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黒き獣と赤の少女  作者: 竜胆 梓
エピローグ
34/35

-在りし日へ決別を-

 夢を、見ていた――


 星空の下、二人で焚き火を挟んでの野営。悪夢にうなされる彼女の儚い姿。ギルドで受けた依頼を終えて夜遅く帰った宿屋で、眠い目をこすりながら帰りを待っていた。

 浮かんでは消える、旅の記憶。それはけして、和やかなものばかりではなかった。


 自らの色に怯え、ざんばらに髪を切り落とす怯えた姿。

 したこともない馬の世話に挑む真剣な顔。

 旅をしていればいやでも目にすることになる、目をそらしたくなるような惨状に、今にもこぼれそうな涙をためた目でそれを悟られまいと気丈に振る舞う。


 元々人見知りのきらいがあったのだろう、行く先で出会う人に見知った人は居らず、初対面の相手には上手く話す事が出来ずに困り果てた顔で助けを求める事も多々あった。

 上目遣いにこちらを見上げる彼女の姿に、微笑ましいものを見たと苦笑する者も居れば、不快そうに眉を寄せる者も居た。荒くれ者が多いギルドに行く事が多いが故に、気分を損ねた相手がおもしろ半分にすごみを利かせれば、後ろに隠れた事も一度や二度ではない。

 ギルドで他の依頼と比べれば危険が多い討伐系の依頼を選んだ際、心配するようにこちらを見上げる眼差し。けれど我が儘一つ言う事なく大人しく帰りを待つ姿は、いっそ健気とすら言えるだろう。


 同年代の子供のように、年相応の我が儘を言う事もなく、むしろいち早く旅に慣れようと慣れないはずの仕事に精を出す。

 大人ですら音を上げる者がいる旅という過酷な環境で尚、一見ひ弱な少女はどれだけ辛い目にあおうと、旅を止めたいと言う事はなかった。

 その姿はまるで何かに追われてすらいるようで――まるでそうしている間は、亡くした者の事を思い出さなくてすむとでも言うように、ひたすらに、ただひたすらにそうしていたのだと、今なら解る。

 当時はこちらも馴れない旅を始めたばかりであった事と、仇への憎しみに目がくらみ周囲に気を配る余裕などあるはずもなく、ただ旅に馴れる事と、仇の手掛かりを得る事ばかりに躍起になっていた。

 だが結局仇の手掛かり一つ掴む事すら出来ず、路銀稼ぎと情報収集のためギルドの依頼をこなしていく内に、いつの間にかギルドランク上位者に食い込み、ようやく旅慣れた頃には冒険者としてそれなりに名が通るようになっていた。


 その分増える危険な依頼の数々。また手っ取り早く名を上げようとする不逞の輩からいきなり腕試しを仕掛けられる事も少なくなく、時には非道な手段を用いてでも結果を出そうとする者がおり、そういった輩にはすべからく然るべき報いを与えた後、ギルドに付き出した。

 そんな時、決まって彼女は自らが危険な目にあったにも関わらず、こちらの事ばかり心配する。そんな彼女の姿に自らの力不足を痛感せずにはいられなかった。



 守りたいと願ったのは、はたしていつからだったか。



 儚く、脆く、小さな手は自身の身を守る事すら満足に出来ないはずなのに、過酷な旅にもけして音を上げる事なく、当てのない旅を共にした少女の、様々な姿――

 三年前から今までの間の、リュートと共に旅をした記憶。

 様々な情景がまるで陽炎のようにゆらゆらと浮かび、そして沈む。



 ――夢を、見ていた。






「……ん」


 暖かな日差しを感じ、目を開ける。

 木製の天井、同じく木造の室内。明かり取りのためなのだろう、開け放たれた窓には当然のようにガラスなどという高級品がはまっているはずもなく、風と共に外の音を運ぶ。

 聞こえてくるのは街の喧噪。大きな街道沿いにある街によくある五月蠅いくらいの騒がしさはなく、道行く人の声と共に風に揺れる木の音や、鳥たちの囀りが聞こえてくる。視線を向ければ、おそらく街のメインストリートらしき大通りにはぽつぽつと露店が列んでいる。

 道を歩く人の数はやはりあまり多くはないが、それだけにしっかりとした生活感を感じさせる。今は昼近くになるのだろうか? そろそろ早めの昼食を取ろうとする者の姿や、今日の献立に悩む者の姿をちらほらと見る事が出来た。


 特にこれと言って何があるわけでもない、有り触れた風景。けれど人の多い街よりも、こういった小規模な町の方が人の少ない田舎出身者としては親しみを感じる。もっとも、俺が生まれた村はこの街よりも遙かに小規模な、そこに住む住人全てが家族ぐるみで付き合いをしている、ある種村人全てが身内のような間柄だったが。

 ここがどの程度の規模なのか、確認しようと身を起こせば、全身を覚えのない気だるさが襲う。体が鉛のように、重い。まるで後先考えず全力疾走したような、そんな倦怠感に首を傾げずにはいられない。


 そもそも、ここは何処だ?


