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初恋。  作者: 冬鳥
34/85

岡崎市の雪と炎

人を愛するって深いですよね。 愛おしいは、いと惜しいって意味らしいです。

@


―面白くなってきた―


俊介の抱く正直な思いは写し絵のごとく顔つきにも表れていた。


末端に感じる身震いと、血を送りだすポンプの脈動のざわつき。


そして踏み締める両足はゆっくりと動きだした。

スリッパが床に擦れる音は俊介に小さな日常を与える。


壮太と彰を追うように廊下を歩きだす。


さて。


ここから物事はどう動いていくのか?。


身をくねらせ蠢めく定めというものは俺達をどこに導こうとしているか?


早朝の南門で彰が巻き起こした二年生との騒動。及び夏休み前に須田樹里が悄然の面持ちで持ち掛けてきた二年生杉田某へのイジメの相談。


その二つはいま見事なまでに一つに重なった。


俊介の今日は、ほんの5分前の壮太と彰の会話を盗み聞くことから始まったのだ。それから俊介の頭脳は高速度の解析によって会話の内容を要約していった。


壮太と彰は杉田と幼なじみだった(それに関して多少驚いたことは否めない)。並びに普段は暴力の断片すら感じられず呑気ともいえる彰が朝に怒り狂い二年生と喧嘩をした。


「大橋は一人の女を庇うように喧嘩してた」


目撃した男子生徒からそう聞いた俊介は当初訝しく思った。(女だと?あいつが?)

だが壮太との会話で把握した幾つかのキーワード、杉田、そして幼なじみ。その二点とイジメを混ぜ合わせると合点がいった。


南門で杉田に言い寄ったことで、目撃していた彰と喧嘩となった宮崎や山下とは面識がある。10年に一度の荒れ学年とまでいわれる二年生を一つにまとめあげる佐野勝也。

二人は佐野の直属の子分に位置する。

同じ二年C組だ。


「大橋ってかなり喧嘩強い。蹴りで相手をぶっ倒してた」



目撃者のその情報は余分だった。俊介にはわかりきったことだ。



俊介は前を見据える。




「こんなに俺の体内がそそるのは久しぶりだ」





二人の戦士が向かう先には果たして。


あの佐野勝也に立ち向かうという戦慄の催事が待ち受ける。


もし壮太が佐野を一方的に殴りつけたらどうなる?

とりあえずはその前に止めねばなるまいだろう。


だが賽は投げられる。

一年と二年が一触即発となったときに物事はどう動いていくのか。


いままで一年生が、二年生の不良達から一方的な暴力を振るわれたなどの話しは聞いたことがない。それは壮太の存在が効いているのは間違いない事実だ。逆に二年生からしてみれば、絶大な求心力によって一年生をまとめる遠藤壮太は目障りな存在であり続けている。


誰かの一挙一動によって軌道は次々と分断されていく。

一年のリーダーが動く。それは二年との戦争になるのを示唆している。


遠藤壮太がいま直情的な怒りのままに動く代償はおそらく大きいだろう。


この先、二年生に虐げられる多くの一年生が想像できる。


残念だが壮太は佐野には絶対に勝てない。


それを噂なりで本人も十分耳に留めてるはずだ。知っていながら向かっていく。



「嫌いじゃない」



壮太のそういうところ。



彰の背中が見える。

気持ちが読み取れない後ろ姿だった。


気になるのは彰の存在だ。


あいつはいま何を考えているのだろう?


