84話 命の価値
や、やっと書きあがった……!!
なんか難しい感じを目指して頑張りましたよー……うん。
深く考えたら負けです。ええ。
その担当教員は、作業台の上で眠るエルの状態を確認して深く安堵の息を吐いていた。
けれど、数秒も経たないうちに自分たちに向けられる視線に気づく。
戸惑ったような表情を浮かべたものの直ぐに周囲を見回し……共に向けられる感情に気づいたようだ。
その感情は、怒りとか悔しさとか失望とかそういうのがごちゃ混ぜになって名前がつかない類のドロドロしたもの。
説明を求めようにも気軽に話を聞けるような雰囲気ではない事はわかっているらしく、周囲の様子をじっと探っていたのが妙に印象深かった。
まぁ、それも騎士科長と会計部の二人が交わしている会話を聞いて合点がいったっぽいけど。
彼の表情が目に見えて強張っていく。
信じられないようなものを見た表情は、すぐに侮蔑と憤りへ変化していった。
それを私たちは無言でただ眺めているんだけど、複数の視線を受けている当人たちは気づかない。
興味深そうに傷があったであろう場所を観察し、渡す筈のない薬の運用方法について熱心に意見を交換しあっている。
「ジュニパー騎士科長、そういった話は此処ですべきではないのではないでしょうか」
低く感情を押し殺した男の人の声は、工房に良く響いた。
話し続けていた二人も声に反応して動きを止めたものの、誰の発言なのか確かめるとすぐに微かな緊張感を緩め軽薄な微笑を浮かべる。
「そうは言うがね。君が報告したような怪我を治せるならば、国の騎士団にとって非常に有用であることくらいわかるであろう。魔物やモンスターの討伐で手足を失う騎士がどれ程多いか」
「そうですよ! それに工房制度が始まったのは今年です。新入生しかいないこの工房でほぼ切断された腕が再生できたという事は、どの工房でもできる可能性があるという事になります! 騎士の為になるどころか大きな国益になり得るんですっ」
興奮し、担当教員に詰め寄る二人を見ていたリアンが口を開くその前に、私の中の何かが大きく切れた音がした。
視野が急激に狭まって、体がカッと熱を持つ。
お腹の中から抑制できない怒りが尽きることなく次から次に湧き上がってくる。
熱は怒りになり、怒りは言葉に変換されていく。
「もう帰ってください……ッ!! 貴方達に治療法を教える事も使用したアイテムを提供することも絶対にありませんのでッ!」
お腹の底から叫ぶように言った言葉は大きく工房内に響いた。
間違いなく外にも聞こえただろうな、なんて頭の片隅で考えながら私は二人の男を睨みつける。
睨みつけられた二人は数度瞬きをした。
でも、騎士科長は直ぐに口の端を釣り上げて嗤った。
「突然何を言い出すのかと思えば……国益に反するようなことをよくもまぁ、口に出来るな。錬金科の生徒はもう少し賢かったと思うのだが、いつからこんなに愚かな判断するようになったのか是非問うてみたいものだ」
心底馬鹿にするような、蔑むような視線に私は拳を握り締める。
無意識に腰のポーチに手を伸ばして護衛用にと渡された爆弾を握った。
今、手の中にある爆弾はベル曰く失敗作。
音と煙が多くて殺傷能力の殆どない“目くらまし”のE品。
これなら例え“手が滑って”落としてしまっても殺してしまうことはない。
頑張っても頭をぶつけたりしてこぶを作る程度だ。
ギリッと奥歯を噛み締めて敵意を真っすぐにぶつける私をみて、流石に会計部職員はマズイと思ったらしい。
慌てた様に愛想笑いを浮かべて彼らから見た“利益”を口にした。
「でも、治療法やアイテムの提供を約束すれば将来は安泰ですっ! 望めば王室お抱えの錬金術師として名も地位も名声も手に入れられるし、学院を飛び級で卒業してそのまま国の研究所で好きな研究をすることだって……―――」
何とか懐柔しようとする意図が透けて見える言葉と態度に、怒りの感情が濃度と温度を増していく。
「―――……命の価値」
「命の価値? 何だねそれは」
心底馬鹿にしたような視線を受けて、私は騎士科長だとかいう男を“敵”として認定する。
「私は祖母から『命の価値が分からない愚か者に錬金術で作ったアイテムを売ることは、大量の兵器を悪戯好きのゴブリンに持たせるようなものだ』って教わって育ちました」
自分たちの不手際や不始末に気づきもしないで、一方的に利益を貪ろうとする人間は私にとって敵だ。
まして大切な友達であるエルを思いやるような言葉を一度も聞かなかったのが、なにより気に入らない。
