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追憶_シリウス中篇

投稿遅くなって姉妹申し訳ありませんでした。

最初は二部構成の予定だったシリウスの過去編ですが、三部構成に変更したために大幅に投稿が遅れてしまいました。


今後ともご愛読の程よろしくお願い致します。

シリウスが多くの財宝と共に行方を眩ましたことが分かったとき、部下を口汚く罵りながらラースが考えていたのは…意外にも戦力の欠損がどれ程のものかと言う冷静な思考だった。

確かにラースは欲深く、傲慢な男だが無能では無い。そうでなくば数多くの戦闘員を配下に置き、財を築き上げることなど不可能だ。


(シリウスを失ったのは痛い…だが奴が肝心な『力』に触れさせる前だったのが不幸中の幸いよ。

 腕の立つ剣士、それだけならば替えなど時間を掛ければいくらでも立てられる)


ラースの邸の宝物庫には数多くの財宝がある。

だがラースにとって真に『財宝』と呼べるものとは『力』、即ち魔術だった。

金銀宝石などは言わばブラフ。真の宝を覆い隠す為の布石と言っても過言ではない。


ジガードは聖戦の後に…魔術が後世に伝わることを危惧し、それに関わる資料や器具を可能な限り回収した。

ならば聖戦の以前はどうだったか?

そして…逃げ延び、生き延びた者の中に『それ』に深く関わる者が居たら?


そう、いくつもの偶然が重なり合い、ラースは先人達から魔術に関する知識と技術を習得していたのだ。


聖戦以前…ラースの家系、『ヴァーミリオン家』は魔術師の名家として名を馳せていた。

高い魔力と高度な技術、何より魔術師としてのセンス。ジガード達超一級…とまではいかずとも、充分聖戦においても戦力に成れたであろう程の実力があった。

しかし彼らは逃げた。

それも恐怖に従ってでは無く、明確な意思を持って逃げだした。

財力、発言力、更には魔術師としての力量の全てにおいてヴァーミリオン家を上回るジガードの家系は彼らにとっては目の上のたんこぶ。

協力する気などサラサラ無い。しかし、敵の危険性も理解できる。

そこで彼らが下した結論は…『ジガードと邪神がぶつかり合い、双方疲弊した所を潰す』と言うとても褒められるものでは無かった。


結果としてその策は失敗に終わったが、予想外の形で覇権を手に入れることができた。

聖戦の勝者であるジガード達が表世界から姿を消したためだ。

その行方は攫めなかったものの、ジガードが消えたことには変わりなく、ヴァーミリオン家は嬉々として表世界で勢力を増していった。

都合のいいことに、魔術に関わるほとんどの資料や魔道具などはジガード達がほぼ全て回収していったらしく、魔術を使える彼等の権力は絶大なものとなっていた。

無論、ラースが率いる戦闘員たちが無類の強さを誇っているのも(シリウスのような例外を除けば)魔術を行使できるからだ。


だからこそラースは冷静でいられた。

シリウスは確かに最強の手駒だった。もし仮に彼が魔術を行使する術を持てば古今東西で類を見ない、最強の戦士になれただろう。

だが近日の腑抜けた仕事ぶり、番犬に相応しくない迷いの見える目。シリウスは確実に弱くなった。

他を蹂躙することに一切の情けなどかけてはならない。

それを怠るものなど、例えどれほどの力を持っていようと無意味。


そういって内心でシリウスを嘲笑っていたラースは…次の瞬間に目を見開いて凍り付いた。

シリウスに奪われただろう宝物庫からの紛失物のリストに…あってはならない文字を見つけてしまったからだ。


部下にはそれが何なのか教えていなかったため、どうでもいいものだと思われたのだろう。

リストの一番下に小さく…こう書かれていた。








『十字架に張付けられた女神の彫物』




ラースの全身を戦慄が貫く。

それこそが、ヴァーミリオン家に代々受継がれてきた最重要機密。

だからこそ宝物庫の金銀財宝の中に紛れ込ませ、決して持ち出されることなどないようにと細心の注意を払っていたというのに…!


