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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
影の王子
47/287

 グイサラーの街では死闘が繰り広げられていた。グーヴァーはグイサラーの西門を破壊し、できるだけ大勢のタザリアの兵が入り込めるよう、門の入口で戦っていた。彼は馬に騎乗したまま、腕の二倍はある長さの(ランス)を軽々と振り回していた。周りでは血飛沫(ちしぶき)が舞い、飛び交う(いしゆみ)の矢で悲鳴や(うめ)き声がひっきりなしに辺りを埋めていた。

 街中は悲惨(ひさん)な状況だった。すべての民家は焼き払われ、()げ付いた黒い屋根が道に散らばり、その上に幾つもの屍骸(しがい)が折り重なっていた。それはほとんどがタザリアの兵士だった。ウァッリスの兵は東門と(わず)かに残った石積みの建物の屋上から、弓を連射していた。そして圧倒的な数で、タザリアの兵を殺していた。彼らは五人で一人の兵を殺すほど有り余っていた。

「騎士長、これじゃきりがありませんよ」

 グーヴァーと同じく炎帝騎士団の騎士、サグニダは血で染まった剣を敵の頭部に叩き込みながら叫んだ。

 グーヴァーにもそれは真実だった。彼の槍は一度に二人を刺し貫くこともあったが、それでも敵は減っているようには思えなかったからだ。

「一時、街の外へ退却しましょう」サグニダがそう言ってグーヴァーを見ると、彼は目前(もくぜん)の敵兵の顔面を穂先(ほさき)で突き刺し、続け様に背後を狙ってきた敵の胸を振り向きもせず、穂先ではなく(つか)の方で突き飛ばしていた。

「お見事」と思わず言ってしまったサグニダに、グーヴァーは冷静な眸を向けた。

「おまえの言う通りだ、このままでは無駄死(むだじ)にになる」

 サグニダのだらりと垂れた左腕が、もう彼の腕が一生使い物にならないことを示していた。

 グーヴァーはタザリアの兵が疲弊(ひへい)し、次々と殺されていくのを歯がゆい思いで耐えてきた。しかしもう、これ以上の犠牲は敵兵をぶち殺しても許せそうになかった。

「全員、歩ける者は街の外へ出ろ!」

 グーヴァーの声に幾人かが返答したが、それは街へ突入したときの半数にも満たなかった。

 飛び散った血がグーヴァーの真紅の外衣(マント)を汚していた。それはすべて彼に向かってきた敵兵の血だった。



 ジグリットとジューヌ、それに二人の兵士は、できる限りの速度で足場の悪い道を駆け登っていた。やがてグイサラーの西門が、まだ大分上空にだったが見えてくると、それが完全に破城槌(はじょうつち)によって破壊されているのが彼らにも見えた。

 激しい戦闘の声と鉄の擦れ合う音や、何かが瓦解(がかい)する音響(おんきょう)にグイサラーの街は震え上がっていた。元は門の一部だった玄武岩(げんぶがん)がごろごろ転がっている門前で、初めて敵兵の姿が見えたとき、ジューヌの馬が(おび)えたように(いなな)いた。彼の馬は騎手とそっくりで臆病だった。兵士二人に先に行くようジグリットは(うなが)した。そして遅れていたジューヌの許に戻って、彼の馬を(なだ)めた。

 しかし、怯えていたのはジューヌもだった。「ジグリット、し、死体が・・・・・・」確かにそこは思っていた以上に酷い有様(ありさま)だった。すでに(とうげ)のこちら側にまで、戦闘の悲惨な情景が展開されていたのだ。街の入口では百人ほどのタザリア兵が、敵と激しい攻防を繰り広げていた。その(そば)で、回収されずに打ち捨てられたタザリアやウァッリスの兵士の屍体(したい)が、雪と瓦礫(がれき)の山道沿いに転がっていた。それは見るに耐えない状態のものばかりだった。後頭部が陥没(かんぼつ)したもの、顔の皮膚(ひふ)()げ落ちているもの、()くれた肉の下には血のついた白い骨が折れて突き出ていた。そして辺りは血の臭気が濃く、息をするたび誰かの血を味わうほどだった。