 ぱっと見た限り、宿屋の一室であるという事は容易に想像できる。が、そこへいたるまでの記憶が、綺麗さっぱりと抜け落ちている。これで首を傾げるなという方が無理な相談だ。

 覚えのない場所にいるにも関わらず、心の中に湧いてきたのは不安ではなく疑問だった。それはおそらく、手の平から伝わる温もりを感じていたからだろう。

 視線を落とせば、そこではリュートがベッドにもたれかかったまま毛布を被り、小さく寝息をたてていた。温もりは、彼女の手によるものだった。

 眠るリュートの姿は安らかで、いつかのように悪夢にうなされている様子はない。安心しきったその顔は、ここが自分達にとって危険な場所ではない事を雄弁に語っていた。

 だからといって、ここがどこか教えてくれるわけではない。それでも常日頃から悪夢に囚われる事の多い彼女の安らかな寝顔はそれだけで心を温かくする。眠るリュートを起こさないよう、ずれ落ちかけていた毛布をそっと直す。リュートはくすぐったそうに身じろぎをし――


「あ、起きたみたいね」


 唐突に、声。


「おまえは……っ!」

「そう警戒しなさんな、よ。どう? どこか痛んだり、気分が悪かったりはしない?」

「……誰かさんのおかげで、最悪だ」

「ん、それだけ言えるなら大丈夫そうね。……なんだったら、念のため解毒薬飲んでおく?」


 剣呑な返しにも動じる素振り一つ見せず、氷髪の少女――アルは平然と応えながらマグを差し出す。途端、何やら得体の知れない匂いがつんと鼻を刺す。


「毒……の、間違いだろう」

「古来から言うでしょ、良薬口に苦し、よ。だいたいねぇ、これでも一応弱ってる人間にこれ以上追い打ち懸ける程性悪じゃないつもりよ」

「つもりか」

「うん。なんか端から見るとそうは見えないらしいから。まったくもって、失礼しちゃうわー」


 言葉とは裏腹に、さして気にしていない様子で言ってのける。サイドテーブルに置かれたトレーの上には悪臭放つマグの他に、軽食と深皿に入れられたスープが乗せられていた。

 反射的にとはいえ、けして友好的ではない視線を向けられた、にも関わらずいたって自然体な挙動。あまりにも自然な動作であったため、つい毒気を抜かれてしまう。

 何故という疑問と共に再び見ても目の前の光景は変わらない。

 ……マグの中身については精神衛生を保つためにも見なかった事にするとして、他はどう見てもいたって普通の軽食である。体調を崩した人間に対し、差し入れするにはまさにうってつけだろう。


 だが、何故?

 そもそも何故この女がここにいるのか。仇である事を認め、剣を向けた。にも関わらず何故、このような事をするのか。そもそもあの時――


「――で、だ。ジーク、貴方はどの辺りまで覚えてるのかしら?」


 まるでこちらの思考を見透かしてでもいるかのように、氷色の瞳が向けられる。

 常日ごとからくるくるとよく変わる感情豊かな瞳が、今は神秘的な輝きをそのままにじっとこちらに向けられていた。

 その瞳から視線を反らす事も出来ず、ただ見透かすような瞳が、その色が、朧気だった意識を刺激する。


 鮮明になる記憶。彼女らと共に盗賊のねぐらに襲撃を仕掛けた事、盗賊達は仇ではなかった事、居ないはずのえいが何故か現れた事、榮の口から語れた仇の存在――否定する事をしなかった氷髪の少女。

 その後の記憶は曖昧で、鮮明な記憶は少ない。頭に血が上っていたせい、だけではない。だが思い出さなければならないと焦る心に促され、記憶をたどる。確か、あの後は――


 確か――赤い化け物の爪が……っ!


「リュートはっ!?」

「無事よ。治療もちゃんと京子がしたから。……まあ、傷跡の方は少し、残っちゃうかもしれないって言ってたけど」

「……っ」


 鮮明になった記憶。今でも目に焼き付いているのは、あの時の光景。

 己の不注意から負わせてしまったあの傷跡が、この先ずっと彼女に残るなど……信じたく、なかった。


「………。色々思うところはあるでしょうけど、とりあえず命があっただけでもめっけもんなのよ? 普通、あの手の|《魔石獣》(ユウェルディール)みたいなのに襲われたら五体満足でいられないし……とにかく、あんまり思い詰めすぎると体に毒――ってね」


 それに周囲が気にすればするほど、こういう事って本人も思い詰めちゃうものなのよ。と、やけに実感のこもった言葉。

 それははたして経験則なのか、それともこちらの内心を読んだのか――とにかく本人はあまり気にしていないからと付け加えられた言葉に、問うような視線を向けたが素知らぬ顔でやり過ごされた。


「うん……」


 誰しも、寝ているその上で会話されればいやでも耳につくものだ。覚醒を促されたのか、リュートは小さく身じろぎする。慌てて声のトーンを落とすも、一度浮上し初めた意識は再び眠りに落ちる事なく金色の瞳が眠たそうに開けられる。

 起き抜けで頭が回っていないのだろう。しばらくの間、リュートは眠たそうに目をこすっていたがはたと顔を上げ――


「ジークはっ?!」

「目の前目の前。しっかり手、握ってるでしょ」


 苦笑を堪えたアルの言葉は、リュートの耳に半分も届いていなかった。

 大きく見開かれた金色の瞳が、ぽかんとこちらを見上げる。


「……リュート?」


 まるで金縛りにでもあっているかのように、すっかり硬直してしまったリュート。何故? と首を傾げるとほぼ同時、見開かれた金色の瞳に涙が浮かぶ。


「? どこか痛む」

「――っ、ジークっ!」


 身を案じる言葉は、突然抱きつかれたことによって中断された。


「よかっ、た……よかったぁ……っ!」

「リュート……? お、おい、何故泣く? 傷が痛むのか? あまり泣くと体に障る……そもそも、何がどうなって……?」


 泣きながら胸に抱きついたリュートに、困惑せざるを得ない。どうにか泣き止ませようと必死であやすも、リュートは一向に泣き止む様子はなく、むしろ暖かな雫は止めどなく胸を濡らす。

