1-13 襲撃
「考え事をしている余裕はないぞ。
その声で我に返る。そのとおりだ。今は歴史に悪名高き粛清(彼は大規模襲撃と言ったが)の真っ最中だ。
前を走る人物を必死で追いかける。当の本人は、手加減なく、そしていとも簡単に襲い来る敵をなぎ倒しながら進んでいく。どんな素人が見ても分かるだろう。只者ではない。
「ギギギギ……」
不意に裏路地から飛び出てきたオオグモに止めを刺し、ヴァンはふとエリオの顔を見た。余裕が無さそうだ。
「ずいぶんとお上品な剣だな。」
目の前の男は、別のオオグモを真っ二つにし、涼しげな声を発した。
「母が厳しかったもので。」
いくぞ。と再び走り出した戦士について考える。彼はシギルと名乗り、顔は兜で隠れていて見えない。動きはエルニア剣術のようだが、多少の我流も混ざっているようだ。こんな凄腕のエルニア剣術の使い手を自分は知らない。露払いと言われたが、彼にそんなものは必要なのだろうか。
路地には血を流して横たわる人、呻きながら蹲っている人、襲い来る敵に立ち向かう人、鐘の音、叫び声……。何か別の事を考えていないと、おかしくなりそうだ。
エリオを振り返る。顔面が蒼白だ。彼も雰囲気に呑まれてしまっているのだろう。だが必死に食らいついてきているのは、一種の使命感なのだろうか。
使命感。そう、自分もそれに突き動かされている。自分たちは彼の、シギルの露払いだ。
ふとアカデミー時代の講義を思い出す。「人は何か一つしがみつくものがあれば、精神の均衡を保っていられる。」
だが、これは非常に危険な綱渡りだ。この糸が切れてしまったとき、その精神は一気に瓦解するだろう。未熟な自分たちの力量を瞬時に見抜き、一つの使命を与えることで精神を守り、わざと敵を取りこぼす事で仕事を与え、目的を見失わないようにしている。
この人物の事は信用しても良いだろう。本能がそう告げている。
四差路に差し掛かり、先頭を走っていたシギルは足を止めた。
左手の道の先では、恐怖に目を見開いた男に、今まさに襲い掛かろうとしている敵。厄介なランドガレージだ。男は左手を突き出し、やめろと言っているように見える。
「あ……!」
エリオが小さく声を上げた次の瞬間、ランドガレージの鎌は容赦なく振り下ろされ、男の胸に突き刺さった。勢いよく血が噴き出る。あれは助からないだろう。
「この野郎……!」
思わず飛び出しそうになったエリオは、シギルに後襟をつかまれてその行動を阻害された。
「何しやがる!」
「お前こそ何をしようとしていた?」
思わず悪態をついたエリオに、静かな声でシギルが問いかける。
「まさかあの男の敵討ちをするなどと考えたわけでは無いだろうな?」
件のランドガレージは、いつの間にか姿を消していた。おそらく道の奥へと移動したのだろう。
「あの男は知り合いか?」
「……いや。」
手を離され、襟を正しながら、目を合わさずに質問に答えるエリオ。
「たとえ知り合いだったとしても、許可なく私の傍を離れることは許さん。」
「……でも!」
「良いか、何度も言わせるな。元凶を抑えればこの騒ぎは収まる。一時の感情で時間を無駄にするな。」
「む、無駄だって言うのか!」
「時間の無駄だと言ったのだ。雑魚にかまけている間に被害は広がるぞ。今すべきことを考えろ。」
「エリオ、彼の言う通りにしよう。」
「……わかった。それじゃ、早く元凶とやらを倒そう。」
ヴァンに諭され、一つ大きくため息をついて、エリオはシギルの言葉を受け入れた。
シギルは少しだけあたりを見回し、借りるぞ、と言いながら力尽きた戦士が持っていた弓矢を手に取った。簡単に点検し、無造作に矢を放つ。その矢は正確にシルバーウルフの眉間を貫いた。
「凄い……。」
エリオが感心する。何しろ、その距離は軽く70メルを超えていたのだ。
使え。と、その弓矢をヴァンに渡すシギル。
「敵が地上だけとは限らん。状況によって撃ち落とせ。」
状況によって。つまり撃ち落としてはいけない場合もある。具体的には、撃墜することで墜落した敵に誰かが、または何かが巻き込まれるような場合。または単純に攻撃を外すことで、その矢が地上に落ちてくる場合。これは状況的には敵に攻撃されることと変わりがない。
「難しいことを言いますね。」
「お前ならできるだろう?」
シギルの言には確信的なものがある。彼はヴァンが弓矢を使っているところなど見たことが無いはずだ。エリオですら、過去数回程度、それも訓練で的を相手にするのを見たことがあるだけだ。
「よし、付いてこい。」
こっちだ。と、シギルは右手の道を選び、また走り出す。あまりに迷いのない行動に、ヴァンは多少の違和感を覚えた。
「この辺りか。」
『女神広場』。そこはヴァンス外郭部の南寄り、港へと通じる大通りにある広場だ。外郭中心あたりから、直線距離にすれば近いのだが、街の構造上ぐるりと回ってくる必要があった。
