第20話:約束と我侭
子どもの頃のことは、よく覚えていない。
俺の面倒をよく見た従兄は「俺が鍛えてやったんだぞ」とよく云うものの、俺はそれが不満だったことを覚えている。剣術なんて誰もがやっていることを、俺までやる必要はなかった。上の従兄に剣術の達人が居るしもっとうまい貴族はいくらでも居る。身体の弱い俺がやったところでなんの意味もなさないと思った。別に軍部に入りたいわけでもないのに、どうしてやらなければならないのか。
「おまえを強くするためだよ」
従兄はかわいげのない俺を毎日連れ出しては、そう云って叩きこもうとした。だから並レベルまでは剣は振るえるものの、母国では剣を抜くような事態などなかなか起こらない。紛争も治まったかの国では、せいぜいがお遊びのそれこそ学院の武術大会とか祭りの一興とかそういった遊び目的が多い。
「良いのよ、ビルは強くならないと駄目だもの。私もきっと追いつくわ」
レーイがそうやって応援してくれたから、俺はたぶん剣を持った。
「あんたの顔なんか、二度と見たくないわ!」
そう云った従妹よりも先に、俺は他の連中からそれは怯えた目で見られた。家族以外でただ一人、一番上の従兄だけはいつもと変わらなかったが、俺に剣術を教えてくれた従兄は俺を見てから視線を逸らして、それからまた見ようとするものの、それを避けた。
「ごめんな、ビル……」
そう云って頭を下げられても、俺は非常に困る。俺が頭を下げるべきではないのだろうか。
レーイの居ない世界で俺が生きていることに。
外れたくじを引いてしまった、あの国に。
俺を生かすことに必死の親父に。
・・・・・
「……ビル、さん……?」
恐る恐ると云った風に名前を呼ばれて、俺はぼんやりとしている視界をどうにか合わせようとする。豪華絢爛な天井ではない、バタバタと煩く走り回る音もしない。少しだけ古びた少しだけ小さな部屋、目の前では不安そうな顔をした女が一人。
ルリエール・ラジュール。西大陸カーヴレイク近くにある、宿の主。
「ビルさん! お目覚めになったのですね!」
嬉しそうに上げる声も、たいして珍しくないのに懐かしく感じてしまった。それに目を細めたのが煩かったのだと勘違いしたらしく、申し訳なさそうな表情へと変化する。
「あ、すみません、大声を出して……。あの、ご加減は……?」
「……うん」
否定しようとはしたものの、ただそれだけしか言葉は出て来なかった。目は覚めたものの、なかなか覚醒してくれない。身体にうまく力が入らない。子どもの頃もよくあった、熱のあとのだるさと同じだ。母国の連中は慣れきっているが、ルリエールはもちろんそんなことを知らない。
どうしたものかと思っていたところで、扉が開いて金髪碧眼の女が入って来る。ルカ・ウィリアムズ。これでも一応看護師。ああ、そうだ、看護師だったんだっけと思い出して来る。
「あら、思ったより回復が早いわね。お目覚め?」
「そうなんですけど、……ちょっとぼんやりしているみたいで」
「無理もないわよ、あんなところでぶっ倒れるなんてただの莫迦よ」
顔に似合わない暴言を吐きながら、ルカは俺の横に立つ。
「気分はどう?」
「……最悪」
「うん、素直でよろしい」
偉そうにどうでも良いことを確認したルカは椅子を引き出し、ルリエールの横に座った。
俺が寝泊まりしている部屋のようだと、そこでようやく気が付く。
「あんた本当に病弱だったのねー、先生忙しいからあたしのいい加減な見立てだけど」
いい加減な見立てをする奴が看護師をしていて良いのかと思ったが、どうでも良いことに声を出して体力を使うのはやめたほうが良さそうだった。
動かない身体をどうにか持ちあげて、寝台に起き上がる。
「あ、起き上がって大丈夫ですか?」
「大丈夫……、ありがとう」
非常に心配する様は、まるでルリエールの方が看護師のようである。ルカはと云えば、小さな丸椅子にふんぞり返って足を組んでいる。これで看護師だと公言するのだから、流石だ。
起きあがったらすっきりして、そういえば倒れたんだったと思い出した。ああそうだ、あのわけのわからない神官と、そうだ。
「ネイシャ……」
「……残念ながら、まだ見つかっておりません」
ルリエールはまるで自分の罪を謝罪するかのように、深刻な表情をする。
「ビルさんが倒れたのは昨日のことです。ティーガが倒れているビルさんを見つけて、慌ててベルクスさんに知らせてくれたんです。ビルさんはすぐに治療することができましたが、何所を捜してもネイシャは……」
見ることもなかったのだろう、ゆるゆるとかぶりを振る。ティーガにも悪いことをした。あいつは戦争で家族を失ったばかりだと云うのに、また俺みたいに話したことのある人間があんなところでぶっ倒れていたら、嫌な気分になるだろう。
元気になったらティーガに顔を見せてあげてくださいと云われ、俺は小さく頷く。
