第75話 煉獄 ~ 最悪の魔女の降臨 ~
「さて、そろそろね」
アンジェが呟く。
約束の時間である。
東側の丘で雷鳴が轟いた。
ハティが「銀の右腕」の力を解放したのだ。
「ハティ……」
アンジェが愛おしそうに呟く。
(貴方が、貴方がいたから私は私でいられる)
(あの時、私の渇きを癒してくれた人。無感情になっていく私の心を揺さぶり、一人の女性として生き返らせてくれた)
(だから、だから手放すことはできない)
「アンジェ……」
ハティもまた、王城を見詰めて呟いた。
(君が、君がいたからこうしていられる)
(ずっと孤独だった僕を、寂しさから救ってくれた人。姉上とも仲直りできた。人の温かさや愛しさを教えてくれた)
(だから、だからこれは譲れない)
「来たれ神王の剣。求めに答えるもの―――――」
銀の右腕を天に向け、ハティがアーティファクトの力を引き出す。
◇
雷鳴が聞こえる。
これが位置を確認したことを示す合図。
そして皆への退避の合図。
「よしゃぁ、逃げろっ!」
フェンリルナイトたちが一目散に広場から逃げ出す。
風が唸る。
まるで狼の遠吠えのような音が響き渡る。
まるで嵐が来たかのようだ。
フェンリルナイトたちは暴風に巻き込まれながらも壁に向かって走っていた。
「走れ走れ、巻き込まれるぞ」
スヴェンの掛け声。
「ぜぇ、ぜぇ…ど、どこまで」
コリガンが荒い息をつきながら尋ねた。
「外に決まってんだろっ、街ぶっ壊す気なんだから」
「ちょっと、トーチ狙いじゃないの?」
スヴェンの言葉にルーダが瞠目する。
「トーチに命中させても、爆風とか余波はとんでもないよね」
アルセイスが遠い目をして呟く。
「って逃げ場ないよぉ!」
ハルも悲鳴を上げる。
「だから外まで走るんだよ!」
「親父ぃオレたちも殺す気なんだぁぁぁぁ」
ルーダが半泣きで叫ぶ。
「一応、灯から離れてたら大丈夫でしょってハティ言ってた」
「リムは親父殿のこと信じすぎっ!あの人自分基準で言ってるからっ、普通の人は爆風でも危ないの」
平然と言うリムアンに対してアルセイスが突っ込む。
「とにかくできるだけ遠くに行かないと!」
「あれ?大通り付近は外すって言ってなかったけ」
最後のオーレの言葉に全員が振り返り、叫んだ。
『それだぁぁぁぁ!』
◇
城下での喧騒をよそに王城の一室でアンジェが杖を構える。
『罪、穢れ……禊給え、祓い給え』
燐光が彼女を中心に立ち上る。
彼女は術の発動のために魔力放出を中断した。
その途端、王都一帯の闇が赤黒く変色した。
城下では人々が胸を抑えてうずくまる。
結界の呪いが発動したのだ。
◇
「アンジェさんが言ってたのこれかよっ!」
避難を始めていたフィンレーが叫ぶ。
オーレが息苦しそうに膝をついた。
「コリガンっ、大丈夫!?」
時を同じくして苦しみだしたコリガンをリムアンが支える。
「リャナン、ねえさん……」
ルーダも倒れまいと懸命に体を支えるがまともに立つことができないでいた。
「そういうのだったら……」
リムアンが右手を天にかざす。
「【アイアクス・スクトゥム(アイアスの盾)】!」
八枚の花弁を思わせる光の盾が展開される。
「ぁ……」
周囲の人々の顔から苦痛の色が薄れる。
「こうなりゃ……」
フィンレーが槍の穂袋を抜く。
「頼むぜ、魔槍『ビルガ』」
そう言って穂先に額をつける。血が滲み始めた。
同時にどこからともなく蜂の羽音が響く。
「俺の血を糧に、弟妹を繋ぎ止めろ……【繁栄の蜜蜂】!」
槍を支えに立つフィンレーの体から光が放たれる。
本来なら不快なはずの蜂の羽音が、途切れそうな仲間の意識を繋ぎ止める。
さらにアンジェに遠く及ばなくとも魔力の放出を始める。
「私もがんばらなきゃ」
リャナンが手を組みそっと目を閉じる。
「おとうさん、力を貸して」
アミュレットが光を放つ。
(もう、誰からも奪わせない!)
