真樹と勇者
アリーナの運営は非常に順調だった。この世界の人々はよほど娯楽と血に飢えていたのか、魔界だけでなく人間界に作られたものさえも連日満員で、中からは常に歓声が飛び交っていた。魔族としてはあくまで暴走を抑制する治療の一環としての「合法的に戦える場所」を用意出来ればそれで良く、これで金を稼ぐという意図は無かったので、これらによって手に入る収入の値は予想外であった。
「どうでしょう。いっそのこと、これで本格的に稼ぐというのは?」
「駄目よ。下手に欲の皮を突っぱねたらロクなことにならないわ。手に入った金は、基本的にアリーナの補修と医薬品の補充に充てて。それと稼ぎを増やすこともしないで、今のまま行くわよ。いいわね?」
しかし、ホープは無駄な拡大を好まなかった。彼女はこれを作った本当の目的を忘れておらず、これで金稼ぎをすることを強く戒めた。この時彼女は町の運営から離れてアリーナ全般の運営に携わっており、代わりに町の統治は姉のメナスに任せていた。元の鞘に収まった形である。
「とにかく、これで金を巻き上げるのは絶対禁止。いいわね?」
ホープは厳命した。彼女の決定を不服とし、また及び腰な彼女の姿勢に不満を持つ者もいたが、誰も彼女に異を唱える者はいなかった。ホープが勇者と全力で戦い、闘技場の一つを潰したことを知っているからだ。
「とりあえずは現状維持。無駄なことはしない。金にもこだわらない。副業がしたいならよそでやれ。天界の連中にもそう伝えておいて。いいわね」
「わかりました」
彼女の決定は全ての闘技場に行き渡った。天界で運営の始まった闘技場にもその話は伝わり、そこでホープに代わって管理を任されていた担当の天使は、その控え目な表明に驚きを隠せなかった。その天使は、魔族に対して少なからぬ偏見を持っていたのだが、彼の価値観はこれによって大きく揺れ動くこととなった。しかし大多数の天使は、ホープのこの決定を称賛と共に受け入れた。
「素晴らしい態度だ。この欲を出さない謙虚な姿勢、まことに素晴らしい」
「どうやら、魔族の中にも話の分かる者がいるようだな」
「連中はもう少しがめつい奴らかと思っていたが、実際はそうでもないのかもしれんな」
「待て待て。彼女が特別そうなのかもしれないだけで、魔族全てが謙虚になったわけでもあるまい。一部を見ただけで全体を判断するのは愚かなことだぞ」
しかし中には、ホープへの甘い評価に対して釘を刺す者もいた。魔族そのものを褒めそやす者に苦言を呈する者もいた。それでも大半は彼女を支持し、ホープの要求をよく守って節制を心掛けた。彼らは欲を戒める意志が強く、言う事を堅実に守ってくれたので、ホープにとっては人間よりもありがたい存在であった。天使は人間とは違って、陰に隠れて回収した資金の一部を横領し、私腹を肥やすような輩は一人もいなかったのである。
ホープは生まれて初めて、彼ら天使をまともに評価した。
「まさか天使に感謝する日が来るなんてね」
「実際、彼らはちゃんとルールを守ってくれますからな。人間と違って」
「あいつらにも困ったものね。、金が絡むと途端に人が変わる。厄介な連中よ」
「まったくですな。それとホープ様。これが今週の処分リストです」
「……五人か。いつまでに済ませればいいかしら?」
「出来るだけ早いうちに。後任の選定は、既にこちらで済ませておりますので」
「釘を刺すのも忘れないようにね」
「御意に」
一方でホープは、ルール違反をしたものに対する処罰を徹底的に行った。対象は主に人間であり、彼らは天使のような強い意志を持たない者、そしてホープの恐ろしさを知らない者達であった。しかし怖いもの知らずな人間達も、ホープが違反者を五十人ほど処刑した頃には、ようやく彼女に歯向かうことの恐ろしさを痛感するようになった。結果、横領や賄賂といった薄汚い犯罪行為は、アリーナの周囲ではほぼ消滅した。生きたまま皮を剥がされて殺されるというリスクを背負ってまで金をせしめようとする命知らずは、人間の中にはいなかった。
