勇者と勇者
そこは小坂真樹で溢れていた。壁、床、天井、至る所に彼女を模した物が存在し、言いようのない存在感を放っていた。廊下の両脇に仁王立ちになった真樹の銅像が、奥まで隙間無くぎっしりと並べられていたのを見た時は、さすがの天使も恐怖を感じた。
「偏執的にも程がある。やりすぎだ」
真樹の顔が幾つも描かれた絨毯の上を歩きながら、アドメレクは体が震えるのを抑えられなかった。天井に目を向ければ、そこには真樹の全身描いた肖像画がこれ見よがしに貼り付けられていた。窓はステンドグラスになっており、それぞれ真樹の喜怒哀楽の表情が表現されていた。
三百六十度、小坂真樹に包囲されていた。そしてそこを歩くホープはとても幸せそうであった。
「ああ、最高。どこを見てもマキばっかり。たまらないわ」
幸福の絶頂にあるかのような、喜悦の表情であった。そしてホープはその顔のまま、隣にいた真樹の手を握りながら彼女に話しかけた。
「ねえマキ、あなたもこっちにいらっしゃいな。火の国でメイドなんかしてないでさ。こっちの方がずっと楽しいよ?」
「お気持ちは嬉しいんですけど、まだデルネス様との約束の期限が切れていませんので。もう暫くは向こうに残る必要があるのです」
「ぶー、つまんないの。あいつの約束なんて反故にしちゃえばいいのに」
魔王達は真樹の力を欲していた。しかし同時に、自分達の救世主である彼女に無理強いするつもりも無かった。なので彼らは真樹が自分からどこに属するかを決断するまでの間、時間とローテーションを決め、そのスケジュールに従ってそれぞれの国に一定期間駐留してもらおうと言うことになったのである。
そして今、真樹は火の国に属していた。彼女が次の国に移るまで、まだ二ヶ月の猶予がある。ついでに言うと、次の彼女の赴任先は地の国であった。
「そんな取り決めがなされていたのですか」
真樹本人からその話を聞いたアドメレクは、妙に感心したように声を上げた。するとホープが前を向いたまま、そのアドメレクに向かって口を尖らせた。
「今あなた、魔物の癖に結構頭使ってるんだな、とか思ってたでしょ?」
「な、何を言うんですか。そんな事考えてる訳ないでしょう」
「怪しいわね。本当にそうかしら?」
慌てて否定するアドメレクに、ホープが肩越しに冷めた視線を向ける。アドメレクはバツが悪そうに視線を逸らし、そこで真樹が場の空気を改善しようと口を開く。
「そ、それより、まずはホープ様の自室に行きましょうよ。ね? せっかく来たんですから」
「あらそう? 私の部屋に行きたいの? ならしょうがないわね。案内してあげるわ」
ホープはすぐに機嫌を良くした。そして天使への疑念も完全に忘れ、ホープは意気揚々と足を早めた。
「助かりました」
「いいえ」
そんな魔王の妹の後ろ姿を見ながら、天使が勇者に感謝の言葉を述べる。一方で勇者も気さくな笑みを返し、そのままホープの後を追った。
統治者の部屋というだけあって、ホープのプライベートルームは非常に広かった。全面氷漬けで真樹漬けな部分は他と同じだったが、少なくとも開放感はあった。もっともそれは、ただ単に部屋が広いだけという話であったのだが。
「トイレもシャワーもあるから、自由に使っていいわよ。それとキッチンと酒棚もね。何でも好きにしてちょうだい」
氷のソファに真樹を座らせ、その彼女の膝の上に頭を乗せながら、ホープは天使に対して寛容な態度を見せた。アドメレクはそんな彼女の懐の広さに敬意を見せるべきか、それとも今見せているだらしなさを咎めるべきか、反応に困った。
「あー、マキの膝、癒されるわー」
しかし当のホープが見るからに幸せそうだったので、アドメレクは結局怒るに怒れなかった。代わりに彼は手持ち無沙汰気味に部屋の中を見渡し、やがて部屋の一角に奇妙な物を見つけた。
「あれは?」
「あれ?」
アドメレクの言葉にホープが反応し、身を起こす。対してアドメレクは自分が違和感を覚えた「それ」を指さし、そのままホープに尋ねた。
「あれはなんなのですか? 明らかにこことは不釣り合いに見えるのですが」
それは鉄製の扉だった。分厚く、見るからに頑丈で、そしてこの氷だらけの建物にとって酷く不釣り合いな代物だった。
「無駄に厳重みたいですけど、あの奥には何があるんですか?」
「ああ、あれ? 知りたい?」
「無理にとは言いませんけど。知りたいかと言われたら知りたいです」
「へえそう。まあいいわ。教えてあげる」
ホープは嫌な顔一つ見せなかった。そして彼女はそのまま立ち上がり、アドメレクの脇を通り過ぎて一人で件の鉄扉に近づいた。
「ここが厳重に閉じきられているのにはね、ちゃんと理由があるのよ」
ホープが扉に手をかざす。直後、扉の表面に魔法陣が浮かび上がる。現出した陣は青白く発光し、そして次の瞬間、ガラスのように音もなく砕け散った。
「それはどんな?」
「見ればわかるわ」