『あれ』は手放すわけにはいかない。

やがてジガードさえ凌駕する力を、勢力を手にしたとき、この世界の王として君臨すべき旗印になる力。それが奪われることなど在ってはならない。


ラースは震える手で、震える声ですぐ近くに控えていた部下を呼び、ただ一言だけ命令した。


『シリウスを捜し出せ…どんな手を使ってでも』と…。








それから数ヶ月ほど、月日は流れ……



~ラースの居る街から馬で五日ほど離れた場所にある、海沿いの街にて~


海に面しているこの街は、年中賑を見せているが、ここ最近は特に人々の興奮が際立っているようだった。

それも其のはず、二ヶ月ほど前から各街を渡り歩き、歌や演劇を披露する小さな歌劇団が数日前からこの街を訪れているからだ。

しかも最初はたった二人から始まった劇団も、各地で同士を増やし、今では十数人程の団員を持つ立派な集団になっているのだ。

歌や演劇など一部の豪商や権力者しか嗜むことが出来ないこのご時世に、誰であろうと客として迎え入れ誠心誠意を篭めた舞台を演じる劇団『月華ルナ』。

彼らへの注目は日に日に増していく一方だった。

中でも創始者にして看板娘である『アイリーン』とそのパートナーである黒髪の男『シド』の二人は整った外見だけでなく演技力も卓越しており、ファンになる人々さえ出てくるほどの人気を博している。