いま二人の戦士が幼なじみの女を虐げる人間達に報復という名の正義の剣を振り下ろす。

だが。

俊介にはあの二人の真意がお互いに反り返っているようにも見える。


何かがおかしいのか…。

俺は何かを見落としているのか…。


俊介はほんの小さな破片が目尻にひっかかるような不快感も持ち合わせていた。



@


俊介は戦いに目を向けた。それは自らが判別しきれないような強制的な思考だった。

洞察力が鋭いこの男は違う側面も瞬時に捉えていた。


彰は杉田を好きなのだろうか…。だとしたら幼なじみの女をずっと前から好きでいるというのか。


彰の深海の暗闇にいるような表情は何を思っているのか。


そう思うと俊介の胸は締め付けられるように苦しくなるのだ。


―俺は彰に恋をしている―


それがいま不純物となり目尻の奥に食い込んでいるのか。


俊介はいまから行われる無謀な喧嘩に神経を傾けた。



@


足を止めた壮太は温もりを消しさった尖る瞳で振り返った。北校舎と南校舎を繋ぐ連絡通路に差し掛かろうとする手前で付いてくる彰を睨みつけていた。


「彰…。お前は来るな。俺一人でやる」



廊下の真ん中で存在を誇示するように、肩幅に足を開き背筋を伸ばし立つ威風堂々とした体躯は丸太のような両腕を横に広げた。


「お前は回れ右だ」


「壮太。何言ってんだ。二人でやろう。奈緒ちゃんを救うんだ。二人で助けるんだ。あのとき俺達は誓った…」



二人は美椙が亡くなったときに誓った。


これからは何があっても奈緒ちゃんを守る。と。


彰はいま深い後悔の海を漂っている。


……気付けなかった。


おそらく中学生になってからあったのだろう。奈緒子は排除され続けていた。それを自分はいままで気付けずにいた。会えば奈緒子の表面しか見なかった。好きだという感情を自分のなかで転がしていただけだった。彼女の瞳に宿るものを見ようとしなかった。


俊介の言う通りだ。


そして彰にはもう一つ陰鬱とさせる事柄があった。


あのとき彰は殺意を覚えていた。奈緒子をいたぶる人間を殺したいと思った。殺意と一緒に抱いたのは怒りと戦慄だった。我を見失った。もしあのとき奈緒子の声がなかったら人間の急所に渾身の蹴りを振り抜いていたことだろう。



さわ。さわ。さわ……。


彰の内部では”そのもの”が生まれ、動きだしていた。



@



2010年12月27日。

岡崎市内。国道一号線下り線。

大橋彰が乗る黒のTOYOTAヴァンガードは走っていく。


冬の寒さを救いあげる太陽の光はとうの昔に消え伏せており、陽光の残像すらもなくなった夜空にはぶ厚い雲が低空を徐々に覆いはじめていた。北西から流れて来る雪雲は地上からの希望までをも消し去るように重く巨大だった。