 いったいどうすればいいのか、途方に暮れるとはまさにこの事だ。


 もはや泣き止ませる手立てなど思い浮かぶはずもなく、情け無いことだが第三者の介入を期待するより他ない。が、生憎この場に居るのは俺とリュートを覗けばアルのみ。

 目を覚まして以降、氷髪の少女は比較的友好的な意志を示しているとはいえ、その真意を知る事は出来無い。――ましてや、相手は仇なのだ。そう簡単に信用など、出来るはずもない。


 ……だが、何故だろうか? アルから向けられる視線はいつ報復されるかという警戒のそれではなく、ましてや罪悪感に苛まれるものでもなく、むしろ甘ったるい何かを大量に食べさせられ、胸焼けを起こしているような生暖かいもののように見えて――

 気のせいだろうと、すぐさま否定できないのは何故だ。


「あー……とりあえず、お邪魔みたいだからいったん退散とするわ。……いろいろ話すにしても、まずは落ち着かなきゃだし、あの子仲間はずれにしたら、後から拗ねちゃ

うでしょうしね」


 と、助け船を出すどころか下されたのは撤退宣言。

 止める間もなく退散する。翻った氷髪につい、恨みがましい視線を向けてしまった事については慣用してもらいたい。

 盗賊達がねぐらにしていた洞窟に入る前と変わらないその姿にため息一つ。兎にも角にも今は膝の上に乗ったままのリュートが少しでも落ち着くようにと、短く刈られた赤毛をそっと撫でた。




 しばらくの間縋り泣いていたリュートは、時間を置く事で落ち着きを取り戻したのか今はベッドサイドの椅子に腰掛け、恥ずかしそうに俯いている。どうやら取り乱した先程の行動を恥じているようだった。

 いきなりの事で、確かに戸惑いはしたがこちらとしてもリュートの無事を確認出来たため特別恥ずかしがる事でもないだろう、と思うのだがどうにも本人はそうは思っていないようだ。


 それよりも気を向けるべきは、リュートが語った内容――今この場所にいる事の経緯と、そして――


「邪魔するわよ。そろそろ落ち着いた? 移動するのもなんだし、食事こっちで取るようにってもらってきたけど、良かったかしら?」


 と、まるでこちらが落ち着くのを見計らったかのように部屋に入ってきたのは、今更言うまでもない氷髪の少女。両手にパンや料理の載ったトレーを持ち、その後ろにはもう一人、金髪の少女の姿。


 アルとびゃく――いや、リュートの話しを聞く限り、二人の本当の名は……


「アルフと京子みやこ……」

「ん。リュートから話し、聞いたんだ」


 特に驚く様子もなく、逆に何処まで聞いてる? とトレーを置きながら問う。


「だいたいのあらましは……。だが……」

「にわかには信じがたい、ってか」


 こちらの内心を代弁するよう、アルフは頷く。

 悔しいながらその通りだ。それほどに、リュートの口から語られた事は俺の価値観を根底から覆すような話しだったのだから。


 生まれてからこれまで、かれこれ二十年以上の間、《大陸人》として生きてきた己が、まさか|《獣人》(けもののひと)だったなどと―― 一朝一夕に信じる事などできない。


「信じられようがなかろうが、現実は変わらないわ。自分の中に今までとは違う感覚があるの、感じてるでしょう?」

「………」


 アルフが指摘したように、目覚めて以降体の中に今まで感じる事のなかった熱を感じている。いや、今まで自覚していなかったものを自覚できるようになった、と言うべきか。

 ごく自然に体を巡るそれの中心は、胸の辺り――丁度、心臓のある場所に相当する。《心臓石》の名が示すように、これがそうである事を理屈ではなく感覚が肯定する。

 黙り込んだ俺に何も言わず、アルフは軽く手を払う仕草をする。同時に、空気が変わった。何、と明確に言葉にする事は出来ないが、それ以前と今とでは漂う空気が僅かだが異なるような――


「ああ、盗聴防止の簡易結界よ。ギルド直営だとそれなりの部屋はあるけど、普通の宿屋じゃそんな設備があるところはそうないから」


 怪訝そうな眼差しに気付き、アルフはなんでもない事のように説明した。

 冒険者同士の情報交換が頻繁に行われるギルド内には、情報漏洩を防ぐために盗聴防止の仕掛けを施した部屋が、最低でも一つは用意されている。冒険者にとって、情報は時に金よりも貴重な物だ。下手な扱いをすれば信頼を失う事に繋がる。そういった事態を回避するためにギルドが用意した対策の一つ。

 そしてそんな防衛策をすると言う事は、これから話す事は他者に広めるべきものではないという事だ。


「いくら否定したところで、あんたの内にあるものは変わらない。―― 一度|《変化》(へんげ)して力を覚醒させた《心臓石》は、二度と未覚醒状態には戻らない。ある程度押さえられるとはいえ、活性化した魔力は魔力探知能力に長けた者や同族、勘の鋭い相手やある程度以上の制度をもつ探知機にはそれと判別できるレベルのモノよ。

 ……あのバカみたいに《心臓石》を狙う輩は多い。厄介事は向こうからやってくる。あんたが好む、好まないに関係無しに、ね。

 いやでもそれを踏まえた上での行動を――時には自衛のための戦闘もしなきゃならなくなるから、最低限心構えくらいはしておけって言ってるのよ」


 重要な話しであるはずなのに、どこか茶化した調子で口にするアルフ。会話の間、一瞬だけだが明らかな侮蔑の色が整った顔に浮かんだ。……会話から察するに、彼女は《心臓石》を、強い魔力を持つモノを求める者を、その際に行う凶行を幾度となく目にしているのだろう。