「どうぞ見ていってくださいね~!」

「今日を逃したら次はいつ来るかわかりませんよ~!」


劇団の新入りの男女二人が威勢のよい声で客の呼び込みをしている。

遠くまで響き渡る声に惹かれて、続々と人が集まってくる。

しかし、町の影にはそんな平和な風景に似つかわしくない風貌と視線の人間たちが目を光らせていることに…誰も気づかなかった。


夕刻―――


団名になぞり、公演は夜にしか行わない、それが彼等の信条だ。

劇団『月華ルナ』の団員たちは、広場と、近くに停められているいくつもの馬車の荷台とを忙しなく行き来していた。

席を予約してくれた観客のための椅子(といっても木箱の上に布をかぶせた程度だが)の準備や皆に配る飲み物の準備、最終調整や発声練習。時間はいくらあっても足りない。

しかし団員は皆、生き生きとした表情だった。

額に汗をかき、仕事の経過に一喜一憂し、仲間と協力し合う。

観客に笑顔を与える団員たちもまた、この劇団に救われていたのだ。

それまでは日々の生活に追われ、夢や希望など想像だにしなかった日常。それを変えてくれたのが団長とその相方の二人だった。

加入した時期はそれぞれ違うが、皆が今の自分の居場所に満足していた。


勿論今のように人気を集め、注目を集めるようになったのはつい最近のこと、それまでは団員も少なく、客足も貧相なものだった。

だが常に前を、上を目指して団員を引っ張るアイリーンと、それを支えるシドの活躍によって、次第に一つの劇団としての到達点へと近づいていった。


そんな活気だつ空間で尚、輝いて見える二人の男女が居た。

短く切り揃えられた淡い薄紫の髪の少女が皆を仕切り、長く美しく黒髪の青年が細かな作業をこなす。

アイリーンとシド…言うまでもなくシドとはシリウスの偽名だ。

ラースの館から大量の財宝を持ち出した足で街を飛び出した二人は、それから各地を転々と周り、劇団を建ち上げた。

劇団名『月華ルナ』の由来は二人が出会った夜空に美しい月が出ていたから(命名はアイリーン)だ。


「団長~!この衣装は誰のでしたっけ?」

「それは羊飼いの衣装だから…ローレンとエヴァンに渡して」

「団長、小道具は何処に置いておけばいいでしょうか?」

「舞台の端に出番ごとに纏めて置いておいて?すぐ使うものが先、後半に使うのが奥ね?」

「団長!結婚してくださ」

「寝言いう子に食べさせるご飯はないわよ?」

「……すみませんでした」


最初は頼りなく失敗も多かったアイリーンだが、今では団員の扱いも様になっている。

十数人とはいえ立派に団員をまとめあげ、指導し、共に成長していく姿はまさに団長としての鏡。

そしてそれを常に支え続けたのが…相方にして副団長でもあるシド(シリウス)だ。


「シドさん、衣装に切れ目があったのですが…」

「貸してみろ…これくらいすぐ直せる…」

「シドさん!舞台道具の剣が一本見当たらないのですが…」

「それならさっきライナーが振り回してたからだろう、後で灸を据えておくからお前たちは気にするな」

「はいっ!いつもありがとうございます!」

「気にするなと言ってるだろぅ…」


口調は相変わらずだが、その表情はどこか柔らかく、人間らしい温もりを帯びていた。

最初は人付き合いなどまともに出来なかったシリウスだが、アイリーンの努力のためか、今では団員全員と軽いコミュニケーション程度ならば可能になった。

以前ならば考えられないだろうがアイリーンと出会って人間性を思い出した彼は意外にも親しい人間には親身になって接する性格だった。

感情表現はまだまだぎこちないが、手先も器用で頼り甲斐もある副団長に団員たちは皆尊敬の念と共に確かな信頼を胸の内に抱いていた。


開演時間が真近に迫り、アイリーンがその場の全員に活を飛ばす。


「さぁ、もう直ぐ時間よ!今日は今までで一番お客さんが集まってるわよ!

 成功して華を飾るか失敗して地べたを眺めるかは自分たち次第なんだからね?気合入れなさいよ!?」

「はい!」

「了解です団長!」

「………あぁ」


アイリーンの隣で、シリウスが皆を一望する。

緊張に震える者も、大盛況だと浮かれる者も、皆に共通するのが…『笑顔』。今日もこの劇団には笑顔が溢れている。

胸の内でつぶやいた自分の胸の内に、シリウスは一人苦笑した。


(笑顔…この俺が、毎日笑顔を見ているというのか?

 ずっとラースの飼犬しもべとして殺し、奪い、踏み躙ってきた自分が、悲鳴と絶望の顔しか知らなかった自分が?

 まさかこんな穏やかな心境で、陽の光の下で…笑っているなどと…)


罪の意識が消えたわけじゃない。

自分が踏み躙ってきた命は戻らない。


だが、これ以上は殺さない。

もう二度と恐怖と絶命の悲鳴など聞かない。

もう二度と自らの手に他人の血を吸わせはしない。


夕陽を受け、茜色に輝く仲間たちを見ながら…シリウスは一人、そっと決意した。





「満天の星の輝く元、涼やかな風の舞う中、今宵こうして皆様方に御逢いできた今に感謝いたします」


上品なレースを添えた衣装に身を包んだ可憐な少女が丁寧に一礼すると、観客(特に男性)達は大いに湧いた。

開演を知らせるのはいつもアイリーンの役目だ。

今日の演劇は『海賊と拐われた少女との恋を描く物語』。

内容は海賊船の新人であるシドが、仲間たちと共に様々な冒険を繰り広げていく冒険活劇。

そしてその中で最も中心となるのが自分たちの手で拐ってきた少女、アイリーンにシドが心惹かれていくという葛藤を挟んだシーンだ。


厳つい顔で団員たちにからかわれている大男、ライナーが演じる船長がカトラスを模した小道具を振り回して叫ぶ。


「野郎ども!目欲しけりゃ奪えるだけ奪え!壊したきゃ壊し尽せ!