ホープが取っ手を握る。鉄扉が音を立てて横にスライドする。アドメレクがホープの傍に近づき、真樹も立ち上がって彼の横につく。
扉の奥には別の部屋があった。そこにホープが最初に入り、指を鳴らす。直後、壁に掛けられてあったランタンに次々と青い火が灯り、室内が青く照らし出されていく。
部屋の秘密、全貌が明らかになる。それを見たアドメレクは絶句した。
「……!」
「素敵でしょう?」
その部屋の中には、壁に沿って円筒が縦に置かれていた。シリンダーは銀色で、人一人が入り込める程度の大きさを有していた。それが一定の間隔を開けて、壁沿いにぎっしりと詰め込まれていた。
シリンダーの中には青い液体が充填されていた。そしてその液体に包まれるように、一本につき一人、全裸の人間がシリンダーの中に入れられていた。
アドメレクはその人間の顔に見覚えがあった。いや、すぐ隣にその本人がいた。
「どうして?」
「ああ、あれはですね」
シリンダーの中には小坂真樹が眠っていた。そして今アドメレクの隣に立っている小坂真樹は、そのシリンダーの中の自分を見つめながら苦笑していた。
「私のクローンです」
そして何の迷いもなく、生きている真樹はそう言ってのけた。天使は驚き、次にホープを見た。
「どうしてこんな事を?」
「マキが欲しかったの」
ホープはハッキリと言ってのけた。天使は愕然とし、そんな彼を見ながらホープは言葉を続けた。
「私マキが好きなの。一年中いつもマキと一緒にいたいの。でもマキはいつもここにいるわけじゃないでしょ? だから私、思いついたの。マキがいないなら作ればいいじゃないって」
「なにを馬鹿な。それにそうなら、マキは一人だけでいいのでは?」
「一人じゃ物足りないのよね。だからハーレムを作りたかったの。右を向いても左も向いてもマキだらけ。それって素敵じゃない?」
「は?」
「別に悪い事じゃないでしょう? 誰にも迷惑かけてないもの」
「ああ?」
アドメレクは今度は唖然とした。この女は何を言っているんだ。
「本人に許可はとったのか? 彼女の偽物を勝手に作って?」
「もちろん許可は取ったわ。ねえ?」
「はい。私はいいって言いました」
ホープの問いかけに真樹が頷く。天使は三度驚愕した。そして天使はその青ざめた顔のまま、真樹の方に目を向けた。
「本当にそう言ったのですか? そんなことを許してしまったのですか?」
「はい」
「そんな、どうして」
「私は特に悪いことしてないかなと思ったからです」
真樹は淡々と言った。アドメレクはもう驚く事すら止めた。
「もう好きにしてください」
「ええ、好きにさせてもらってるわ」
ホープも悪びれる素振りは見せなかった。それからホープはシリンダーの一つに寄りかかり、そんな困惑する天使の姿を楽しげに眺めていた。
「ん?」
ホープの懐からビープ音が鳴り始めたのはその時だった。三人は揃って驚き、ホープは思いだしたように口を開いた。
「ああ、そういえば今日だったっけ」
「何がですか?」
「マキの貸し出しサービス」
天使は真顔のままだった。ホープはその天使の反応を無視して説明を続けた。
「どっから漏れたかわからないんだけど、私がマキの偽物を作ってるのが一部にバレてね。そうしたら今度は、私にも貸してくれって要求してくる連中が出てきたのよ」
「それに応えたのですか?」
「有料でね。みんなのマキですもの。みんなで共有しないとね」
何もかもがちぐはぐだ。天使は頭が痛くなってきた。しかしそれを全部指摘するだけの心の余裕は、今の彼には無かった。
一方でホープはその天使と勇者を横切り、出入口である鉄扉へと向かっていった。そして扉の前に立ち、その向こう側に向かって声をかけた。
「オレンジ」
「時計」
扉の向こうから声が返ってくる。アドメレクが「どういう意味です?」と小声で問いかけると、ホープは肩越しに彼を見ながら「顧客用の合い言葉よ」と返した。
そしてホープは前に向き直り、扉の取っ手に手をかけた。
「はいはい、今開けますからね」
ホープが鉄扉を開ける。扉がスライドし、向こう側にいた人物の姿が露わになる。
「え」
それを見た瞬間、アドメレクの表情が凍りついた。彼の目は扉越しにホープと向き合っていた「それ」に向けられていた。
真樹がそれに気づいて天使に視線を送る。
「どうしたんですか?」
「大天使長」
アドメレクがぽつりと呟く。真樹は不審げに顔をしかめ、次いで扉の向こうにいた人物の方に目を向ける。
「アドメレク、どうして?」
そしてその「顧客」の方もまた、アドメレクを見て凍りついていた。ホープもまたそれに気づき、両者を見ながら困惑した声を上げた。
「え、なに? 知り合いなの?」
「どういうことなんですか? 天使長?」
真樹も困惑していた。突然の出来事に頭の整理が追いついていなかった。そしてアドメレクと顧客はそんな二人を差し置いて、二人して呆然としていた。
明らかに不穏な空気が流れていた。




