第17話:面倒な家族
「おはよう、ビル兄!」
部屋の扉を開けた瞬間、満面の笑顔で出迎えられた俺は、ここが自分の屋敷で、従兄姉弟妹が乗り込んで来たのかと勘違いした。ティーガはそれほど、ごく自然に俺のことをビル兄と呼び、ごく自然に遊びに来る。
俺と一緒の船でこの大陸へと戻って来て、そのまま孤児院へ入った子ども、ティーガ。前まではもっと従順そうだったのだがすっかり慣れてしまったのか、俺を見かける度にそう云っては近寄って来る。まるで国許の従兄姉弟妹のようでせっかく異国に居るのにもったいない気分になる。
「おはよ……」
一応朝の挨拶ぐらいはしてやるが、いったい何が起きてここに居るのかは理解できない。だいたいまだ朝早い。一人で孤児院からここまで来られるはずもなく、そして俺はそこまで頭も回らない。
「なんだ、まだ寝てたのかぁ。寝坊助だな」
別にいつ起きようが俺の勝手だろうと胸中では思いながらも、それを口にできないほど眠い。
「まぁ良いや、早く行こう!」
「……行くって何所に」
「町へ一緒に遊びに行く約束、したじゃん!」
……したっけ。
俺の記憶力ほど、信じられないものはない。
満面の笑みを見せるティーガに、しかし俺は断ることなどできなかった。
・・・・・
遊びに行くと云えば、俺の国許ならでかいショッピングモールとか、大河の近くにある娯楽場だとか、そんなものだろう。俺は基本一人行動が多かったから、学院の連中が自由な時間をどう遊んでいたのかあまり知らない。だがこの西大陸の端に、そんな大層なものがあるとは思えない。しかし意外にもルリエールに訊いたところ、もう少し西にあるメルクワールという町ならなんでもそろうショッピングモールがあると云う。カーヴレイクがあるのは海に突き出た半島の先端で、その半島の付け根の辺りらしい。帝都から西への間はまだ整えられていないところが多いのだが、メルクワールだけは天帝が素早く着手し、今できる最大限の資源を注ぎ込んで栄える町にしたという。これで西側は帝都パクスカリナ、巨大な東側の都市メルクワールと2つの巨大地点ができて、難民はどちらかに逃れれば何かしら助かる寸法になる、というわけだ。資源のないこの国でひとまずそこまでしたのはすごいな、と素直に感心する。
まぁそんなわけでメルクワールに行くとこことは随分違った、最先端に近い娯楽もあるらしいのだが、流石に遠いので朝早くに起きて行かなければならず、日帰りで遊ぶのはかなり難しいようだ。
どうしたものかと思いつつ、ティーガとネイシャを伴ってカーヴレイクまでやって来た。ここら辺で唯一何かできる場所と云ったらここだけだ。
「うわぁ、すっごいなぁ! 海がすぐそこだよ!」
まだ子どもと云うことだろうか。小さな賑わいを見せるカーヴレイクで、ティーガは充分にはしゃいでいた。俺と同じぐらいにこの大陸へと戻って来たティーガは、孤児院の近くしかまだ歩いたことがなかったのだと云う。リヴァーシンとの戦争が落ち着いたら遊びに行くことをベルクスと約束していたが、終わったからと云ってすぐ孤児院のみんな全員で外に出歩くのも危険だ。しびれを切らしたティーガは、そんなわけで俺のもとへとやって来た。だが余所者の俺がこの国で遊ぶ約束って、だいぶ無責任だと思う。しかもやっぱりした覚えがない。たぶん孤児院で大勢に囲まれているとき、どさくさに紛れて云ったのだろう。流石に性格もだいたい把握して来た。
余所者と亡国人と女神がそろって来ても、楽しいことをしてやれるとは思えない。それでもティーガはカーヴレイクの町を見たたけで充分にはしゃいでいる。
「あら、今度こそあんたの子ども?」
不穏なことを云いながらひょっこりと顔を見せたのは、云うまでもなくルカである。もうそのネタは飽きたと云いかけたところで、そういえばなんだか久しぶりにような気がした。祭りの日にもルカの姿はなく、シーバルトやこの界隈の店連中で騒いでいただけだ。施療院が忙しいのだろうか、後々聞いたが施療院はカーヴレイクから西へ行ったところにあり、一般人は厳重に立ち入り禁止区域にされているらしい。未だ重たい症状の病人が居るのかもしれない。それでもルカがこうして町に戻って来られるということは、疫病の心配はもう防げたのだろうか。思わずじっくり見てしまったのか、ルカはあらと意地悪い笑みを見せる。
