食った勇者
市場にいた者達は全員城の中に逃げ延びる事が出来た。死傷者はゼロ。及第点の避難処置であった。
「おい待てよ。一人逃げ切れてない奴がいるだろうが」
部下の親衛隊員とその事を話し合っていたセシルスに、自称勇者の青年が食ってかかる。セシルスは部下を下がらせた後、青年に向き直って彼に問いかけた。
「逃げ切れてない、とは? 誰のことを指しているのです?」
「あいつだよ。マキだ。あいつだけ死んだまま放置じゃねえか」
「ああ」
青年の問いかけに、セシルスは淡泊な反応を返した。青年はそれが気に入らなかった。
「なんでそんな平気でいられるんだよ? 何とか出来ねえのか?」
「無理よ。私達じゃもうどうしようもないわ」
「そんな薄情な……!」
「そもそもあなた、勘違いしているわ。私達はちゃんとマキも救出しているのよ」
セシルスが淡々と告げる。青年が怪訝な表情を見せ、そんな彼に向けてセシルスが自身の右手を持ち上げて見せる。
その手にはここに逃げるついでに拾ってきていた真樹の腕が握られていた。
「ほら、ちゃんと救出してる」
「パーツだけ持ってきても意味ねえだろーが!」
青年が激高する。セシルスはそんな彼の怒りなどどこ吹く風と言わんばかりに、拾ってきた真樹の腕を弄り始める。
「綺麗な指だなー。お手入れしてるのかしら?」
暢気な光景だった。それが肘から千切れた腕でなければ、人の指を羨ましそうに触るセシルスの姿はとても愛嬌のあるものであった。
そして青年にとっては、全く異形の光景であった。
「あんた、本当に何してるんだよ。あいつのこと心配にならないのかよ?」
「心配する程の事も無いでしょう? あの人は不死身の勇者なのですから」
「あ?」
青年が首を傾げる。真樹の腕で遊びながらセシルスが続ける。
「あの人は死なないんです。聞いてないんですか? 例え溶岩に落ちようが、巨大な拳に叩き潰されようが、時間が経てばひょっこり復活してくるんですよ。そういう生き物なんです」
「いや、そんな」
「いまいち信じられない?」
セシルスの問いに、青年は素直に頷いた。セシルスはそこで「真樹と」遊ぶのを止め、青年に視線を移しながら言った。
「なら、もう少し待ってみたらいかがでしょう。すぐに答えが出てくると思いますよ」
真樹を叩き潰した巨大な拳は、その後ゆっくりと遙か上空にある壁、胃壁の奥へと引っ込んでいった。そうして拳は壁の中に沈み、完全に魔王の体と同化した。
この時、拳には真樹の血が付着していた。地の魔王はそれに頓着せず、ついでとばかりに己の体内に取り込んだ。血石によって理性を失っていたこともあって、地の魔王は自分の中に異物を受け入れることに全く抵抗を示さなかった。
真樹の計算通りだった。どこまでも思考回路が単純になるのが凶暴化の良いところだ。血の固まりと化した真樹はそう思いながら、血管を通って地の魔王の体内を循環した。
彼女が進入したのは静脈だった。まったく幸運だった。真樹は手間が省けたことに感謝しつつ、血中を流れる他の物質に混じって巨大な青い筒状の通路を流れていった。
「うん。上出来」
この時既に、真樹は片腕以外完全に修復を終えていた。欠けていたのは今現在セシルスが持っている部分であり、これは最後の脱出に備えて、敢えてそのままにしておいたのであった。
自分の片腕が無くなっている事に、真樹はまるで気を払わなかった。
「心臓まではまだかしら?」
そのまま真樹は、暫くの間流れに身を任せた。目的地は心臓。何故かはわからないが、地の魔王の血石はいつも決まって心臓に出現するのだ。
この方法で体内に進入するのもこれで何度目だろうか。真樹はそんな事を考えながら静脈の中を漂った。街を飲み込む魔王の血管だけあって、非常に巨大なサイズであった。元いたせ界にあったトンネルよりもずっと大きいかも知れない。一番近い大きさのトンネルはどんなものだろう? 目的地に向かうまで、真樹はあれこれ考えながら時間を潰した。
そして考える事に飽き始めた頃、真樹はようやくお目当ての部位に行き着く事が出来た。
「心臓ね」
やはり心臓も巨大だった。ここなら数万人規模でのライブコンサートを開けるんじゃないか。真樹はここに来る度に同じ事を考えた。
しかしここはライブホールでもドームでもない、自ら拍動し、血を全身に行き渡らせる臓器なのだ。現に今も、真樹の目の前で心臓は定期的に動き続けていた。心臓の中にいるので直接心臓が拍動する様は見れなかったが、壁がリズム良く蠢く所は良く見る事が出来た。
「あった」
そして真樹がそこから視線を動かすと、すぐに血石を見つける事が出来た。それはいつも同じ場所に出現する。今回も同様だった。
そしていつもと同様、自分よりも遙かに巨大だった。
「早く片づけないと」
今、真樹は完全に周りに溶け込めていた。魔王の体内にも人間でいう所の白血球のような、異物を攻撃し排除する存在が大量に潜んでいる。そして彼らはまだ、真樹を敵とは認識していなかった。
しかしそれも時間の問題だ。いずれは真樹を認識し、体内に入り込んだ異物として攻撃を開始してくるだろう。そうなれば真樹に勝ち目はない。いくら不死身の勇者といえど、数の暴力には勝てないのだ。