「……榮は、あいつは――あの後、どうなったんだ?」

「ギルド証をぶんどって|《人喰らい》(マン・イーター)としてギルドに付き出してあるわ。……今は、ギルドの方で厳重監視の下拘束されてる、ってとこかしら」

 ふと口に出した疑問に返ってきたのは、意外な返答だった。|《四凶》(カラミタ)クラスの賞金首ともなると、その首にかけられる懸賞金の額が跳ね上がるだけではなく、捕らえる際の生死は問われない。

 あの時見せた殺気を鑑みるに、殺していても何ら不思議ではないのだから。


彼女・・が来るまで、下手に手を出す訳にはいかないからね。まったく歯がゆいわ」

「……?」

「聞いたでしょ、あいつは体内に多くの《心臓石》を取り込んでいる。喰らって取り込まれた《心臓石》は、それでもまだ生きている。……分離させずにあいつを殺すって事は、取り込まれている《心臓石》を、その中に残っている意志も一緒に殺すって事だからね。それだけは避けたいのよ」

「そう……なのか。しかしよくそんな事が出来たな」


 実力的な意味で、ではない。アルフ達二人の戦闘能力の高さを身を持って知っている身としては、心配するなどするはずもない。

 疑問に思ったのは別の事だ。

 |《死刑執行人》(ディアノーディル)はギルドに顔を出さない事で有名だ。詳しい話しは知らないが、噂によると協力者がいるか代理人がいるか――彼女達には彼女達なりのルートがあるのだろう。


 そう思っていたのだが――


「あー、そっちか。……まあ、誰も信じちゃくれないからねぇ……こんななりじゃ」


 どういう事だ? 視線で問うと、アルフはバツが悪そうに頬を掻く。


「あんたも聞いた事くらいあるでしょ? 《お使い娘》って」

「ああ。それは……――! まさか」

「そ、そのまさかよ。どうにも、仰々しい二つ名のせいでやれ男だ年配の人間だって勝手に思い込まれちゃってるみたいでね? 勘違いしてる人が多いのよ。ギルド職員も含めて、ね。

 そんなの、いちいち訂正するのも面倒でしょう? ……嘗められないためにも勘違いしてもらったままの方が便利だし。――ってコトだから、一応言い触らしは無しにしてね。ま、信じる人は滅多といないでしょうけど」


 あっけらかんと言ってのける。

 ギルドに足を運ぶ事のない|《五つ星》(ペンテ)|《死刑執行人》(ディアノーディル)。ギルドに行かずどのようにして依頼をこなすのか、誰しも一度は疑問に思う。

 一説には連絡係が存在しているとも、旅先で出会った子供に使いを頼んでいるとも、懇意にしている娘を使いにしているとも、様々な噂を小耳に挟む事はあったが……

 世間では正体不明とされ、|ギルド登録者(冒険者)の間で半ば伝説的に語られる|《死刑執行人》(ディアノーディル)の真実が、まさかそのように成り立ったものだったとは……世の同業者達が知ればはたして嘆くか、それとも呆れるのだろうか?


 悪戯っぽく同意を求める眼差しに相づちを打てば、アルフはありがとうと笑顔を浮かべる。そこに浮かぶ表情は毒などなく、それこそ年相応のものだ。

 とてもではないが、目の前の少女からは|《五つ星》(ペンテ)の最古を、あるいは|《四凶》(カラミタ)の一角を連想する事すら出来ない。


「……一つ、聞いてもいいか?」

「うん? あたしに答えられることなら答えるけど?」

「……榮は、何故そこまでして力をを?」


 口にしたのは、そんな疑問。


 《魔石》――《心臓石》に過大な力があるという話しは、確かに理解できた。

 しかし、それに伴う危険がまた多い事も事実――まず入手自体が違法である上に、|《獣人》(けもののひと)からの反撃やアルフのような者からの妨害もある。冷静に考えれば、とても割に合うとは思えない。

 だが、榮はそれを実行し――繰り返してきた、のだろう。それはアルフ達とのやり取りの中から、何となくだが想像できる事だ。


 あの時に向けられた狂気は、狂おしいまでの渇望は、今でも記憶に生々しく焼き付いている。そう簡単に忘れる事などできない。

 いったい何が、何故――あいつをそこまで駆り立てていたのだろうか?


「――面白くない話しになるわよ」


 真摯な眼差しに、降参したとばかりに肩をすくめアルフは先程までの砕けた様子から一転、神妙な顔で語る。


「ぶっちゃけ言っちゃうと、あいつは復讐者よ。……ただ、その怒りの矛先を向けるべき相手があいつの手でではなく、別の者の手によって決着した。してしまった。

 向けるべき矛先を失ったあいつは、けれどその刃を納めることも出来ず、かといって矛先を向ける相手はすでにおらず――力を持てあました。そして復讐のために力を求める意思だけが肥大化し――歯止めが利かなくなった。……そういう奴よ」


 淡々と、ただ淡々とアルフは語る。それ以上を続ける気は無いようで、他の疑問はないかと問うように視線を向けた。

 あいつもまた、復讐者だった。その事実に、つい己の事を重ねてしまう。仇を憎む気持ちも、そのために周囲を鑑みない行動も、理解できてしまう。


「……言っとくけど、だからって同情できる事じゃないわよ? 確かにその件の犯人はあいつの親しい人以外にもたくさんの人を殺した。それは紛れもない事実で、どんな事情があったとしても許される事じゃない。

 だけどその事で復讐できるのは殺した当人に対してのみ。当事者に向けるべき事柄であって、他者に矛先を向けるのは筋違い。……ましてや自分の力を増すために《御霊喰らい》を繰り返すだなんて、そんなのはもうただの八つ当たり。子供の我が儘以下だ」