「やだわ、あたしの美しさに見惚れてる?」
「いや、久しぶりだと思って」
「あら、ついに惚れちゃった?」
今なら五番目の恋人にしてあげると云われたが、それは即座にお断りしておいた。いつも適当なことばかり云っているやつほど、底が怖い。
──ここより遥か西にある、食事以外は誇りのある古い王朝ですよ。
もう滅んでいると思いますよと笑うウィリアムズの顔は、いつも通りだった。いつもの通りだからこそ、逆にそれが怖く感じられたのかもしれない。その雰囲気がなんとなく、ルカと似ていることを思い起こさせた。
俺がいつもよりさらに言葉数少ないのが気に喰わなかったのか、美人の眉間に皺が寄る。
「まったく、からかいがいのない奴ねぇ」
「頼んでねぇよ」
「あっそ。じゃあ、あたし仕事だから、もう行くわよ。会いたかったら家まで来なさい」
仕事と云いながら手には書簡を握りしめているだけだ。そもそもあいつは本当に看護師なのだろうかと疑いつつ、去って行くルカをぼんやりと見送る。黙っていたのはじゃあねと笑った顔が、ますますウィリアムズそっくりだったから。
「見れば見るほど、ウィリアムズだなぁ」
背後からいきなりそんな感想を吐かれた。俺もまったく同じようなことを考えてはいたが、生憎と意見が合うのは今のところつまらない状況だ。
「しばらく近寄るなと云ったはずだ」
「残念ながらそれはできませんねぇ、ご子息の御命令でも」
当主命令がありますのでとわざとらしいほどに恭しくされ、俺の腹の虫はますます居所を悪くする。
本国より連絡があってから、レイヴンとはなるべく近寄らないようにしていた。もちろん親父の監視装置から避けられるはずはないのだが、俺から関わらなければ良い話だ。面倒くさくなるとたまにやるのは子どもの頃からのお決まりだからか、レイヴンはすっかり慣れ切っている。別にレイヴンが悪いわけではない、それはわかっているのだが、いきなりああいう連絡が来ると気分が悪くなる。
「機嫌悪いなぁ。でも俺に文句云われてもどうしようもないんだけど」
あれは絶対ルーシアの強行突破だしさぁとぼやかれ、俺もその通りだと実際わかっている。レイヴンを操るのは本国に居る者であって、レイヴン自身ではない。もちろん普段は自分の意思を持つことはできるものの、監視としての役割の場合、レイヴンの意思を尊重することなくそれは発動できる。向こうから連絡を取ろうとしたら、レイヴンの返事などお構いなしに、口煩い獣はただの連絡手段と化するのだ。
だが今結局、この場に居るレイヴンは普段のレイヴンの意思で動いている。レイヴンはレイヴンの意思で、主の命令に従うため俺の傍に居る。そのことがまた、俺を苛つかせる。
「で、おまえは弟妹ができることにふてくされてるわけ?」
「んなわけねぇだろ」
もちろん、呆れたことは呆れた。王が亡くなってしばらく経つとは云え、少々身内では厄介なできごとが立て続けに起こっている。そんな時に子どもが生まれたと云う慶事、喜ぶべきか怒るべきか、生真面目な伯父の一人はおそらく呆れているのではないだろうか。
「いーや、怒ってるね」
「親に子どもができて、かまってもらえないから、ふてくされてるって?」
いったい何歳児のことを云っているのだと、莫迦莫迦しくなる。複雑家庭に生まれた子どものような状況だが、我が家は至って平凡な家庭環境である。もちろん、親父やおふくろが非常にマイペースで変人なことを除いてだが。
「あー、それは当主の方だね。当主はおまえにずっとかまって欲しがっているのに放置するから」