私は怒りのままに言葉を続ける。
相手が大人で、学院の人間で、ある程度の権力を持った人間だとしても構わなかった。
「だから、私は価値があると思った相手にしかアイテムは売りません」
お帰り下さいと怒鳴りつけて私は出口である工房のドアまで走る。
力の限り扉を押し開けば想像よりも大きな音が響いた。
頭に血が上り切っていた私は知らなかったけれど、イオは静かに握り締めていた拳から力を抜いたらしい。
私の後に続いたのはベルだった。
その声は抑揚がなくて誰が聞いても冷たいという評価を下すだろう視線を隠すことなく例の二人へ向けている。
「騎士科長でしたかしら。先ほど『錬金科』に対して随分な物言いをなさっていましたけれど、覚悟はできていらっしゃる?」
「覚悟だと?」
「ええ、覚悟ですわ。錬金科の生徒の殆どが貴族であること、その中には上流貴族が多く在籍している事、そして何より―――……騎士科に支給している回復薬や武器や防具に使用する素材。これらが全て、錬金科から提供されていることを知らないとは言わせませんわよ」
冷めきった赤い瞳を向けるベルは貴族そのものだった。
流石にここで自分が『不味い対応』をしたのは分かったらしい。
騎士科長の男は半歩分、体を引いた。
それでも子供にやり込められていくのは耐え難いとでもいう様に咳払いをする。
ベルは小さく鼻で笑ってティーポットに入った残りの紅茶をカップに注ぐ。
湯気が全く立っていないお茶でも充分飲めるものだったらしく、眼を見開いて少しだけ驚く。
もう騎士科長に興味はないようだった。
一方、ベルに相手にされなくなった騎士科長を見据えながらリアンが口を開く。
「僕らの方からも是非答えて頂きたい質問があるのですが宜しいでしょうか。何分、私共は“賢くない”もので」
にっこりと優等生の仮面を張り付けたリアンが返事を待たずに話し始める。
結構な速さで話し進めているのにきっちり聞き取れる辺りがまた凄い。
「まず、解毒剤に関する一連の顛末と騎士科が取る対策及び罰則内容についてです。これは大量に『解毒剤』を用意した僕らにも聞く権利はありますよね? いずれ錬金科として聞きに行こうと思っていたのですが、騎士科長ならご存知でしょう。間違っていないかどうか後で問い合わせるにしても、随分返答を待たされているので是非この場でお聞かせ頂きたく思います。二つ目は、エルダー・ボアが怪我を負った経緯と今後の対策及び加害者たちに対する騎士科の処置についてです。騎士科長である貴方なら答えられますよね? 各科ごとに配置されている科長はある程度の決定権を持っているようですし―――……」
(相変わらず話長いな。リアン)
怒っていたのも忘れてうっかりそんなことを考えた。
開けっ放しの扉からは見える学院の校章がついた馬車。
繋がれたランニングホースが暇そうにしているのを、時々通りかかる近所の人たちが一瞬驚いたような顔をしては通り過ぎていく。
この辺りは住人というより一番街に行けない職人が多いから人通りも結構まばらだ。
教会へ行く道は大通りから行く方が一般的みたいだしね。
私が現実逃避している間にもリアンの話は進む。
「とにかく、この二件に対する対応をしっかり聞かせていただきます。そうですね、分かりやすく当事者たちを同席させて学院の教員室でというのはいかがですか。ああ、折角ですから『自白剤』も用意しましょう。大丈夫ですよ、貴方のいう愚かな学科ではなくウォード商会が懇意にしている薬師が作った物を用意させますので」
「何故そこでウォード商会の名が出てくる」
「おや? ご存じありませんでしたか。申し遅れました、僕はリアン・ウォードと言います。『ウォード商会』は僕の生家でして。貴族の位は持って居ませんが王族からの信頼も厚いと巷では評判らしいですねぇ……そういえば、騎士科で使用する錬金アイテム以外の道具は全てウチの商会が格安で卸しているとか」
表面上は穏やかなリアンの声と態度。
この言葉を聞いて盛大に引き攣ったのは会計部の人だった。
青ざめた顔で騎士科長の袖を引き必死に「とにかく先に謝りましょう」とか「契約切られたら不味いです」等と繰り返している。
自分が持ちうる全てのモノを有効に使って何が悪い、とベルやリアンが良く口にするけれど実際にこういう場面を見ると納得せざるを得ない。
(うん。これからは余程の事が無い限りこの二人には逆うなって色んな人に言っておこう。被害者が押し寄せても迷惑だし)