「……【プレイ(祈り)】」
彼女の頭頂部に光輪が浮かび、ゆっくりと足元に向けて降りていく。
背中から光の羽が生える。
赤黒く変色した闇がわずかばかりその色を薄めた。
周囲のフェンリルナイトたちに力が戻る。
「……これ、一人で何年もやってたのかよ……」
フェンリルナイトたちが脂汗を流しながら呟く。
「とにかく、もうすこしでも距離とらないと……」
オーレが悲鳴を上げる。
「そんなこと言ったって、リムたち動けない」
リムアンが文句を言った時だった。
「ぼ、ぼくがっ走る」
コリガンがリムアンを抱える。
「あ、コリガン?」
「みんな、僕の兄弟だっ、誰も死なしぇ、ガフッな…ひぃ~」
途中舌を噛む。
その様を見て、みんなが笑顔になった。
「カッコいいところ、とられたぁ」
「やっぱり、頼りになるやつだよ、お前は」
「いいところでしまらないとこ、らしくていいや」
「親父殿とそっくり」
スヴェンが兄弟に言う。
「フィンとリャナンは俺が担ぐ。コリガン、リムアンを頼む」
コリガンが頷く。
「他のは一緒に。アルセイス、進路の確保を頼んだ」
「うん。わかった」
「ハル。フォロー、頼むぜ」
一斉に走り出した。
◇
「崩壊なり、崩壊なり。我が求むるは束縛せしめる鎖を断ち切る崩壊なり」
ハティの義手の内側。血流のように魔力が走る。
「隠匿されたる闇を暴き、裁きを与えよ」
神代の術。もうひとつのアーティファクトを顕現する。
「切り裂け!【神王の光剣】!」
剣のような光が放たれる。
光線は分離したかと思うと、意思があるかのように灯へ向けて降り注ぐ。
眼下の首都では火の手が上がる。
炸裂する閃光。
爆発と熱波。
家々が薙ぎ倒される。
数拍の後、ガラスの割れるような音が響き、王都の中空で見えない何かが崩壊した。
金切り声が響く。
それは断末魔のようであった。
ハティが王都を覆う結界を壊したのだ。
◇
大通りを走るハルたちにも一本の【クラウ・ソラス】が向かってくる。
「嘘つきぃぃぃ!」
ルーダたちの悲鳴が聞こえる。
「っ!ハル!?」
ハルが駆け出し、棒を振るった。
「どーーっこいしょぉっ!」
―――――――スン
事もあろうか、ハティの【クラウ・ソラス】をかき消した。
「――――嘘だろ」
全員が唖然とする。
「び、びっくりしたぁ」
ハルが安堵のため息をつく。
『ビックリしたのはこっちだぁっ!』
事態を忘れてフェンリルナイトたちが叫ぶ。
◇
「それじゃぁ、始めるわよ」
アンジェの声が朗々と響く。
『其は贖罪の炎、其は救済の炎』
彼女の周囲に炎が吹き荒れる。
『プロガス・フランマ(浄化の炎)……リベル(囚われからの解放)』
『――――プラ・アーラ(清浄なる祭壇)』
詠唱の最中、王都の地表が発光する。
燐光が立ち上り、王都一帯を包む巨大な魔術陣を形成する。
魔術の方陣の交点はフェンリルナイトたちがトーチを灯した場所だった。
(ありがとね。触媒をばらまいてくれて)
◇
彼らはただ攻撃地点を示すためにだけにトーチを灯していたわけではない。
広大な都市を覆う結界。
その術式を「上書き」するアンジェの魔術を同規模で展開するのが目的だった。
そのために灯を点す水晶にアンジェの術式を組み込んだ触媒を仕込ませてある。
「おっしゃぁ!やっちゃえ、やっちゃえ~い、ひゃっほー!オーレ!やったな」
「う、うん。ほっとした」
ハイタッチする。
ハティの【クラウ・ソラス】を受けて、術式の媒体が飛散する。
威力が桁違いであるため強度が足りなければ仕込んだ術式自体が破壊されてしまう。
工作班の二人がこの触媒の制作を担当した。
アンジェの術と土地との親和性が高まり、炎で描かれた魔術陣の輝きが増す。
◇
「私のとっておきだぞ☆」
ふざけた口調とは裏はらに、本気であった。
(この呪いからみんなを救う!)
