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本のなる木〜禁断の果実? いいえ、禁断の書です〜  作者: 高橋 雨
第三章 禁断の花園は薔薇の森
23/24

四日ぶりの更新です、、、

忘れられていないか不安で仕方ありませんでした、、、

 詩名が、()()()()()()



 四時間目、理科の授業。

 四階の理科室からは、教室や三時間目の音楽の授業を行なった音楽室からは見えなかった、裏山の穏やかな春の景色が見渡せた。

 天気は快晴で、雲ひとつない。そのせいか、青い空に緑の大地があるように見えたし、緑の大地に青い空が重なっているようにも見えた。遠くで何度も鳥が数羽飛びたって、木を揺らした。春の陽気は、いたるとこに隙間なく広がっていた。

 多分ほとんどの人間がこの光景をみたら、平和だなと呟いてしまうだろう。

 それぐらい平和的な光景が、教室の()にはあった。


 俺は、人体模型の隣で、女子中学生たちが授業を受ける様子を眺めていた。

 横のガラス張りの棚には、ビーカーやフラスコなど様々な実験器具がある。

 そういうのを見ると、改めて自分が今学校にいるんだなという気にさせられる。


 挙手をして発言するハキハキとした生徒の声。テストに出る部分をやたらと強調する教師の声。


 はぁ。

 なんで死のうとしていた俺がのんきに中学生の授業なんか見てんだ?

 またこんな生活がずっと続くのか?


 怒りも絶望も通り越して、失笑が腹の底から込み上げてくる。


 ーーはずだった。


 俺の視線は、先程からある一点のみを見つめている。まるで固定されているように。

 そこで起こっていること以外はなにも考えられず、その行方をただ追っている。

 その平和的とはかけ離れた光景の行方を。


 その視線の先には、詩名と狐がいる。


 理科室は教室と違って、二対二で向き合うようにして四人で一つの机に座る構造だ。

 その一番後ろの机には、詩名と狐が隣り合わせで座っていた。

 この並びで何かが起きないわけがないと思ってはいた。

 思ってはいたが、まさかここまでのことがあるとは思ってもみなかった。



   机の上にはアルコールランプがある。



 アルコールランプを使った実験が今回の授業のテーマだった。

 各机に一つずつ配られ、実験の説明を教師がしている間、傍に置いておく。


 狐の手がそれに伸びるのは早かった。

 その形を確かめるように真顔で手の中で少しの間転がすと、その手をピタリと止め、笑った。


 教師が合図を出すと、それぞれの机で次々にアルコールランプに火が灯った。もちろん、実験に使用するためだ。

 さすが女子校。男子と違って余計なことをしたり騒いだりもなく、円滑に授業は進んでいく。

 一人を除いて。


「ねぇ、ナシ」


 狐が言った。

 詩名と狐のグループは、他のグループに比べ首尾よく進み早く終わった。しかし、狐は実験が終わったにもかかわらず火を消していない。常にアルコールランプの主導権は狐にあった。


