そうめんナポリタン
人は何かしら我慢できないものがある。ケーキだったり、煙草だったり、ゲームだったりだ。
「ぷはー、仕事上がりのビールは最高だな」
私にとっての我慢できないものとはお酒だ。中でも仕事上がりのビールは私的ノーベル賞を贈りたいほどの位置づけだ。誰に送ればいいのかわからないが。そして…。
「おい、渡。何か酒の肴を作ってくれ。このままでは餓死してしまう」
もう1つの我慢できないものはこの酒の肴として作ってもらう、渡のお家ごはんだ。
自己紹介が遅れたが、私の名前は相川愛華。自分で言うのもなんだが、それなりに人気のある恋愛小説家だ。年齢30歳の絶賛独身中の女性。しかし、恋愛小説家であるのに彼氏いない歴が年齢と同じという笑っちゃう経歴をもっている。…別にいいさ、人生楽しいからな。
「愛華さん。夜中に食事すると太りますよ」
おっと、勘違いさせたかな?彼氏がいないのに渡って誰だよと。渡という名前で実は女性の名前だったなんてミスリーディングなんかではないさ。渡は間違いなく男性だ。
「家主の命令だぞ、文句を言わずに作れ。それに私は太りにくい体質だ。夜に食べようが、グラビアアイドルも真っ青のプロポーションなのは渡もわかっているだろうが」
そう、私が家主で渡は店子という関係だ…と言うと説明は不十分だな。正解を言うと、私たちは従姉弟同士で、理由が合って私が渡の保護者になっているのだ。ちなみに、身長173センチメートル、出るとこが出ていて引っ込むところは引っ込んでいる、黒髪長髪で銀縁メガネの理知的な美人なお姉さんだ。
「はいはい、わかりました。それで何が食べたいんですか?」
「そうだな、ビールに合う食事を頼む」
「あの、愛華さん。毎回言いますが、僕は未成年でビールを飲んだことがありませんから」
私のいつものリクエストに渡はご丁寧に同じ言葉を返してくる。このやり取りはいわゆるお約束と言うやつだ。ちなみに、渡は17歳の高校3年生。身内びいきだがなかなかのイケメンだ。
「そうだな、今日は夕食を食べていないから何か炭水化物系で味の濃い物を頼む。お腹が空いているから、早く作ってくれ。あっ、その前にビールのおかわりだ」
「はー、わかりました。とりあえず、ビールを飲みながら待っていてください」
ため息をつきながら渡がキッチンに移動する。それを追って私もリビングのソファーからキッチンに移動。
渡は冷蔵庫から缶ビールを取り出して、キッチンに対面するように設置したバーカウンター風のテーブルに置いてくれる。私はキッチンに立った渡の正面の椅子に座り、早速缶ビールのプルタブを起す。そしてグラスに注ぐことなく缶のまま喉を潤す。2本目のビールは感じる苦味が少なくなり、少し物足りないがキンキンに冷えているから喉を通過する時の心地は良い。
「何を作ってくれるんだ?」
「そうですね、ご飯を炊くのは時間がかかるから、そうめんにしましょうか」
「そうめん?嫌いではないが、ビールの肴には向かないぞ」
「大丈夫ですよ。大人しく待っていてください。あっ、だからって待っている間に飲み過ぎないでくださいよ」
「わかった、わかった。そうめんでもなんでもいいから早く作ってくれ。お腹と背中かくっつきそうだ」
渡は「はいはい」と返事をしながら、手早く準備を進めていく。
まずは大きめの鍋を棚から取り出した。そうめんを茹でるための鍋だろう。たっぷりの水を注いで火にかける。そして、隣のコンロの上にフライパンを置いてこれも火にかけた。
「フライパンを使うのか?」
「愛華さんのリクエストは味の濃い物ですからね」
私の質問の答えになっているような、なっていないような返事をしながら、麺類を保存する容器からそうめん3束を取出す。ふむ、そうめんなのは間違いないな。まぁ、嘘をつく意味は無いがな。
つづいて、冷蔵庫から豚のこま切れ肉とエリンギを取り出す。エリンギは手で大きめに割いていく。エリンギを割き終わると、フライパンの加熱具合を手のひらをかざして確認した後にサラダ油を入れて全体になじませた。
「おっ、前に作ってくれたにゅう麺か?」
にゅう麺とは『温かいそうめん』なんて言われる、うどんのように食べるそうめんだ。夏に食べきれず余ったそうめんを、冬場に作ってくれたことがある。そのときは、甘辛く炒めた肉を乗せた肉うどん風にしてくれたはずだ。
「残念です。今回は違いますよ」
ふむ、予想を外してしまったようだ。
渡はフライパンにまず豚の細切れを投入する。すぐに、肉にはさわらず色が変わってきてから菜箸でひっくり返す。そんなことをしていると、鍋の水が沸騰したようだ。鍋の一度火を消して、フライパンの作業に戻る。豚肉に火が通ったのを確認して、エリンギを入れてすぐに火を止める。そこへ、塩コショウとウスターソースを入れて軽く混ぜ合わせる。