 ほどなくして、ジューヌは吐き気を(もよお)して、鹿毛(かげ)の馬の(たてがみ)に酸っぱい臭いの唾液(だえき)(こぼ)した。しかしジグリットは彼の馬の手綱(たづな)を握り、(あし)を運ばせた。ジューヌの背を(さす)り、彼の気力を取り戻そうとする。だが、あまり効果はなかった。

「やっぱりぼく、戻る」ジューヌは馬を来た道へと向けようとした。「ジグリットだけ行ってよ。ぼく無理だよ」

 ジグリットも困惑していた。こんな所で彼を帰すなんて、むざむざ勝てる試合を放棄(ほうき)するようなものだ。この案がうまくいけば、これ以上兵士を死なせなくてもいい上、しばらく時間が(かせ)げる。ここで彼を逃がすわけにはいかない。ジグリットがジューヌの馬の手綱を強引に横から引っ張った。

「な、何するの、ジグ。やめてよ、ぼく・・・・・・帰るんだ」

 しかしジューヌもジグリットの眸が見たことのないほど真剣であることに気付くと、恐れを感じて叫んだ。

「ヤッ、ヤダッ!! 離せ、離せよ! 父上に言い付けるぞ、いいのか!」

 ジグリットは容赦(ようしゃ)なく彼の馬を引き寄せ、自分の栗毛(くりげ)の馬の横腹を強く蹴りつけ、グイサラーの(いしゆみ)の矢が飛び交う門前に走らせた。

「やめろぉっ、いやだ、ジグ!」

 ジューヌが鹿毛の手綱をぐいぐいと引き上げる。どこにそんな力を隠していたのかと思うほど、彼の力は強かった。馬はどの方向に従えばいいのかわからず、激しく首を振りたてた。やがて、二人の馬は混乱して(もつ)れ合うように肢を踏み鳴らした。前肢を蹴り上げる。ジューヌが馬上でぽんぽんと跳ね上がるのをジグリットは見た。彼は恐怖の(あま)り両手を離してしまった。そして、馬の最後のジャンプによって、三百ヤールの崖下にジューヌはその身を(おど)らせるようにして飛び込んだ。

「・・・・・・あ、ああっ」ジグリットは眸を見開いて声を上げた。

「うわああぁぁぁぁっっ!!」

 ジグリットは茫然と彼が両手両足を広げて、もがきながら落ちて行くのを見ていた。崖下の濃い暗緑色が広がる、深い(ぶな)の森にジューヌは吸い込まれて消えた。

 頭が真っ白になっていた。しばらくして、ジグリットは頭上のまだ結構、距離のあるグイサラーの門前を見上げた。誰もここで起こったことに気付いていないようだった。彼らは生死を賭けて戦っている最中なのだ。しかし、このままジューヌを放っておくわけにもいかない。

 もう栗毛の馬も鹿毛の馬もまるで何もなかったかのように、落ち着き払っていた。ジグリットは馬上から降りると、(がけ)(ぷち)から下を覗き込んだ。彼は死んだかもしれないとジグリットは思った。驚いたことに、何の感慨(かんがい)()かなかった。だが、ジグリットは降りる道を探した。下へ降りて彼を探さなければならない。

 三百ヤールはある崖下の森へ入るためには、少し道を戻る必要があった。ジグリットは栗毛と鹿毛の二頭を連れて、千ヤールも山道を駆け戻った。そこまで行かなければ、隣りの(みね)との間に広がる峡谷(きょうこく)は彼を受け()れようとしなかったのだ。ようやく道を逸れて獣道(けものみち)にすらなっていない(やぶ)の中を、再び北上し始めた頃には、自分のしている事がどれだけ無駄なのかをジグリットは感じていた。きっとジューヌは死んでいるだろう。あれほど高い場所から落ちたのだ。それでも行かないわけにはいかなかった。

 日中だと言うのに、橅の森はどこまでも暗く(かげ)っていた。藪深い道なき道に分け入り、ジグリットは馬の足元に気をつけながらも、速歩で二頭を器用に(あやつ)り進ませた。朝早くグイサラーへ向け出発したジグリットは、それ以後時間の感覚が曖昧(あいまい)になっていた。森へ入る前には、太陽はやや傾いていたことは覚えている。しかし森の中は鳥の(さえず)り一つなく、暗く(よど)んだように静まり返っていた。ジグリットは余計に時間がわからなくなった。


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