 実験中の協力的な姿勢は嵐の前の静けさだった。いや、その静けさは、三時間目の音楽の時間から続いていたのかもしれない。


 それでさえオドオドしていた詩名は、狐に呼ばれて大きく肩を震わせた。

「……?」

「髪ってさ、燃えたら本当にチリチリになんのかな?」

「え? ーー痛っ」

 それはあまりに突然だった。

 詩名がその言葉の意味を理解するよりも早く、狐が、詩名の後ろに結んだ髪を掴んだ。詩名の頭が傾く。

「まあ、何事も実験してみなきゃ分かんないよね」

 そう言って、狐が詩名の髪を引っ張った先には――。

「痛い……痛いよ」

 詩名の顔が歪む。


 詩名の視線の先が、アルコールランプのそのゆらめく炎を捉えた。


 目が、キュッと大きくなる。

「やめてっ、なにするの……」

 恐怖に怯える詩名をよそに、「いいからいいから」と気色悪い笑顔を浮かべその手をやめない狐。決まり悪そうに目をそらす目の前の二人。


「おいおい、そこまでやるか……」

 前のめりになって、俺はそれを見る。


 アルコールランプと毛先の距離がだんだんと近くなる。


「痛い……やめて……やめて」

「おいっ。でかい声出すなよ」

 狐が小声で詩名を咎める。


 周りは実験中、ザワザワとしていて誰も気づかない。いや、もし気づいたとしても何もしないだろうが。


 俺には関係ない、俺には関係ない……

 くそ……。


 気がつけば二人の目の前に立っていた。来たって何もできないのに。

「おい、こら狐。いくらなんでもそれはやりすぎだろ」

 俺は狐からアルコールランプを取り上げる。

 スカッ

「チッ。おいっ、お前ら。俺はこの身体じゃ何もできないんだ。なんとかしろよ」

 目の前の二人の生徒に話しかける。話しかけるというよりは訴えかける。だが、こちらをわざと見ようとしない二人には届かない。


 艶のある黒髪の先端が、青白い炎へと近づいていく。

 やがてーー


 ジュッ


 わずかに煙が出た。


「キャハハ、やっば。髪焦げてんだけど」

 笑いをこらえながら言う狐の声が、ジュッという音の余韻をかき消した。


 焦げ臭い匂いが机付近に流れているのを感じた。

「ひでぇな、これは……」

 ムカムカしたものが俺の中からせり上がってくる感覚があった。ない拳に力が入る。

 中学生を、それも女子を殴りたくなったのは生まれて初めてだ。


 詩名が自分の焦げた髪の毛先を見て、大きな目をこれ以上ないくらい見開いた。

「ひどい……ひどいよ……」

 そして、その大きな目から小さな粒の涙を落とした。


 それでも狐はその手を止めようとしない。決して詩名の髪を掴んで離さない。必死に抵抗する詩名だが、ジュッ、ジュッ、ジュッという、目を、いや、耳を背けたくなる音がなるばかり。


 ひどすぎる。残酷すぎやしないか?

 最近の中学生は平気でこんなことをするのか? しかも女の子が。男子よりもよっぽど悪質だ。

 子供ながらの無邪気さと大人の邪悪さ。この二つのバランスを取るのが一番難しい年頃なのかもしれないが、それにしたって、狐はそのバランスの微妙な調整があまりにもできていない。

 そして、周りの奴らはその崩れたバランスを指摘する勇気がない。

 だから俺が止めるしかない、のだが。

「やめろって……」

 スカッ、スカッ、スカッ……

「あぁ、イライラすんなこの身体っ。なんで透明なんだよっ。あっーー」

 そこで俺は思い出した。

 透明化を解除することができる石とやらがあったんじゃないか。こういう時に使うべきだろ。

 それなのに……。

「あのクソ化物女っ」

 行き場のない怒りを拳にのせ机にぶつける。スカッ。

 あるならちゃんと用意しろってんだ。あんなやつ、閻魔様にでもなんでもいいから殺されちまえ。


「くっせー。チリチリだしキモー。キャハハ」

 胸糞悪い声が耳をねぶる。


 周囲も、だんだんとその机で行われていることに気づく。けれど見ないふりをする。狐と一緒にいた取り巻きが移動してきて、「ウケンだけど」と笑う。

 教師はこちらを見ていない。実験のざわめきに乗じて、うまく詩名と狐の机から気をそらしているのが分かる。


 あんまりだろ。これはおかしすぎるぞ。

 どいつもこいつも、詩名なんて最初からいないみたいな顔してやがる。


 誰にも見えていない――この子は、詩名は、本当に透明人間(ひとり)だ。


 誰か、誰か――。


 そうだ。あの子がいたじゃないか。

 俺は理科室を見渡した。教室とは席の配置が違うが、あの子は確か前の方に。

 石井さんはーーしかし、食い入るように自分のアルコールランプを見ている。他のことなど眼中にない。自分の実験に夢中といった様子だ。

 変人はあくまで変人で、詩名の友人ではないのだ。


「やめて……やめてよ……」

 あんなにまとまっていた詩名の毛先は、使い込まれた歯ブラシのようになってしまっていた。


 この子が焼かれているのをこのまま黙って見ていろってか。そんなのもう我慢できない。

 そう俺が思った時だった。


「やめてっ」


 詩名の声と同時に、狐が椅子から落ちて尻餅をついた。椅子も倒れる。アルコールランプも、床に音を立てて落ちる。


 詩名が狐を押し倒したのだ。


 理科室がピタリと時間が止まったかのように静かになった。

 どうしましたか、とさすがに教師も近寄ってくる。


 何が起きたか分からないという様子でいた狐は、自分が股を全開にして地べたに転がっているということを認識したようで、怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤にした。


「はぁ? あんた私に何してんのっ!?」


 勢いよく立ち上がった狐だったが、座ったまま動かない詩名を見てその口をつぐんだ。

 詩名の様子がおかしい。胸の前で手を抑えて俯いている。


「火傷してるじゃないかっ」

 二人の机に来た教師が言った。

 よく見ると、確かに詩名が抑えている右手は赤くなっている。おそらく、さっき狐を突き飛ばした拍子にアルコールランプが手に当たってしまったのだ。


 場は一時騒然となったが、詩名は応急処置をした後に、保健委員と一緒に保健室に行くことになった。すなわち俺も保健室へ向かった。



 詩名が泣いているのを、教師も含めみんな見た。授業を一時中断するほどの騒ぎになった。

 だが、最後まで誰も狐がしていたことを口に出すことはなかった。



 石井さんは、そんな騒ぎどこ吹く風。

 自分のアルコールランプの火を、最後まで狂ったように見ていた。

暗い話が続くかもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。

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