 こちらの内心を読んだように、アルフはそう付け加える。氷色の瞳に怜悧な輝きを宿し、咎めるように向けられた視線。


「……解っている」

「そ、ならいいわ」


 見透かすような瞳を向けられ、若干バツが悪い思いをしながらの返答。しかしアルフは気にする風もなく表情を緩めた。そこにはもう先程感じた怜悧な印象はなく、本物の氷解めいて無機質さを醸し出していた瞳に感情が戻り、年相応の笑みを浮かべていた。


「他にも何か、質問はない? あるのなら遠慮なく言って。さっきも言ったけど、あたしの知っていることならだいたいことなら答えるから」

「……俺からは、これ以上特には」


 少なくとも、今回彼女らの行動に命を救われた身。今でさえ彼女らは自らの手の内を明かしている。これ以上不躾に立ち入るのは不義理だと思い、首を振った。


「そっか。リュートは?」

「え? わ、わたし……?」

「うん。他に誰がいるのよ」


 唐突に話を振られ、戸惑うリュートにアルフは微笑を浮かべる。しばしの間考え込むように視線をさ迷わせたリュートは、ややあって意を決したようアルフを見上げる。


「あ、あのね……じゃあ、一つだけいいかな」


 おずおずと、けれど反らす事なく向けられた眼差しにアルフは急かす事もせず、続きを促すようにリュートの視線を黙って受け止めた。



「お父さんとお母さんは……《魔石》の研究をしていたの……?」





「……まあ、あれだけヒントがあれば当然か……や、気付かないなんて思うのは、流石に侮りすぎだったか」


 痛いほど張り詰めた沈黙を破ったのは、ため息と共に紡がれたアルフの言葉。


「やっぱり……なの?」


 その時のリュートは、いったいどんな顔をしていたのだろう? こちらに背中を向けているため表情を窺い知る事は出来ない。

 けれどこぼれた声は、泣いているような、安堵しているような――そんな、なんとも形容しがたい複雑な感情を背中に感じた。


「――そうよ。ユヴェリエ家は元々、魔術についてを研究する家系だった。もちろん当時のブーミラス――大陸は今みたいに魔術が一般にまで普及していなかったから、やっていたのは各地に残された伝承を回収するだとか、森の民エルフにまつわる工芸品の収拾だったり……だったらしい。

 それが変わったのは《大戦》のあたりから。ソロゥから様々な戦利品・・・が持ち帰られて以降、《魔石》の研究に着手するようになった、って訳。国から爵位を拝命したのも、丁度その頃になるかしら」


 それはつまり、ユヴェリエ家というものが《魔石》によって栄えていたという事実。

 元はただの一研究者でしかなかった者が、爵位を選るほどの功績――それほどまでに、魔術による恩恵は大きい。……そういう、事なのだろう。事実、純粋な体術とは違い、いつ何処からどんな術が発動するか掴みにくい魔術は、確かに驚異だ。


「……だから、お父さんとお母さんを……あんなことを、したんだ……」

「違うわ」


 痛みを堪えるようなリュートの言葉に対し、返ってきたのは即座の否定。

 予想外の返答に驚きの目を向ける俺達に対し、アルフは心底不思議そうに、さも当然とばかりに口を開く。


「言ってなかったっけ? あたしは《魔石》の研究に関しちゃ肯定派なのよ。もちろん、研究を否定してる人もいるし、その気持ちも否定しないけどね」

「なんで……じゃあ、どうして……?」

「………。じゃあ、逆に聞くけどなんでリュートは《魔石》の研究がよくないことだと思ったの?」

「え?」

「『それ』をしたから殺された――そう考えるって事は、それが犯罪行為だと認識したって事でしょ」

「え、えと……だって……」


 反対に向けられた問い。リュートはすぐに答える事ができない。

 《魔石》の研究――それは|《獣人》(けもののひと)と同じく強い魔力を持つ|《七族》(セッテラッツァ)であるアルフにとっても他人事とは言えない事柄だろう。

 血や肉体に魔力を持つと言ったのは彼女だ。下手をすれば同じように狩られる立場。何より彼女の気質からすれば、《魔石》研究という行為を毛嫌いしていても何ら不思議ではないと思えるほどだ。

 にも関わらず、肯定派だと口にする――その姿はむしろ、彼女が先に見せた《御霊喰らい》への嫌悪感からすれば不自然だ。


「だって……《魔石》は|《獣人》(けもののひと)を殺して……。それに、|《魔石獣》(ユウェルディール)は《魔石》から作られている……ん、だよね? だから、あんな物を作る研究なんて……ない方が、いいって……」

「ああ……まあ、確かにあんな物を目にしてちゃ、そう思うのも無理はない、か」


 戸惑いながらの回答に苦笑を浮かべ、アルフは言葉を続ける。


「確かに、《魔石》の研究は|《魔石獣》(ユウェルディール)みたいなモノも生み出す。その点に関しては否定できないし、あんな悲しい存在、あって欲しくないとは思ってる。――でもね、何も研究っていうことが生み出すのは|《魔石獣》(ユウェルディール)だけじゃないのよ」

「……どういう?」


 まるで謎かけのような言葉に、リュートは首を傾げる。


「《魔石》は――《心臓石》がどういうモノかは、説明したよね」

「う、うん……」


 《魔石》――《心臓石》はその名が示すとおり、|《獣人》(けもののひと)の心臓だという。


「正確に言うと、心臓の横に存在している、魂の結晶――って言われてるわ」

「……は?」

「流石にそれは俗説かもしれないけど、ね。まあそんな感じで生きるために欠くことの出来無いモノだと認識してれば、それで問題ないわ」


 何か誤魔化されたような気がし、釈然としないが確かにあの時以来感じるようになった力の奔流も、意識を集中すれば胸のあたりを中心に感じる事が、アルフの言葉を肯定していた。


