番外編6:父の心情
『娘を持つ父親なら、絶対にいつかは来るものだからね。覚悟しときなよ』
そう妻に言われたのは、未来が生まれた時の事だ。
まだ嫁に行くどころか、歩くのも喋るのも出来ない、満足にものも見えていないだろう、小さな小さな娘を腕の中に抱いた喜びをかみしめている時点で、そんな遠い将来の話をするなんて、自分が人生の伴侶に選んだこの女性はやはり少々デリカシーに欠けるのではないかと思ったのは、もう、二十七年も昔である。
実感のわかなかった話。
それが現実のものとなるとは、今この時、娘が、
「お父さんとお母さんに紹介したい人がいます」
と、一人の男を連れてくるまで、心のどこかでは「ありえない」と思っていたのだ。
しかもその相手が、かつて自分が過去ごと置き去りにして来た、この地球ではない、異世界の男だなんて。更に、故郷の遠い未来の血縁者だなんて。
自分自身がその異世界から来たというのに、最初は信じられなくて、目を見開いて押し黙ってしまったのは、娘を取られるショックからか。それとも、非現実的な現象を受け止められないほど、非現実の存在しないこの平穏な世界に長く生き過ぎてしまったからだろうか。
「必ず」
赤い髪に紫の瞳を持つ青年は、臆する事無く自分を真っすぐに見つめ、懐かしいヴィルム語で告げた。
「彼女を、幸せにします」
長い長い、沈黙が落ちた。
青年は視線を逸らさず、こちらの応えを待っている。隣に立つ娘は、不安そうに青年と自分を交互に見やっている。
そんな二人を見ていると、一瞬の内に、娘との思い出が脳裏をよぎった。
初めて笑いかけてくれた瞬間。
「パパ」と呼んでくれた、言葉のつたなさ。
歩き始めた時のおぼつかない足取り。
生まれたての弟を不思議そうに覗き込む顔。
肩車をして巡った、超大手テーマパーク。
金色の瞳を原因にいじめられて、泣きついてきた涙。
志望校に受かり、得意げに合格通知を見せつける笑み。
異世界へ行って来たと、とても真剣に語った、成長を感じさせた表情。
一瞬一瞬が大切で、何物にも代えがたい記憶。
それをいつか全て過去に変えなければいけない。その時が、来たのだ。
ぽん、と肩を叩かれる感触に振り向けば、妻が微笑を向けていた。言うべき事はわかってるでしょ、とばかりに。
青い目を閉じ、ひとつ溜息を吐いた後、目を開き組んでいた腕を解くと、青年に深々と頭を下げ、最早忘れかけて拙くなったヴィルム語を三十年ぶりに口にする。
「娘を、よろしくお願いします」
まさか、自分の遠い親戚に、愛娘を連れて行かれるとは思わなかった。
因果応報というものがあるのかも知れない。
五十六歳になったフェルナンドは、そう自嘲するのであった。