「ホープ様、人間達の中から、あなたの処分方法は少しやり過ぎであるという声が上がってきているのですが。いかがしましょう?」
「無視しなさい。これが悪魔のルールなの。犯罪する奴が悪いのよ」
苦言を呈する者もいたが、ホープは折れなかった。彼女のやり方に異を唱えていたのは、主にとうの昔に瓦解した反魔族連合の元重鎮達であった。しかしホープは彼らの素性など知らなかったし、そもそも彼らに興味も無かった。彼女はアリーナの運営で手一杯で、没落者の面倒まで見ている余裕は無かった。
だから元反魔族連合の嫌がらせも、全くと言っていいほど効果が無かった。
「ああ忙しい忙しい。これならまだ町の統治をしていた方がマシかもしれないわね」
「まあまあホープ様、そう言わずに。それに我々より、もっと過酷なことをしておられる方もいるのですよ。愚痴をこぼしすぎるのも失礼というものです」
「……それもそうね」
氷の町を統治していた頃から自分を支えてくれていた腹心の言葉を受け、ホープが顔を渋らせる。この時二人は、同じ顔を頭の中に思い浮かべていた。
そんな彼女達が脳裏に思い起こしていた人間、勇者と呼ばれた一人の人間は今、魔界で特別任務についていた。
「ああ、勇者がやられた!」
遠くから魔物の悲鳴が聞こえてくる。馬の頭をした彼らの視線の先には、四肢をもがれて宙を舞う小坂真樹の姿があった。そして彼女を空中に放り投げた張本人は、彼女からもぎ取った腕を口にくわえており、そのまま一息に飲み込んでしまった。
そんな自分の口のサイズからすれば爪楊枝ほどの大きさでしかない真樹の右腕を食べ終えた後で、火の国の魔王デルネスは満足げに口元を緩めた。彼の眼は真っ赤に血走り、全身から溶岩がタガが外れたかのように盛大に溢れ出してきている。理性を完全に失っていたのが見て取れた。
彼は血石の力に侵され、暴走していた。
「お、おい。このまま負けたりとかしないよな?」
「そんなわけあるか。あの不死身の勇者だぞ。このくらいで死んだりするかよ」
「で、でもよ、あの状況からどうやって逆転するんだよ?」
その倒れ伏す勇者とそれを見下ろす魔王の光景を遠巻きに見つめながら、魔物達が口々に言いあう。彼らも元々は暴走した魔王を鎮圧するためにここまで来たのだが、真っ先に突っ込んでいった勇者と魔王の戦いを見て完全に尻込みしてしまっていた。
そんな彼らの目の前で、魔王デルネスはゆっくりと勇者の元へと歩を進めていった。死んだふりをした獲物を警戒するように、または勝利の余韻をたっぷり味わおうとするかのように、魔王は一歩一歩慎重に歩きながら、勇者へ近づいていった。
勇者はぴくりとも動かなかった。手足を失ったまま、両目を閉じ、死んだようにその場に転がっていた。そうして微動だにしない真樹の目と鼻の先まで、デルネスはついに到達した。四足歩行する魔王の鼻息をすぐ近くで感じられる位置まで近づかれてもなお、真樹は全く動かなかった。
そんな死体同然の姿となった真樹を、デルネスはしばらくの間凝視した。そして品定めをするかのように一通り見つめた後、デルネスは彼女の眼前で大きく口を開けた。
「あっ」
次の瞬間、魔王デルネスは周りの大地ごと、真樹を一息に口の中に飲み込んだ。そして咀嚼も分別も面倒くさがった魔王は、皮膚が釣られて動くほどに喉周りの筋肉を総動員し、土と真樹をそのまま胃袋へ流し込んだ。
魔物達はその一部始終をしっかりと目に焼き付けていた。
「や、やべえ! 食われた! 勇者が食われちまった!」
「おいどうするんだよ! 俺達で助けた方がいいのか?」
「馬鹿! 相手は魔王様だぞ! 勝てるわけないだろ!」
その魔物達も、一瞬の内にパニック状態となった。助けたい気持ちと死にたくない気持ちの板挟みとなり、自分自身何をしたいのかわからなくなってしまっていた。
一方で、真樹を飲み込んだ魔王は何もせずにその場に佇んでいた。胃袋から溢れてくる新鮮な魔力が全身に行き渡るのを感じ取り、その力が漲って来る感覚に酔いしれていた。遠くで自分を監視している魔物連中の存在には既に気づいていたが、眼中にも無かった。彼はただ目を閉じて、今このひと時を全力で楽しみ尽そうとしていた。
