第38話:仕事はじめ
学園の清掃の仕事に就いてから、数日が経つ。
オレは順調に仕事をこなしていた。
「事務局長、仕事が終わった。確認を頼む」
今日の分の仕事が終わったので、上司の事務局長に報告にいく。
報告・連絡・相談の重要性は傭兵団で学んでいた。
ちなみに学園は成果主義の職場なので、上司への敬語は不要とされている。
「はい、確認しました。今日の仕事は、これで完了です。それにしても、オードルさん、本当に仕事が手早いですね⁉」
今はまだ午前中が始まったばかり。だがオレは一日の全ての仕事を、手早く終えていた。
そのことに事務局長は驚いているのだ。
「そうか? オレは丁寧にしているつもりだが?」
オレは与えられた仕事に関しては、完璧にこなす信条である。
今日の仕事の掃除と修復に関しても、手を抜いた場所はない。
「それは私も分かります。オードルさんの仕事は早くて丁寧なので、事務局長である私も助かっています」
なるほど、そういうことか。仕事の早さを驚いていたのか。
本来な夕方まで終わる清掃員の仕事。それをあっとう間に終わらせている。
だから事務局長も驚いていたのであろう。
「では、後は自由にして大丈夫ですよ、オードルさん」
この学園は成果主義。
与えられた仕事が済んだから、帰宅していいのだ。
「ああ、了解した。敷地内の危険個所を見回りしてから、帰宅する」
急いで帰宅しても、特にやることはない。
家では女騎士エリザベスと聖女リリィ、白魔狼フェンもいる。
掃除洗濯など家事は、彼女たちに任せておいて大丈夫であろう。
だからオレは事務部屋を後にして、学園の中を見回りにいくにした。
「さて、マリアは今日も元気に勉強しているかな?」
まず先に向かったのはマリアの教室の外側。
気配を完全に消して、外から中の様子を覗き込む。
「では、次の問題が分かる人?」
教室の中では教師が、授業をしていた。
今は算数の授業中。
計算問題を生徒たちに質問している。
「はい、先生!」
「では、マリアさん、どうぞ」
真っ先に手を上げたのはマリアであった。
制服から白い腕を、元気に伸ばしている。
「答えは26です!」
「はい、正解です。よく解けましたね。皆さん、マリアさんに拍手を」
「「「すごい、マリアちゃん!」」」
かなり難しい問題だったのであろう。
クラスメイトは歓声を上げながら、大きな拍手をしていた。
「エヘヘヘ……みんな、ありがとう。マリア、うれしい!」
照れながらもマリアは嬉しそうだった。
満面の笑みで声援に応えている。
(よかった。今日もマリアは元気そうだな……)
そんな教室内の光景を見ながら、オレは安堵の息をはく。
最年少の5歳での新入生で、授業についていけるか心配だった。
今のところレベルの高い学園の授業にも、マリアはちゃんと付いていっている。
それどころか学年の中でもマリアのトップだという噂もある。
親としてこれは嬉しいことはない。
(やはり学園に入学させてよかったな……)
学園生活も順調にいっているので、ひと安心である。
それにしてもマリアの授業を受けている姿は、本当に見ていて飽きない。
◇
……そんな感じでズッと見ていたら、いつの間にか午前の授業も終わっていた。
「ちょっと、マリアさん、少し、よろしいですか?」
午前の授業が終わった、そんな時である。
2人のクラスメイトが、マリアに声をかけてくる。
「クラウディア様がマリアさんにお話があるのよ」
「だから昼休み時間、礼拝堂の裏に、ちょっと来てちょうだい」
(あの2人は……)
マリアに声をかけてきたのは、伯爵令嬢の取り巻きの2人だった。
入学の儀以降は今日まで大人しくしていた。だがついに行動をしかけてきたのだ。
「えっ、クラウディアちゃんが、マリアにお話が? うん、わかった!」
当人のマリアは何事か気が付いていない。
嬉しそうに呼び出しを了承していた。
おそらくは相手に敵意があることに、気が付いてないのであろう。
(これはマズイことになりそうだな……)
マリアは純粋で人を疑うことを知らない。
村でもいつも友だちのために頑張っていた。
だからクラウディア組の悪い意図に、気が付いていないのだ。
(ひと気のない礼拝堂の裏に呼び出しか……)
普段の礼拝堂の裏は、ひと気のないスポットである。
待ち伏せや奇襲には最適の地形だ。
そんな所にマリアが呼び出しをくらう。
間違いなく相手の狡猾な罠であろう。
(だが……ここは見守るしかないか……)
親は木の上に立って、子どもの成長を見守るもの……東方出身の傭兵仲間から、そんなことわざを教わったことがある。
