61 からの、伝説の幕開け
「本当だ、あのマスクと声、間違いない。忘れるものか」
「もっと恰幅の良いお方ではなかったかしら?」
「やっぱりうわさ通りお若い方だったのか。まさか在学生?」
マスクのおかげでスイッチが入っているのか、ルーデンス殿下もといルー博士はにこやかに聴衆に手を振ってさらに湧かせていた。早くも完全に彼のペースだ。
いきなり人前に出るのはやっぱり恥ずかしいからマスク被りたいとかおっしゃっていたのはどこのどなたですの。
ルー博士はわたくしの隣に立って軽く肩を抱き寄せると、聴衆に向かってガビガビ声で言った。
「ここに居るカレッタ嬢は、私が最も信頼する助手だ。その彼女が殿下と令嬢の真実の愛を試すため、令嬢に決闘を挑みたいと言っている。実に面白い話ではないか!」
大げさな調子でそんなことを言い出す道楽紳士に、会場の学生たちは今までの流れも忘れてすっかり盛り上がってしまった。
ところが。
「……お前。……お前、だったのか……」
驚愕と怒りが綯い交ぜになった顔でこぶしを震わせ、第一王子殿下はルー博士を射殺さんばかりに睨みつけていた。
たった今ルー博士の正体に気が付いたらしい第一王子殿下は、衝撃のあまりにそれ以上言葉が出てこないようだ。
さらにその背後で、玉座の国王陛下が明らかな反応を見せた。
身を乗り出し、控えている親衛兵にルーデンス殿下を捕らえる指示を出そうとする。
けれどその時、陛下のすぐ目の前に、どこからともなく人影が現れた。
まるで幽霊のように突然湧いて出たのだ。ルーデンス殿下の影消しでもなく、どうやったのかまるで分からない。
少しふくよかな体を上品なドレスで包み、ヴェールで顔を覆ったその婦人を見て、陛下は苦虫を噛み潰したような顔になり動きを止めた。
「カーディナル魔法伯……ここへ何をしに来た」
「今日は我が家の六男の卒業式ですもの。そもそも今は我が子が四人も在籍しているのですから、学年末夜会くらい呼んでくださってもいいではないですか」
のほほんと返す口調とは裏腹に、離れているわたくしでも感じる圧倒的強者の威圧感。会場の空気もぴしりと引き締まった。
あれがロージーのお母様にして、現カーディナル魔法伯ご本人。
陛下を押し留めるために出てきてくださると聞いていたけれど、今更ながらとんでもない味方を得てしまった気がする。
「まあまあまあ。珍しい属性をお持ちの方がこんなに。特にあの、無属性ちゃん」
ヴェールで覆われた視線がピタリとこちらに合わさるのを何故か感じてしまい、わたくしはぎくりとして息を飲んだ。
見ただけで属性を判別するなんて普通できないはずなのだけれど……。
「どうしたらあんなに透明で、それでいて複雑な『お味』になるのかしら。年代物の風格の中に不思議な刺激が混じっていて癖になりそうですわ。ねえ陛下、神殿にやってしまうくらいなら我が家にくださらない? もったいないですわ」
なんだかお酒の味でも吟味するような言いぐさでちょっと怖くなる。本能的な鳥肌が立った。
とんでもないことを言い出した魔法伯の言葉を聞いて、ルー博士はわたくしの肩を抱く腕にぐっと力を込めた。
「……ご婦人。彼女は私の、大切な、欠けては困る、助手ですので」
「あらあらあら。ごめんあそばせ、影の博士」
上品に笑う魔法伯に、この方にだけは油断してはならないという警戒がわたくしの中で生まれた。
「陛下、ただの学生たちの余興ではありませんか。わたくしも珍しい魔法同士の決闘なんてとても興味がありますわ。無属性ちゃんと植物ちゃん。どんな決闘になるのかしら? 家族へのいい土産話になるでしょう」
憎き公爵家の娘の断罪を余興扱いされた陛下は分かりやすく額に青筋を立てた。
もちろん陛下は魔法伯が出てきた時点で、今回の件にカーディナル家が介入していることには気が付いたことだろう。
けれどこの場でカーディナル家と事を構えるのは避けたかったのか、陛下は上げかけていた腰を再び玉座へと深く据えた。殺気立った視線はじっと第二王子を観察したままだ。
そんな陛下の視線もものともせず、ルー博士が高らかに声を上げた。
「さあ、それでは舞台を整えよう!」
そう言って天井へ向けて掲げた腕を彼が振ると、頭上に激しい風が吹いた。
大広間を余すことなく照らしていたたくさんのシャンデリアが、わたくしたちの真上にある最前列の一つを除いて一斉にその灯を消した。
薄闇に包まれた会場で、わたくしたちだけが明るく照らし出される。学生たちの期待と昂揚の混ざったどよめきが聞こえた。
さらに、大広間にあるすべての出入り口に、黒いカーテンのような薄い幕が掛かった。
警備の衛兵が異変を感じて扉を開けようと手を伸ばし、直後小さな悲鳴を上げる。幕越しに触れる扉は触れたそばから柔らかく沈み込み、衛兵の手を跳ね返してしまったのだ。
その様子を見た第一王子殿下がルー博士に向けて叫ぶ。
「何だこれは……貴様、何をした!」
「ラスボス戦、つまり最後の戦いなのだから逃げられてしまっては面白くないだろう。決闘が終わったら出してあげよう」
「さっきから何を言っているんだ、貴様らは……」
「それはそこの彼女が一番よく知っている」
第一王子殿下が訝しげな視線を背後に庇うテトラ嬢に送る。
彼女は固い表情のままこちらを見つめ続けていた。
寄り添っていたルー博士が、そっとわたくしの背中を押し、後ろのほうへ離れていく。
わたくしはテトラ嬢に向かって語りかけた。
「テトラ様。わたくしはあなたの愛が疑問に思えてなりませんの。あなたは本当に第一王子殿下を愛していらっしゃるのかしら?」
「何が……言いたいんですか……」
押し殺した可愛らしい声がほんの少しだけ凄みを帯びる。
あまり脅してリッドと同類になるのも嫌なので、わたくしはその答えをうやむやにしたまま、宣誓した。
「わたくしは先ほど挙げられた罪状には全く身に覚えがございません。ですが、あなたが勝てばわたくしはお二人の愛を認め、潔く無実の罪を受け入れ世俗からこの身を引きましょう。けれどもしあなたが負けた場合は……あなたの愛がまがい物であることをお認めなさい」
テトラ嬢はひくりと眉を寄せた。
激高した第一王子殿下がさらに前に出て噛み付いてくる。
「勝手なことを! 俺は彼女を信じている。彼女の心を疑う余地などない!」
「あら、そんなに必死に止めようとなさるなんて、殿下は学園で最弱の魔法使いであるこのわたくしとテトラ様が決闘することが恐ろしいのですか?」
「世迷言を……!」
なんとか止めさせようとする第一王子殿下だけれど、物語ならこれは逆効果。
ここまで言われ庇われてしまっては、主人公であらんとするテトラ嬢はもはや引き下がることができない。
「……わかりました。サフィ様、わたし、カレッタ様と戦います!」
テトラ嬢は強い瞳でわたくしの前に出て、ついに受け入れた。
物語の最終幕を飾る決闘を。
そして、この先長い間学園で語り継がれることになる、伝説の学年末夜会の主役となることを。