「起きたばかりで申し訳ありませんが、ネイシャを連れ去ったのはヤオン=ヤード神官でしょうか?」
そこまで話がわかっていることに逆に驚いた。俺がぶっ倒れているのを発見しただけかと思っていたが、将軍は思った以上に有能のようだ。ネイシャが居ないことから彼女がさらわれ、その犯人の有力候補として失踪していた神官ヤオン=ヤードに結び付け彼を徹底的に捜してるらしい。
「……そんな、名前だったかな。とりあえず神官だってネイシャが云ってた」
俺の国とは違い神官とは神に仕える官吏で、別名は聖職者に当たるらしい。だがあの時のネイシャと神官の関係は、仕える仕えられる関係ではない。完全に支配する者とされる者の構図だった。それも崇められるネイシャがされる側に居る、明らかにおかしな図だ。
そんなような説明をすれば、なぜか看護師が納得したように頷く。
「ああ、ならやっぱり、神官の術が原因ってのもあるわね」
「術?」
「何されたか知らないけど、神官の術って自分の嫌な思い出とか忘れたいこととかを引き出す、心理的なものばかりよ。あんたの場合そういう悪い刺激されたら、心臓も弱いんだから簡単にひっくり返っちゃうわよ」
明らかに莫迦にされているが、その通りなので反論もできない。確かにいつもの発作にしては酷かった気がする。心臓よりもどちらかと云うと喘息の方が酷いんだけど、的確に俺の身体の弱さがばれてるあたり、やはりヤブではないようだ。別に本気で疑っていたわけではないが、そんなちょっと見ただけでこの軟弱な身体がわかるもんなのかと感心してしまう。
ひとまずの状況は、どうにか理解できた。ならばやはり、ここで寝ている場合でもない。寝台から出ようと足を出すと、ルリエールが驚いたように引き止める。
「何やってるんですか、ビルさん。大人しくしていてください」
まるで聞き分けのない幼児を注意するかのようだ。短い付き合いではあるがこういう時、ルリエールは頑としてでも云うことを聞かないとわかってはいる。
「──でもあいつ、見つけないと」
わかってはいたが、そう云っていた。将軍から預かったからとか、自分で連れて来たからとか、そういう責任感からではない。
──嫌だ、リュース……っ!
ただ耳に残っているあの音だけのために、連れ戻さないといけないと思う。
あんな呼び方なんて、絶対に慣れないと思っていた。俺の面倒を見た従兄と似たような呼び方なんて、ここに来てまでなんの嫌がらせかと。だが俺はいつものように逆らうことなくそれを受け入れ、馴染んだ。すべてを許容するのは優しいからではない、どうでも良いからだ。穀潰しと罵られようが、見たくもないと拒否されようが、俺にはどうでも良いことだったのだ。レーイ以外には別にどんな評価を受けたところで怖くない。俺にはレーイと云う存在だけ、そこにあれば良かったのだから。なのに俺は、こんなにも執着している。まるでレーイのように叫び続けるネイシャに、違うとわかっていながら執着している。
止めるルリエールを無視して歩き出そうとすれば、突然ぱんと鋭く固いもので突っつかれる。
「って……何すんだよ、いきなり」
振り返る前から、なんとなく居たのはわかっていた。しかし声もかけず嘴で突く必要が何所にあるのか、仮にもさっきまで倒れていた人間にやることではない。
「おまえは年々莫迦になる。およそこの四年は特に」
それは完全に俺に喧嘩を売っているとしか思えない。
「レーイとの約束すら守れなかったら、たとえ当主に逆らおうとも、おまえを見捨てるからな」
「約束?」
あいつとの約束って、なんだ?
っていうか、こいつが当主に逆らうなんて有り得ないだろう。それこそ当主命の奴だ。俺はレイヴンが当主へ正式に仕えていた時代を知らないが、獣である今でもその態度は変わらないと云う。当主の命令は絶体。それはある意味、当主命令になぜか逆らえない俺と同じ姿勢だ。親父に忠誠を誓っているレイヴンと俺を一緒にしたら、おそらく獣と云えど怒るだろうが。
「あー……、もうそれは良いけどよ。ぶっ倒れるなんて割と久しぶりだろう。一回帰るか?」
一年以上国を空けていると、普段は大人しいくせに仕事が絡めば口煩い主治医が連絡して来る。医者になって一年だと云うのに、許可が出るなり俺の専属医師に自ら進んでなった従兄は、ただの莫迦としか思えない。親父に脅されたのかと思っていたが、本当に自分でやりたかったのだと云う。新婚の上に医師としてまだ一年ほどの新米だから、おそらく忙しくて口煩い連絡は来ないと思う。……なんて云うのは、半分願望も入っているが。
「……帰らねぇよ」
──……帰って来て欲しいのは欲しいのですが、できれば来年の初め頃に。
ルーシアの言葉が蘇って来る。ああ、せっかく忘れてたのに。
「おまえ忘れてるだろうけどさ、俺、病気に関したらある意味スペシャリストなの。わかるだろ? いきなりぶっ倒れるの続いたら終わりだ。──終わった俺にはわかることだから」