苦情で行列ができる工房なんて嫌だ、と小さく首を振った所でポカンとした顔のイオが助けを求める様に私を見ていることに気づく。
そうっと視線で『大丈夫なの?』と聞かれた気がしたので、親指をグッと立てる。
エルが大丈夫だって言う時に時々使ってたんだよね。ちょっとカッコいい。
だから、イオにもきちんと『大丈夫だよ!』って気持ちが伝わっていると思ったんだけど、イオは青ざめた顔で力なく私から目を逸らしそれっきり黙り込んでいるようだ。
え、なんで。
「も、もういい!! 失礼するッ」
「へ?! あ、ちょっと待ってくださいぃぃいぃ」
騎士科長は荒々しく工房から出て行き、慌てた様子で会計部の男が後を追う。
その場に残っているのは、イオとエルの担当教員だけだ。
馬車が工房の前から遠ざかっていくのを見届けた私は静かに扉を閉めて、鍵を閉める。
まだ一人残ってるし、この人なら話できそうだから逃がす気はさらっさらない。
にっこりと笑った私と同じタイミングで二人が笑って思うこと。
(一緒にご飯食べて寝起きしてると性格って似てくるって言うけどホントだったんだ)
ミントに教えてあげよう、とちょっとワクワクしながら小走りでみんなの元へ。
工房って結構広いんだよねぇ。
◇◆◇
取り残されたイオとエルの担当教員はラズフット・デューカップと名乗った。
元々はAランクの冒険者だった事を告げて、勢いよく私たちに頭を下げる。
ガバッっと音がする位勢い良く頭を下げられたので、一瞬私たちは理解できずにその人を見ていたんだけど、最初にイオが我に返った。
「ら、ラズ先生!?」
「騎士科長が無礼な上無神経な態度を取って申し訳なかった。先ほどの配慮に欠ける対応に関しては俺の方から他の騎士科長に報告をしておくので、どうか報復措置などは勘弁して頂けないだろうか」
誠心誠意頭を下げていることは私にでもわかった。
ベルとリアンはお互いに視線を交わし、そしてベルが大きくため息を吐く。
びくっとイオが肩を振るわせたけれど、ラズフットと名乗った先生は微動だにせず頭も上げない。
「ラズフット教員。顔を上げて下さいませ。貴方の謝罪は受け取りました。苦情は申し立てるつもりですけれど、エルやイオ達見習い騎士には害がないように配慮しますわ」
「僕の方も生家とはいえ大口の注文を一時の感情でふいにするようなことはしませんよ、ご安心ください。まぁ、今後の対応次第では『信頼に足る相手』ではないと判断することもあるかもしれませんが……経営者はあくまで父で、次期経営者は弟ですから」
今の所は大丈夫です、とリアンが慰めなのか追撃なのか分からない事を口走ってようやく先生は顔を上げた。
何処か疲れた様な顔に、私はそっと立ち上がって紅茶を淹れ直すことにした。
(いつも飲んでる紅茶でいいよね。うん、紅茶出すだけ贅沢だし。流石におばーちゃんが作った【アールグレイ】は早々出せないもん)
私まだ上手に作れないだろうし、暫く貴重品扱いだしね。
ティーセットを持ってテーブルに戻ると高い魔法紙に描かれた文章を難しい顔で読むラズフット先生と居た堪れなさそうに体を縮めるイオがいた。
「ねぇ、その紙ってリアンが書いたやつだよね? 何か吹っ掛けられたの?」
「ふ、吹っ掛けられた訳じゃ」
「知ってはいたが大概君も失礼だな―――……その用紙は簡潔に言えば請求書だ。薬を使っただろう、三種類」
使った薬の名前を出さない所を見ると請求書にも書いてないんだろうな、と見当をつけて私は頷いた。
アイテム名を口走らなかったことで感心したような表情をしつつも、何処か愉しそうにリアンは続ける。
「あれは作成者が特定されている王族に献上しても可笑しくないような薬だ。オークションに出せば三つ合わせて金貨1000枚スタートだろう」
「……え、正気?」
「正気じゃないのは君の価値観の方だろう。最初と最後に使ったものがそれぞれ金貨100枚、二番目に使用したものは金貨800枚になる。あくまで簡単に計算した場合、だが」
「うっそだぁああ! そんなに高いとか聞いてない!」
「作者が作者だ。それに二番目に使用したものは品質Dでも金貨500枚はする。貴族がこぞって買うからな。貴族以外にも高ランクの冒険者や騎士、懐に余裕のある商人なんかが欲しがる。何せ効果も効果だ……職業柄怪我をする危険性が高い冒険者や騎士は特にな」
その為だけに金を貯める者もいる、と続けていく。
元冒険者だというラズフット先生は使った薬に心当たりがあったらしい。
顔色が蒼くなってきていた。
