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65 怪物の正体

 顔を上げ、陛下はやっとルーデンス殿下を見た。

 殿下は静かに語り続けた。


「恐ろしいと思うのは、得体が知れないから。その正体を知らないからです。あなたはこの国の王だ。全てを知り、理解し、ご自分の行いの結果を受け入れる義務がある……いえ、王でなくても、それを背負う覚悟こそが、人に必要な勇気というものです」


 そこまで言って、ルーデンス殿下はわずかに微笑んだ。

 穏やかで、悲しい微笑みだった。


「僕は、自分がどうして影属性に目覚めたのか、はっきりした心当たりがあります」


 それを聞いた途端、陛下は目を瞠って身構えた。

 殿下は再び微笑みを消し、普段はしまい込んでいるその記憶を言葉に乗せた。殿下にとって、辛い記憶を。


「あなたが僕を冷遇し放置していたのを、僕を育てた使用人たちはよく理解していました。冷遇することが仕事なのですから、親身になって大切に育てるなんてもってのほかです。その歪みは次第に大きくなっていき、気が付いた頃には、彼らが日常で王族に対して感じた小さな不満を、僕にぶつけることが当たり前になっていました」


 これが、ルーデンス殿下の使用人恐怖症の原因だ。

 これだけは単なる人見知りではなくて、完全な心的外傷だった。彼本人にもその恐怖や嫌悪感はどうにもできなくて、視界の隅に仕事中の使用人が通りかかるだけでも震えて鳥肌を立てるほどだ。

 あまり資料室から出たがらないのもこれが原因の一端だったりする。


 学園や寮でも掃除や洗濯、着付けなどいろいろな使用人が働いているけれど、殿下は絶対に自分の部屋に彼らを入れないし、持ち物を触らせることもない。展覧祭の時でさえ、公爵家から借りた使用人たちには一切近付かず素顔も見せなかった。

 食堂でも厨房の料理人と直接話すことなら平気だけれど、給仕を受けるのは耐えられないので、自分で持ち運びできる軽食やお弁当を用意してもらい、厨房から直接受け取っている。

 なんとなくだけれど、食事の給仕に関しては相当嫌な経験がある様子が伺い知れた。そのせいか彼の中での食事優先度はかなり低い。


 陛下は、彼がどんなふうに育てられていたか、ご存じなかったのだと思う。現場の人間がわざわざ報告するはずもない。

 陛下はその眉を寄せて、集中して耳を傾けていた。


「僕が六歳の時です。その日来た使用人の機嫌が悪くて、僕はクローゼットに閉じ込められました。外から掃除用の箒でかんぬきを掛けられて、どんなに暴れても出られませんでした。その使用人は僕をそのままにして、部屋の暖炉の火を消し、帰りました。……真冬の年末、冬至祭の時期のことです」


 すうっ、と陛下は息を吸ったけれど、言葉は出てこない。


「使用人は当時、日替わりの三人交代制でした。僕を閉じ込めた使用人は、翌日になれば別の使用人が僕を外に出すと考えていたのでしょう。実際その手のことはよくありました。でも、時期が悪かった。残りの二人は、面倒な僕の世話を放り投げて年末の祭りに遊びに行ったんです。それぞれ自分が一日くらい世話をしなくてもいいだろう、と考えて」

「何……では……」


 さすがに陛下も想像がついたのか、その顔を青ざめさせた。

 ルーデンス殿下は意図してか感情を乗せない声で、淡々と続けていった。


「泣いても叫んでも誰も助けてくれない。クローゼットとはいえ大した服は入っていませんでしたから、すぐに体は冷え切りました。とても喉が渇いて、だんだんと声を上げることも、体を動かすこともできなくなっていく。自分にまだ体はあるのか、眠っているのか起きているのかそれすらも分からない。……そんな凍てつく暗闇の中で、僕は三日間過ごしました」


 再び言葉を失った陛下の手はわずかに震えていた。

 自虐なのか嫌味なのか、小さく笑いながら「さすがに発見された後は医者を呼んでもらえましたね」と殿下が付け足しても、その震えは止まることがなかった。


「今はもちろん違いますけど……その暗闇の中で、その時の僕は、ひどく安心していたんです。寒くて、心細くて恐ろしかったけど……こんなに穏やかで静かな場所が、僕が最後に行きつくところなんだなと。ここにたどり着くことが僕の幸福だったんだと、そう思ってしまった。僕はあの暗闇に焦がれた……あのまま溶けて消えてしまうことを願った」


