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像と勇者

 アドメレクにとって意外だったのは、その城下町は町として完全に機能していたことだった。建物も歩道も街頭も全て氷で出来ており、相変わらず住み易さとは無縁の領域であったのだが、それでもそこには活気があった。


「ここにも人がいたのか」

「そりゃいるわよ。だってここは城下町ですもの」


 四方八方から声が飛び交い、人々が忙しそうに方々へ行き来する中、天使が驚いたように声を漏らす。するとメナスの古城からここまで道案内をしてきたホープがそれに反応し、全身で振り返って彼を見ながらそれに答えた。

 真樹達に向き直ったホープは背も声色も幼かったが、長としての威厳はオーラのように全身から放たれていた。


「姉様のいたところが静か過ぎるだけであって、ここにもちゃんと人はいるのよ。余所とも交流してるし、地上と地下を繋ぐ正規のルートもあるの。確かにここは秘境の中にあるけど、蛮族が治めるような未開の地じゃないの。わかった?」

「す、すみません」


 そんな実質的統治者から念を押され、天使はその迫力に気圧されながら頷いた。一方のホープは相手が理解したことを知るや機嫌を取り戻し、表情をにこやかな物に切り替えながら続けて言った。


「ま、わかればよろしい。じゃあさっそくだけど、私の仕事場まで案内するわね」

「そこはどのような場所なのです?」

「評議会議場よ。私を含めた国営委員会が、国の方針やら問題やらを話し合って決める所なの。それとそこは委員会の寄宿所にもなってて、私の部屋もそこにあるの」

「ここでは専制君主制ではなく、議会制を採用しているのですか?」

「そうよ」


 ホープの言葉を聞いたアドメレクは自分の耳を疑った。この闇の領域たる魔界で、独裁以外の政治体系が成立していることが信じられなかったのだ。


「魔界の住人が話し合いするのがそんなに珍しいかしら? そういうの、偏見って言うのよ」


 ホープはそんなアドメレクの心を見抜いていた。そして彼女は咎めるように言葉を放ち、それを受けた天使は一瞬心臓を鷲掴みにされたかのように顔をひきつらせ、息を止めてしまった。


「天使だからそういう考えを持つのもわかるけど、少しは視野を広く持ちなさい。そうでないと、後々後悔する事になるわよ」


 自分の腰ほどの背丈しかない少女が、目を細めてアドメレクを見据える。大人に対して強がっているようにも見えるその少女を前に、しかし天使は何も言い返せなかった。彼女の迫力に圧倒されていたのだ。

 これが以前、勇者マキの片腕を引きちぎって甘えまくっていたのと同じ少女なのか。天使アドメレクは、この雰囲気を百八十度変えてきた魔王の妹を前にして、ただ困惑するばかりであった。

