40 世界の片隅からの脱出
たくさん必要だった暗号は、あの売れなかった『ルー博士の暗号手帳』を活用している。
暗号を解くだけでは味気ないので、それにみんなで考えた物語を絡めて、プレイヤーの目的意識と没入感を高めることに成功した。
最初はホラー調だけれど、ゲームを進めていくと切ない悲恋の物語が浮かび上がるようになっている。
冒頭、情けない役割での登場となったルー博士も、実はいろいろ考えていたということが後から判明し、最終的に「ルー博士かっこいい!」という感想に落ち着く名誉挽回機能も搭載済みだ。
まあ、脱出ゲームはネタバレ厳禁がお約束なので、内容についてはこの辺で。
口の堅い公爵家の家臣たちに何度か試遊してもらったけれど、評判は上々どころか大好評だった。
とても斬新な遊びとして受け入れてもらえたようだ。
前世の世界で『私』が遊んだ大手業者の公演に比べれば劣るけれど、この世界に存在しなかった大掛かりな知的遊戯。
謎解きの達成感と、物語に没入する面白ささえわかってもらえれば、社交界でも大きな話題になるだろう。
もちろん前世の世界の真似だけではつまらないので、魔法を使った謎解きや演出も随所に取り入れている。
参加する学生たちは、戦い以外の目的で魔法を使う体験を新鮮に思ってくれるだろうか。
特にルーデンス殿下の影魔法は要所要所で大活躍。そのために会場をすべて薄暗くしているほどだ。神出鬼没のルー博士に驚くがいい。
影潜りで発する殿下の魔力の気配も味を出している。
演出用に頑張って抑えているけれど、単純に魔力量が多いのでだいぶ威圧感を感じるし、寒々しい古井戸の底のような、ぞくっとする感覚を覚えるので、ミステリアスな物語の雰囲気作りにうってつけだった。
わたくしはじめ令嬢組は顔が割れているので、学生たちの目に触れるところには出て行かないけれど、念のために仮面をつけて、各所に作った隠れ場所や隠し通路でそれぞれ忙しく仕事をしている。
ちなみに、謎の令嬢役で声の出演をしているのは、なんとプリステラ嬢だ。
演技もうまいし、声色を作るとまるで別人で、誰も彼女の声だと気が付かない。さすがマールー部のエースですわ。あまり関係ないけれど。
舞台裏でバタバタしている内に、なんとか初回の公演が終了した。
細々したトラブルはあったけれど、激甘採点で及第点をもらってもいいくらいは頑張ったと思う。
はてさて、気になる学生たちの反応は……。
「悔しい! 最後の謎に見事にひっかけられた!」
「まさかあれがああなるなんて普通気付かないよ……解けてたチームがあったのも驚いた」
「賞品が出るわけでもないのに、こんなに必死に遊んだのは初めてだ」
「わたくしも、いつの間にか令嬢を救いたい気持ちで頭がいっぱいでしたわ。ただの物語なのに……」
「まさに『主人公になる』体験でしたわね。これは実際に遊ばないと味わえない感覚ですわ」
「参加できて本当に良かった。とんでもないゲームを考えたな、ルー博士」
そうでしょう、そうでしょう。
「あのルー博士は本当にご本人なんでしょうか? ひょうきんなようで謎めいていて……」
「本物であってほしいな。まさに想像していた通りの人物だったじゃないか」
「私、目元だけですが近くで拝見して分かりましたわ。あのお方は相当な美形に違いないですわ!」
「相変わらず美形のおじ様がお好きですねー」
「あら、意外とお若そうでしたわよ。ちょっと対象外かしらね」
なんだか一人勘の良いご令嬢がいる気がするけれど、ゲームの満足度、ルー博士の登場、共に評価はなかなかのようだ。わたくしたちはひとまずホッと胸をなでおろした。
さぁ、この調子でどんどんいきますわよ!
初日の公演を終える頃には、役者組も裏方組もだいぶ慣れてきた。
お客様の反応も良かったので、残り二日間の公演回数も少しだけ増やすことにした。
今晩中に学生寮でうわさが広がったところに招待状を追加発行すれば、保護者貴族の参加者も増やせるだろう。
わたくしの家族も二日目の公演に招待してある。社交界に評判を立てるなら、明日からが本当の勝負だ。
初日の反省会と翌日の準備を終えるとすっかり遅い時間になっていたので、今日はこのまま現場で解散だ。
戸締りをコドラリス先生にお願いして、わたくしたちは帰路に着いた。
実験棟が視界に収まる距離まで離れたあたりで、ルーデンス殿下が後ろでふと立ち止まり、来た道を振り返った。
黒々とした林を背負い、静かに佇む小さな実験棟。頭上には、満点の星が春の夜空で柔らかく輝いている。
「ルディ様?」
わたくしも振り返り、そっと声を掛ける。
あの引っ込み思案の殿下が、一日じゅう人前で演技をし続けていたのだ。今日は相当疲れているに違いない。
けれど、こちらを向いた殿下の表情はまだ活力に満ちていた。瞳は手にしているランプの灯りを反射して、星空のように輝いている。
「……なんだか、凄いところまで来ちゃったな、と思って」
小さく笑ってそう言うけれど、わたくしもちょっと疲れてぼんやりとしていたので、言葉の意味がすぐに掴めなかった。
すごいところ……確かに実験棟は奥まったところにあるけれど、学園の敷地内には変わりない。
「あの小さな資料室から、こんなところまで」
そう続けて、殿下は感慨深そうに再び実験棟を眺めた。
まるで途方もない大冒険でもしてきたかのような言いぐさだ。すぐそこなのに。
「あの程度、大したことありませんわ」
「え?」
きょとんとした目がこちらを向く。
「ルディ様は、こんな小さな学園で満足していていいお方ではありませんわ。この国は、いいえ、世界は広いんですのよ。ルディ様がもっとすごいところへ行きたいとおっしゃるなら、わたくしもどこまでだってお供いたしますわ」
「……簡単に言うね」
「簡単なことですもの」
胸を張ってそう言うと、殿下はしばらく黙り込んだ後。
また、あの、溶けるような笑顔を向けてくださった。
思いがけない不意打ちに高鳴った胸を誤魔化すように顔を逸らし、わたくしはお決まりになりつつある照れ隠し文句を続けた。
「親友ならば、当然ですわ」
「そう……だね。僕は君みたいな親友を持てて、きっと世界一幸せだよ」
言いながら再び歩き始めた殿下。
追い越しざま、持ち上げた手でわたくしの肩のあたりにそっと触れた。
ロージーとじゃれあって肩を叩く時のように親しげで、それよりもずっと優しく。
ほんの一瞬の、けれど慣れない接触に内心驚いているうちに、数歩先に進んだルーデンス殿下が明るい表情で振り向いた。
「今日はとっても楽しかった! 明日からもみんなで頑張ろう、カレッタ」
「ええ、もちろんですわ。『ルー博士』の力、みなさまに思い知らせて差し上げましょう!」
わたくしもちょっと気取ってそう答えて、殿下の後を歩き出した。
小さな手提げランプが照らすだけの、薄暗い夜道でよかった。
さすがにこの暗さでは、親友と言い張る令嬢の、頬の赤みはわからないはずなので。