それを云われたら、そうですかと弱くならざるを得ない。獣の形をしていると忘れそうになるが、レイヴンは病気に負けた人間だ。だからこそこうして持病を甘く見ている俺を、冷静に見ることができる。専門知識がなくとも、病状が違くとも、生まれつき持病を持っている人間とはなんとなくわかるものだ。俺の従姉もそうだった。俺よりももっと深刻な彼女は領地を離れて療養しているが、気が付くと熱が出て倒れているなんてことはしょっちゅうだった。たまに連絡を取り合うことはあるが、しばらく連絡が来ない時は体調が悪いのだとお互いにわかっていた。
そんな長年の、自分の身体ならではの勘が、俺たちにはある。レイヴンにもある。
レイヴンに云われると、餓鬼の頃からどうしても俺は弱い。ただ死ぬことと、親父に永久仕えることと。悩むことなく後者を選んだレイヴンは、ただの莫迦なのかと思わないでもなかったが、 それは自分の命の使いどころがわかっているからだと気付いた。
ただ死ぬよりも、親父に仕えて生涯を過ごしたいと願った。なら俺は、ただ死ぬよりも何を選べば良いのだろう。ただ親父に生きることを命じられている俺は。
「……わかったよ。帰れば良いんだろ、来年」
「お、流石だな。ルーシアの言葉なら従うってか」
「──女の名前が出て来たわね、どうする、ルリエール」
「る、ルカさん! ちょっと……出ましょう」
からかうような小声がわざとらしいルカは、ほんの少しだけ深刻な俺たちの会話を緩ませる。一応は小声で話していたところで聞こえている。溜め息を吐いて視線を送れば、気まずそうにルリエールが切り出す。
「あ、あの、私たち下に居ますから!」
「え、あ、る、ルリエールちょっと!」
ちゃんと聞かないと駄目じゃないと騒ぐルカを引っ張って、嵐のように去って行く。ルカが居るとルリエールがさらに良い奴に見えてしまうから不思議だ。しかし妹を女関係の問題に使われてもなぁ。
「云っておくけど、帰ることしか許可してないから。結婚にも出産にも立ち会わないから」
「おまえが帰ってやることは一つ、ズークラクト大先生に世話になることだ。俺からはな」
たとえ帰ったとしてもそれが最低限の譲歩だと云えば、レイヴンは平然とそんなことを云う。つまり一度は定期検査を受けろと云うこと。別にそれぐらいだったら一日我慢すれば良いだけだ。口煩い主治医従兄の小言を聞き流して、あいつの妻となった従妹と話すのも良いだろう。
「その代わり、ネイシャのところに行って来る」
俺が切り出すとレイヴンの顔が少し顰められた……気がした。長年一緒に居るから、ほとんど筋肉の動かない孟獲類の顔でも、なんとなくわかる。
「それじゃあ本末転倒だろ」
「ネイシャを放置したくないんだ。ただ俺が、助けたいだけ」
「──ビル、ネイシャは、あの娘はレーイじゃないぞ」
「そんなことわかってる」
云われなくてもわかってはいる。俺が最初女神に会おうと思ったのは、十四歳ぐらいの少女が見ることしかできない世界のために祈っていると聞いたからだ。それではまるで、あいつみたいで。とにかく気になって会ったら、十四歳どころかもっとちんまい餓鬼で、当たり前のわがままを何一つ知らなくて、女神と崇められていた。
「ちっとも違うのはわかってる。ただ俺は、最後あいつが叫んだ言葉を信じたい」
──私は……私はまだ……!
あいつはあの狭い世界から出て、少しずつ外を知って行ったのだ。将軍への責任とかそういうんじゃなくて、ただ単純に、俺があいつにもっと外を知って欲しいだけ。俺がレーイとの世界しか築けなかったように、小さな島国しか知らなかったように。
「ただの自己満足の、我侭だ。──だから行く」
俺が云い切ると不機嫌そうに見えるレイヴンは、羽をばさりと落として溜め息を吐く。
「そういうところが当主に似てるんだよ、おまえ」
「ちっとも嬉しくないんだけど」
要するに頑固だと云いたいのだろう。うちの家系はほとんどがそうなのではないだろうか。俺は会ったこともないが、親父の親父が頑固なのだろうと勝手に想像する。表立って許されないと云うのに、正室との間に十二人、側室二人に三人を産ませた男だ。ある意味肝は座っているかもしれない。
その一番下の息子は自由奔放に育ち、こうして俺みたいないい加減な子どもを授かる。その下に付き従う奴らを思うと、少し気の毒でもある。
「良いよ、当主に叱られるのは覚悟している。行って来い」
「へぇ……、おまえでも怒られるんだ」
親父の忠実なる僕は基本的に断ると云うことをしない。
「しょっちゅう怒られてるよ。──おまえはビルと居られて良いねって」
いったい俺を、何歳児だと思っているのやら。帰れば構えと煩いしいつまで経っても子どものような当主の本音はよくわからない。俺は呆れて溜め息を吐いた後、親父とか病気とか、面倒くさいものはすべて排除する。
リュース。
あいつのことだけを、ひとまずは考えて。




