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Reincarnation -Record of memories-  作者: 斗真
第三章 戦乙女たちの招待状

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第三十五話 女王の盾、名なき一歩

闘技場の中央に、ベイル女王が立っていた。


巨大な盾を左腕に構え、右手には光の剣。


その姿は、もはや一人の戦士というより、動く城壁だった。


近づくだけで分かる。


強い。


速さでも、技でも、魔法でもない。


もっと根本的なもの。


前に立った者の心を押し潰すような圧。


トーマは短棒を握ったまま、ゆっくりと歩いた。


観客席がざわめいている。


「本当にやるのか」


「相手はベイル女王だぞ」


「いくら特別枠でも無茶だろ」


「勝負になるのか?」


その声は、トーマにも届いていた。


勝負になるのか。


それは自分が一番思っている。


ベイル女王に勝てるとは思えない。


地下闘技場で剣に飲まれた時のような力はない。


忘却の剣もない。


あるのは、短棒一本。


それと、自分の名前だけ。


ベイル女王は豪快に笑った。


「よく来た、トーマ!」


声だけで胸が震える。


「逃げても誰も責めぬぞ!」


トーマは息を吸う。


「逃げません」


「よい返事だ!」


ベイル女王は盾を軽く地面に置いた。


ごん、と鈍い音が響く。


「だが勘違いするな。我はお主を潰しに来たのではない」


「……では、何を?」


「見るためだ!」


女王は光の剣を肩に担ぐように構えた。


「お主が何を持って立つのか。剣を失い、記憶を失い、それでもなお何を握って戦うのか。それを見る」


トーマは短棒を見る。


握っている。


確かに握っている。


でも、それは忘却の剣ではない。


自分を支配するものではなく、自分が扱うためのもの。


「俺は、勝てないかもしれません」


「かもしれないではない。ほぼ勝てぬ!」


即答だった。


観客席の一部から笑いが起こる。


トーマも少しだけ苦笑した。


「はっきり言いますね」


「事実だからな!」


ベイル女王は笑ったまま、しかし目だけは真剣だった。


「だが、勝てぬ戦いにも価値はある。お主がそれを知っておるか、見せてみよ」


トーマは深く息を吐く。


「はい」


審判が中央へ立つ。


「第三試合。シェイン王国代表、トーマ。ベイル王国代表、ベイル女王」


観客席の熱が、一気に高まる。


ノアは両手を胸の前で握っていた。


「トーマ……」


ミアは声を出そうとして、ユナに袖を掴まれる。


「今は静かに」


「分かってる……!」


レナは治療を受けながらも身を乗り出している。


「立て、トーマ……!」


ロイドは記録板を持っているが、目はトーマから離れていない。


ソルも静かに見ていた。


その目は、弟子を送り出す師のようで、戦場の仲間を見守る者のようでもあった。


審判の手が上がる。


「開始!」


鐘が鳴った。


瞬間、ベイル女王が消えた。


いや、消えたように見えた。


巨体ではない。


盾を持つ女王が、一歩で距離を潰した。


「っ!」


トーマは反射的に短棒を構える。


間に合わない。


盾が迫る。


攻撃というより、壁が突進してくる。


トーマは横へ跳んだ。


だが、避けきれない。


盾の端が肩をかすめただけで、体が吹き飛ばされた。


「ぐっ……!」


砂地を転がる。


一撃。


正確には、直撃ですらない。


かすっただけ。


それでこの衝撃。


観客席がざわめく。


「速い……!」


「盾持ちの動きじゃないぞ」


「これがベイル女王か」


トーマはすぐに起き上がった。


肩が痺れている。


痛い。


ちゃんと痛い。


忘却の剣に痛みを消されていた時とは違う。


だからこそ分かる。


今、自分は生きている。


「トーマ」


自分の名を呼ぶ。


足元が戻る。


ベイル女王は笑う。


「よい! まず起きたな!」


「まだ、始まったばかりです」


「その通り!」


女王が再び踏み込む。


今度は光の剣。