「より正確に言うとね、《魔石》を採取するに当たって、対象が生きている必要性はない。《心臓石》は|《獣人》(けもののひと)の体内に存在する器官の一つであって、つまりは生きている対象からだろうと殺した後の者からだろうと、それこそ自然死した相手からでも採取することは可能なのよ」


 もちろん、内包する魔力に差異は生じるけれど――と、付け加える。

 しかしそんな解りきった事を、今更何故――


「――あ」


 気付く。

 つまり、《心臓石》はその名の通り――


「そういう事。……死んでも存在する。残ってしまう。つまり、|《獣人》(けもののひと)の墓には《心臓石》という魔力の固まりが否応なしに残されてしまう。

 ……魔力っていうのはね、水と似たところがあるのよ。ほら、水って川を流れていると濁る事って少ないけど、沼とか池とか流れのゆったりなところに溜まると濁るでしょ? それと似たようなモノでね、一定以上の魔力が有る特定の性質で溜まり続けると、決まって周囲に淀みや歪みを生んでしまうの。力ある精霊が居れば、そうもならないんだけどね。

 ほら、言うでしょ『何事も過ぎたるは及ばざるがごとし』って。過剰な力は悪意の有無にかかわらず、周囲の均衡を破壊する。それを回避するためには、力を還さなきゃいけない――ソロゥ、|《獣島》(けもののしま)では周囲に悪影響を与えるような魔力溜まりが出来ないように残される《心臓石》の魔力を導いて、世界に還す仕組みがあるから問題にはならない。けど、仕組みのないポロンナルワやブーミラスじゃそうはいかない。――《姫》が巡回するったって、限度はあるしね」


 つまりは、そういう事なのだとアルフは笑う。


 |《獣人》(けもののひと)はもはや|《獣島》(けもののしま)にだけ住まう種族とは言えない。いや……|《七族》(セッテラッツァ)を含め内海に浮かぶ島の民はあまり故郷を離れたがらないというが、全ての人がそうであるとは言えない。

 何よりも――《大戦》時代の経緯から、己が|《獣人》(けもののひと)であると気付かぬまま生きる者は、けして少なくはないのだろう。……この、俺がそうであったように。


 |《獣人》(けもののひと)としての特徴がどの程度次の世代に引き継がれていくのかは解らないが、今後もそういった者が存在する事は確か。

 故にその亡骸に残る魔力の結晶を放置するわけにはいかない――ひいては《魔石》の研究全てを否定する事は出来無い。と言う事なのだろう。


「本当のところ、全ての《魔石》を還元システムのある|《獣島》(けもののしま)に持ち帰れるのなら、それに越したことはない。……でも、言うは易行うは難しってね、現実問題としてそれをすることはほぼ不可能。輸送などの問題もあるし、だいたい自覚していない人の身内にどう説明すればいいんだか、って話しよ。

 ……他にも、それだけ頻繁に《魔石》を輸送すれば、嫌でも人目に止まる。よからぬ輩に嗅ぎ付けられる。襲撃を受ける可能性も、最悪生産方法を知られる可能性だってある。そうなったら、どうなるか」


 考え得る最悪。それは《大戦》の再来――ただでさえ偏見の目で見られやすい|《獣人》(けもののひと)だ、虐殺や密猟の対象になってしまう可能性は、否定できない。


「……まあ、さっき言った綻びって言うのは、今のところさほど深刻じゃないんだけどね。でも、今のところは影響がないからと言って、将来いつ綻びを生むか解らない。それを考えれば、対処方法を探るための研究は、けして悪い事じゃないのよ。

 だってそうでしょ? 『それ』が何であるか知らない常態じゃ、ろくな対処も出来やしない。《心臓石》みたいな魔力の固まり、こっちが研究しなかったとしてもどこかの誰か――それこそ地下組織だの裏の世界の住人だのは、己が力を増すために研究してるでしょうよ……今も。

 綺麗事が必要ないって言うつもりは毛頭ないけれど――可能性があるのにそこから目を背けるのは、それこそ愚行に他ならないわ。

 だからあたしはその物の性質を知り、知識を得ることその物を否定するつもりは毛頭ない。知らない事は時として救いになるけれど、知る事を怠るのはただの怠慢だ。

 それが危険かも知れないって、ただそれだけの理由で知る権利、いや知ろうとすることすら放棄する……下手に刺激せず触らず静観するってコトは、安全策じゃなくて単なる事なかれ主義よ。それで、後になって取り返しが付かなくなってから泣きついてちゃ世話もない。そんなの最も恥ずべき事だから――ってね」

「じゃあ……なんで……」


 おどけたようなアルフの言葉に、リュートはただただ呆然と問いを返すしかできない。


「《魔石》を採取していたから」


 今度こそ、アルフは一瞬の逡巡もなく言いきった。


「墓荒らし、ならまだいい。嫌悪感はあるけどそっちならまだマシだ。だけどユヴェリエ家は生きた人間から《心臓石》を取り出し、そのまま《魔石》として売りさばいたり内包している魔力を他の蓄魔性に優れた鉱石へと移し替えて、魔鉱石を精製して売りさばいていた――あたしは、それを見過ごすことは出来なかった」


 淡々と、反らす事なく真正面から向けられる氷色の瞳。己の意志を偽る事のない眼差しで、アルフは逃げる事なく己の信条を告げた。

 氷色の瞳に射貫かれ、リュートは何一つ言い返す事は出来なかった。

 当然、だろう。両親の所業を暴かれ、正面から非難される――例え仇と憎む相手の言葉であったとしても、《魔石》にまつわる話しには信憑性がある。戯言だと切り捨てる事は出来無い。


 けれど一方で、リュートの両親がそんな事をしていたという現実が、容易に受け入れがたいものである事もまた事実だ。――それは両親であるからとかそんな理由ではなく、彼等の人柄を知っているが故だ。