 人間に手があるのは自分の欲を満たすためだ!それができねえ奴は腕なんか切り落としちまえ!!」


そう言って豪快に舞台装置の木箱を蹴り壊し、高笑いする。

迫真の演技に観客たちも息を呑み、物語の中へと引き込まれていく。


観客の反応を舞台裏から覗き見て、新人たちもまた興奮を高める。


「すごいすごいっ、お客さん皆がじ~~~~っとこっちを見てるよっ」

「ライナーやるなぁ…でもあの木箱ってエヴァン達の服をしまう箱だったような…」

「あはは、そこはほら…後で直そうよ…」


「貴方達、お客さんに見つかったらどうするの?もう少し顔を引っ込めなさいな」


溜息混じりにアイリーンが注意すると、新人たちは静かに返事をしてから指示に従う。

そんな様子を目にして、シリウスは微笑混じりに口を開く。


「全く、見違えたものだなお前も…最初は劇の最中に新人たちが飛び出してきて涙目になっていたような奴がな…」

「ちょっと!もう二ヶ月も前のことをまだ蒸返すの?」

「一ヶ月と十二日前だ、そこまで昔のことじゃないだろぅ?」

「ちょっと!お祈りの最中にからかうのはやめてよね?」


正面に置かれていた『女神の彫り物』から目をそらし、シリウスに向き直るアイリーン。

その頬が若干紅く染まっていたのは見間違いではないだろう。

軽い笑みを浮かべながら、シリウスは唆す。


「まだそいつに祈る癖は抜けないのか?

 磔にされた女神の像なんて縁起が悪いだろう…それくらい買う金ならとっくに稼げただろうに…」


ラースから盗んだ財宝は劇団を立ち上げ、大きくするためにほとんど消えた。

演劇を見るための料金設定はきちんとした椅子付きの最前席で銀貨二枚、木箱を椅子変わりにした席が同価八枚、立ち見で銅貨三枚だ(銅貨十枚で銀貨一枚の換算、子供の下働きの給料が一日で銅貨三枚程である)。

控えめな値段設定の上に、どの席であろうと冷えた飲み物を無償で提供するため、当初は金銭面の苦労も多かった。

だが最近では開演前まで簡単な食事を販売し、団員達の食費を賄うために鶏を数羽飼い、さらには人気が集まってきたためか着実に儲けも増えてきた。


しかしアイリーンは滅多に金を自分のために使おうとしない。

シリウスが幾ら奨めようと幼い団員や新入りのために美味いものを買ったり、新しい服を作るための布や裁縫道具を買い揃える程度だ。

たまには自分を労われとシリウスが口にしようとしたとき…


「いいの」


アイリーンは微かな、それでいて確かな笑と声でシリウスに言った。


「私には劇団の皆とお客さんの笑顔、そして…貴方が居てくれればそれで満足だから」

「お前……」


本当にこいつといると退屈しない。

シリウスは口には出さなくともいつも胸の内でアイリーンのことを大切に想っていた。


自分を闇の底から陽の光の元へと連れ出してくれた恩人。

壊すことしか知らなかった汚れた手に、仲間を支える術を教えてくれた歓びは一瞬たりとも忘れていない。

どんなに辛くても、苦しくても決して投げ出さずに夢を追い求める強い姿勢。

聴く者の心を癒やし、夢心地にさせるかのような透き通った声。

演技すれば誘うかのように軽く舞う淡い薄紫の髪の美しさ。


全てがシリウスの目を、心を惹き付けて止まない。

だが……



「もう少し欲を出せ、そういう台詞を口に出すのは鄙びた老婆が相場だろう?」

「ちょっと、こんなうら若き乙女を捕まえて他に言うことはないの?」

「捕まえた覚えはないぞ、ただ口に出しただけだ…」


この想いは、決して伝えてはならない。

自分の罪は許されない。どれ程悔やんでも、どれ程善行を積もうと、決して赦されることはない。

自分には今のままで充分だ。

これ以上の幸福は望んではならない。


(望めば…望んでしまえばもう自分は…)


「…のに…あ!そろそろ出番だから行くわよ?遅れないでっ」

「あ…あぁ、そうだな。今日も頼むぞ」



自責の念に囚われていたシリウスには最初に彼女が何て呟いていたのかを聞取れなかった。


アイリーンはこう呟いていたのだ。


『捕まえて、離さないで居てくれたら良かったのに』と


物語は終盤に向かい、シリウスが演じる新米海賊が、拐われた少女役を演じるアイリーンに想いを伝えるシーンへと向かう。

物語の序盤、船長に命じられたままに街を徘徊していた彼は、震えて動けなくなっていた少女、アイリーンの姿に心を奪われて彼女を船に連れ帰った。

他の誰にも奪われないようにと常に自分の側に置き、粗暴な態度を見せた者には容赦なく切り掛った。

だが、少女の余りの美しさに目を付けた船長に『その女を寄越せ』と迫られる。

シドは咄嗟に船長に毒を盛って殺し、船員の目を盗んで少女を連れて脱走し、彼女を逃がそうとした。


離れようとするシドの背中に、アイリーンが叫ぶ。


「待って!何故私を助けてくれたの?何故そこまで傷だらけになりながらも私を庇ったの!?

