番外編5:愛のカタチ
ネーデブルグの若き宰相、レイス・アラノールは、自分が三国一の幸せ者であると自負している。
何故なら、大陸一の主を見出だし、仕えていられるのだから。
くるくるとした茶色の巻き髪に、つぶらな灰色の瞳。ふっくらした薔薇色の唇。実年齢よりもやや幼いが、それがかえって愛らしい印象を与える。レイスが誰よりも敬愛する主君、サフィニア・フォン・ネーデブルグは、執務机に向かい、積み上げられた書類の束を前に、はふうと切なげな溜息を洩らした。
「つまらないですわ」
その憂鬱そうな嘆息さえ可愛らしい。それを友人らに語ると一様に、「熱をはかれ」だの「一度医者に行け」だのと言われるのだが、レイスはむしろ彼らこそ、何かの病気である事を疑った方が良いのではないかと思う。
この姫君の一挙手一投足が、どんなに輝いて見える事か。紡がれる言葉のひとつひとつが、このネーデブルグにとってどれほどの重みを持つものか。彼らが心底から理解するまで、夜を徹してでも語り尽くしてやりたい。
そんな姫だが、時折、王族としての執務をこうして面倒くさがるので、ここで、
「では中断して、気分転換の遠乗りにでも参りましょうか」
と甘やかしたい気持ちを必死に抑え、心を鬼にして、レイスは穏やかな笑みと共に主君に告げるのだ。
「我慢なさってください、サフィニア様。殿下のお仕事の全てが、ネーデブルグの民の明日となるのですから」
たちまち、きめ細かい肌をした頬がぷっくりと膨らみ、つんと突き出した唇から不平がこぼれ落ちる。
「今の王は叔父様ですもの。わたくしがこのような仕事をする事に、意味が見いだせません」
先の大戦で、彼女の兄であるカーレオン王を失ったネーデブルグは、「サフィニアが婿王を迎えるまで」との期限付きで、親族が王位をあずかる事になった。しかし気弱で凡庸なその親族は、国の統治にもやや消極的で、結果、「いずれ政務を担う者であるから」と、この姫に事務処理の殆どが回って来てしまうのだ。
十八歳のうら若き姫には少々過重な労働であると思う。しかし将来、この可憐さに聡明な為政者としての威厳が加わってくれる事を思えば、現在の安楽より先の栄光を期待せざるを得ない。レイスはゆるみかける口元を必死に鎮めながら、書類の束の半分を手に取った。
「私もお手伝いいたしますから。今日のお仕事は今日のうちに終わらせましょう」
途端に、灰色の瞳がくりんと向けられ、じいっとこちらを見つめる。何か変な事を言っただろうか。よく友人達には「お前は変だ」と理由もわからず言われる事があるのだが。レイスが首を傾げると、姫は鈴の音のように愛くるしい声で疑問を洩らした。
「何故レイスは、そのようにわたくしに尽くしてくれるのですか? 貴方の主君は叔父様でしょうに」
その問いに、レイスは一瞬の躊躇いも無く、にこりと答えた。
「私の主君は、サフィニア様ただお一人ですよ」
それは一点の曇りも無い、彼にとっての絶対的な真実。もう十数年も昔に確立された想い。
レイスが少年の頃、王宮文官の父に連れられ、アイゼンハース城に遊びに来た時だ。庭で、巣立ちに失敗して羽根を怪我した小鳥を拾った。
その時たまたま偶然通りかかったのが、ネーデブルグ王家の兄妹だった。
兄王子は、そのような死にかけの汚い小物など捨て置けと、そっけなく言い放った。だが妹姫は、その小さく白い御手で、レイス少年の手から小鳥を受け取り、つたない口調で回復魔法を発動させ、小鳥を再び空へと舞い戻らせたのだ。
恐らくこの姫自身は、そんな些細な救済など覚えていないのだろうし、知る由も無いだろう。その時の姿が、レイスの目には、女神アリスタリアすら凌駕する神聖な存在に映った事を。
それ以来、彼にとって、この姫は唯一仕えるべきと見なす、絶対の主君になった事を。
触れられなくとも良い。その笑顔が自分だけに向けられる事が無くとも。事実彼女は長い間、隣国の王太子――今では王だが――に恋い焦がれ、決して余所見をする事が無かった。
将来その情熱が、ネーデブルグの次期王となるべき他の男に向けられる事になろうとも、自分はこうして彼女の傍で彼女を支えてゆければ、それだけで満足だと思う。
それを友人達に言えばやはり、
「お前に男としてのプライドは無いのか」
と呆れられるのだが、大きなお世話だ。
愛の形はひとつでなくとも構わないだろうと思うのは、そしてこの姫を想うのは、レイス自身の勝手なのだから。