真面目に考えて返して来るレイヴンに、俺は深い溜め息で返す。本来なら云い返す場面なのだろうか、云い返す言葉が思いつかない。事実その通りだからだ。あの莫迦なぐらいに能天気な父の心情を誰よりも理解しているのは、この忠実なる獣だ。ただひたすらに親父に仕えてきたからこそ、もしかしたらおふくろより理解できているかもしれない。
そんなことを思っていたら、その獣にじっと見つめられた。
「おまえはずっと、当主を相手にしなかった」
そんなはずはない。誠に残念ながら生きている限り、子どもは親の世話にならないと生きていけない。どんなに変でも親は親だから、あの人に一応は育てられたのだと云う自覚はある。常に誰かに世話されるのが面倒くさくて、ハヴァーズを連れて来るまで侍従を近くに置いていなかった俺は、何かとレイヴンや親父に面倒を見られていた。
だからそんなはずはないのだ、残念なことに。しかし忠実なる下僕は、さも当たり前のように云う。
「おまえが見ていたのは、レーイだけだっただろ」
不規則な心臓の動きを感じて少しまずいのではないかと思ったが、呼吸が苦しくなることもなく、目の前が暗くなることもなかった。
「──そうかもしれない」
幼い頃の記憶など知らない。だが思い返せば母国の記憶と云うのは、レーイのことばかりだ。だから俺は、なおさら国へ帰る気が起きない。来年何をどうやっても帰らなければならないのだろう。従兄姉弟妹の子どもならまだしも、自分の家の子どもだ。その場に居なければならないという、当主命令(、、、、)が下ることだろう。家族を守るのが生き甲斐のあの当主は、自分が命じれば帰って来ることを信じている。だから俺に普段はとやかく云わず、重要な時だけは自分から書簡を送って来る。レイヴンで通信できるのに、敢えて書簡にするというのもまた、たちが悪い。
面倒くさい父親だと思いながらも、俺はなぜかその命令には従わずにはいられない。
「当主は一生懸命だったのに、おまえたちはお互い以外誰も見なかった。そうだろ」
「そこまでじゃあない」
「そこまでだったんだよ、おまえたちは」
生まれた時から俺を見て来たレイヴンに云われると、そうなのかと納得するしかない。だがそこまで排他的な性格をしていた覚えはない。小さく狭く付き合いはあったし、ハヴァーズなんてものを拾って来たりもしたし、ウェイアレイとかいう腐れ縁も一応は居る。王宮へ行ってはリュークとか……あーあ、なんて面倒くさいことを思い出しているんだ、俺は。
──あんたの顔なんか、二度と見たくないわ!
結婚するというセレナのことを思い出して、またげんなりとした気分になる。
この顔を曝して、またあの国へ帰る。そのことが非常に、心を重たくする。
「リュースー!」
いきなり大声で呼ばれてはっとする。気が付けばネイシャはティーガを伴って、シーバルト方面へ足を向けている。
「ティーガがジョーに会いたいんだって!」
ジョーって有名人なのかと疑問が湧いたところで、そういえばあいつらは全員偽名だと云うことを思い出す。義賊で偽名な海賊とはわけがわからない。
「レーイは広げたんだ、おまえも少しは世界を広げてみろ」
ぼんやりとネイシャたちを見ていたら、口煩い獣はそんなことを云う。──世界か。北と西に顔を出したことになるが、まだまだ俺の知らないことは多く、世界は何所までも繋がっている。
「おまえの世界は、まだ壊れちゃあないんだから」
俺の世界なんて、そんなもの、とっくの昔になくなった。
──ビルが居るから、私は私で居られるの。
心臓が押しつぶされて立って居られなくて頭がぐらぐらして、そのまま崩壊するはずだった。するはずだったのに、半壊しただけの俺を親父は生かした。半壊したまま生きて行くことが、俺にとってどれだけ酷なことかあの人は知っていたはずだ。ただあの人は子どもを失いたくないために、自分が子どもを失いたくないがために、まだ研修生だった従兄に詰め寄って俺を助けた。
「今行く」
レイヴンに何を返すでもなく、俺は歩き出した。 ひとまずはここで、子守りをするのが今の俺の役割なのだから。