「貴族は貴族で毒殺や暗殺といった危険と隣り合わせ、という家も少なからずあるらしい。まぁ、金はあるから保険で持っておくという意味合いもあるようだ。それに、薬を作るのにも高い技術とそこそこに貴重な素材が必要になってくる。高額なのは当然だ」
ちらっとベルを見ると早速紅茶に手を付けて、小さく頷いていた。
可哀そうに、イオと先生は真っ白な顔で宙を見て動かなくなっている。
(二人の反応が分かりすぎて辛い。ほんっと借金とか考えるだけで魂抜けそうになるくらいにはお金大事)
私たちの表情を見たリアンは満足そうな笑顔を浮かべて紅茶を一口飲んだ後、請求書を指さした。
「あの薬は『ウォード商会』がライムから買い取って、安全な工房内に一時保管していたものだった。その折に、騎士科教員と騎士科所属の貴族たちによって引き起こされた事件の被害者が運び込まれた。本来責任を持つべき騎士科教員の中でも最高責任者であるはずの爵位を持った教員は同行していなかった為、僕らは『生徒の最低安全保障制度』に基づいて治療を施したんだ」
ありもしない事実を織り交ぜて淡々と話すリアンに戦慄する私。
固まる私を余所に、ベルは愉しそうに口元を持ち上げていた。
「確か騎士科には『実践や実務訓練等で問題が起こった場合、その場にいる最高責任者が生徒の保護及び安全及び命の保証を可能な限り行わなければならない。また、副責任者は直ちに学院に報告する義務を負う』という騎士科教員行動基本原則があった筈だけれどそれはどうなったのかしら。あと学院全体の校則に『生徒間の諍いに関しては、事実を明らかにした上最高権力者である学長が判断を下す』という一文もありましたわねぇ」
にっこりと笑顔で止めを刺したベルは請求書を見て不足でしたら私がサインしますわ、
と笑顔を浮かべる。
「……すまないが、サインを。今の騎士科長三人のうち一番力が強いのはついさっき出ていった男なんだ」
「まぁ! 騎士科の科長推薦条件の見直ししてはいかがかしら。あれじゃあ歩く災害散布機ですわよ」
「面目ない」
がっくりと項垂れてよろよろと立ち上がったラズフット先生は紅茶を一気飲みしてややフラフラしながら工房のドアへ向かう。
猫背気味な逞しい背中には哀愁と苦労が滲んでいて、少し同情する。
「すまない、本当に邪魔をしてしまった。返事は結論が出次第、直接話に来るから少し待っていて欲しいのだが」
「構いませんよ。もし難航するようでしたら僕らが出向きますので気軽にお呼び立て下さい」
「あー……それに関しては回答を差し控えさせて頂く。ただ、そうならない様に尽力すると口頭で悪いがこの場で誓おう」
私たちを見て軽く一礼した先生はイオを見て動きを止めた。
ひらりと手を上げてクシャリと笑った顔は愛嬌があって親しみやすい。
「―――……イオラ・リーク。お前は随分と凄い友人を持っているようだな。大事にしろよ」
「は、はいっ!!」
「それと二人とも明日から三日は安静にして親御さんに顔でも見せてやれ。ただ、無茶をしたことや今回起こったことは全て偽りなく報告し二、三発大人しく殴られるんだな」
そう念押しした彼は静かに鍵を開けて工房を出て行った。
パタンっと穏やかに閉められた扉を暫く注視してから数十秒開く気配がないことをしっかり確認。
人が来ないと分かって私たちは全員深いため息を吐いた。
リアンもベルも浮かべていた優等生とお嬢様の仮面を脱ぎ捨て、普段の顔に戻っている。
「にしても、リアンもベルもよく校則的なの覚えてるね。びっくりした」
「私は家で嫌というほど教えられましたから」
「こういうトラブルになった時に使えそうな制度を片っ端から覚えていただけだ。高額で回収しきれないと分かっている人間から徴収するよりも確実に持って居る相手から頂戴する方が気分もいいだろう?」
「悪魔だ」
「悪魔眼鏡ね」
「……すいません、どう庇ったらいいのか」
「もう慣れたがその不名誉極まりない呼び名はよしてくれ」
それから気が抜けた様にお茶会に突入したんだけど、エルは結局起きなかった。
彼が目覚めたのは少し早い夕食の準備を始めた頃。
盛大なお腹の音と共に作業台の上でむくりと体を起こし、満面の笑みを浮かべたイオに投げ飛ばされて足で踏まれていた。
エルを引きずって帰るイオに声をかける勇気は、ベルとリアンにも無かったらしい。
大人しく手を振って見送った。
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