 海賊に拐われた女の末路なんて悲惨なものよ?私だってもう終わりだって諦めた!なのに貴方は私の髪一筋さえ傷付けなかった…っ」


遠ざかろうとした彼の背中に抱き着き、アイリーンはシドを引き留める。


「教えて…あれだけ一緒にいて、私は貴方のことを全然知らないわ。

 お願いだから…何も言わないで御別れなんて嫌よ…」


観る者の感情を直接刺激するかの如き会心の演技。

観客は皆アイリーンと、彼女に抱かれて立ち尽くすシリウスに全神経を集中させる。


シリウスは台本を頭に思い浮かべ、台詞を口に出そうとしたとき…ふっと口元を緩めた。


そうだ…これは劇だ。

此処に居る『シド』は自分とは違う人間だ。只の人間なら…幸せな夢を観てもいいだろう?

想いを口に出すことくらい…許されて良い筈だ。


そして台本のそれを微かにアレンジした台詞を口に出した。


「俺は闇だ」

「え?」


台本と違う台詞に声が漏れたが、周りには『迫真の演技』にしか見えないためか違和感がない。

大勢の観客に見つめられながら、『シド』は続きを口にする。


「汚れて、残忍で、そのくせ自分の手で壊したものを見届ける覚悟もない。

 全て闇に隠すことでしか、俺は俺を保てなかった。罪の跡など全て海に棄ててきた。それでいいと思っていた」


シドは肩越しにアイリーンの手を掴み、そして振り向き、彼女の目を真っ直ぐ見つめた。

その真剣な表情に少女は頬を紅く染め、しかし視線は決して逸らすことなく真正面から見つめ合った。


「だがお前を知った瞬間、あの薄暗い街の中でお前を見た瞬間、全てが変わった。

 お前の前では隠すことなど出来なかった。俺は俺を保つことも出来ずに、ただお前を見つめることしか出来なかった。

 お前は…俺にとっての光だったからだ」

「私が…光?」


アイリーンの台詞は台本に載っているものと同じだった。

だが、彼女は今演じてなどいない。

此処に居るのは海賊に拐われた薄幸の少女アイリーンではなく、劇団『月華ルナ』の団長のアイリーンだと言うことに気付いているものは当事者以外誰も居ない。


「そうだ。船に舵が必要なように、剣に鞘が必要なように、人間にも光が必要なんだ。

 俺には…それが無かった。

 奪うことしか、壊すことしか知らなかった俺に、光なんか無かったんだ。

 だがお前を見つけた瞬間、世界が変わった。

 殺風景極まりないと感じていた大海原の只中でさぇ、お前と一緒なら輝きに満ちて見えた」


シリウスは、肩の荷が降りたかのような笑みを浮かべて、アイリーンに言った。


「俺はお前に心奪われた…傷付けることなど、出来る訳ないだろぅ…」


観客席から静かなどよめきが聞こえる。

それはそうだ…目の前で繰り広げられる『劇』の完成度と臨場感。

まるで本当に『報われることのない恋に身を焦がす青年』がそこに居るように感じられた。

劇団員でさえその場の空気に呑まれ、一言も発せずにいる。



(これでいい…これで心残りなど無い…)


この物語の終末は…悲恋。

決して交わることのない二人の想い、その儚くも真摯に互いを想う美しさ。それを表現し切るのが今宵の演劇。

後はシドの告白に胸を打たれつつも、自身の戻るべき場所へと帰っていくアイリーンを見届ければ……


「!?」


会場中が息を呑む音が、聞こえた。


「そうやっていっつも…私の答えを聞こうとしないのね…」


一見穏やかな…内面は悲痛に満ちた笑みを浮かべていた青年を、少女が力一杯抱き締めている。

震える細腕と声が、彼の胸に顔を埋めて絞り出された声が…言わずともその想いを告げる。


「いつも傍に居てくれて、いっつも…大事にしてくれた。

 独りぼっちが怖くて…不安に打たれた夜でさえ、貴方の腕の中でなら安心して眠れたわ…!

