う。しかしこうして自由奔放に暮らしている俺が、まさかそれに同意できるわけがなく、かと云って簡単に否定するのも難しく、どうしたものかと思ったらちっこいのが頭を下げて来た。
「あ、ご挨拶が遅れました、私はユゲ・キヨタカと申します。弓削家の……」
その後も続いた丁寧な説明でなんとなくわかったのは清隆という文字だけで、ユゲというのはさっぱりわからない。まぁ面倒くさいので清隆と云うことにしよう。こいつはエセ西大陸人にならずに済んだ、貴重なシーバルトの人間なのだろうか。
「私はかの家に仕える陰陽師として、貴方の御身をお守りする。そう申し上げた結果、連れて来たのは朝臣です。ですから朝臣には、それを守る義務があるのです」
「だから俺は……」
問答が始まってしまった。どうしたものですかねとルカを見れば、彼女は積みあげられた箱の上に座って傍観を決め込んでいる。こういうところは流石と云うか、後は自分でどうにかしろよと云うことなのだろう。
面倒くさいことになったら、踵を返すのが俺。だが今回はそう簡単なことでもない。あの神官の術に立ち向かうのに、俺一人では無理なのだ。それを充分に理解した俺としては、ここで諦めて立ち去ることができない。
どうしたものかと思っていたところへ、どかどかと港へかけてくる足音が響き渡る。振り返れば荷物を抱えたポールが走って来ていた。どうやら買い物にでも行っていたらしいが、面倒くさい奴が帰って来てしまったと溜め息は深くなる一方だ。またしても厭味の応戦は面倒くさいと思っていたが、ポールは俺を見た後に争うジョーたちを見て小さく溜め息を吐いた。
「あー……まだやってたんすか、船長」
ポールは云いながらも苦い顔をする。俺への厭味も忘れて、同情的な視線を寄越された。
「……出て行く前からなのか?」
「そう、毎度毎回同じことの繰り返しなわけ」
ポールにねぎらわれたことに驚きつつも、毎度これをやっていることに呆れた。
「ったく、清隆も莫迦に真面目だから。ほら、やっぱり弓削の人間として誇りがあるわけよ。 船長が船長になった瞬間に面倒見るのをやめた俺とは正反対でさ」
「面倒?」
「あれ、云ってなかったか。俺の母親が船長の乳母で俺たちこれでも乳兄弟なんだよ。で、俺は船長と違って無位無官の身の上ですから、そのまま船長の小間使いになったわけ」
要するに侍従だったってことか。わけのわからないものはすっ飛ばして、結論はそれだ。やっていることは今も大して変わらないように見えるが、まぁ確かに主従関係には見えない。しかしまさか、ポールも東の生まれだったとは。もう見た目からして西大陸の人間にしか見えなかった。
ポールはぱんぱんと手を叩いて、云い争う二人の間に割り込んだ。
「ほーら、船長、清隆。客が来てるんだから先にそっちにしたら?」
「こら、ヤマガミが慣れ慣れしく私を呼ぶな!」
「ってかもう船長外出ちゃってるし、意味ないんじゃねぇの?」
「まだ清めれば問題の範囲内で……」
応戦が続く中をジョーはでかい身体を身軽に進ませ、俺の前へとやって来る。
「あー、ったく。やってらんねぇ」
「……お疲れ様でした」
云う言葉が思いつかず、適当にねぎらっておく。しかしあの面倒くさいポールが、こんなところで役に立ってくれるとは思わなかった。ジョーが戻って来たことは助かったものの、彼も心底疲れている。さてどう切り出したものかと思っていたところで、いつの間にやら隣に戻って来たルカが傲岸不遜そのままの顔で云う。
「ちょっと力貸してよ」
……流石の俺も、もう少し言葉を選ぶ。 今のやりとりを見てればジョーの機嫌があまり良くないことぐらいわかっている。
「んー、良いぜ」
「だって。良かったわね、ビル」