 彼の瞳はそのひとときだけ、遠い日のクローゼットの奥底を見つめていた。

 けれどすぐに照明の光を映すと、震える陛下にしっかりと目を合わせて、それを伝えた。


「陛下。影魔法に目覚めるのは、きっと、暗闇の中で『死』の影と冷たさを受け入れた子供です。一度でもそれを知ってしまった人間は、目的のためなら何でもできる。他に何を犠牲にしてでも、どこまでも強く、残酷になれる。過去の影魔法使いたちも……そして僕自身も」


 その言葉を受け止めた陛下は、重苦しい表情で深くうつむいた。


「お前を作り出したのは……余、だったのだな……」

「ええ。あなた自身の恐れが、さらなる恐れを生み出していた」


 そう肯定したルーデンス殿下は、次の瞬間、まるで普段のような軽い調子で言った。


「そう、たったそれだけのことです」


 顔を上げた陛下に、殿下は大したことなど何もないと言うように、平坦に語り掛ける。

 

「知らないのなら、知ってください。僕はあなたを恨んでもいないし、憎んでもいません。怒りを抱えているわけでもないし、誰かに復讐しようなんて考えたこともありません」


 けれどその内容は、たぶん、陛下にとっては罵倒よりも酷なものだったと思う。


「でも、許せと言われたら、それはちょっと難しいです。今更家族としての愛情なんかも要りません。あなたからいただかなくても充分間に合っています。僕はあなたに何も求めていないし、何も期待していません。あなたに割いて使う心がもったいないから」


 つらつらと語られる彼の本心は、責めることも許すこともなく、ひたすらに関心を廃し突き放すだけの言葉だった。まるで、彼が今まで受けた仕打ちをそのまま返しているような。

 彼にとって心を向ける価値すらないと言われた陛下はそれを、沈痛な表情でただじっと聞いていた。


「僕も自分が歩んできた道に、それなりに愛着があるんです。だから、あなたが過ぎたことをどうにかしたいと思っても、もう何も変えることはできません。今あなたの目の前に居るこれが、僕です」


 最後に締めくくるように、ルーデンス殿下は陛下に尋ねた。


「これでもまだ、僕が恐ろしいですか?」

「いや……いいや……」


 陛下は静かに首を振ると、重い体で玉座から立ち上がった。

 陛下はじっとルーデンス殿下の顔を見つめて口を動かそうとした。けれど、許しを請うて謝罪を口にすることはなかった。ルーデンス殿下自身がその権利を陛下に与えなかったからだ。

 それでも、その事実を伝えにここまで出向いて来た息子のなけなしの慈悲を、陛下はきっと理解していた。


 陛下は再びゆっくりと頭を振ると、深く、深く重い息を吐いた。


「余も……己の心が選び招いた結果を、背負わねばならぬ時が来たのだな。そうであろう、カレッタ嬢」


 殿下の後ろで控えていたわたくしに濡れた目を向けた陛下は、ほんのりと表情を和らげた。


「ルーデンスを、ここまで連れてきてくれたこと……感謝する」


 その短い言葉に、わたくしはなぜかいろいろな思いや感情が一気に胸の中にせり上がってきて、何一つ言葉にすることができなかった。ただ唇を噛み締めて、小さく頭を下げた。

 陛下は視線をルーデンス殿下に戻すと、まるで見返りも何も求めず天に祈りだけを捧げるような声で、殿下に尋ねた。


「今から、そなたに対して、余にできることはあるだろうか……?」


 殿下はちょっと目線を下げて、


「ありません。……と、言いたいところなんですけど、一つだけ」


 少し不貞腐れたようにも聞こえる声でそう答えると、おもむろに振り返って、わたくしの手を取った。

 しっかりと手を握ったまま、彼は陛下に言った。


「彼女と共に、この国の民として、この先も生きることをお許しください、陛下」


 国民として、人として当然の権利だけを彼は求めた。

 陛下は眩しそうに彼の顔を眺めると、迷いなく頷いてくださった。


「ああ……許そう……」


 ご自分には与えられなかった許しの言葉を自ら口にして、陛下は耐えるようにまた目を伏せた。


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