過去と現在と未来を清算するために車は西へと走っていく。

岡崎の街が先で見え隠れする。


変哲もない直線に伸びる片側二車線の道。


前車のスピードに合わせて右足をずらしてブレーキペダルを踏み、車が完全に制止をすればただ前の車のテールランプが赤く眩しく光るのを見続ける。

彰の心は身体が感じる単調さとは打って変わって複雑に絡み合っていた。名古屋市が近付くにつれて動揺と緊張がいっそう大きくなっていくのがわかる。


そしていま狼狽、動揺、緊張、悲哀を好む一つの影が助手席にある。


足をダッシュボードに投げ出して座る”そのもの”がいう。


「お前はあのときはじめて壮太を意識した」


「意識?」


「そうだ。遠藤壮太を奈緒子を取り合う男として見たんだ。くっくっく」


そのものは、目を細くする彰を真似るとケラケラと笑いだした


”そのもの”は彰自身だ。

彰の闇が作りあげたもう一人の大橋彰となる。



壮太と再会をするこの日に”そのもの”は症候のように彰の前に表れた。



前の車のテールランプが光り彰の顔が赤く染まる。


「あのときお前は奈緒子を挟むように向こう側にいる壮太を意識した。そしてお前は心のなかでこう思った。奈緒子を守る騎士は二人はいらないってな」


「……だまれ…」


「お前は弱い。いまも昔も変わらず弱く脆い。壮太の勇壮も俊介の頭脳もない」


「……」


視界を遮ぎる目の前の赤い光りが眩しい。


彰は赤く光る一点を見続ける。


「なぁ彰。何故あそこで壮太に言った?あのとき奈緒子のイジメは言うべきではなかった。何故壮太も巻き込んだ?何故俊介があそこまで躍動することを予測しなかった?俺が言いたい意味がわかるだろ。お前なら一人で解決できたはずだ。あの日お前のなかでは俺が宿りはじめた。佐野などはお前の敵じゃなかった。一人で彼女を守れたはずだ。そして強く抱きしめられたはずだ。くっくっく。いまとなっちゃわかることだが奈緒子もお前のことが狂おしいほどに好きだった。なのに、どうして壮太に。くっくっく。試したかったか…。お前は壮太が奈緒子のことをどれだけ好いているか知りたかった。馬鹿な奴だな。わかるだろ?あのときが別れ道になった。分岐はあそこだった。それによってその先にあったのはお前と奈緒子が引き裂かれる一本道だ。お前は悪魔に睨まれたんだ。覆水盆に返らずだ。くっくっく」



「だまれ…」


彰は前方の赤い光を見ながら、噛み殺した声を出した。


赤は独立を開始する。

人間の支配から抜け出したように赤く滾る無数のテールランプの光りは火の玉となりメラメラと燃えながら浮きはじめた。帯びた熱はフロントガラスを通して彰の表皮まで伝わってくる。体中から汗が噴き出す。


無数の赤い光りは制御不能になった溶鉱炉のように急激に温度を上げていった。

上空を浮遊する幾つもの火の玉は、己の魂の自由と苛烈さに歓喜するように炎を迸らせる。


彰は目を逸らさない。

冷酷な眼差しのままに炎の塊を見続けてた。


浮遊する火の玉の内部で蠢動するのは彰のなかで生き続ける心的外傷だった。



後悔。後悔。後悔。


火の玉はバチバチと音をたてながら、やがて目を作り口を作りあげた。

うごめく蠢動が形を変えていく。


赤い光りはいま不抜なる生命として宿し生まれた。

それは完全なる人間からの独立だった。


誰の支配でもない誰の唯物でもない、

自らの意思で自らの喜びで火の玉は赤く燃え滾る。

大きく見開く瞳は彰を凝視する。

釣り上がる火の玉の両目は煌めき、ますます炎々とさせた。激しく燃え盛るなか、手足が作られ車と車の間に落ちるように地面にはいつくばった火の玉は、一斉にプルプルと震わせながら必死に起き上がろうとする。だが突然に皆が制止をして天を悲しげに見上げた。

雪が降り出したのだ。

火の玉はメラメラと燃える炎を消していく。

天に戒められたことによりすべてを諦めたかのようにゆっくりと現状に戻っていく。火の玉の目は、火の玉の口は溶けだす。

一瞬の完全なる独立を果たし誇示したそれらは、慣れ親しむ既存の安楽に再びおさまっていく。


信号が青になり前車のテールランプの赤い光りは力を弱めそして動き出していく。

彰も右足をアクセルペダルに移し追尾するかのように走り出すヴァンガード。


雪は天使がまきちらすようにゆっくりと優しく夜空から落ちてくる。


直線が続く国道一号線。

美合を抜けて岡崎の街中に入っていく。


左手はハンドルに添えられ右手は額を押さえ続けている。

長い前髪が手の甲を隠すように被さり、その下で中指と薬指が眉を這わせるようにゆっくりと行き来する。

カーステレオからの音楽は切られ、聞こえるのは、間欠ワイパーの動くモーター音とタイヤがアスファルト上を回転している確かな感触音だった。


彰はおもむろに額から右手を離してウィンドゥスイッチを押し窓を全開にした。暖かった車内には身体を震えさせるほどの冷気と白い雪が入りこんできた。

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