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第5話 走れ!


雪解けを迎え、少しずつではあるけれど暖かくなってきた頃だった。

「おい、聞いたか」

ポルコが作業員たちと雑談している。

あれはサボっていると言わないんだろうか。

僕はワインを詰める瓶の準備をしている。

「麓の村にすっげぇ美人が居ついたんだってよ」

鼻息荒く言う。

「知ってる、教会にいるって話だ」

「新しいシスターかな?あの婆さん歳も歳だから」

「なんでも流れの医者だってよ」

「医者?どっかの貴族だったのか」

「じゃないか。医学なんてそうそう勉強できないしな」

「それとも冒険者くずれかもな」

「ああ、ヒーラー(回復役)でおっかないめにあったから辞めたとかな」

見たこともない女性の噂話で盛り上がっている。

「おい、ハル!なんでそこに置くんだよ、瓶詰するんだから充填機の近くだろ」

目ざとく文句をつけてくる。

その前に洗浄をするんだよね。

そのために洗い場に近いところに置くのはダメなのだろうか。

そして、君たちは毎回動線をふさいでしまって迂回してるけど、それはいいのか。

「わかった」

僕はいちいち言い返すのも億劫なので従った。

「今度、納品の時にさ、一緒に行こうぜ。その美人ってのに会えるかもな」

「いいねぇ」

そんなことを話している。

いいかげん、作業に戻ってくれよ。僕一人にどれだけ運ばせるつもりなんだよ。

僕だって噂の美人の医者に興味がないわけじゃない。

お年頃だから「美人のお医者さん」って響き、刺激的だ。

でも、まずはお金を稼ぐこと、ご飯を食べることが一番なんだ。


そうしてこの日もいろいろと文句を言われた。

瓶にヒビが入っていたのって僕のせいなのか?

