39 ルー博士と忘れられた実験棟
そして、ついに花祭り、展覧祭本番の日がやってきた。
春の訪れを祝う花祭りは、戦乱期が終わった後に国が定めた祝祭日の一つ。
その名も『はるつげ』と呼ばれる美しい花が木々に咲き乱れる時期に合わせ、王都から農村まで国中が色とりどりの花で飾り付けられる、一年で最も彩と喜びに満ちた行事だ。
戦乱で失われた命を悼み、落ち込んでいた気分を少しでも華やげようと、とある領から自然と広まった風習だった。
今でこそ見た目は風流な祝祭だけれど、祝祭日になる前は冬に蓄えた保存食が気温で傷まないうちに食べきる在庫消費祭りだったという側面がある。
この時期にご馳走をたらふく食べて太っても罪ではない。なぜならみんな同じだから。
都市部では一週間ほどの大型連休となるのが定番で、庶民は思い思いに大市で食べ歩き、血の気の多い催し物を楽しむ。田舎の家族の元へ里帰りする者も多い。
学園の展覧祭は、そんな花祭り期間の初日から三日間開催される。
さすがに平民は入れないけれど、在学生の保護者のみならず、基本的に貴族なら自由に入場することができる。現在現役のほとんどの貴族はこの学園の卒業生なので、母校訪問を楽しみにしている貴族も多かった。
そんな、いつも以上の熱気と賑わいにあふれた学園敷地内のとある片隅。
うっそうとした林の木々に隠れるように、長い間使われていない、古ぼけた魔法実験棟が建っていた。
二階建てに屋根裏もあるちょっと複雑な造りで、学園の中ではこぢんまりとした建物だ。
すべての窓は重々しいカーテンが塞いでいて、建物の中に入る光は薄ぼんやりとしている。目が慣れれば周りが見えないほどではないけれど、心細くなるような薄暗さだ。
そんな闇と静けさに支配された建物のエントランスには、緊張した面持ちの学生たちが数十人ほど集まっていた。彼らの手には、苦労してもぎ取った『招待状』が握られている。
彼らの緊張が頂点に達した頃、不意に、ひび割れたような奇妙な声がエントランスに響いた。
「ようこそ、諸君」
学生たちはずっと正面を向いていたはずなのに、気が付くと、誰も居なかったはずのそこにいつのまにか人影が現れていた。
背が高く、恰幅の良い体型の、手提げランプを持った男。
個性的な柄織り生地の上着を着て、紳士らしい洗練された丸つばの帽子を目深に被ったその男の顔は、目元を除いたそのほとんどが奇妙なマスクで覆い隠されていた。
例えるなら、餌を食べるときだけ伸びるギチベラの口のような……さすがにわかりにくいですわね、精悍な猟犬の鼻のような、長く筒状に突き出たマスクだ。
驚きざわめく学生たちの前で優雅に人差し指を立て、静寂を促す男。
その空気に飲まれた学生たちは水を打ったように静かになった。
「そう、ここでは静寂こそが賢明だ」
再び、ひび割れた低い声が響く。
意味ありげな男の言葉に、学生たちは息を飲んだ。
あんな台詞、台本にないのに、すっかり役に入り込んでいますわね……ルーデンス殿下。
そう、あの紳士こそ、ルーデンス殿下扮する『ルー博士』。
巷でうわさされているイメージに近づけて、恰幅の良い年かさの紳士といういで立ちにしてみた。
特にこだわったのはあのマスクで、さっきから聞こえているガビガビとしたひびわれ声は、マスクに仕込んだ変声器の仕業だ。
魔法でも何でもなく、筒と金属箔で作ったおもちゃのようなものだけれど、ついでに仕込んだバネのおかげでエコーまでかかっており、本人の地声とはかなり印象が違う。
醸し出される異様な雰囲気が、最高に『ルー博士らしく』感じさせていた。
「改めて、よく来てくれた、諸君。私は『ルー博士』。遊びが好きな道楽者さ」
ガビガビ声で自己紹介をしたルー博士。
朗らかな口調とその異様なたたずまいがかみ合わず、学生たちの意識をどんどん混乱させ引き込んでいく。
「さて、『招待状』を紐解いてここへやってきた諸君はもうご存じだろうが、連れの友人もいることだろうから、改めて説明しよう。新しいゲームの構想を練るため書物を漁っていた私は、この古い実験棟にまつわる奇妙な記録を見つけたのだ」
大仰な身振り手振りを付け、うろうろと歩き回りながら、ルー博士はこのゲームの物語を語る。
「それは、ここで姿を消したある一人の令嬢の記録と……彼女が残したいくつかの暗号。当時未解決のまま風化したこの行方不明事件だが、この暗号を解くことができれば、事件の真相がわかるかもしれない。そこで、私の協力者としてふさわしい知恵と勇気を持つものを選別するため、学園で『招待状』を配ったのだ」