俺なりに誰かに頼ると云うことは、ちょっと面倒くさい手続きが必要だと思っていた。だから俺でも事情をそれなりに把握して、段階を踏んだ上で頼もうと思っていたのだ。
あっさり過ぎるだろ、それ。
「将軍から話は聞いてる。ネイシャだろ」
おまえもよく無事だったなぁと今さらながら心配された。どうやら本気で心配してくれたのは、ルリエールぐらいだったようだ。まぁどう見ても病弱には見えないし、俺の扱いは何所でも同じだ。
「ネイシャを望むところへ連れ戻す。それで良いんだよな?」
「……ああ」
確認するように云われて、もはや段取りを忘れた俺は頷くことしかできない。だがジョーはそれに満足したように、口角を上げて意地の悪い笑い方をする。何かを決めた時の、決意の現れた顔だ。
ジョーは後ろを振り返って唐突に叫ぶ。
「おし、清隆。証明してやるよ」
「は?」
「俺はリヴァーシンに行って、ネイシャ連れて帰って来る!」
いきなりの宣誓にあっけにとられたのは俺だけではない。ちっこいの……もとい清隆もしばらくは口を空けて間抜け面をさらしていたが、慌てたようにジョーへと走り寄る。
「な、何を云うんです、朝臣! 外に出てはいけないと……!」
「そうそう、これで外に出てネイシャを連れ帰って来れなかったら、俺はこれまで通り俺の国のしきたりで生きるようにするさ。──その代わり、ネイシャ連れて帰って来たら、おまえもう口出すなよ」
「……朝臣」
「それも禁止にするからな。俺は今、ジョー・クルー船長だぜ」
それ以上、清隆は口を開けなくなったのか、黙したまま船へと上がってしまった。しかしジョーはそれを深追いすることもなく、平然とした顔で俺へと向き直る。
「さて、相手はリヴァーシンとこちとらどでかいな」
「俺も行けば良いのだろう」
いったい何所に居たのやら、いつの間にか戻って来ていたデヴィットに、ジョーはつまらなさそうに吐き捨てる。
「おまえが出ちまったら俺、やることなくなるじゃねぇか」
「大将はいつだって後ろに居れば良い、存在だけあれば良いだろう」
「つまんねぇだろ、それじゃあ。せっかく俺が協力を申し込まれたんだから、戦わねぇと」
「そう、だな。──リヴァーシンの地理はわからない。もし狭い道に当たれば終わりだ。俺は前線に行くわけにはいかないか。とすると……」
わけのわからない主張をかわして、デヴィットは一人ぶつぶつと続ける。おそらくこうして今までもやって来たのだと、なんとなく窺える作戦会議だ。
俺が頼んだと云うのに他人事のようにぼんやり見ていると、デヴィットは唐突に話を振って来る。
「ビル、おまえも刀が振るえたな」
「え、ああ、本当に少しだけなら……」
と云っても、本当に少しだ。ジョーの剣を振り払ったと大騒ぎされたがあれは単なる偶然とも云えて、あれだけで実力を推し量られると非常に困る。だが俺の云いわけなど聞く気がないように、デヴィットはつらつらと言葉を並べる。
「肝心なのはビル、おまえが女神を連れ戻すことだ。おまえを守る役目を、大将に任せる」
「お、前線じゃん、やりぃ」
「俺は後方で指揮をとろう。いざとなったら入り口を守る」
緊張感が読めない船長に変わって、副船長は大真面目に戦の話をしている。だが俺はここまで来てようやく、デヴィットの云っている意味が理解できた。
「戦える、のか」
車椅子の姿を見て、てっきり参謀だと思っていたのだが、デヴィットは不敵な笑みを見せる。
「嘗めてもらっては困る。片足風情でも、刀を振るうことはできる」
……いや、普通は無理だと思うんですけど。そういう突っ込みしたら怒られるんですかね。
「ははっ、うちで一番剣が強いのはデヴィットだぞ」