 現に、俺もあの領民思いだった領主夫婦がそのような非道に手を染めていたとはにわかに信じる事ができない。


 それでも戯れ言だと切り捨てる事が出来ないのは、アルフ達の雰囲気が、とても嘘偽りを述べているようには思えないせいでもあった。


「ねえ、ジークはユヴェリエ領の生まれよね? あそこの特産物って、何がある?」

「は……?」


 唐突に向けられた問いに、つい間の抜けた声で返してしまう。意表を突く問いを投げてくれた当の本人はと言えば、相変わらず悪戯をしているような苦笑を浮かべていた。


「あの土地はさ――はっきり言ったら悪いけど、痩せてるのよ。ものすっごくね」


 だから作物を育てることも難しく、住み着く人が少ない土地だった。と付け加える。


「四方のほとんどは高い山に囲まれて、雨雲は山々に遮られるが故に降雨量は年間を通して少ない。晴れが多いと言えば聞こえはいいけれど、領地内に太い川が流れているわけでもなし、豊富な地下水があるわけでもない。これじゃ耕作には不向きと判断を下されても無理はない。

 同じような理由から住み着く獣もけして多くはないし、特有の生き物が居るとは言ってもその数は少なく、そこまで重宝されない上、輸送手段にも乏しいから大々的な産業に発展させることは難しい。これじゃ不毛の大地と放置されるのも無理はない。

 ――それを、ユヴェリエ家はたった百年足らずであそこまで発展させた。

 それがいかに異様か、判る? 確かに元々人が少なかったと言う事は、開拓に当たって先住者と入植者との軋轢などの問題が起こりにくいから、進んだ技術さえ持ち込めばできないことではないのかもしれない――けど、それにしてもこの速度は異常だ。

 だいたい、人が住むのに少なくとも適していると判断されていなかった場所にそれだけ多くの人を移住させるだけでもどれだけの労力が必要か。生きることだけでも難しく、その上これと言った収入も見込めない場所に好き好んで移住したがる人間はそうはいない」


 アルフが言う事は至極正論だ。本来、そのように人が住むに適さない土地はそのまま放置されるか、流刑地や犯罪者などを贖罪という名目で送り込み重労働を与えるなどの隔離場所にされる場合が多い。

 あるいは後ろ暗い事をした者達が隠れ住むなどといった例はあるだろうが……


「――だから|《獣人》(けもののひと)を……?」

「正解よ。|《獣人》(けもののひと)――アニマロイドはルマソイド、ヒュームリアなど人間三種の中でもっとも身体能力が高く、過酷な環境に対しても強い。開拓のための労働力として、これ以上ない存在だった。

 当時|《獣島》(けもののしま)からもたらされた《心臓石》や|《獣人》(けもののひと)に関する情報を得た魔術研究家ソピステース・ユヴェリエは秘密裏に|《獣島》(けもののしま)から捕虜として、あるいは戦利品として連れ去られた|《獣人》(けもののひと)を買い集め、ある程度数が集まると当時はただの荒れ地でしかなかった旧ユヴェリエ領へ赴き、開拓に乗り出した。

 初め、誰もがかの人の行動を疑った。それほどまでに見限られた土地だった――けれどソピステース・ユヴェリエは周囲の声など気にもかけなかった。そして誰もがすぐに頓挫するだろうと疑うことのなかった開拓は成功し……当時、一介の研究者でしかなかったソピステース・ユヴェリエはその功績を認められ、この国から爵位を賜ることになる。

 もちろんそれは未開の地を開拓しただけじゃなくて、《魔石》という新たな資源を採掘したという功績もある。開拓の間に倒れた|《獣人》(けもののひと)から《心臓石》を回収し、売り払うことで資金にしていたし石の魔力を使って厳しい環境を少しずつ改善していった――その研究過程や功績が認められて、ね。

 そもそもさ、二人は疑問に思うことはなかった? いろいろな土地を旅したんでしょ? そこと比べてユヴェリエ領はそれこそ王都周辺や直轄領には劣るものの、それに見劣りしない発展振りだって。領地の隅々まで整備された街道が敷かれ治安も良い。同じくらいの領地で同じ事をやってるところが、はたしてあったかしら?」


 確かに――言われてみればそうだ。

 旅を始めた当初はそれこそ生きる事に手一杯で周囲に目を向ける余裕など皆無であったが、それでも旅に慣れてきた頃には多少ではあるが周囲を見る余裕は生まれていた。その頃思った事は、例えば道の通りにくさであり賊の多さであり、大都市と呼ばれる街でもあまり治安がよろしくなく、酷い場所では街の三分の一程度が生活に困窮する者で占められる、所謂貧民街と呼ばれる場所になっていた――などという場所すらあった。

 俺が住んでいたのは都会ではなく旧ユヴェリエ領の小さな村であり、街に出た事などそれこそ数えるほどだが――ユヴェリエ領とその他の領地を比べた場合、治安の差は雲泥であったし貧民街などの規模も桁違いだったように思える。

 むしろ領主夫婦はそういった者達に積極的に声をかけ、街道整備やその他の細々とした仕事を割り振っていたため食い詰めて犯罪行為に手を染めるなどといった者はほとんど居なかったように思う。

 そのような環境を維持するためには、いったいどれだけの予算が必要となるのか――簡単にできる事であれば他の領主が行っていないのは不自然だ。つまりそれに必要となる予算は膨大だと言う事で、その事実に目眩を覚える。


「……まあ、色々と言ったけど領主としての才能は、あった人達よ。例えどれだけ莫大な富を得る方法を持っていたとしても、それを己の私腹を肥やすためだけに用いる輩がどれだけいる事か。