『招待状』とは、この催しの入場券であると同時に、挑戦試験という名の練習問題の役割も兼ねていた。数量は限定だけれど、お祭りなので大サービスの無料配布だ。
招待状にも暗号パズルを仕込んでおいて、それを解いた学生だけがこの場所と開催時間を正しく知ることができる仕組みにした。
とはいえ練習問題なので落ち着いて考えれば簡単に解ける。選別とは言いながら、世界観と例題を見せて雰囲気を掴み、期待感を上げてもらうのが主な目的だ。
参加は一チーム三人までで、友人知人を連れてくることも許可している。
ちなみに、一日三回のゲームで三日分なので結構な数の招待状をばらまいたのだけれど、それでも『ルー博士』登場のうわさを聞き付けた学生たちの間で争奪戦になっていたのは嬉しい悲鳴だった。
「諸君はこれから私と共に、その知恵をもって令嬢の暗号を解いてほしい。そしてその勇気をもって、この実験棟に残された謎を調べ尽くそうではないか!」
奇妙な道楽紳士の呼びかけに、学生たちも日常を忘れてわぁっと盛り上がりを見せた。
けれど、その瞬間、大きな身振りで聴衆を盛り上げていたルー博士の姿が、フッと消え去った。
持っていた灯りも共に消え失せ、辺りは急に暗くなる。
突然の消失に動揺する学生たちの上から、威厳のある若い女性の声が降るように響いてきた。
『愚かな男。愚かな若者たち』
感じたことのない冷え冷えとした魔力の気配が満ち、恐怖を覚えながら学生たちは辺りを見回すけれど、どこにも声の主の姿は見えない。だって彼女、天井裏に居るんですもの。
『わたくしの邪魔をするというのなら、お前たちもあの男のように消してくれる』
怒りに満ちた女性の声に、学生たちは身を寄せ合って息を飲んでいた。
『……ただ、そうね、お前たちはあの男にそそのかされて来たようだし、機会をあげるわ。わたくしの本当の望みを叶えてくれるなら、お前たちを無事にここから出してあげる。制限時間は一時間。その間にすべての謎を解くことができなければ、お前たちも永遠の闇の中をさまようことになろう。……さぁ、生きて帰るため、せいぜいわたくしを楽しませなさい!』
すっかり物語に飲み込まれていた学生たちの前に、新たな登場人物が新しい灯りを持って躍り出た。
ルー博士と似た雰囲気の衣装に身を包み、目元を隠す仮面をつけた小さな少年、ロージーだ。
「たいへんだー! ルー博士が、謎の令嬢に連れ去られてしまいました!」
ちょっとわざとらしいけれど、これはこれで味がある。
令嬢の演技が迫力がありすぎたので、ちょうどよく緊迫感を中和するような絶妙なバランスだった。
「申し遅れました。ボクはルー博士の助手です。こう見えてとっても優秀なんですよ! って、そんなことは今はどうでもよくて」
子供らしさを前面に押し出した演技で、学生たちの雰囲気を和ませる。
驚きが落ち着いて、これがゲームであることを彼らも思い出して安心したようだった。
「みなさんお願いです! みなさんのお力で、令嬢の怒りを鎮めて、ルー博士を助け出してください!」
そうして、ロージーは小芝居をはさみながら、細かいルールや注意点の説明、誘導の案内をしていく。
学生たちがまず挑戦するのは、第一の部屋で令嬢の暗号を解くことだ。
そこから先は、その暗号の答えがゲームに挑む『主人公』である彼らの行動を導いてくれる。
趣旨と遊び方を理解した学生たちの表情は、これから始まる物語への好奇心と期待に満ちていた。
全ての説明を終えたロージーは、手提げランプをピンと掲げ、高らかな宣言を実験棟に響かせた。
「それでは、『ルー博士と忘れられた実験棟』、調査開始です!」
いよいよ始まったゲームに、隠れて見ていたわたくしの胸はバクバクと高鳴っていた。
実際に頭を使って暗号やパズルを解き、その答えが次に取るべき行動を示す。
足を使って会場を移動し、手を使って道具を調べ、解いていく仕掛け。
参加者が行動することで謎の答えが明かされ、二転三転しながら進んでいく物語。
そう、あの日わたくしが『ルー博士』一世一代のゲームとして提案したのは、暗号パズルゲームとお芝居を融合させた新たなかたちのゲーム。
前世の言葉で言うところの、謎解き脱出ゲームである。
ルー博士のガビガビマスクは、紙コップやお菓子容器の底をくり抜いた筒の片側に、アルミホイルを被せて軽く張れば簡単に作れます。
みんなも作って遊んでみよう!




