表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「結論から言うね」とキミは言った。  作者: 陸無ふき
第一章 色のない世界
19/19

第十九話 笑顔

目を覚ますと、知らない天井が見えた。


隙間なく、木の板を張り合わせて作られた、見慣れない天井。


「ここ、どこ?」


僕はベッドの上で、無理やり身体を起こす。


「痛っ」


その身体は重く、まるで自分のものでないように感じた。


傷口と、胸の奥には確かな痛みが残っている。

僕はゆっくり、部屋を見渡した。


部屋の隅には、見覚えのない女の人が椅子に座っている。


女の人は僕と目が合うと、驚いた顔で、すぐに部屋の外へ走っていった。


しばらくすると、木の廊下を走るような何人かの足音が近づいてくる。


足音が部屋の前で止まると、すぐに、扉が勢いよく開いた。


扉の向こうには、セインが立っていた。


「……おはよう。セイン」


そして、その隣には、あの少女が立っている。丘の上で出会った、ルミアの姿をした少女。


彼女は何か言いたげに、口を動かしていた。

けれど、それは言葉にならなかった。


代わりに、金色の大きな瞳がみるみる潤み、まつ毛の先で涙が揺れた。


「アイル。無理に起きるな。傷が開く」


セインはそう言って、僕に近づいてくる。


「やっと、名前で呼んでくれたね」


僕がそう言うと、セインは急に足を止めた。


「……今は、そんなことを言っている場合ではない」


セインは、すぐに僕から視線をずらした。


僕は、セインの後ろに隠れるように立っていた、少女に目を向ける。その姿は、間違いなくルミアだった。


「君は……ルミアなの?」


僕は思わずそう聞いていた。

彼女は肩を震わせながら小さく呟く。


「……ごめんなさい」


それからしばらくの間、部屋には沈黙が訪れた。

誰も、口を開かない。


そんな様子を見かねたように、セインは大きくため息をついた。


そして、俯いたままの彼女に目を向ける。


「彼女はどうやら、なにも覚えていないらしい」


「えっ」


「だが、ここまでずっと、君を看病していたのも事実だ」


「……彼女が?」


「ああ。少なくとも、今の彼女が君に危害を加えることはないだろう」


僕は返事に困ってしまい、黙ってしまった。


「とにかく、君が目覚めてよかった。俺は畑に戻るから、しばらく二人で話しているといい」


「……はたけ?」


「後で説明する」


そう言い残し、セインは部屋を後にした。

そして、部屋には僕と彼女の二人だけが残された。


「……ごめんなさい」


彼女は深く頭を下げながら、もう一度僕に謝った。


「大丈夫だよ」と喉まで出かかった言葉を、僕は飲み込んだ。


頭の芯がまだぐらぐらと揺れ、視界の端が白く霞む。


目の前で、ルミアの姿をした少女が僕に謝っている。

でも、僕は彼女をどう受け止めればいいのか、まだ分からなかった。


「ごめんなさい。ごめんなさい」


口を閉ざす僕を見て、目に涙を浮かべながら彼女は、何度も何度も謝った。


「も、もう、謝らなくていいよ」


僕はたまらず、身振り手振りを加えてそう言った。


その拍子に、僕の手から何かがベッドの上にひらりと落ちる。


それは、血と雨のシミでぼろぼろになった、"きいろの花"の栞だった。その瞬間、頭の中に鮮やかな記憶が蘇る。


無機質な笑顔で剣を振り下ろす彼女の姿と、赤く染まっていく"きいろの花"。


同時に、僕の傷口と心に鋭い痛みが走った。


「うっ」


「だ、大丈夫、アイル!」


そう言って彼女は、僕のもとにかけ寄ろうと一歩踏み込んだ。けれど、すぐにその足を止める。


まるで、僕に近づいていいのか迷っているみたいだった。


「……ご、ごめん。すこし痛んだだけだから」


今度は思わず、僕の方が謝っていた。


「……ごめんなさい。私、なにも覚えていないの」


彼女は、震える声でそう言った。


「さっき、セインがそう言ってたね……」


「あなたを傷つけてしまったことはわかっている。でも、それより前のことを、なにも思い出せない」


僕はしばらくの沈黙のあと、ベッドに落ちた栞を拾い上げる。そして、その栞を見つめたまま、彼女に聞いた。


「君は、自分の名前を覚えているの?」


彼女は少し黙ってから答えた。


「……みんなは、私のことをルミアと呼んでた」


彼女は、か細い声でそう呟いた。


「そ、それじゃあ……」


僕はここで言葉を止めた。


この栞を覚えてるのか。

本当は、そう聞きたかった。でも、聞けなかった。


覚えていないと言われるのが、怖かったのかもしれない。


これは、ルミアと今の僕を繋ぐ、唯一の祝福だったから。


その時、栞を見つめたままの僕に、彼女は静かに語り始めた。


「自分の名前は覚えてない。でも、アイル。この名前だけは、かすかに覚えてる」


僕は、思わず彼女に目を向けた。


「この名前だけは、なぜか忘れちゃいけない気がしたから」


彼女は、胸に手を当てた。


「あなたを傷つけてしまったとき、誰のものか分からない声が聞こえた気がした」


「声?」


「うん。とっても冷たくて、痛くて、胸に突き刺さるような声だった」


「それって、もしかして……」


「でも、不思議とその声を聞いたとき、なぜか、懐かしく感じた……」


話を終えると、彼女は目を伏せてしまった。

また、言葉が途切れる。


今の彼女は、自分の名前も覚えていない。


でも、あのとき丘で出会った"誰か"は、自分をルミアだと名乗った。


そして今、僕の名前だけが、目の前にいる彼女の中に残っている。


「君になにがあったのかは、僕にはわからない」


僕が話し始めると、彼女は少し顔をあげた。


「でも今の君は、あの日、丘の上で会った"誰か"とも違う気がする」


彼女は不安そうな目で、僕を見つめている。


彼女の心に突き刺さったという冷たい声。その正体を、多分、僕は知っている。


かつて、僕が奪ってしまったルミアの哀しみ。


理由はわからないけど、あの瞬間、それが彼女の中へ戻ったのかもしれない。


あの丘で僕を斬った“誰か”と、今ここで震えている彼女を、同じだとはどうしても思えない。


そんなことを考えていると、不意に僕のお腹が鳴った。


あまりにも間の抜けた音に、張り詰めていた空気が少し和んだ。


「ご、ごめん。お腹が空いちゃって」


彼女は一瞬、きょとんとした顔をみせた。


けれど、慌てて部屋の隅に向かい、小さな包みを両手に抱えたまま戻ってきた。


「これ、食べて」


そう言って、彼女は包みを丸ごと僕に差し出した。


「あ、ありがとう」


僕は包みを開ける。

中身は、あのパサついた配給食の焼き菓子だった。


僕はしばらく、それを黙って見つめていた。それから、焼き菓子を半分に割った。


「これ、半分あげる」


そう言って、半分を彼女に差し出す。


「えっ、わ、私は」


彼女は一瞬、戸惑っていた。


「一緒に、食べよ」


けれど、僕がそう言うと、彼女は、恐る恐る半分の焼き菓子を受け取った。


彼女は、焼き菓子をじっと見つめたあと、ほんの少しだけ笑った。


懐かしいその笑顔に、僕は思わず息を呑んだ。


そうだ。

僕は、この笑顔を知っている。


四年前から、ずっともう一度見たいと願っていた、あの笑顔。


まだ、分からないことは多すぎる。


それでも、きっとこの笑顔は本物だ。


「ありがとう……ルミア」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