 いや、腐っても魔王の妹と言うべきか。アドメレクはこの幼い国主がどれだけ強大な存在かを再認識した。


「それはそうとホープ様、そろそろ向かいませんと、夕食に間に合わなくなってしまいますよ?」


 その時、不意に真樹がホープに声を掛ける。ほんの数十分前にもがれた腕は、今では完全に再生しており、五体満足の状態であった。

 そして真樹は、そんな自分の腕をもいだ相手に対して何の恨み辛みも抱いていないように見えた。彼女はとても自然に、友人に接するかのようにホープと相対していた。


「それもそうね。じゃあさっさと行きましょうか」


 そしてホープもまた、真樹に対して何の負い目も感じていないかのようだった。そしてそのまま二人は和気藹々としたまま、人で溢れる大通りを悠然と歩いていったのだった。

 そこで天使は我に返った。そして彼女らに遅れまいと、慌てて後を追った。そして二人に合流すると同時に、彼は全く無意識の内に、前を行く真樹に質問していた。


「なんとも思っていないのですか?」


 ひどく簡潔な言葉だったが、真樹は彼が何を言わんとしているのかをすぐに察した。しかし彼女はそれを知った上で、天使に向かって自然な笑みを浮かべて言った。


「あれはただの事故ですよ。ホープ様は決して、私を嫌っている訳ではありません」

「ですが、あれを事故と言うのはいくらなんでも」

「魔王の妹ですからね。元の力は人間や天使とは桁が違うんです」

「それで割り切れと? 殺されても文句は言えないと?」


 天使が問いかける。勇者は小さく笑って、彼に答えた。


「それがここでやっていく秘訣です」





 その後数分で、三人は目的地に到達した。寄宿所兼評議場は、アドメレクの想像していたものよりもずっと簡素な建物であった。

 言ってしまえば、それは大きいだけの箱だった。


「私はもっと、宮殿みたいな豪華なものが来ると思っていたんだが」

「土地もお金も無いからね。見てくれにこだわってる余裕は無いのよ」


 世知辛い理由だ。アドメレクは少し感傷的な気分になった。しかしそれ以上は何も言わず、三人はそのまま中に入った。

 正面ドアを開け、中に入る。一階中央ホールは上部が吹き抜けになっており、最上階である三階部分まで直接階段で上れるようになっていた。

 そんな広々とした領域に足を踏み入れた次の瞬間、アドメレクは愕然とした。


「なんだこれは」


 彼の目はホールの真ん中に向けられていた。そこにはでかでかと、天井に届かんばかりの銅像が置かれていた。台座の上で仁王立ちになり、右腕を高々と掲げていた。その右手には心臓が握られ、それを握りしめる女の顔は達成感に満ちていた。

 そんな喜ばしげな女の顔を見た直後、アドメレクは既視感を覚えた。不思議に思って辺りを見回すと、そのデジャブの正体はすぐに判明した。


「どうしたんですか? そんなに驚いて」


 マキだ。

 この銅像はマキをモデルにしているのだ。


「ああ、これ見てびっくりしてたんですね」


 真樹はそこで初めて、中心に建てられた銅像に目をやった。そしてそれを見てもなお、真樹はその顔色をぴくりとも崩さなかった。


「結構良く出来てますよね」


 しかも満更でもなさそうだった。天使は再び驚き、すぐに真樹に問いかけた。


「あなたは気にならないのですか? こんな堂々と自分の像が建てられているというのに」

「最初はびっくりしましたけど、今はもう何とも。特に問題も無いですし」

「そんな」


 天使は開いた口が塞がらなかった。自分だったらこんな見世物紛いの事、絶対に許容できない。

 さらにそこで、アドメレクはまた新しい事に気づいた。このホールの壁面には、一定の間隔でタペストリーが飾られていた。その壁掛け全てが、真樹を描いたものであったのだ。さらには天井のステンドグラス、床に敷かれた絨毯まで、小坂真樹の肖像を描いたものとなっていた。

 この空間は三百六十度、真樹に包まれていたのだ。


「なんだここは」


 真実に気づいたアドメレクは真っ先に嫌悪感を覚えた。ここはどう見ても普通じゃない。天使は己の感情を隠すことなく、その顔を苦々しげに歪めた。


「おかしい。いくらなんでもイカレてる」

「おかしくなんか無いわよ。これは私なりの愛の形なの」


 そこにホープが割り込んでくる。アドメレクは咄嗟に彼女の方を向き、そしてホープもまたアドメレクの顔をじっと見つめ返した。

 アドメレクの顔は困惑と恐怖に満ちていた。


「愛? これが?」

「ええ、愛。マキに向ける私の愛は、とても言葉では表現しきれない。それくらいに広く深いものなの。それこそ海のようにね。でも私は、この愛をしっかり全部伝えたかった。だから私は、こうして形にする事にしたの」

「あなたのやってる事はただのストーカーだ」

「愛情表現よ。わかんないの? これだから天使は遅れてるって言われんのよ」


 ホープはどこまでも折れなかった。自分が悪いことをしていると言う自覚すら無いようだった。

 こいつとは話は通じない。そう思ったアドメレクは、次に真樹の方に目を向けた。そんな助けを請うような眼差しを向ける天使に気づいた勇者は、彼の方を見ながら口を開いた。


「慣れれば何ともないですよ?」


 ああ、こいつも「話の通じない奴」なのか。

 天使の心は一気に醒めたのだった。

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