だからオレも基本的には、マリアの学園内での問題には介入しない。
(だが心配だな……)
心配しすぎて、そんな自分の信条も崩れてしまいそうになる。
とにかく礼拝堂裏に移動して、状況を見守ることにした。
◇
マリアたちの先回りして、オレは礼拝堂の裏の木の上に隠れる。
ここなら誰にも見つからずに、状況を確認できるであろう。
「クラウディアちゃん、おまたせ! お話ってなにかな?」
昼休み時間になる。
呼び出しをされたマリアは、トコトコと礼拝堂裏にやってきた。
警戒した様子はゼロで、無防備な状態だ。
「遅いわよ、マリアさん!」
「そうよ! 伯爵令嬢のクラウディア様を待たせるなんて、無礼千万よ!」
マリアは時間通りにやってきた。
だが取り巻きの二人が、いきなり吠える。
無言のクラウディアを中心にして、先制口撃をしけてきた。
「またせて、ごめんなさい、クラウディアちゃん! リリィお姉ちゃんの作ってくれた、お弁当がおいしくて、時間がかかっちゃったの。エヘヘヘ……」
そんな口撃に対して、マリアは笑顔で答える。
まだ言葉は幼いが、ちゃんとしっかり応えていた。
その頑張りように、隠れて見ていたオレも、思わず感動してしまう。
「そんなこと聞いていませんわ、マリアさん!」
取り巻きは真っ赤にして、怒っている。
平常心のマリアに対して、イラついているのであろう。
「あっ、“リリィお姉ちゃん”とは、マリアのお姉ちゃんで、料理がとっても上手なんだよ!」
だがマリアは笑顔で答えていた。
マイペースだが、純粋なマリアならでは対応であろう。
相手の口撃をまったく苦にしていない。
「ところで、クラウディアちゃん。お話って、なにかな?」
そしてマリアも動き出す。
先ほどから無言のクラウディアに、マリアは笑顔で近づいていく。
好奇心の塊のように、満面の笑顔で近寄っていた。
「ち、近いわ、マリアさん! もう少し離れてくださる」
そんな迫ってきたマリアに対して、ようやくクラウディアが口を開く。
狼狽しながらも、キツイ口調を放っていた。
さて。どんな言いがかりを、マリアに言ってくるのであろうか?
マリアは学園でも行儀正しくしている。オレの目から見ても非はない。
「話というのは、マリアさんの学園での態度のことですわ!」
「えっ? マリアの?」
「そうよ! 入学の儀で忠告したにも関わらず、あなたは生意気な態度をとりすぎですわ! 先ほどの授業でも、先生に取り入ろうとして、手を上げて生意気ですわ!」
なるほど、そうきたか。
とにかくこの伯爵令嬢は、マリアのことが気に食わないのであろう。
最年少の年下のクセに、学年トップの成績。
先生や他のクラスメイトにもマリアは人気がある。
そんなマリアのことを、目の上のタンコブだと見ていたのだ。
「なまいき……?」
「マリアさん、あなた“生意気”の意味も分からないの⁉」
「エヘヘヘ……ごめんなさい」
「生意気というのは『自分の年齢や身分を考えず、出すぎた言動をすること』よ、マリアさん!」
「なるほど! クラウディアちゃん、すごい! ものしりだね!」
「このくらいの知識は伯爵令嬢として、当たり前ですわ! ……って、そうじゃなくて!」
クラウディアの連続の口撃は、まったくマリアに通じていなかった。
純粋なマリアは、逆に嬉しそうにしている。
「ねえ、クラウディアちゃん。もっと教えてちょうだい。マリアとお友だちになって、たくさんお話しようね!」
マリアはドンドンと近づいていく。
自分の知らない知識をもつ、クラウディアを尊敬の眼差しで見ている。
本当に真っ直ぐな瞳で、近づいていく。
「あ、あなた平民の子のクセに、クラウディア様に近づくのではないわ!」
その時である。
取り巻きの堪忍袋の緒が、ついに切れる。
近寄るマリアに激怒して、手を振りかぶってきた。
掌底攻撃……ビンタしかけようよとしていたのだ。
(こえはマズイ⁉ 止めるか⁉)
木の上で隠れて見ていたオレは、思わず動きそうになる。
取り巻きのビンタの動きは、オレにはスローモーションに見える。
今から降りて止めることも出来るであろう。
(くっ……だが我慢だ……)
断腸の思い出で、介入を断念する。
何故なら親は子を見守ること。
マリアのことを信じることも大事な責任なのだ。
(くっ……マリア、怪我をしないでくれ……)
スローモーションで見えているビンタが、マリアのホッペにぶつかろうとしていた。
このままでは小さなマリアのほおが、赤くはれてしまうであろう。
(ん⁉ あれは?)