 どうしてそんな哀しいこと言うの…!」


喉の奥から絞り出される…僅かに掠れた声。

可能な限りに力強く相手の服を握り、離そうとしない立ち姿。

溢れんばかりに迸る、青年への想い。

演技と分かっていても、確かに訴えかけてくる生の感情。

次の展開への期待に高まる観客の鼓動。


今、世界には二人しか居ないようにさえ感じられる。


「独りにしないで…貴方が居ない夜は耐えられない…!

 貴方は闇なんかじゃない!私にとっての光は他の誰でもない、貴方なのよ…!」


そう言って震えながら自分の胸に顔を埋める少女を前に、シリウスは呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

これは決して叶うはずのない想いだった。赦される筈がない感情だった。

だからこそ散らせようと、夢の中に自分の想いを置いていこうと決めた筈だったのに…何故?


思考が止まりそうになる。

右も左も、自分が今立っているか膝まづいているのかさえ分からないでいる。

それでも…胸に抱きつき泣きしゃぐる少女の温もりと、それを抱き締める自分の腕の感覚だけは力強くシリウスに訴えてくる。






疑念は…ある。


「……俺でいいのか?」

「何度言わせる気…?」



答えの出ない問いが、脳内を駆け巡る。


「離れるなら…今のうちだぞ」

「その気なら…とっくに消えてるわよ」



怖くて仕方がない。

自分だけなら何時死んだって構わなかった。

だが仲間が、居場所が、自分に関わる人間が増える度に、死ぬことが怖くなる。

傷つけることも、疑われることも、彼等の表情が曇ることを考えるだけで胸が張り裂けそうだ。


それでも…





「なら、覚悟しておけ。

 もう二度と…お前を離したりなんかしない」

「望むところよ…っ!」


満員の観客からの感嘆の声と拍手喝采。

それらはすぐ側で発せられた音にも関わらず、ようやく結ばれた二人の耳には微かに届いただけだった。



もう、誰にも止めることなど出来ない。

この胸の高鳴りも、触れ合う部位の熱も鼓動も、例え神にでも止められるものか。


もう二度と離すものかと…シリウスはアイリーンを抱く腕に力を篭め、より一層情熱的な口付けを交わした。



その後、無事公演を終え、シリウスとアイリーンは団員たちの喝采と賞賛の声に揉まれることとなった。


「いや~~凄かったですね!俺感動しました!」

「すっごくロマンチックでしたよ、まるで本当に告白してたみたいでした!」

「台本と台詞が違いましたけど…こっちの方が断然かっこよかったですね!」

「あれは失敗って言うんじゃなくてアドリブって言うのよ、流石団長と副団長です!」


皆が目を輝かせて二人に詰め寄る。

しかし当の本人たちは自分たちの行動が大勢の観客と、何より家族同然の付き合いをしていた団員たちの前で繰広げられていたことをようやく思い出し、顔だけでなく全身を真っ赤に染めて俯き、「あぁ…」とか「うん…」程度の軽い応答しか出来なかった。


