62 道を踏み外したもの
「テトラ……!」
「よく言った! それではさっそく始めるとしよう。令嬢の勇気に敬意を!」
ルー博士が叫んで両手を広げると、薄暗い会場には学生たちの歓声が響き渡った。
ルー博士という遊びの化身に支配された会場は、もはや第一王子殿下でもその流れを止めることはできない特別な空間になっていた。
「決闘とはいえ、この私が立ち会うのだから楽しいゲームにしよう。ルールは簡単。お互いに今の位置から魔法で相手を攻撃する。先に相手に一本入れたほうが勝者だ。いいかな?」
「よろしいですわ」
「わかりました」
二人が頷くと、会場は熱気に満ちた静寂で支配された。
テトラ嬢は身構え、わたくしはハンマーを揉んで集中を高める。
その時、ふと訊いておきたくなって、わたくしはテトラ嬢に静かに問いかけた。
「テトラ様。あなた、このゲームはお好き?」
「え?」
彼女が一対一のハンマー遊びなんてしたことがないのは分かっている。
わたくしが訊いたのは、彼女から見た『この世界』のことだ。
第一王子殿下の手前、少しためらった様子だったけれど、婉曲な言い回しのままぽつりと彼女は答えた。
「……嫌いだったら……やらないと思います」
「そう。それならよかったですわ」
わたくしはハンマーを手放し宙に浮かせた。
「わたくし、みんなで騒いで楽しむゲームも好きですけれど、もともとは己を磨いて高みを目指すゲームが大好きですの。今宵はその集大成。これまで積み上げてきたわたくしの全てを賭けてあなたを迎え打ちますわ。……さあ、どこからでもかかっておいでなさい!」
強気な笑みを浮かべて高らかに声を響かせたわたくしの姿は、立派な悪役令嬢だった。
「……いきます!」
ゲーム開始だ。
テトラ嬢の魔力が膨らみ、彼女の足元には大輪の花々が咲き乱れた。
その花の合間から勢いよくツタが一本飛び出し、しなやかながらも鋭くこちらへと伸びてくる。
鞭のように振り下ろされたそのツタを、わたくしは危なげなくハンマーで叩いて退けた。
ぶつかり合う甲高い音が辺りに響き、会場ではさざめくような歓声が上がった。
テトラ嬢が素でちょっと困惑した顔をする。
「ほ、本当にハンマーで弾いた……」
「物足りませんわ。その程度ですの?」
「……まだまだ!」
ツタが二本に増え、同時に襲い掛かる。
一本のハンマーで二本のツタを同時に相手にするにはどうするか?
簡単な話ですわ。一本ずつ順番に叩けばいいだけですわ。
「早い……! じゃあこれなら!」
テトラ嬢はどちらかと言えば技巧派の魔法使いで、魔力量に物を言わせた戦法は不得手だ。
徐々に増えていくツタの数も、最大で五本が限界のようだった。
もちろんその程度なら、今のわたくしには脅威でも何でもない。
けれどこのゲーム、先ほどのルー博士のルール説明が絶妙に効いていた。
「よし、カレッタ嬢は防戦一方だ。押しているぞ、テトラ!」
第一王子殿下の応援の声が届き、テトラ嬢の表情には余裕が生まれ始めていた。
優勢と勘違いするのも無理はなく、わたくしは自分のもとに飛んでくるツタの鞭をひたすら叩いて防いでいるだけだ。まだ自分から攻撃は仕掛けていない。
絡みつくように襲い掛かるツタを捌きながら、わたくしはテトラ嬢に語りかけた。
「テトラ様。わたくしが『こう』なったのは、六歳の頃ですわ」
攻撃の手は緩めないまま、テトラ嬢は訝しそうに眉を寄せる。
わたくしは言いたいことを語り続けた。
「その時から、わたくしはただひたすらに、この世界で生きることを楽しみ続けました。でもそれは、数えきれないほどの偶然と幸運に支えられていたのですわ。わたくしは自分の運命を知らなかった。いつどこで道を誤って、踏み外してもおかしくはなかった」
学園に帰る道すがら、わたくしたちはリッドから『物語』の顛末を聞いた。
そして理解した。
全ての結果が今なのだ。
些細なことが積み重なって、そのひとつひとつの選択と行いの結果として、今、わたくしは心まで悪役にならずに済んだのだ。
少ない魔力を活かす方法があって。大切にしてくれる家族がいて。分かり合える親友たちがいて。真っ直ぐに愛し合える人がいて。
あらかじめ用意されていた結果を動かす原動力はいつだって、このわたくし自身の心だった。
だからこそ。
「わたくしは楽しい! 生きていることが、今ここに居ることが嬉しい! 選んで歩んできた道が愛おしい! だからもし、いつか間違えて道を踏み外したとしても、その先で苦しんだとしても。それがわたくしの心が選んだ結果ならば喜んで背負いましょう。わたくしはこの生を、この身が果てるまで楽しみ尽くすだけですわ!」
その瞬間、テトラ嬢は明らかな怒りにその顔を歪ませた。
魔力が一層膨れ上がり、つられるようにツタの攻撃が激しさを増した。一度叩いたツタが簡単には引かず、回り込むように攻撃を続けるようになる。
ちょっと厳しくなってきた……けれど、盛り上がってまいりましたわ!
わたくしはさらに言葉を続けた。
「あなたから見たわたくしは、すでに道を踏み外しきっているように見えるでしょうけれど」
足に絡みついてこようとしたツタを一本、ハンマーの勢いに任せて叩き切る。
こんなものでわたくしを絡めとることなんてできない。……けっこうぎりぎりでしたけれど!
歯噛みするテトラ嬢に、わたくしは尋ねた。
「『物語』を外れたこのわたくしが、本当に不幸せに見えまして? もっと近くでよくご覧になって」
テトラ嬢が息を飲むのと同時に、わたくしは自分の背中に衝撃魔法を放った。昨日の後遺症が本気で痛いのでこの一回きり、とっておきですわ。
「なっ、その場からって……」
「『動くな』とは言われていませんわ!」
絡みつくツタの間をハンマーでこじ開けるように潜り抜け、防御が間に合わないテトラ嬢に飛び掛かる。
そのまま無属性魔法の射程圏内に滑り込み、わたくしは隠していたもう一本のハンマーを彼女の眉間目掛けて、叩き付けた。
――ピコンッッ!!!
甲高い音が会場に響き渡り、全てのものが動きを止めた。
驚愕の表情のまま固まったテトラ嬢の額には、『人を殴るためのハンマー』が綺麗に打ち込まれている。
打撃部分は蛇腹に折りたたまれた薄くて軽い革。細長い木製軸の両側にくっついていて、中は空洞。
蛇腹構造は叩く衝撃をしなやかに吸収し、相手を傷付けることはない。
衝撃で中から押し出された空気が木軸に仕込まれた笛を鳴らす、楽しい仕掛けだ。
この革はばあや一番のこだわりで、この構造に最適な素材を求めてばあや自ら東奔西走。
最終的に怒焔山脈のドラゴンから上質な内腿の革が採れたのでそれに決定した、と旅先から嬉しそうな手紙を送ってくれたのをよく覚えている。
そう、これこそが昨日お兄様が届けてくださったばあやの荷物、新作ハンマーだった。
「あなたの『ゲーム』に対する真剣な姿に、心からの敬意を。……けれどあなたは、もっと楽しく遊ぶべきですわ」
無言のままゆっくりと俯いた彼女に、わたくしは静かにそう告げた。