どう返すべきか悩んでいると、ジョーはまるで自分を誇るように眼帯を外した。そこには今でも痛みが伝わって来そうなぐらい深い切り口が走っている。恰好付けでやっているのかと思っていたが、まさか本当に傷があるとは思っていなかった。今さらどんな医療技術を注ぎ込んだところで、ジョーの視力は戻らないと断言できるほどに深かったが、それと同時にとても美しい一直線だった。
「これが、デヴィットの一刀」
「──え?」
「すごいだろ」
自分の傷口をまるで勲章のように自慢するジョーに、デヴィットは微笑む。
「おまえは本当に、おかしな奴だな」
「良いだろ、怪我の有効的な利用方法。デヴィットが片足だって知ると誰もこいつの腕を信じようとしないんだ。だから俺がこうして、たまに見せてやるわけよ。──俺が心底惚れ込んだ、本物の武士につけられた傷をな」
いろいろなことに驚いて、それが言葉になっては出て来ない。その間に、デヴィットは思い返すように彼の潰れた目を見ながら、いつもとは違う柔らかい声を出す。
「あの時の大将は正直、どうにもならないぼんくら刀だったから自慢にもならないが、今のジョーの腕は確かなものだ。見せかけじゃあない。本当に、人を斬ったことのある者の刀」
本当に、人を斬ったことがある者の刀。
では俺はどうなのだろう。
あまりにも平和な国に生まれて、その割には剣術は誰しもが習う道で、でも実際人を斬ったことがある奴ってのは少なくて。なんて矛盾した国なのだろう。戦いたくなくとも剣を持たないと生きて行けない国があり、戦うことなどないのに剣を片手に生きて行く国があり。この理不尽さに憤って怒鳴るほど、俺はお優しい奴じゃない。ただ理不尽だな、と思うだけだ。理不尽に生きる国を決められて、理不尽に生きる道を決められて。
「おいおい、あんまり広めるなよ。前の俺が頼りないみたいじゃねぇか」
「仕方がない、事実だ」
「おまえに云われると、なんか無性に腹立たしいな」
けらけらと昔語りをする二人に、俺は黙るしかない。過去の二人なんて知らないし、当然二人は俺の昔を知らない。お互い知る必要もないことだが、それでも何かが引っかかった。
誰かと記憶を共有している、それが羨ましく思えたかもしれない。
国の人間に俺を覚えていて欲しいなんて、一度たりとも思ったことはない。むしろ忘れ去って欲しいと思っている俺には、過去を懐かしく語れる二人が羨ましい。
「おっし、本格的な戦準備だな。やるぜ、野郎ども!」
船の外にはデヴィットとポールしか居ないと云うのに、ジョーはまるで全員が居るかのように叫ぶ。すると中からどたどたと音がして、船の上に人がずらりと並んだ。
「船長、戦っすか!」
「久しぶりの前線ですか!」
こんなに大勢人が居たのかと、まずそっちに驚いた。話したのはたかだかポールとか清隆ぐらいだが、そのほかにこんなにもたくさんの船員が居たことに圧倒される。この全員の命を、俺の頼みで天秤にかけても良いのだろうか。
「──ジョー、本気で良いのか?」
「何がだ?」
「何がって……、本気でリヴァーシンと戦うのを手伝ってくれるのか?」
「そりゃ理で頼まれたんだから、俺たちは義で答えるべきだろう」
俺はこんな責任を持つことはできない。そう思って訊いたと云うのに、船長殿はけろっとしてる。
「ネイシャがここに居ることは選んでいたからにゃあ、元がどうであれ、あっちのしたことはかどわかしだろ。かどわかしたぁ、道理が通らねぇ」
「義理とか道理とかそういう問題じゃあねぇだろ」
「そう云う問題だ」
あっさりと、そして低い声でジョーは答えた。
「武士の風上にも置けねぇ」
東の言葉だったが、意味がよくわからなかった。どういう意味だと訊こうと思ったが、東生まれだと思われている俺がそんなことを云うのはまずいことだと思い出して止めておく。
それにジョーの目を見たら、そんなことを訊いていられる状態でないとも思えた。
彼は本気で怒っていた。