大振りに見える。


だが、速い。


トーマは短棒で受けようとした。


瞬間、ソルの言葉が頭をよぎる。


女王級の攻撃を受けるな。流せ。無理なら逃げろ。


トーマは短棒を傾けた。


剣を正面から受けず、滑らせるように斜めへ流す。


それでも重い。


腕が軋む。


短棒が悲鳴を上げる。


「ぐっ……!」


流しきれない。


トーマの体が後ろへ押される。


ベイル女王の膝が迫る。


トーマは体を捻り、ぎりぎりで避ける。


膝が空を切る。


風圧だけで腹が押されるようだった。


「ほう!」


ベイル女王が目を輝かせる。


「今のを避けるか!」


「避けただけです……!」


「それでよい!」


トーマは距離を取った。


息が乱れる。


まだ二度しか交わっていない。


それなのに、もう全身が重い。


ベイル女王は余裕だ。


一切乱れていない。


これが差。


圧倒的な差。


だが、トーマは短棒を構え直した。


観客席のノアが小さく呟く。


「トーマ、沈んでない」


ロイドが頷く。


「はい。恐怖反応はありますが、自己認識は保っています」


「つまり?」


ミアが聞く。


ユナが答える。


「怖いけど、トーマのまま」


ソルは静かに言う。


「それが今日の勝ち筋だ」


闘技場の中で、トーマはベイル女王を見る。


どう攻める。


盾は巨大。


光の剣は長い。


間合いに入る前に潰される。


真正面から挑めば終わり。


なら、動かす。


足を使わせる。


重い盾を持っていても、ベイル女王は速い。


だが、何度も方向転換させれば。


トーマは地面を蹴った。


真正面ではない。


斜め。


ベイル女王が盾を向ける。


トーマは途中で止まる。


「む?」


ベイル女王の目が動く。


トーマは逆方向へ跳ぶ。


レナとの訓練で覚えた、止まってから動く感覚。


走り続けるのではなく、止まることで相手をずらす。


ベイル女王の盾の向きが一瞬遅れる。


その隙に、トーマは懐へ入ろうとした。


だが。


「甘い!」


女王は盾を持ったまま体を回転させた。


盾が横から迫る。


広すぎる。


トーマは短棒を地面へ突き立て、跳ねるように上へ逃げた。


盾が足元を通過する。


空中。


逃げ場がない。


ベイル女王の光の剣が下から振り上がる。


トーマは短棒で受けた。


いや、受けた瞬間に後悔した。


重い。


腕が壊れるかと思った。


体が空中で弾き飛ばされる。


トーマは背中から地面に落ちた。


肺の空気が抜ける。


「が……っ」


観客席から悲鳴。


ノアが立ち上がりかける。


「トーマ!」


トーマは動かない。


一瞬。


本当に一瞬、意識が飛びかけた。


視界の端に黒い羽根がよぎる。


地下闘技場。


黒い剣。


空白の目。


すべて、忘れればよい。


「……違う」


トーマは掠れた声で呟く。


「俺は……」


手が震える。


短棒はまだ握っている。


体は痛い。


痛い。


だから、ここにいる。


「トーマ」


自分の名。


次に。


「ノア……ミア……ユナ……レナ……ロイド……ソル……」


観客席でノアが涙をこらえる。


「うん……!」


トーマはゆっくり起き上がった。


ベイル女王は攻めてこなかった。


盾を構え、待っている。


「なぜ待つんですか」


トーマが問うと、女王は答えた。


「お主が起きるか見ていた」


「起きなければ?」


「そこで終わりだ」


「優しいんですね」


ベイル女王は大笑いした。


「違う! これは試合だ! 起きる意志のない者を叩く意味はない!」


その言葉は乱暴で、豪快で、しかしまっすぐだった。


トーマは息を整える。


「俺は、起きます」


「ならば来い!」


トーマは走った。


今度は短棒を低く構える。


ベイル女王は盾を前へ出す。


正面から行けば潰される。


だが、トーマは止まらなかった。


観客席がざわめく。


「正面から?」


「無茶だ!」


ベイル女王の盾が迫る。


トーマは最後の一歩で、短棒を盾へ突き立てた。


攻撃ではない。


支点。


短棒を盾に当て、その反動で体を横へ飛ばす。


盾に弾かれる力を利用する。