確かあの瓶が入っていた箱に蹴つまづいていたのはポルコじゃないか。

しかもそこに置いておけって指示まで出していた本人が「なんでこんなところに置くんだ」って怒ったのも納得いかない。

はぁ……疲れた。

悶々としながらも家にたどり着いた。

今日も妹に労ってもらおう。そうして明日も頑張ろう。


「ただいまぁ~」

ドアを開くと、母さんが慌てて僕を迎えた。

「ハルっ、ハルっ、どうしよう」

いつにない慌てよう。

「どうしたの?」

「エナが、エナがっ」

「エナがどうしたって」


母さんについて寝室に行くと、エナが苦しそうにしている。

体を丸めて横になっていて、時々吐いてしまう。

どうしよう……


「エナが死んじゃう」

母さんが泣き出した。

―――それは、ダメだ。

僕は父さんの時のことを思い出した。

この村には医者がいない。教会もない。

助けられる人なんていない。けれど……

教会……僕は昼間ポルコたちが話していたお医者さんを思い出した。

「母さん、お医者さん呼んでくる」

僕はそう告げると外に飛び出した。



村までは距離がある。

走っても2時間はかかる。

それでも僕は走った。

途中、誰かが「なに、走ってんのぉ、気持ち悪ぅ」って言っていた。

でも、そんなのに構っていられない。

途中何度も息が切れて走れなくなった。走れなくても、歩いてでも行かなくちゃ。



麓の村に入る頃には、すっかり日が暮れてしまっていた。

僕は教会へ急ぐ。

「助けてください!」

乱れた呼吸でうまく言えなかったけれど、何とかそれだけを叫んだ。

奥から人が出てきた。

「何があったの?」

シスターじゃない。女の人、たぶんこの人じゃないか。

「妹が、苦しんでっ、死にそうなんです、助けて」

何とか伝えようと呼吸の合間に言葉を発する。

「わかった」

その人は「ここで待っていて」と言うと奥に下がる。


彼女は鞄を持ってきた。

「どこに行けばいい?連れて行って」

その人は静かに言った。

「僕の村で、二時間は……」

僕が言うと少し首を傾げた。

「そう……」

また短く言う。

「少年」

その人は言った。

「馬を借りている時間はないの」

分かっている。

この人を二時間も走らせて連れていくなんて、断られるに決まっている。

「走っていくことになるわ」

そうだよ。でも、僕の妹なんだ。

「あなたの妹を助けに行くけど、助けられないかもしれない」

間に合わないかもしれない。それでも、来てほしい。できることはしたい。


「それでも『助けて』っていうなら、今から起きることは黙っていること」

「え?」

「約束できる?」

その人は僕の顔を覗き込んだ。

アイスブルーの瞳がじっと見ている。

「約束できる?」

もう一度、念を押すように言った。

「約束します」

「そう」

その答えに満足したように頷く。

「じゃあ、私の荷物を持って」

その人は鞄を僕に持たせた。


「ちょっと、行ってきます」

何事かと様子を見に来ていたシスターたちに声をかけて、教会の外へと僕を促す。

もうすっかり暗くなってしまった村の通りに出る。周りに人はいない。

「どっちに行けばいいの?」

その人が尋ねたので僕は村の方を指さす。日が落ちたので家から漏れる光が目印になった。

「道なりに行けばいいのね」

僕は頷いた。

「それなら、迷わなくてよさそうね」

歩き出すのかと思ったら、僕を抱え上げる。え?何をして……

「舌、噛まないように口を閉じておくのよ」

忠告するなり、走り出した。

だんだん速くなる。

周りの景色がよく見えない。風を切る音だけが響く。

僕は何が起きているのか理解ができないまま、この女性に大人しく担がれていた。



そして数十分もしないうちに、急停止した。

「ここでいいの?」

村の入り口に来ていた。

僕は我に返った。

「は、はい。ここです、僕の家はあっちです」

家に向かって走り出していた。


家に明かりがついている。

ドアを乱暴に開けて転がり込んだ。

「母さん、エナは?!お医者さん連れてきたよっ」

叫びながら寝室に向かう。嫌な想像をしてしまう。

良かった、エナはまだ息をしている。苦しそうだけれど、まだ死んではいない。


僕に続いてあの人が入ってくる。

「お母さん。娘さんは苦しむ前に何か食べましたか?」

口を布で覆い、手袋をしたその女性が母さんに話しかける。

「いえ、特には」

「いつごろから苦しみだしましたか」

「日が落ちる前です」

「どのような症状ですか?お腹が痛い?吐いている?下痢は?」

矢継ぎ早に質問をする。母さんは懸命にエナの状態を説明した。

「熱と腹痛、嘔吐、下痢ですね?咳は?」

「していません」

「ちょっと診せてね」

女性はエナの近くにしゃがんで口を開く。

「舌を見せて、苦しいと思うけど、べぇって」

女性は静かに、でもしっかりと診てくれている。

「衰弱してきていますね」

言うと手から柔らかい光を発する。

「神の慈悲よ、この者を癒し給え。【ヒール(癒し)】」

小さく呟くとその光がエナを覆う。

青白かった顔に少し赤みが差した。


「少年、飲み水を用意してください。あと、塩も。お母さんは娘さんの出したものを見せてください。便の色は何色でしたか?」

僕は言われたとおりに飲み水と塩を用意する。

母さんもエナの出したものを拭き取った布を見せる。

そんなものを見てどうするのかとは言わない。

お医者さんだから、何か調べているのだろう。


「エナは、娘は助かりますか?」

「治す薬はありません。お腹の中にいる悪いものを便といっしょに全部出さないといけません」

「じゃあ、治らないんですか」

「全部出し切ると治りますが、体力がもたないことには」

その人は冷静に、静かに言う。

「お願いです。助けてください」

僕も母さんもその人にすがった。

「もちろんです。そのために私は来たのですから」

静かに、でも力強くその人は言った。


僕らにも指示を出した。

汚したものはすべてひとまとめにして他のものと離しておくとか、こまめに手洗いや清潔にするようにとか。

「これは他の人にもうつる病気です。二人ともしばらくは他の人と会わないように」

そう言って手をかざす。

「神の御恵みよ、穢れを祓い給え。【ピュリファイ(浄化)】」

光が弾けて家全体に散る。

「あなた達にも伝染している可能性もあるので、浄化をしました。ですが、あの子に近づけばまたうつってしまいます。しばらくは私一人で面倒を見ます」

なんということもないように告げて、妹の看護に戻った。


それから一晩中その人は妹を診てくれた。

スプーンで少しずつ水を飲ませてくれたり、治癒術を使ってくれたりした。

ご近所さんのハンナが来てくれたけれど、「今は会えない」って断った。



そうして二日経った。

朝にあの人は部屋から出てきた。

「もう大丈夫ですよ」

そう言った。

「顔を見たいでしょう。寝ていますが、どうぞ」

僕たちは急いでエナの寝ている部屋に入った。

良かった。あれだけ苦しんでいたのに、今はおだやかに寝息をたてて寝ている。

「お腹がかなり弱っていますから、しばらくは薄いスープや柔らかいものを食べさせてください。それと、お腹の薬を置いておきますので、ひとさじお湯に溶かして朝晩一度ずつ飲ませてくださいね」

後ろからあの人の声がする。

「あ、ありがとうございます」

僕は振り返ってお礼を言ったけれど、その人はそのまま家を出て行ってしまった。


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