第6章:穀雨 ――こくう――(1)
もうもうと土煙が立ち上ぼる中、げほげほ咳き込みながら、未来は伏せてしまっていた顔を上げた。そして周囲の様子を目の当たりにして、愕然となる。
己の力で守ったはずだった一帯は光線を防ぎきれていなかった。地面はえぐられ、建物は崩壊してあちこちから炎を吹き出し、兵達も傷を負って呻いている。どうしてか。我を失いそうな未来の耳に、けたたましい笑い声が届いて、未来は声の方向をきっと仰ぎ見た。
銀髪の少女ヒューリ・リンドブルムは残酷な笑みを顔に満たして宙に浮き、こちらを睥睨していた。その脇には、まるで人形でも持つかのようにセルマリア女王を抱え込んでいる。
「ヒューリ!」
「拒空!」
利久が叫び、ファルスディーンがグランシャリオを抜く。
「何で、私の力を超えて……」
「何で? 何で、って? この期に及んで間抜けな事を聞きますったら、フォルティアの戦巫女」
呆然と呟く未来に、ヒューリは嘲笑を投げかける。
「そっちの小僧が拒空拒空ほざいてるのに、まだ、わからないんですの?」
ファルスディーンを振り返る。紫の瞳は、気を抜くなと強く見返して来た。そうだ、神に等しい能力を持つ相手ならば、戦巫女の力と拮抗しても不思議ではない。
「あいつの仇を取らせてもらう機会かな」
芙美香は黒の長剣を油断無く握り直す。バロックが大剣の切っ先をヒューリに向けて大音声をあげた。
「ヒューリ、最早これ以上ステアを貴様の思い通りにはさせぬ。陛下を解放してもらおう!」
「あら、ようやく覚悟決めたんですの、戦馬鹿」
ヒューリは騎士のそんな様子さえ、くだらない、とばかりに鼻先で一笑に伏し、
「でも、遅い。遅過ぎ」
ぽおんと、主であるはずのセルマリアを、ごみでも捨てるように放り投げた。地上の者達があっと息を呑む中最初に動いたのは、利久だった。たんと地を蹴って空に飛ぶと、危なげなく女王の身体を受け止める。ステアの兵から、安堵と、ステアの戦巫女に対する感謝の声が洩れる。だがそれはすぐに、利久の口から発せられた悲鳴のような叫びによって、驚きに取って変わられた。
セルマリア女王の、能面のように感情の無い白磁の肌が、いきなり土気色に変わった。眼球が黒く変色し、一瞬で頭から爪先まで醜く腐った肉が、どろりと溶けるように崩れ落ちてゆく。そして、利久の手の中に服だけを残して、白骨ががらがらと地面に散らばった。
「まさか」
言葉を失ってしまったバロックの代わりにファルスディーンが震える声を紡ぎ出す。その予感を確かなものにするかのように、ヒューリが容赦無い笑いを浴びせかけた。
「キャハハハハ、女王は最初っから死んでいるんだったら!」
「一年前、遺跡から戻って来られた時、既に」
ようよう絞り出したバロックの言葉に、今更か、とばかりに少女は何度も頷く。
「ああ、楽しかったっての。二千年ぶりにこの世界に出て来て。操ってる死人の部下のふりして、誰も彼もが死人の一挙動に怯える様を見るのの、楽しかった事ったら!」
「――貴様!」
利久がセルマリアの服を投げ捨て、金の槍を両の手に生み出すと、ヒューリに飛びかかった。しかし、槍が少女を捉えるかと思われた直前、その姿は揺らいで消え、直後、背後を取った敵の光弾一撃は利久を地上へ打ち落とした。
「利久!」
未来が銀色の光で包んで受け止めた為、地面に叩きつけられるのだけは避けられたが、内臓をかなりの勢いで揺さぶられたらしい利久は、未来達に背を向けて吐く。その間に、宙に浮かぶヒューリの容姿がぐにゃりと歪んで変質していった。
「リンドブルム。その名が伊達ではない事を、お前達に見せてあげるんですのよ」
にやりと持ち上げた口がたちまち耳元まで裂け、歯はずらりと並んだ牙に変わる。頭に角が生える。しなやかな肢体が重量感のある筋肉質な腕と脚になって、一対の翼と鋭い棘を持った尻尾が生まれる。小悪魔的な少女は最早そこにいなかった。毒々しい紫の鱗に覆われた爬虫類的な、色の薄い眼球だけが元の名残を帯びる、一頭の飛竜が、そこに在った。
