第18話:大事な名前
「おお、俺がジョー・クルーだ!」
事情を聞いた瞬間からしっかりと偽名を吐いたジョーは、目を輝かせるティーガの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「すごーい、本当に居るんだ、ジョー・クルーって!」
「そのジョー・クルーとは、また違うんだけど……えっと……」
あわあわとしているのは千鶴だけで、当のジョーはすごいだろうと胸を張る。ポールまでもがうちの船長すごいだろうと偉ぶっている辺り、本当にすごい。うん、ある意味で。
「んで、こっちがデヴィット」
「え、あのデヴィット・マケンスト?!」
そう云って紹介されたデヴィットは居心地悪そうだったが、子どもに罪はないと知ってかティーガに小さく笑みを見せた。
「……ああ、ジョーの相棒だ」
車椅子のデヴィット・マケンストに疑問すらないのか、ティーガはとにかくはしゃいでいる。
「おっし、俺たちの船へ来い! その名もヘキシ号だ」
「ルイス号じゃないんだね!」
はしゃぐティーガを連れて、ジョーは自称海賊船の中へと奴を連れ込む。八歳って云うのは、あんなに幼いものだったかとついつい母国を思い出してしまう。誰か同い年ぐらいの従弟妹は居たかと頭を探るが、誰が何歳かなんてよく覚えていない。俺と年近い奴ならまだしも、わけのわからないぐらい離れている奴だって居るのだ。妹の年齢すらわからない俺は、違う国の八歳に違和感を覚えながらも母国を思い出せない。
ビルも来いよと誘われたが、遠慮しておいた。流石に船内にまで入ってしまったら、本格的に俺まで海賊の一味にされてしまう……というのはないだろうが、俺があのテンションに付いて行けない。なぜか残ったネイシャとデヴィットが、ぼんやりと目の前に立ちはだかる海賊船を見つめるだけだ。
「ジョー・クルーって、この辺じゃあ本当に有名なんだな」
ジョーは東大陸の生まれだが南大陸でデヴィットたちと出会い、それからいろいろあって海賊を目指したのだと祭りの後に少しだけ事情を聞いた。南大陸で西大陸には「誠の海賊ジョー・クルー」という伝説の海賊がかつて居たらしく、それを再来させるために西大陸へ渡って来たところへ、なぜか義賊まがいの働きをしてしまい天帝からのお墨付きまでもらってしまったという、なんだか結局シーバルトはわけのわからないままできあがったかのようだ。
「ああ、西大陸の海側の家ではよく聞かされる類の童話らしい。本当に実在したかどうかは、俺にもわからぬが」
デヴィットはいつもの通り、冷静に答える。最近は千鶴と一緒に居る場面をよく見ていたためか(そんな妻は責任を感じたのかジョーに付いて行った)、この冷ややかな温度が懐かしい気さえする。長い前髪に少し隠れた顔からは、怜悧さが透けて見える。
「ジョー・クルーとデヴィット・マケンスト。国から海賊の命を受けたが国から追い出された、本当の、誠の海賊団シーバルト」
本当の、誠のと彼らは毎度毎度云い直す。ニュアンスの違いが俺にはいまいちわからない。
「海賊と云うのは、海を荒らす賊なんだろ」
俺が聞いた海賊と云うのはそういうものだ。平和な我が国にもたまにいらっしゃる山賊の海版。金品を巻き上げ船と云う船を荒らす、まさに山賊そのものだ。だからこそルリエールに連れて来られた時、俺は困惑した。そしてデヴィットはその通りと頷く。
「ただたいていの場合、国が公認して存在していたらしい」
「国が?」
「建前上の問題だ。国同士で戦ができない場合、海賊を使って回りくどい戦争へと向けさせた。国から民のために海賊として海に出るよう命令され、いざ開戦となれば用済みと、悪役の汚名を着せられた国から追放された。それでも誠の海賊であることを誇りに民を救った、シーバルト海賊団の船長と副船長、それがジョー・クルーとデヴィット・マケンスト」
デヴィットから紡ぎだされるそれは、まるで史実のようにしっくりと耳に入る。確かに子どもが好みそうな、一途で真っ直ぐな物語らしい。母国は劇が盛んで山賊や海賊ものもあったが、母国では海が荒らされることなど有り得ないためか想像しづらく、上演されることもあまりなかった……と思う。たぶん。
「俺も自国で上役から、それこそ昔語のように聞いた話だから、実際は信じてはいなかった。だがここへ来たら本当にそれらが有名なのだから、自分がそう名乗っていることすら滑稽に感じるな」