その時である。
驚いたことが起きた。
マリアがビンタを、ヒョイと回避したのだ。
「えっ? えっ?」
必殺のビンタ攻撃。
それを回避されて、取り巻きは驚いていた。
逆にビンタを空振りした反動で、取り巻きはズデン!と転んでしまう。
「ん? どうしたの? もしかして、今の遊びだったの? “戦いごっこ”かな? マリアのいた村でも“戦いごっこ”あったよ! 楽しいよね! もっと、遊ぼうよ!」
一方で回避したマリアは自覚がなかった。
むしろ嬉しそうに笑っている。
今のビンタ攻撃を、戦いゴッコと勘違いしていたのだ。
「うるさいね! 生意気なのよ、マリアさん!」
今度は残った、もう一人の取り巻きが動き出す。
次なるビンタを繰り出す。
だが、そのビンタもマリアにヒョイと回避されてしまう。
「このっ!」
「このっ!」
「このっ!」
転んでいた一人が立ち上がり、ビンタ攻撃に加勢にする。
二人がかりでマリアに何発も、全力ビンタを繰り出していく。
「あっははっ……楽しい遊びだね! おもしろいね!」
だがマリアは回避していく。
全ての攻撃を寸前で見切っていた。
それどころか本当に嬉しそうに、ビンタをかわしていた。
「はぁ……はぁ……」
「はぁ……はぁ……」
ついに取り巻きたちの息が切れてしまう。
全力攻撃の空振りは、見た目以上に体力を消費するもの。
二人ともその場に倒れこんでしまう。
「大丈夫ですか、あなたたち⁉」
「クラウディア様……」
「覚えていなさい、マリアさん! この仇は、かならずとりますから!」
仲間を起こして、クラウディアたちは立ち去る。
負け惜しみのことばを吐きながら、逃げ去っていく。
まるで寸劇の悪役のようなワンシーンである。
「また、遊ぼうね、クラウディアちゃん、それに二人も!」
一方でマリアは笑顔であった。
何事もなかったかのように、スキップで教室に戻っていく。
(ふう……よかった……)
オレはそんな光景をハラハラして見守っていた。
口から心の臓が飛び出るくらいに、未だにドキドキしている。
これほど胸が苦しいのは、数万の大軍に包囲された時以来だ。
(それにしても、マリアのやつ……)
深呼吸して冷静に思い返す。
先ほどのマリアの動きを。
(もしかしたらマリアは、運動神経もいいのか?)
取り巻き二人のビンタ連打を、マリアはすべて回避していた。
しかも余裕をもって、全て目で追って楽々とかわしていたのだ。
凄まじい動体視力である。
(もしかしたら、オレに似てしまったのか?)
オレも幼い時から身体能力は高かった。
集中すれば大人たちの剣の動きも、スローモーションで見えていた。
その時と同じようなマリアの動きだったのだ。
(そういえば村でもマリアは一番、運動神経がよかったな……)
村の遊具広場でマリアはいつも元気に遊んでいた。
他の子どもが出来ない高い所にも、マリアは楽々と登っていた。
そう考えると、街の子に比べても運動神経がいいのであろう。
(嬉しいような、悲しいような……複雑な気分だな……)
女の子なので、オレのようにたくましくなって欲しくはない。
だが子どもの世界では、時には力勝負も大事である。
(これで、あの三人も少しは懲りるであろう……)
とにかく今回のような騒ぎがあった時でも、マリアなら少しは大丈夫であろう。
回避に専念していれば、怪我をする心配もなさそうだ。
「学園生活を見守る……か。なかなか大変そうだな」
木の上でため息をつく。
何もせずに見守っているというのは、想像以上に疲れた。
「まあ、なんとかなるであろう」
こうしてオレの学園での仕事は、ドタバタしながらスタートするのであった。




