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山道にまで戻ったジグリットは、グイサラーへ向かうか、拠点としているもう少し下腹に向かうか悩んだ結果、街へと手綱を引いた。そこまで行けばグーヴァーがいるだろうし、何よりもこの話は総指揮官である彼にすべきだった。拠点で呑気に隊列の確認をしている兵士に話しても仕方がない。
グイサラーへ向かう途中、幾人かの兵士とすれ違った。彼らは外衣の色だけで、ジューヌだと思ったのか、馬を止め、一礼した。ジグリットは笑い返したりはしなかった。ジューヌならどうするか、彼が考えているのはそれだけだった。隘路で作業をしている兵士は皆、ジグリットが崖下へ降りる前に立てていた作戦に従事していた。しかし、今はもうその意味はあまりないとジグリットは思っていた。もっと簡単でより迅速に敵を追い返す策を考え付いていた。
ジグリットは兵士に声をかけ、止めさせることもできたが、そうはしなかった。両方同時に行わせようとしていたのだ。
グイサラーの街は夕闇に赤く染まっていた。街を取り囲む壁の上にウァッリスの兵士達が弓を構えて伏せているのが見えた。崖下にはなかった雪が、岩のそこかしこに積もっている。草の上では雪は万年雪にはならないのだ。もとい、万年雪がある場所に草が生えないとも言えた。
ジグリットは瓦解した門の前で、三十人ほどの兵士や騎士が岩陰から弓を放っているのを見ながら、そこより手前で別の騎士と話をしていたグーヴァーを捕まえた。グーヴァーは彼を見るなり、「ジグリット、どうしてここにいるんだ」と不思議そうな顔をした。
「騎士長、話があるんだけど」なるべくジューヌに似せて彼は言った。
声を発した少年をグーヴァーはジューヌと認識した。「・・・・・・ジューヌ様? ええ、それはよろしいですが」グーヴァーがきょろきょろと辺りを見回す。ジグリットを捜しているのだ。
ジグリットはグーヴァーを誰もいない背丈ほどもある岩の陰に連れて行き、馬の鞍から外した包みを彼に手渡した。
「これは何です?」グーヴァーがそれを開く。薄墨色の外衣の内側は血でどす黒く変色していた。「こ、これは・・・・・・」グーヴァーは言葉を失い、ジューヌの生首を見据えた。ジグリットはそれが本物の王子だと露見しないかと、ごくりと喉を鳴らした。
「なぜこんな、ジューヌ様、何があったのです!」グーヴァーはジューヌの肩を痛いほど掴んだ。「この街から生きた敵兵は一人も出していません。それはわたくしめが保証致します。なぜこんな・・・・・・」
驚愕しているグーヴァーは、ジグリットの想像をはるかに上回っていた。ジグリットは冷静を装いながら、首を見つめるグーヴァーに言った。「ぼくが敵に会ったのは、この山道沿いではないんだよ、騎士長」
「・・・・・・と申されますと?」
「ぼく、ここへ向かう途中、馬のせいで崖下に落ちたんだ。それでなんとか木と川のおかげで助かったんだけど、迎えに来てくれたジグリットといるときに、ウァッリスの傭兵四人と出くわして、それで・・・・・・」ジグリットは思い出すのが苦しいといった風に息を詰めた。グーヴァーは信じたのか、元々いかつい顔をさらに引き締めた。
「ジグリットは王子を守ったのですね? 彼は勇敢でしたか?」彼は静かに問うた。
グーヴァーはジューヌを助けるため、ジグリットは戦って死んだと思っているようだ。
「・・・・・・うん」頷きながら、心の中でジグリットはグーヴァーに謝った。
「そうか、ならいいんです」グーヴァーは広げていた外衣にまた首を包んだ。彼はジグリットに背を向け呟いた。「良い作戦だと褒めてやりたかったんだがな」
一瞬、グーヴァーが泣いているのかとジグリットは思った。そして、不謹慎ながらもその事を自分が喜んでいるのを感じ戸惑った。死んだのは自分ではない。まだジグリットという人間は生きている。だが、これから先ジューヌを装うのなら、それはジグリットの死を意味するのだ。今さらながら、そんな事に気が付いた。そして、死んだのは自分だとジグリットは知った。ジューヌではなく、死者として扱われるのは紛れもないジグリットであり、それは彼に激しい虚無感を与えた。自分が消えていくような、恐ろしい感覚だった。