「まさしく怒れる飛竜か!」
ファルスディーンが我鳴るのに応えるように飛竜は吼えて、急降下して来た。
「攻撃を防いで!」
未来が銀色の障壁を生み出す。しかし竜はぎいんと壁にぶつかると、鋭く大きな爪でがりがりと防壁を引っ掻き、その口の奥から炎を吐き出した。炎は壁をなめて広がり、直撃する事は無かったが、熱が壁を越えて伝わり、じりじりと地上を焼く。
「守りながら、攻撃を!」
未来の一声に従い、銀の光は壁を保ったまま、輝く刃を成して飛竜に躍りかかった。刃は鱗を紙のように貫いて突き刺さると、飛竜が悲鳴をあげてのけぞり、炎が途切れる。
「あんた、左から! あたしは右から行く!」
「あんたじゃない、利久だ!」
芙美香が利久に声をかけ、二人同時に地を蹴った。芙美香の剣が竜の腕を斬り飛ばし、利久の槍が目に突き刺さる。飛竜はのたうちまわって尻尾を振り回した。先端の棘が芙美香の腕をかすめ、途端に彼女の顔色が青く変わって地に落ち倒れ込む。咄嗟に利久が駆け寄って抱き起こすが、既に呼吸が浅い。竜の毒だと未来は直感した。しかも、自分が食らったものより即効性が増している。
「芙美香さん、しっかり!」
未来は芙美香の手を取ると強く声をかけた。たちまち銀の光が芙美香に吸い込まれると、瞬時に傷は癒え、血の気も戻る。
「姉ちゃん、無敵だよ」
感服しきった弟の一言に未来は不謹慎にも笑みを返し、背後から襲い来る咆哮に、表情を固くして振り返った。ばかでかい顎を開いて、三人を食い殺してやるとばかりに飛竜が迫る。刹那、未来は対応を忘れ、言葉を失ってしまう。死ぬ。ひやりと背筋が冷えた。
しかしその時、飛竜の頭上に七色の光が生じるのが見えた。リンドブルムの背に瞬間転移したファルスディーンは、グランシャリオを容赦無く振り下ろした。金とも銀ともつかぬ輝きは分厚い鱗を容易く斬り裂き、背中に吸い込まれる。激痛に、飛竜が鼓膜を破らんばかりの叫びをあげる中、王太子は返り血を浴びる事も厭わず剣を引き抜くと、更に斬りつける。グランシャリオの一撃は太い尾を斬り飛ばし、竜が暴れて振り落とされる前に、ファルスディーンは再び転移能力を用いて竜の背から降りた。
尻尾を失って、平衡感覚を保てなくなった飛竜が落ちて来る。その先に、一人の男が、大剣を手に待ち受けていた。
「女王陛下の仇、せめてこの手で一太刀は浴びせん!」
ヴォルフラム・バロックは怒号と共にその巨大な刃を突き出した。大剣は、飛竜の喉元から腹までを見事に斬り裂き、騎士の身をどす黒い返り血に染めた。
飛竜はおびただしい血をまき散らし、幾つかの建物をなぎ倒しながら地を滑って、ようやく止まった。人の介入できる範囲を超えた戦いに、最早唖然と成り行きを見守っているしか無かった周囲の人間達が、自失から覚め、ざわざわと囁き合い始める。
終わったのか。これで終わったのか? ステアの恐怖政治は、全ての戦いは、終焉を迎えたのだろうか?
しばらく経っても飛竜が動かないので、緊張が解け始めた、その瞬間だった。
「うあああああああっ!!」
絶叫が辺り一帯に響き渡った。誰もが驚いて注視する中、飛竜の姿は、ぼたぼたと血をこぼし髪を振り乱した少女のものに戻る。
「あああ、人間ごときが、ここまでやるか。楽しくない、楽しくない、楽しくないったら!!」
凄惨な姿をさらす中、瞳ばかりをぎらぎらと光らせ、ヒューリは、とても女の、いや、人間とは思えない叫びをぶちまける。
「もう、終わりにしてやるよ。アタシの本当の姿を見せて、この世界、全部、終わりにしてやるよおおおッ!!」
ぞわり、と。未来は総毛立つ恐怖に襲われた。きっと、ファルスディーンも、利久も芙美香も、その場でヒューリの姿を見、声を聞いた誰もが、同じ感覚を覚えていただろう。
一瞬の後。先だっての光線以上に強烈な白の光が全てを包み、五感を奪う。
死ぬ。死が、訪れる。
先程以上に妙にはっきりと、未来は直感した。