「ソースの良い匂いだな。渡、ビールのおかわりだ」
「はいはい、でももう3本目ですよ。そんなに飲んだら、食事中に飲む量が少なくなりますよ」
「うーん、そうだな」
私は大酒飲みなので飲もうと思えばいくらでも飲める。だが、1日の飲酒量は500mlの缶ビールを4~5本に留めておきたい。別にウオッカを1瓶空けても泥酔したり、二日酔いにはならないが飲酒量の目安を決めておかないと、終わりが無いのだ。
「わかった、我慢するから早く作ってくれ。早く、早く」
「子供ですか、愛華さん。はいはい、あと3分くらいでできますよ」
私の催促中も手を止めることなく、渡は調理を進めていく。消していた鍋の火をつけ直して、再沸騰を確認してからそうめんを投入。そして、水道のレバーを水からお湯側に回してシンクに流し出す。ほどなく、水がお湯に変わって湯気が立ってきた。この間にそうめんが茹で上がり、ざるでお湯を切る。そうめんを水道のお湯でもみ洗いをする。どうやら、水道のお湯は火傷するほどの温度ではないみたいだ。ほどなくして、ぬめり気が取れたのだろう。ざるを上下に振って水気を切っている。
「そうめんは水洗いをしないのか?」
「水の方が締まると思いますが、今回は温かく食べるそうめんなのでお湯洗いのほうが都合が良いんです。冷えたそうめんを温め直す時間を省くためです」
水気が切れたのか、ざるに入ったままのそうめんに直接サラダ油を回しかけ、菜箸で混ぜ合わせる。
「さてと、もう出来上がりますよ」
渡は食器棚から大皿を取り出す。そして、冷蔵庫から調味料を取り出した。渡が取り出したのはケチャップだった。
「渡、ケチャップで味付けなのか」
マンガなんかだと、「なにー!!そうめんにケチャップだと!!」なんて表現があるが、普通は無いな。いや、演出だということはわかっているのだが。
「そうです、ケチャップですよ。今日の夜食はそうめんナポリタンです。ゆで時間が短いからスパゲティではなくそうめんにしてみました」
豚肉とエリンギの入ったフライパンの火を消してそうめんを投入して、ケチャップを回しかけてから具材と麺を混ぜ合わせていく。ケチャップが麺全体に混ざったのを確認して、火をつけて軽く炒めていく。
「そうめんを入れる前に、なんで火を消したんだ」
「火をつけたままでそうめんを入れると、スパゲティと違ってフライパンに引っ付きやすいんです。先にケチャップをそうめんに混ぜ合わせたら、多少引っ付くのが緩和されます。もちろん、油の量やフライパンの種類にもよりますが」
説明を受けているうちに、ケチャップを炒めた良い匂いが漂ってくる。
「良い匂いだな。早く食べよう」
「はいはい、待って下さいね」
そうめんナポリタンを大皿に盛って、テーブルに置いてくれる。私も2人の小皿と箸を食器棚から取ってくるのを手伝ったぞ。
「お好みで、タバスコやパセリをかけてください」
説明しながら、私の前に調味料を並べてくれた。うーん、渡は有能だな。
まずは調味料をかけずに食べてみよう。そうめんを箸でつかむとと思った以上に多くの麺をすくってしまった。
「スパゲティと違って、ちょっともったりとしているな」
そうめんがケチャップでまとまって太い1つの麺のようになっている。
「そうですね。つけ汁や汁ではなくソース系だと、やっぱりそうめんは塊になってしまいますね」
ちょっと多めのそうめんを口に入れる。口の中で塊のまま居座るのかと思ったが、そうめん自体が細く柔らかいので数回噛むと麺のまとまりがほどけてきた。
「だが、食べてみると気にならないな。私は麺類は太めが好きだからむしろ良いと思うぞ。あと、スパゲティよりケチャップの絡まりが良い気がする。胡椒も効いていて美味しいな」
私のリクエスト通りに炭水化物系で味付けの濃い物を作ってくれた。胡椒を多めにかけていたのかピリリとパンチがきいていてケチャップだけの単調な味ではないのが嬉しい。ここでビールを一口。ケチャップの味に染まった口の中をビールの苦みと炭酸が洗い流してくれる。
「うむ、ビールに非常に良く合う。せっかくだから用意してくれた調味料もかけてみようか」
まずはパセリをかけてみる。私がせかしたので、野菜は火通りの早いキノコのエリンギだけだ。パセリにより彩りや野菜の風味が足された。パセリの香りもケチャップの濃い味付けに対して清涼感をプラスにしてくれる。いや、濃い味付けは私のリクエストだが。