ノアの「流す」膜を見て覚えた感覚。


ぶつかるのではなく、流れる。


トーマの体が盾の横をすり抜ける。


ベイル女王の目が見開かれる。


「ほう!」


トーマは女王の背後へ出た。


初めて、背中を取った。


観客席が沸く。


トーマは短棒を振る。


狙いは背中ではない。


盾を持つ腕の裏。


だが、ベイル女王は振り返るより早く、盾を背中側へ回した。


がん、と短棒が盾に当たる。


通らない。


しかし、トーマは笑った。


「やっぱり、届かないか」


「だが、今のはよかった!」


ベイル女王は盾ごと体を回し、トーマを弾き飛ばす。


トーマは転がったが、今度はすぐに膝をついた。


完全には倒れない。


会場の空気が変わり始めていた。


最初は無謀な挑戦を見る目だった。


だが今は違う。


トーマは勝てない。


それは誰の目にも明らかだ。


けれど、ただ負けているだけではない。


学んでいる。


受け取っている。


一撃ごとに、倒されるたびに、少しずつ立ち方を変えている。


リンがベイル側の控え席で微笑んだ。


「なるほど。負け方が上手くなってきましたねぇ」


カノンが首を傾げる。


「それ、褒めてる?」


「かなり」


ガーネが短く言う。


「立つの、上手い」


ベイル女王は満足そうに笑っていた。


「よいぞ、トーマ!」


トーマは息を切らしながら立つ。


「まだ……いけます」


「なら、次は少し重く行く!」


その言葉に、ロイドが顔を上げた。


「まずい」


ソルの表情も変わる。


「来るぞ」


ベイル女王が盾を構える。


その盾に光が集まる。


出力制限あり。


だが、それでも十分すぎるほどの魔力。


巨大な盾が、光を帯びる。


「受けるな、トーマ!」


ソルが叫ぶ。


トーマにも分かる。


受ければ終わる。


避けるしかない。


ベイル女王が踏み込む。


盾撃。


ただの突進ではない。


光の圧が前方を押し潰す。


逃げ場が狭い。


左右へ動こうとしても、光の壁が押し寄せる。


トーマは一瞬迷った。


右か。

左か。

後ろか。


その迷いで、足が止まりかける。


黒い羽根が視界の端に浮かぶ。


忘れろ。


「違う!」


トーマは叫んだ。


自分へ。


影へ。


恐怖へ。


「俺は、トーマだ!」


彼は短棒を投げた。


ベイル女王へではない。


自分の足元へ。


短棒を踏み台にするように蹴り、上へ跳ぶ。


さらに、ノアが訓練で作ってくれた支える足場を思い出す。


魔法は使えない。


だが、感覚は覚えている。


足場を作るように、空中で体を畳み、回転。


光の盾撃が下を通過する。


完全には避けきれない。


余波がトーマの体を吹き飛ばす。


彼は地面に叩きつけられ、何度も転がった。


短棒は遠くへ飛んでいる。


手元には何もない。


観客席が静まる。


審判が駆け寄ろうとする。


「続行不能か確認を」


だが、トーマの指が動いた。


砂を掴む。


体が震えている。


立てるはずがない。


それでも、彼は肘をついた。


「トーマ……!」


ノアの声。


トーマの耳に届く。


「帰ってきて」


その言葉で、トーマは笑った。


小さく。


血の味がした。


「まだ……帰るところじゃない」


彼はゆっくり膝を立てた。


腕は震えている。

足も震えている。

武器はない。


それでも、立つ。


観客席から、少しずつ拍手が起こり始めた。


最初は一人。


次に、二人。


やがて、波のように広がる。


トーマは完全に立ち上がった。


ベイル女王は、もう笑っていなかった。


真剣な顔で、彼を見ていた。


「見事だ」


その声は、闘技場に響いた。


「トーマ。お主は今、勝てぬ相手の前で立った」


トーマは荒い息を吐く。


「まだ……終わってません」


「終わらせるかどうかは、お主が決めよ」


ベイル女王は光の剣を構えた。


「続ければ、我は次でお主を倒す」


トーマは分かっていた。


次は避けられない。


武器もない。


体も限界。


ここで突っ込めば、ただ倒されるだけだ。


いや、それだけならまだいい。


無理に続ければ、また自分の中の黒いものに手を伸ばすかもしれない。