「お前たち、盛り上がるのは良いがちゃんと後始末もしないか…」

「そうよ、口ばっかり動かしてても荷物は片付いちゃくれないのよ?」

「流石硬い絆で結ばれた恋人同士!息もピッタリですね!」

「「!!!!?」」


それが只の冷かしだということは頭では理解していた。

だが、それで制御しきれるほど人間の感情は浅くない。

結果として二人は大慌てで皆を振り払い、全力で荷物を整理することに徹することとなった。



その日の夜、団員たちが皆寝静まったときを見計らってシリウスはアイリーンを外に誘った。

訪問者の顔を見て一瞬で赤く染まる顔…しかしゆっくりと息を吐き上着をしっかりと着直してからシリウスの方へと歩み寄る。

二人は馬車の停めてある場所から少し離れた、海の見える丘に隣り合わせに腰を下ろした。

二人とも頬を掻いたり、髪を弄ったりと落ち着きがない。

しかしこのままではいけないと、シリウスが重い口を開ける。


「今日はその…大変だったな、色々と…」

「そっそうね!本当に色々…」


要領を得ない、拙い言動。

普段のシリウスからは想像も出来ない姿を見て、アイリーンははにかむような笑みを浮かべた。


「何だその笑みは…俺はそんなに可笑しなことを言ったか?」


不機嫌そうに眉を寄せる表情。これも今まで見たことがなかったシリウスの表情。

文句を言ったあと、自分に非があるのかと不安そうに目を伏せる仕草。冷静沈着な彼でも不安になることはあるのだと安堵した。

自分が知らなかったシリウスの一端が次から次へと溢れ出てくる。

そのことが。アイリーンには純粋に…


「嬉しい」


迷いなく言い切る少女に、一瞬何があったのかと目を見開くシリウス。

対照的にアイリーンはもうすっかり落ち着きを取り戻していた。

彼女は分かったからだ。


冷静沈着で、視野も広く、何でも卒無く熟す器用さ。

パンが水を吸うかの如く知識を吸収できる優れた頭脳。

剣を取れば山賊や暴漢達が束になろうと歯が立たない圧倒的な強さ。

そんな類い稀な才能を持ちながらも、本当は誰よりも不器用で、深い胸の内に確かな慈愛が存在している。

それがシリウスなのだと、彼もまた自分達のように感情があり、良心があり、葛藤に苦しんできたのだと今日の告白で分かったのだ。


「嬉しい…それは一体っ?」

「教えてあげないわよ…馬鹿」


突如としてシリウスの肩に自身の頭を載せ、幸せそうに微笑むアイリーン。

そもそも一体自分は何を話そうとしていたのか、何故夜に連れ出すなどという行動にでたのか、などと思考がパンクしかける。

だが…


「本当、馬鹿なんだから…」


刺のある言葉とは裏腹に、自分に心を許してくれる少女の横顔を眺めていると…全てがどうでもいいかもしれないとさえ思えてしまう。

ただ、こうして寄り添っていたい。

ただ、こうして何時までも彼女の隣にいて、話をして、笑いあって行きたい。

誰よりも、世界中の誰よりも、一番彼女の傍に居たい。


それが…自分の本当の願い、幸福なのだとシリウスにも確信できた。


「なら、馬鹿な男に捕まった、自分の不手際を恨むんだな?」


そう言いながら、アイリーンの頭を抱こうと手を伸ばした瞬間





「喜劇はもうお腹一杯だよ…」

「!」


突然背後から聞こえる冷たい声に背筋が凍る。

咄嗟にアイリーンを背に庇いつつ、シリウスが振り向いた先には…


「君たちの仕事は演じることだろう?」


視線の先には大柄な男と細身の男の二人。

両者に共通するのはかつての自分のように情の通わぬ冷たい目と、義務的に着ていると感じられる漆黒の軽鎧。

そして、細身の男の手で降り下ろされる冷気を纏った透き通る刃がシリウスを襲う。


「くっ!」


せめてアイリーンだけでも逃がそうと、後ろに跳べば…抵抗もなく宙を舞う。

巡らせた視線の先に、ついさっきまで自分の正面にいた筈の大男と…その腕に抱かれて抵抗する最愛の女性の姿。

シリウスの脳髄を焦がす、純粋な怒り。それに促されるままにシリウスは男に突進し、そして…


「だから、たっぷりと魅せておくれよ」


殴りかかった腕を、逆に捻られる。見かけとは裏腹の鋭く機敏な動き。

激痛に叫びそうになった瞬間に鳩尾を抉る硬い膝、速度だけでなく体重の乗った重い一撃。


(何だこいつ…速すぎる!?)


力無く後方へと押し遣られた直後、今度は背中に何かが当たる抵抗。

条件反射で振り向けばそこには…


「最高の悲劇を…舞っておくれ」


シリウスの顔面へと容赦なく叩き込まれる、氷のように冷たい大鎚が視界を覆い尽くした。




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