そのデルネスの眼がかっと見開かれた。総身の毛が逆立ち、四本の脚をぴんと伸ばして身悶えた。
魔物達もその異変に気付いた。彼らはデルネスに意識を傾け、事の成り行きを固唾を飲んで見守った。そして魔王はそんな彼らのことなど完全に忘れ、ただ全身を駆け巡る痛みから逃れようとその場に倒れ、足をバタつかせながら転がりまわった。彼がばたつく度に体から流れる溶岩が周囲に飛び散り、不毛の大地に追い打ちをかけるかのように大地を燃やしていく。
体についたノミを払おうとする犬のようなデルネスの行動は、その後何分も続いた。魔物達は一言も発せず、黙ってその様を見守っていた。そしてある時、唐突にデルネスがその動きを止めた。
魔王は四つの脚をピンと伸ばし、マグマを垂れ流しながら腹を空に見せ、そのまま微動だにしない。目は大きく見開かれ、顔も首も硬直している。死んだのか? その様を見ていた魔物達は一様に不審がった。
「どうしたんだ?」
「わからん」
「まさか魔王様、本当に死んじゃったんじゃ……」
魔物達はそこから動かず、口々に推測を言い合った。するとその時不意に、腹から溢れていたマグマの流れが止まった。魔物達は口論を止め、再び魔王に注目した。
真樹が魔王の腹を突き破って姿を現したのは、その直後だった。
小坂真樹の与えられた特殊任務というのは、要するにこれまでやっていたことの続きである。魔王、または魔王クラスの力を持った存在は、急ごしらえのアリーナで満足に戦うことは出来ない。そして彼らが全力を出しても壊れないほど頑丈なアリーナを作ろうとすれば、莫大な時間と予算と資源が消費されることになる。そんなことを悠長に行っていられるほど、今の魔族に余裕は無い。
だから魔族は、その面倒くさい部分を全て小坂真樹に丸投げした。魔王級の相手を全て真樹に引き受けさせ、彼女に戦ってもらうことで凌ごうとしたのである。
虫のいい話である。実際、これには魔族の中からも反対意見が続出した。いくらなんでも可哀想だ。勇者はただの「捌け口」ではない。非難囂々であった。
しかしその後、魔王の一人が実際に暴走する事件が起こると、彼らの態度は一変した。つまるところ、彼らには真樹以外に頼れる存在がいなかったのだ。この時暴れだしたのはメナスであり、彼女は氷の魔王の名にふさわしい力を発揮して町一つを丸ごと氷漬けにした。真樹が力ずくで止めていなければ、メナスは魔界全土を凍らせていただろう。
「いいんですよ。他に出来ることないんですから」
しかしそれでも、真樹はその案を受け入れた。二つ返事で了承した。誰もがこれには驚いたが、彼女の決定を覆そうとする者もいなかった。他に選択肢が無かったからだ。
しかし疑問をぶつける者もいた。なぜそこまで真摯になってくれるのか。誰もが彼女の献身に首を傾げていた。しかし真樹は迷うことなく答えてみせた。
「だって、私は勇者なんですよね? じゃあちゃんと人助けしないと、駄目じゃないですか」
それを聞いた魔族の一部は、自分達のしたことに大きく後悔の念を覚えた。良心に付け入ったことへの罪悪感を覚えた。もっとこの人間の性質を理解するべきだった。縛り付けるべきではなかったのだ。
しかし後の祭りであった。
「終わりました。これでいいですよね?」
デルネスの腹から出てきた真樹は、新しい手足を生やしていた。それは真っ赤に燃え盛り、炎が直接四肢の形を取っているようにも見えた。そしてその燃え盛る手は、しっかりと白い塊を手にしていた。
「どうですか?」
「あ、ああ。これでいい。ばっちりだ」
そんな真樹の元に近づいてきた魔物達は、彼女の手にしているそれを見て躊躇いがちに頷いた。真樹はそれを聞くと笑顔で「良かった」と答え、そのままその塊を魔物の一人に手渡した。
「しかし、怖くは無かったのですか? 魔王様に食われたのですよ?」
そんな真樹に対し、魔物の一人が声をかける。すると真樹は彼の方を向き、にこやかに言った。
「勇者はこれくらいで怖がってたら務まりませんよ」
小坂真樹の新たな人生は、呪われたまま続くこととなった。




