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壁と勇者

 その城にいた者達は、最初自分達の身に何が起きたのか理解できなかった。そして彼らは状況を把握しようと外の景色を見て、さらに混乱した。なぜ魔王が城の外壁にへばりついているのか? 誰もそれを説明できなかった。

 

「小坂真樹を出せ! これは命令だ! 早くしないとこの城を潰すぞ!」


 そんな彼らの眼前で、その火の国の魔王は声高に要求した。それを聞いた城の住人は彼の目的をようやく理解したが、同時にまた新たな疑問が彼らの中に湧き上がってきた。なぜ奴はそれを知っているのか? なぜそれだけのために魔王が直々にやってきたのか?

 理屈に合わなかった。理解できないことだらけだった。兵士も大臣も王も、誰もデルネスの行動の真意を掴むことが出来なかった。

 

「人間共め、この我の要求を無視するか。いい度胸だ」


 しかしこうなった理由について悠長に考えるような時間は、城の人間達には残されていなかった。デルネスは問いかけてから一分もしないうちに痺れを切らし、全身から溶岩を漏らし始めた。粘り気のある、真っ赤に燃え盛る泥状の物体は落ちた先にある城の外壁を簡単に溶かし、次々と城の中に侵入してきた。中には壁を壊さず、隙間から滲み出すように中に入り込んできた溶岩もあった。

 マグマの動きは完全にデルネスの制御下にあった。彼は即座に城を破壊しようとはせず、真綿で首を締めるように人間達をじわじわと追い詰めていった。城の面々も溶岩を無力化しようと躍起になったが、魔王が自身の魔力を媒体に生み出したそれは、凡人の手でどうにかなるものではなかった。

 

「駄目です。水をかけても固まりません。切ったり突いたりしても、こちらの武器が溶かされるだけです。あの溶岩を止める手段はありません」


 兵士団長の報告を受けて、その小国の王は顔面蒼白となった。確かに彼の国は反魔族連合に入ったことによって、それまでとは段違いに強力な装備を手に入れることが出来た。しかし魔王は、彼の想像を遥かに越える力を有していた。

 これなら魔族と戦える。大量の高級な装備を前にして無邪気にはしゃいだ頃を思い出し、その王は恥辱と屈辱に顔を震わせた。

 

「なんとかならんのか? こっちには大砲も鉄砲もある。鋼の武器だってあるし、魔法の武器だってある。確か、切ったもの冷やす剣があったはずだ。それでも駄目なのか?」

「駄目なんです。冷やそうと溶岩を切った瞬間、その氷の剣は瞬く間に溶けてしまったのです。全くの無駄骨です」

「そんな……」


 王は絶望した。周りにいた大臣達も、そして彼に報告していた兵士団長も、同様に陰鬱な表情を浮かべた。

 そんな彼らに追い打ちをかけるように、外にいたデルネスが咆哮した。

 

「いい加減にしろ! さっさと出せと言っている! この城を溶岩の海に沈めてやろうか!」

「あ、あわ、あわわわ」


 不意の怒声を浴び、王は軽くパニックになった。一瞬真樹と、ついでに国内の「反乱分子」も解放しようかと思ったが、すんでのところで彼は踏み止まった。反魔族連合の一員であるというプライドが、彼にそのような逃げの姿勢を取らせることを躊躇わせたのだ。

 

「さあ王よ、どうする! おとなしく従うか、それとも城ごと燃え尽きるか! 時間は長くないぞ!」


 デルネスが体中から血のように溶岩を噴き出し、声高に告げる。城外にいた兵士達も自分達に迫る溶岩を前に恐れをなし、城の中に引っ込んでしまった。既に城の三分の一が溶岩に覆われ、特に城からの出入口は全て優先して塞がれていた。場内に逃げ込んだ兵士達はそこで退路を断たれたことを知ったが、気づいた時には手遅れだった。

 

「おいおい、なんだこれ! どうなってんだよおい!」


 そして溶岩は真樹達のいた牢屋の中にも侵入してきていた。幸い、床が沈むほど大量に侵入してきてはおらず、隅に立てば簡単にそれを避けることが出来た。もっとも熱さまでは避けられなかったが。

 

「これ、マジで魔王がやってんのか? なんでこんなことしてんだよ?」


 囚人の一人がパニック状態のまま叫ぶ。他の囚人も同じような反応だった。その中で看守は二人の真樹を交互に見ながら、無理矢理平静を保ちつつ二人に声をかけた。

 

「なんで魔王はこんなことするんだ? 何か理由があるのか?」

「惚れてるんですよ」

「なに?」

「デルネス様は、ここの小坂真樹に惚れてるんです」


 偽物の発言に看守が首をひねる。それから看守はオリジナルの真樹を見つめ、彼女に問いかける。

 

「本当にそうなのか?」

「そういうことになってるみたいです」


 真樹は曖昧な返事をよこした。好かれているという自覚は無かったのだ。

 

「ここまで動いてくれるとは思ってませんでした」

「それだけ愛されてるってことですよ」

「そうだったんですか。今までわかりませんでした」

「本当に自覚無かったんだ……」


 本物の言葉を聞いて、偽物の真樹は呆れた顔を見せた。一方で本物もまた、自分の置かれた境遇を改めて認識し、軽く戸惑いを見せていた。

 そんな真樹に囚人の一人が声をかけた。

 