『贖罪の業火、【煉獄】!』
灼熱の炎が城を中心に四方に走る。
点在する小型の魔術陣まで到達し、王都が炎に包まれた。
◇
「ぎゃぁぁぁぁぁっ!」
人々の体から青白い炎が発する。
十数万の人々が火だるまとなり、口々に苦痛の声を上げる。
それはフェンリルナイトたちも例にもれなかった。
十数キロにも及ぶ大都市のいたるところで炎に覆われた人々が喘ぎ、悶えて転げまわる。
一帯が地獄絵図……まさに煉獄と化した。
「待っていて、今、消すから」
ハルが棒を一振りする。
――――――スン
フェンリルナイトたちを覆う炎が消えた。
「も、もう、ハルが何をっ、しでかしても驚かねぇぞ……」
フィンレーが呟く。
「お俺たちは呪われてないから、解呪は必要ないってのによ、見境ねぇな」
彼らがあたりを見回す。青白い炎に包まれた街並み。
「あの人、マジで地獄にしやがった」
スヴェンが戦慄する。
しばらくして人々を覆う炎がおさまりだした。
人々は地に伏している。
しかし、誰も火傷を負っていない。
◇
アンジェは、ふぅとため息をつく。
(久しぶりの『清浄なる祭壇』は、やっぱりキツイわ)
彼女が顕現した【清浄なる祭壇】。
そして放った魔術【煉獄】は、不浄なものを焼き払う彼女オリジナルの術である。
瘴気に汚染されたり、魔術の影響下にあったりする者を強制的に浄化し、影響から解放するものであった。
そのため、親和性の高い者などは精神的肉体的な苦痛を伴うことになる。
(魔力切れを起こす前に、転移魔術を使わないと)
◇
荒れたまま放置された王の間。
身を横たえていた女性がゆっくりと体を起こす。
月明りに照らされた白銀の髪はそのまま月光を映したかのようであった。
アイスブルーの瞳が自身の両手を見、体を見る。
「……ふっ」
笑いがこみ上げてくる。
歓喜が全身を震わす。
自分を縛るものは、もうない。
「ふふふふふっ、あははははははははは!」
堪えられずに声を上げて笑う。
「この時をどれだけ待ち焦がれたか」
呟く。
「さて、この恥辱は何倍にもして返してあげなくてはいけませんね」
先ほどの笑いとは別の残虐さを湛えた笑み。
それから東の丘を見る。
「ごめんなさい、禊がまだなの。貴方にはまだ会えないわ。『私の旦那様』」
そう言って王の間を後にする。
◇
漆黒のローブを纏った男が陰から姿を現す。
ディアブロである。
へたり込んでいるアンジェへと歩み寄る。
アンジェは呼吸を整えるのに集中してその様には気づかない。
今や見た目通りの非力な少女。
簡単に捕らえられると手を伸ばす。
だが――――――
「うぉぉぉぉぉぉらぁぁぁぁぁ!」
怒声と共に突っ込んでくる者がいる。
飛び蹴りなのか体当たりなのか。
超遠距離から砲弾のように飛んできた成人男性。
壁を突き破り、魔術師に飛び蹴りを入れたまま轢き潰す。
「貴様ぁ、僕の蕾天使様に何さらしとるんじゃぁぁ!」
どこぞのチンピラよろしく叫ぶ。
「お前をこれから殴る。これは暴力ではない!制裁だ」
どちらも暴力に代わりがない。
言い終えると共に制御を解いた右腕と魔力を込めた拳でディアブロを殴打する。
「どらどらどらどらどら」
声を上げることもなくディアブロがサンドバックになる。
「よいしょおぉぉっ!」
とどめの右アッパーカットで殴り飛ばす。
弾き飛ばされたディアブロが頭から天井にめり込んだ。
その体が崩れ始める。
「……そういうことか」
ハティが呟く。
目の前で魔術師の体が灰になるかのように崩れ、消えていく。
その様を注視していたハティだったが、すぐにアンジェに向き直る。
「アンジェ…」
「遅いわよ」
落ち着きつつある呼吸をさらになだめてアンジェが呟く。
「ごめ、ごめんよ…」
半泣きでハティが駆け寄り、抱きしめようとした。
その手が触れそうになった瞬間だった。
アンジェが舌を出す。
「ばかやろう」
その体が薄らぎ、燐光に包まれる。
転移魔術が発動したのだ。
「え?あ、ちょ…ああ……アンジェさあああああああん」