「……あんたはああいう嘘、好きじゃあないと思っていた」
あの年齢でありながらティーガはきっと、ほんもののジョー・クルーだと信じてしまっている。デヴィットはそういう子ども心など気にせず、真実をはっきりと伝えそうな気がしていた。
だが彼は、いやとかぶりを振る。
「嘘は吐いていない、俺はあいつの相棒だ。あいつは今ジョー・クルーを名乗っていて、その相棒はデヴィット・マケンストと云う。なら俺はデヴィット・マケンストだ」
理屈をこねられて恐らくしかめっ面になった俺に、デヴィットは苦笑してそう決めたのだと改めて云う。
「俺の名は保科忠之助義富で、それを偽ることはない。だが国ではたぶん死んだことになっているだろうが、俺自身、捨て切るにはまだ区切りが足りぬ上、あいつが……千鶴が許さない」
そう云いながら、そびえたつ船を見つめる。きっとその先に居る千鶴でも思い出しているのだろう。そういえば千鶴はいつでもデヴィットを「忠之助さん」と呼ぶ。西に来てわざわざみんな別名を名乗っていると云うのに、彼女だけは着物姿の「保科千鶴」のままで、デヴィットを忠之助と呼ぶ。
「おまえが頼めば、良いだけの話だろう」
デヴィットが一言そう云えば、千鶴は直すように思えた。だがデヴィットは、それはないと苦笑する。
「全員の呼び方を変えた時にそれは云われた。自分は名前を変えるつもりはなく、俺のことだけは今まで通りで呼ばせてもらうと」
──私の名前は保科千鶴です。これだけは、変えたくないんです。
異国へ行くことも海賊になることも許した妻はしかし、それだけは許さなかった。
だから千鶴は、いつまでも忠之助と呼ぶ。ジョーをジョーと呼んでも、デヴィットとなった忠之助を、デヴィットと呼ぶことはないのだと彼は断言した。彼女が保科千鶴と名乗る限り、彼の名前は彼女の中で保科忠之助なのだ、と。
彼らが歩いて来た道など知らない。だからジョーたちが名前を捨てた時期もいつだか知らない。だが確かに、彼らは彼らの道を歩いて来た。莫迦みたいにいつも笑っているジョーも、仏頂面をしているデヴィットも、のんびりしている千鶴も、面倒くさいポールも。それぞれにいろいろなできごとがあって、今ここでこうして笑っている。
だが俺は、いろいろ面倒だからここに来た俺は、笑うこともできずに探し続けるだけ。
「余所者の俺には、わからない」
平凡に生きて来た俺には、こいつらの強さなどわからない。子どもの頃はただ外に出ることを望んでいた。外に出られるようになったら、今度は屋敷から出たくなった。そうして出過ぎた先にあったのは、俺が居てはいけない世界。
俺はだから国を出たと云うのに、こうして出たところで世界は容易に受け入れてはくれない。俺はやはりあの家の長男で、あの国の面倒くさい家に生まれているのだ。それだけは、否定されない。否定できない。そんな自分ももどかしい。
「──別に、あんただけが余所者なわけではない」
俺に気を遣ったわけではないだろうが、デヴィットの低い声が優しく響く。
「俺や千鶴や大将と云ったシーバルトの連中は特殊かもしれんが、そうだな、ルカや将軍、その他大勢の人がここでは余所者だ。地元の人間の方が少ない」
そういえばルカは山脈を越えたさらに西の生まれである。向こうは戦の真っ只中だと云うのに、こちらに一人で来ていると云うことは、向こうに居られない事情、またはここに一人でしか来られない事情があったということになる。さっき見た、握りしめられた書簡を思い出す。しばらく見なかったあいつなりに、何かしらあったのかと余計な邪推をしてしまう。
「余所者だろうとなんだろうと、俺はひとまずここに居るしかない。国を出た俺は、ここで誠の海賊になると決めた」
それからふと、デヴィットは彼より少しだけ高い場所に居るネイシャを見る。
「女神と同じだ。故国に居られず、ジョーに誘われてここに来ている。あの時と状況はまるで違うが、それでも故国に居た時と同じように、貫けるものがある」
同じと云われたネイシャはと云えば、戸惑ったような顔をする。最近は話すようになったものの、こうして人前に出るとやはり無言になるのは慣れていないからか。迷ったように目をきょろきょろとさせてから、再びデヴィットを真っ直ぐ見るも、やはり言葉は出て来ない。