「なああんた、だったらあんたが話しかけてさ、あの魔王を止めることも出来るんじゃないか?」

「えっ?」

「だってあんた、あいつに好かれてるんだろ? 好きな人から止められたら、普通は止まるんじゃないか?」


 それが囚人の言い分だった。すると他の囚人達が、次々とそれに同調し始める。本物と偽物は驚いて互いの顔を見やり、そして二人揃って看守に目をやる。

 

「すいません。ここの牢を開ける鍵は持ってませんか?」

「持ってるけど、本当にやる気なのか?」

「他に選択肢も無いですし。出来ることをしたいんです」


 看守はいい顔をしなかった。しかし真樹は譲らなかった。二人はじっと看守を見つめ、看守はただ苦い顔を浮かべるだけだった。

 そしてこうしている間にも、じわじわと溶岩が壁の隙間から滲み出してきていた。囚人が次第に騒ぎ出す。

 

「おい! このままじゃ皆死んじまうぞ!」

「なんでもいいから牢屋開けろ! まずはここから出せよ!」


 そして囚人の一人が叫ぶ。看守はそれを聞いて、ここで初めて「安全のために牢を開けて逃がす」という発想に思い至った。突然予想外の展開に巻き込まれ、彼もまた思考が停止していたのだ。またその考えを「危険思想」として投げ捨てるほど、彼はこの国に忠誠を誓っているわけでも無かった。

 看守は慌てて鍵束を取り出し、片っ端から牢を開けていった。囚人は飛び出すように牢から出て行ったが、外に出ても焦熱地獄から逃げ出せたわけでは無かった。

 

「よし、今開けるぞ。じっとしてて」

 

 そして看守は最後に、真樹の牢のカギを開け始めた。看守が鍵穴に鍵を差し込んで回すと、鉄格子は簡単に開いた。そうして真樹は二人とも牢から出ることに成功し、看守は続けてこの牢屋の出入口の鍵を開けようとした。

 

「急いでくれ! さっさと逃げようぜ!」

「わかってる! 急かすな!」


 彼らはデルネスの手によって、城から出られなくなっていることを知らなかった。そうとは知らずに、看守は鍵穴に鍵を差し込んだ。

 直後、外壁の一部が内向きに吹き飛んだ。

 

「なんだ!」


 全員が同時に驚愕する。二人の真樹と看守は反射的に前に立ち、囚人を庇うように自ら壁となった。

 そんな彼らの目の前で、それまで壁を構成していた瓦礫が煙と共に牢獄の中に散らばっていく。そして開けられた大穴の方に目をやると、そこの縁には真っ赤に燃え盛る巨大な獣の前脚がかけられていた。

 脚のつま先からは溶岩が溢れ出し、周りに蒸気と共に溶岩溜まりを生み出していた。


「デルネス様の足?」

「あそこにいたら、俺死んでたな……」


 それを見た真樹が思い出したように呟く。そして彼女の後ろで、囚人の一人が青ざめた顔でぽつりと漏らす。

 そんな中、二人の真樹は顔を合わせ、互いの目を見つめた。

 

「行きます」


 前を向き、オリジナルが言った。看守が彼女を見ながら尋ねる。

 

「あそこから出るのか?」

「はい」

「外がどうなってるのかわからないんだぞ?」

「それでもです」

「ああもう」


 看守は苛立たしげに吐き捨てた。しかしこうなったこの勇者が梃子でも動かないことは、彼もなんとなく察していた。

 

「わかったよ。でも無理はするなよ」


 だから看守も強く引き止めなかった。真樹もそんな看守の心遣いに感謝し、一人で穴の方へと向かって行った。

 

「大丈夫なのか? 一人で魔王に顔合わせするなんて」


 そうして一人、風穴の開けられた場所へと向かう真樹の後ろ姿を見ながら、囚人の一人が不安げにこぼす。すると偽物の真樹が彼の方を向き、なだめるように彼に言った。

 

「大丈夫ですよ。このくらい真樹は慣れっこですから」

「自分の事だからよくわかるのか?」

「そういうことです」


 別の囚人から問われ、偽物が答える。本物は既に穴の前に到達し、縁を掴んでいたデルネスの前脚に飛び移っていた。足首から下がデルネスの体表を覆う溶岩に沈むが、真樹は顔色一つ変えなかった。

 

「よくやるぜあいつ」


 それを見た囚人が呟く。彼の横にいた女囚は同様にそれを見て顔をしかめ、むず痒そうに地団太を踏んだ。

 これが慣れっこなのか? 看守は彼らとは違う意味で顔をしかめた。

 

「いつもこんなことをしているのか」

「魔王と張り合うためには、これくらいのことをしないといけないんですよ」


 偽物の真樹はしれっと答えた。残りの面々はそれを聞いて一様にしかめ面を浮かべた。

 

「俺、勇者にはなりたくねえな」


 囚人の誰かがぽつりと漏らす。誰も声を上げて賛同はしなかったが、誰もが同じ気持ちであった。

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