広場の中心には女神フィリスの石像が建っている。その周りを噴水が取り囲み、普段は市民の憩いの場として、恋人たちの待ち合わせ場所としてよく使われている。
「いたな。」
黒いローブを纏った人影。こちらに背を向け、女神像を見上げているようにも見える。思わず身構える。ただならない雰囲気だ。
ゆっくりとその人影が振り返った。フードを被っており、その顔は良く見えない。
「ふん、相変わらず趣味の悪い奴らだ。」
シギルがポツリと呟く。前に会ったことがあるのだろうか、と言う疑問は、黒ローブが完全にこちらを振り返った瞬間霧散した。
顔には髑髏の仮面を付けている。右手には巨大な鎌。その佇まいは得も言われぬ雰囲気を醸し出しており、それはすぐに恐怖と言う感情へ繋がった。
「人の祈りの時間を邪魔するたぁ、どんな了見だぁ?」
「悪いがこちらも急いでいるのでな。すぐに終わらせてもらう。」
シギルが剣を構える。黒ローブは余裕の姿勢だ。
「だがその前に二、三質問がある。お前の名前と、それから『ルス』を知っているか?」
「そんなもんに答えるわけねぇだろ!」
ギィン!と金属同士がぶつかる音がした。黒ローブの鎌をシギルの盾が受け止めたのだ。そのままシギルが刺突で反撃するが、黒ローブは軽く体をひねって回避する。
「す、すごい……!」
エリオが感嘆する。シギルと黒ローブの攻防は一進一退、計算されつくされた殺陣のような、まるで見世物のような雰囲気さえ漂わせている。思わず魅入ってしまう。
「エリオ、敵が来るぞ!」
ヴァンが弓を構えながらエリオに声をかける。広場の入り口には大量の獣たちが集まってきていた。
「やっぱりあいつが主人なのか?」
最後の矢を放ち、迫り来たワイルドボアを打ち倒す。これが全部ランドガレージやカオスでなくて良かった等と考えながら、弓を投げ捨て、剣を抜いた。
「オラオラどうした?」
シギルと黒ローブの攻防は、黒ローブが優勢に見えた。黒ローブの攻撃をシギルが凌ぐ。だが明らかに序盤よりも黒ローブの手数が増えている。
「はん、こんなもんか。」
そう言って黒ローブが後ろに飛び退く。
「シギル殿、大丈夫ですか!?」
「こちらは気にするな。自分たちの仕事をしろ!」
ヴァンの問いかけに答えるシギルを見て、黒ローブはやれやれと言った動作をした。
「あー、質問があるんだったか?俺様の名前はツヴァイっつーんだ。ま、俺様は慈悲深いからな。すぐ死ぬ奴に覚えておけなんて言わねーぜ?」
ツヴァイと名乗った黒ローブは余裕の姿勢で鎌を肩に担いでいる。
「それから、『ルス』だっけ?」
ポンポンと得物の柄で肩を叩きながらツヴァイが続ける。
「よーく知ってるよ。アイツらは、あの異端者共は滅ぼさなけりゃなんねー。」
「なるほど。よくわかった。」
「で、三つ目の質問はあるのか?俺様は慈悲深いから答えてやるぜ?」
「いや、三つ目は必要ない。」
「そうか?じゃあ終わりにしようぜ。このままでも余裕だけどよ、俺様は仕事熱心なんだ。確実に終わらせてやるぜ。」
直後、周りの空間に歪みが生まれた。
「げ、これって……!」
エリオの予想は当たっていた。シギルが混沌と呼んだモノたち。それが空間の歪みから這い出てきた。
「まだいるぞ、気を付けろ!」
ヴァンが叫ぶ。現れたカオスは一体のみではなく、数十体が次々と姿を現してきた。
「これ、ヤバくないっすか?」
背中合わせに立つエリオの声が震えているのをヴァンは感じていた。シギルならば対処できるのだろうが、彼は黒ローブで手一杯だ。自分たちで何とかするしかない。だが、この数をどうやって?その間にもカオスは歪みから這い出てきている。
「この時を待っていた。」
シギルが静かに呟いた。
「え?あれ?」
その場にいた人物で何が起きたのか把握しているのは、それを起こした本人だけだろう。起こされた側ですら把握できていないに違いない。
「止まった……?」
空間の歪みから這い出てきたカオスたちは、一様にその動きを止め、固まっている。
「何しやが……」
「三つ目を聞くまでも無い。お前は違う。」
誰も気づかないような速さで、シギルの剣はツヴァイを貫いていた。彼らの間は5メルは離れていたはずだ。その距離を一瞬で詰め、そして急所を一撃したのだ。
追い詰められることすら演技だった。そのことに気づき、ヴァンはシギルの技量に寒気すら覚えた。
「あれ?敵がいない?」
そしてエリオの一言で我に返ったヴァンも周りを見渡す。
動きを止めていたカオスはもとより、あれだけ大量にいたはずのモンスターたちも姿を消していた。
「これは一体……?」
シギルに向かって問いかけた瞬間、ヴァンは信じられないものを目撃した。
「アイツは何処に行ったんですか?」
シギルの手には剣と盾。その剣には、ツヴァイが着ていた黒ローブが引っかかっており、地面には手袋やブーツの他に髑髏の仮面と大鎌が転がっていた。
この日、城塞都市ヴァンスは『粛清の撃退』と言う歴史的な快挙を成し遂げた。