たまたま来た俺が、たまたま立ち寄ったから助けられたネイシャと同じく、デヴィットはたまたま国を出て来たに過ぎないと云う。
結局はデヴィットも、戦争によってすべてを失ったのか。詳しくはわからない。知るつもりも、踏み込むつもりもまるでなかった。だが双子の母親が亡くなった、最後の劇を思い出す。あんな風にしてみんな、当たり前のように家族を失って行ったのだ。それでも今ここに来て、普通に生活をしている。
どうしてそんなにも、強く生きられるのだろう。
・・・・・
満足したティーガを孤児院へ送り届けて帰る道中は静かなものだった。
ネイシャはあんまり口を開かず、たまに開けば非常に返答が面倒くさいことだったりする。だから会話らしい会話をしないようにしていたのだが、困ったように何度か俺を見てはまた下を向いて、おろおろとしている姿を見てしまうと、流石の俺でも声をかけないといけない気分になる。
「……デヴィットのことか」
「へ?」
だが俺がようやく訊けば、本気で驚いたように顔を上げる。
「おまえと一緒だと云ったのは、あくまで状況の話だぞ」
「うん……でも私は、デヴィットみたくすることが見つからないの」
ネイシャはぽつりと、まるでここに居ることが罪のように呟く。
「リュースが出してくれたから出て来た。あそこに居ることがただただ辛くて、陛下や神官の云う通りにすることができなくて。でも私は、リヴァーシンがなくなるのを見ているだけなの」
「それで良いだろ」
「それじゃあ祠に居た時と、何も変わらない」
出た意味がないと小さく付け足され俺も言葉を失う。まさかそこまで深刻に考えているとは予想外だった。でもそうだった、こいつはこいつなりに、考えていたんだ。女神の声を、頭に聞こえる「天帝に従いなさい」という声を、そのとおり王に伝えてもそうしてもらえない。そして戦は止まらない。結局戦が始まる度に、ネイシャはあの高台から見ているだけだった。だから祈るしかなかった。一刻も早く、この戦を止めてくれるように。
「……じゃあおまえはどうしたいんだ」
「それがわからないから、困ってるの」
リヴァーシンの民たちはもともと分裂していた上、ほとんどが天帝に全面降伏している。リヴァーシンという土地を残そうとした天帝の意思さえも無視して、彼らはクレアバールの民になることを望んでいる。そんな彼らにリヴァーシンの女神が何をするべきか、ネイシャにはまるでわからない。声が聞こえない自分にできることなど、もうないのだと云う。
小さい頭がどんどん俯いて行く様は、地面に吸い込まれて呑まれるかと思うほどだ。それが突然釣り上げられた魚のように俺を見上げると、餓鬼餓鬼と云うのが失礼なぐらい大人びた真剣な表情だった。
「何かしたいと思う。だけど今はできないし、自由に決めて良いって云われた。ならやっぱり、今はとりあえずリュースに付いて行きたい」
「うん、だけどそれは……」
「だってリュースが居るから、私はここに居るの」
それはやっぱり、俺に懐き過ぎているんではないだろうか。驚くほどに真っ直ぐな目で見られると、逃げ回ってばかりいる俺からすれば眩し過ぎて心臓に悪い。
「リュースが名前をくれたから、リヴァーシンがなくなっても、私はここに居られるの」
──ビル様が僕に、生きる意味をくれたんです。
笑顔で云うハヴァーズを思い出して、俺はまた、なんてことをしたんだろうと思う。
──ビル、おまえは優し過ぎる。
そう云って苦笑した従兄は、あの後たった一人だけ俺を避けなかった、奇特な人間だ。無愛想だが優しいと、身内はよく俺に云う。だが優し過ぎるのだと云ったのは、あいつだけだった。そう云った従兄は、そういえば無事だろうか。音信不通どころか命さえ危ぶまれているが、俺はそんな従兄の安否を時たま心配するぐらいで、母国へ安否を確認しに帰ったりしない。
こんな男が、優しいわけがない。
またハヴァーズのように、優しくもない俺を絶対だと、ネイシャに慕わせてしまう。
戸惑って立ち止まった俺とネイシャの間に、風が吹いた。その風に導かれるようにしてその方角を見れば、そこには一人の男が不自然に立っていた。明らかにさっきまで居なかったこの荒れ果てた大地に、突然現れた男。
「見つけましたよ、女神」
微笑んだ白い顔はぞっとするほどに満面で、静かにしかし容赦なく降り積もる冷たい雪を連想させた。
「……神、官」
ネイシャが漏らした微かな声が、やけに大きく響いた。