次にタバスコ。ケチャップの色と同じく赤なので振り掛けても見栄えは変わらない。だが、タバスコ特有の辛さと酸味がプラスされて食欲が増すな。また、ほど良い辛さが喉を刺激してビールがすすんでしまう。
「渡も冷める前に早く食べろ。そうしないと私が全部食べてしまうぞ」
「はいはい。食べ過ぎないで下さいね」
おっ、私が美味しそうに食べるのを見て渡が嬉しそうになったな。渡も箸を手にそうめんナポリタンを食べ始めた。
となりに座って食事をする渡を見ながら、私が渡の保護者となり同居するきっかけを思い出す。
▽▽▽
私たちの出会いは、渡が産まれたことによる。というのも、先に言ったが私と渡は従姉弟同士の間柄。ちなみに、私の父親が渡の父親の兄にあたる。渡が産まれたのでお祝いがてら会いに行ったのだ。
私と渡の年の差は13歳。姉弟としては離れていて、親子と言うには近い微妙な年齢差だな。一人っ子の私にとっては家族親戚間での初めての年下の存在ということもあり、家が比較的近所だったので正月などのイベントごとに関わらず頻繁に渡に会いに行った。だが、私が大学進学をせずに小説家を目指すということを理由に両親と不仲になった結果家を出てしまい、その流れで渡とも疎遠になってしまった。といっても、正月は渡の家に顔を出してはいたので全く会っていないというわけではなかった。
そんなこんなで渡と会う機会が減ってから数年後の私が25歳、渡が12歳の時に悲劇が起こった。渡の両親が事故で亡くなったのだ。
渡たち3人の乗った車が居眠り運転をしていたトラックに正面衝突をされて両親は即死となった。不幸中の幸いと言っていいのか渡は軽傷だった…いや、渡は身体ではなく心に傷を負ってしまった。どうやら渡は事故直後意識がしっかりしており、事故で変わり果てた両親の遺体を直視したそうだ。そのことが原因で、渡は言葉を発することができなくなった。そんな渡を親戚たちは…。
▽▽▽
「愛華さん、愛華さんってば!!」
「おっ、どうした渡」
「どうしたじゃありませんよ。急にぼーっとしてどうしたんですか?」
「いや、ちょっと物思いにふけっていたんだ」
時計を見ると数分経過していた。最近は締め切りに追われて睡眠時間が減っていたから、ビールの酔いが思ったよりまわっていたのかもしれない。
「?食事中に物思いにふけるのはやめてください」
私は照れ隠しをするように缶ビールの残りを飲み干す。
「あぁ、すまない。ふぅ、御馳走様でした。リクエスト通りの美味しいご飯だったぞ」
「お粗末様でした」
そうめんナポリタンは2人で綺麗に食べきった。私がビールのあてに3分の2ほど食べてしまったが。
「片づけますから、愛華さんはリビングでくつろいでいてください」
「うむ、まかせる。それから」
「はいはい、ビールのおかわりですね」
「正解だ」
渡から新しい缶ビールを受け取り、リビングのソファーに座る。お願いを口に出さずとも理解しあえる、このやりとりは心地よい。
「相手にして欲しいことか」
ふと思った『お願い』という言葉から、小説家になるために家を出ると伝えた私に対して渡が言った『お願い』が思い出される。5歳くらいだったが渡は今でもその『お願い』を覚えているのだろうか?それとも、もう忘れてしまっただろうか?
本当なら私から確認してもいいのだが、お願いの内容だけに言いにくい。私は疎遠になると伝えた時の5歳児の渡からの「お姉ちゃんが遠くに行くのなら、お姉ちゃんと結婚して一緒に暮らしたいです」というお願いだ。「渡が大きくなっても私のことが好きだったら結婚しようね」と伝えたのだが。
……そうだよっ!!実は私も渡からのお願いを喜んで真に受けて、未だに彼氏いない歴=年齢という結果になってしまっているよ私は!!
はー。でも、叔父さんと叔母さんが亡くなったことがあって、それからいろいろあって渡の保護者になった昔と状況が変わっている。変わっているのはわかっているのだが…今でも渡からの改めてのお願いである『プロポーズ』を待っている。でも、渡からはまったくそんなそぶりは無い。そもそも異性として見られているのだろうか?私も渡との年齢差もあること自覚しているし、今の保護者としての立場も理解している。でも、でも、でも…。
結局、自分の気持ちを素直に打ち明けられない私は照れ隠しに、家主や保護者と言う単語を強調して渡にかまってもらおうとしている有様だ。これが渡に今できる精一杯のアプローチだ。まるで小学生みたいで情けない。
まぁ、仕方ない。素直になれない私は今はただ愛しい渡が作ってくれるお家ごはんを楽しみに暮らしていこう。仕事上がりのビールを片手に、2度目のプロポーズを待ちながらな。