「今の内に……!」
前に魔王の防衛プログラムに喧嘩を売って痛い目を見た真樹は、すぐ動くことにした。対人抗体物質の群れに生きながら体を食われるのはもう御免だ。真樹はそんな昔の事を思い出しながら、巨大な血石へと向かった。
血石は心臓の内壁にべったりと貼り付いていた。そして自分より二回りも巨大な白い塊を前に、真樹は思わずため息をついた。何度見ても規格外のサイズだ。これを取り除く方の身にもなって欲しいものだ。
「愚痴っても仕方ないよね」
しかし真樹はすぐに気持ちを切り替えた。そして復元し終えていた方の腕を鎌へと変形させ、その刃先を血石めがけて振り下ろした。
気分は鉱山労働者だ。血石を小さく削り出し、塊を壁から引き剥がす地味な作業が始まった。そうして血石を削りながら、真樹は自分の歯をより鋭く、硬質なものへと変化させてもいた。イメージは恐竜だ。堅い骨も簡単に噛み砕ける、肉食恐竜のように鋭利な歯だ。
剥がした血石を処理できる「ゴミ箱」は、ここには一つしかない。今日は夕飯は食べなくて済みそうだ。
真樹が圧殺されてから一時間が経った。城に逃げ込んでいた面々は、不安と恐怖の中でその一時間を過ごした。彼らにとって、その一時間は非常に長いものであった。人間界からわざわざやってきた自称勇者の青年も同様で、この一時間、彼は生きた心地がしなかった。
「そろそろでしょうか」
しかしセシルスと彼女の部下である親衛隊員にとっては、その一時間は特別何の意味も持たなかった。主である魔王が暴れるのも、真樹がそれに巻き込まれて殺されるのも、全て訓練通りの光景である。日々そのようなシチュエーションを想定して訓練を積んできた彼女達は、この事態を前に全く動じる事が無かったのだ。
「なんだ?」
そんなセシルスの部下の一人がそれに気づく。彼は閉じきられていた城門が、何者かによって外から叩かれている事に気づいたのだ。
「逃げ遅れた人がいるのか?」
「そんなまさか」
「じゃあいったい誰が?」
他の親衛隊員も次々それに気づく。市民達もそれに気づき、一層不安を募らせていく。青年は勇者として虚勢を張ろうとしたが、それよりも恐怖が勝って民衆の中に隠れた。
「どうします? 開けてよいものでしょうか?」
親衛隊員の一人がセシルスに近づいて尋ねる。部下からそう問われたセシルスは「大丈夫よ」と即答した。
「開けても大丈夫。すぐに入れてあげて」
「わかりました」
部下も迷う素振りは見せなかった。プロとして隊長の指示を忠実に守り、他の親衛隊員と共に城門を開けにかかった。門の両端に一人ずつ向かい、そこにあるレバーを同じタイミングで引く。
直後、門が音を立てて開き始める。民衆は顔をひきつらせ、彼らを守るようにセシルスとその部下が前に立つ。
そして門が半分ほど開いたところで、外に立っていた「人間」が城内へと入ってきた。親衛隊員
の何名かは反射的に身構えたが、その姿を見たセシルスは予想通りと言わんばかりに表情を緩めた。
彼女の目の前には全身ずぶ濡れの、全裸の小坂真樹が立っていた。
「任務完了かしら?」
「はい、全部終わりました」
そう答える真樹の雰囲気は、普段とは明らかに違っていた。城内に入り込んだ彼女は全身から黄金色のオーラを放ち、神が人間の姿を取ったような非常に神々しい空気を身に纏っていた。
「なんか、雰囲気違うな」
「父の一部を丸ごと食ったからね。こうなるのも当然よ」
民衆の中から立ち上がり、セシルスの横に立った青年が思わずこぼす。セシルスは彼が隠れていた事については何も言わず、ただその呟きにのみ反応した。それは青年を怯ませるのに十分な破壊力を持っていた。
「なんだって? どういう意味だ?」
「父の中にあった血石を自分の体内に取り込んだのよ。あれも言ってしまえば魔王の一部。それを食べた今の彼女は、いわば魔王と同等の力を持っているの」
そしてそう答えながら、セシルスは手にしていた真樹の片腕を本人に差し出した。
「よくここにいたってわかったわね」
「それの匂いを辿ってきたら、ここに行き着いただけですよ」
真樹はセシルスが差し出していた自分の腕に視線を向け、それを受け取った。そして何事もなく腕を切断面にくっつけ、欠けていた腕もまた何事も無かったかのように動き始めた。
ようやく五体満足に戻った真樹が嬉しそうに微笑む。その目はギラギラと金色に輝いていた。
「魔王の力も悪くないものですね」
「何度も言ってる事だけど、濫用は避けてよね? 使い所を間違えたら悲惨なことになるんだから」
「わかってますよ。気をつけます」
手に入れた力に酔いしれる真樹に、セシルスがいつものように釘を刺す。その一方で、セシルスの部下達は事態が解決した事を察し、逃げ込んでいた民衆を元の場所へと誘導し始めていた。その中の誰も、真樹が強大な存在になっていた事に関して疑問を抱いてはいなかった。
「意味がわかんねえよ」
そして青年はただ一人、目の前の状況についていけずにいた。なぜここの連中はこうも冷静でいられるんだ? これがこいつらの日常なのか?
自分は魔界に適応出来る気がしない。彼は改めてそう思った。