地下闘技場で学んだこと。


止まる強さ。


降参の判断。


トーマは拳を握った。


悔しい。


悔しくて、喉が焼ける。


まだ戦いたい。


でも。


「俺は……」


声が震える。


「降参します」


会場が静まり返った。


トーマは顔を上げた。


逃げるためではない。


諦めるためでもない。


自分で止まるために。


「これ以上は、俺が俺のまま戦えない」


その言葉に、ロイドが目を閉じた。


ソルが小さく頷く。


ノアの瞳に涙が浮かぶ。


ベイル女王は光の剣を下ろした。


そして、巨大な声で告げた。


「よい判断だ!」


闘技場に響き渡る声。


「勝ちを拾う者は多い! だが、己を失う前に止まれる者は少ない!」


ベイル女王は盾を掲げた。


「審判よ! この試合、我の勝利だ!」


審判が手を上げる。


「勝者、ベイル王国代表、ベイル女王!」


観客席が爆発するように沸いた。


勝者はベイル女王。


だが、その拍手はトーマにも向けられていた。


負けた。


完敗だった。


一撃もまともに入っていない。


それでも、トーマは立った。


そして、自分で止まった。


短棒を拾うこともできず、トーマはその場に膝をついた。


体の力が抜ける。


ノアが駆け寄ろうとするが、ロイドが一瞬だけ止めた。


「待ってください」


「でも……」


「今、彼は自分で戻ります」


トーマは膝をついたまま、自分の胸に手を当てた。


「トーマ」


自分の名前。


そして。


「ノア。ミア。ユナ。レナ。ロイド。ソル」


ちゃんと言えた。


一つも欠けていない。


それを確認して、ノアは駆け出した。


今度はロイドも止めなかった。


「トーマ!」


ノアが駆け寄る。


トーマは顔を上げる。


「負けた」


ノアは涙を浮かべながら笑った。


「うん」


「でも、帰ってきた」


「うん」


ノアはしゃがみ、トーマの手を取った。


「おかえり」


その言葉に、トーマは目を閉じた。


胸の奥にあった緊張が、ゆっくりほどけていく。


「ただいま」


観客席からの拍手は、まだ続いていた。


ベイル女王はその光景を見て、満足そうに頷く。


「よい負け方だったぞ、トーマ!」


トーマは苦笑した。


「ありがとうございます」


「次はもう少し粘れ!」


「はい」


ロイドが近づいてきた。


「目標達成です」


「勝ってないぞ」


「今日の目標は勝利ではありません」


ソルも言う。


「名前を失わなかった。自分で止まった。相手の強さを受け取った」


トーマは息を吐く。


「それなら……まあ、少しは」


レナが治療席から叫ぶ。


「トーマ! 負け方なら私とお揃いだな!」


ミアが叫ぶ。


「二人ともかっこよかったぞ!」


ユナが静かに言う。


「負けても、残った」


トーマは皆を見る。


敗北。


だが、これは地下闘技場のような崩壊ではない。


自分で選んだ敗北。


次へ繋ぐための敗北。


テリア女王は遠くからその様子を見ていた。


小さく、満足そうに笑う。


「そうじゃ。それでよい」


隣のアリスが言う。


「嬉しそうね」


「嬉しいとも」


「負けたのに?」


「負けても得るものがあると知った者は、次に強くなる」


テリア女王はトーマを見つめる。


「彼は今日、剣ではなく自分で止まった」


ロイが短く言う。


「大きい」


「うむ」


第三試合。


勝者、ベイル王国。


これでシェイン対ベイルは、ベイル二勝、シェイン一勝。


次は第四試合。


ソル対カノン。


シェインがこのカード群を引き分けに持ち込むには、ソルの勝利が必要だった。


ソルは静かに立ち上がる。


トーマは治療を受けながら彼女を見る。


「ソル」


「何だ」


「勝ってくれ」


ソルは少しだけ振り返り、静かに頷いた。


「ああ」


カノンはすでに闘技場へ向かっていた。


大型弩を背負い、冷静な目でソルを見ている。


近づかせない女と、必ず近づく女。


シェイン対ベイル最終戦が、静かに幕を開けようとしていた。

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