 その点において言うなら、ユヴェリエ夫妻は領主としては理想的な人物だった――|《獣人》(けもののひと)に対しても、彼等は他の領民に対してと何ら変わることはなく恩恵を与えていたのだから――ただ、《心臓石》を搾取するという一点以外は」


 それだけは、絶対に見過ごす事はできなかった。


 そう言葉にするアルフの顔には亡き人を懐かしむような、憎んでいるような、呆れているような――なんとも表現しがたい感情が絡む複雑な顔をしていた。






 数日後、用悪体の調子も戻り外出許可の出た俺は、その足で馬小屋に向かった。ここ数日大事を取って寝てばかりであったため少々体が重いように思う。しばらくは護衛などの依頼ではなく、街の周辺に出る獣を狩るなどの簡単な依頼で体を慣らす必要があるな、そんな事を考える。

 現在宿泊している宿屋は客の馬や馬車を預かるための小屋が作られており、追加料金さえ払えばそこで世話をして貰える。ラーと馬車もまたここに預けられていた。


「心配をかけたな」


 俺の気配に気付き、心配そうに顔をすり寄せるラー。彼女の心配をほぐすようブラシをかけてやると、気持ちよさそうに眼を細める。

 リュートにそうしてしまったよう、ラーにもまた心配をかけてしまったのだろう。彼女もまた三年の間、旅を共にした掛け替えのない仲間だ。心なしかやれやれとばかりのいやに人間臭い感情がその瞳から見て取れる。


「仲いいわね」

「……アルフか」

「リュートじゃなくて残念だった?」

「……別に。それに、あの子は今寝ているだろう? ここ数日はずっと無茶ばかりさせてしまった……今くらい、ゆっくり休んでいてもらいたいからな」

「あはは、まー、確かに。ずっとあんたの側から離れようとしなかったからね」


 唐突に向けられた言葉にそう返す。そこにいたのは予想に違わずここ数日ですっかり見慣れた氷髪の少女。屈託のない笑顔を浮かべながら、アルフは何を気にするでもなくごく自然にこちらに近付くと、同じようにラーにも声をかけた。


「……お前が世話をしてくれていたのか?」

「んーん、メインは京子よ。あたしは動物にはあんまり好かれないから……ま、多少は手伝ったけどね」


 だから世話をしたって言えばそうなるのかな? と言いながら首を傾げる。そんな仕草は年相応の仕草その物で、もしこの光景を見ていた第三者が居たとしてもまず間違いなくあの|《死刑執行人》(ディアノーディル)や|《殺し屋K》(キラー)を連想する事はないだろう。


「……何か今、すっごく失礼なこと考えなかった?」

「気のせいだろう」

「しらばっくれちゃって……。ま、そういう事にしておいてあげる」


 素知らぬ顔で返した俺に対し、アルフはじろりと抗議の視線を投げるが、それ以上追求する事はなかった。あまり気に障る事ではなかったのだろう。


「――それで、何の用だ?」

「うん? なんでそう思うの?」

「わざわざ一人になるのを待っていただろう」


 とぼける用に肩をすくめたアルフに対し、じろりと言い放つ。


「あー……、やっぱあたし程度の気配消しじゃもう気付いちゃうかぁ……前は気づかなかった癖に」


 指摘に対し、アルフはまるで悪戯がばれた子供のように気まずげな……いや、どちらかというと子供だと思っていた者が急に大人びた発言をした時のような反応を示す。


 ……仮にもこちらの方が年上である。そのためその例えはいささか妙ではあるのだが、どうにもその時のアルフの顔はそれ以外に表現しようがなかった。……先の彼女のセリフを返すような形になるが、いったい人の事を何だと思っていたのだろうか?


 人間三種族と呼ばれる《大陸人》ヒュームリア、|《七族》(セッテラッツァ)ルマソイド、|《獣人》(けもののひと)アニマロイドの中でもっとも身体能力が優れているとされるのが|《獣人》(けもののひと)だ。その種族的特徴とも言える能力――|《変化》(へんげ)の力(アルフ達が言うにはあの時俺がしたのは|《変化》(へんげ)ではなく《獣化》という別物だったらしいが、同じ《心臓石》の力を源としているとの事なので似たようなものだと解釈した)を解放して依頼、以前と比べ感覚が鋭くなっている事は自覚していた。

 |《変化》(へんげ)した時は勿論、|《変化》(へんげ)していない時であっても多少の薄明かりの中でものの判別をする事ができるし、視力も増したように思う。遠く離れた場所の音も聞き分ける事ができるようになるなど聴覚や嗅覚にも同様の事が言えた。

 感覚が増した現状、多少息を殺した相手の気配であっても察知する事にさほど苦労する事もなくなっていた。


 無言で先を促すと、アルフはややあって口を開く。


「あんたにはもう一つ、言っておかなきゃならないことがあるから」


 そういって、アルフは怪訝そうな目を向ける俺の前で深々と頭を下げる。

 あまりに唐突な行動に、一瞬理解が追いつかない。


「何を――」

「あんたの弟のこと――あたし達がもう少し早くに動けていれば、死なずにすんでいたかもしれない。確実な証拠を掴むためとはいえ、情報収集に結構な時間をかけてしまったことは確かよ。……見殺しにしたも、同然だ。――だから、あんたにはあたしを憎む権利がある。リュートとは違う意味で。……ユヴェリエ家の不正を野放しにして、助けられる命を見捨てたんだから」


 だから、とアルフは言葉を続ける。


「あたしの事が憎いのなら、あんたにも復讐する権利はある。止める権利なんて、あたしにはない。だから、憎ければリュート同様にいつでも復讐しにこればいい。――勿論、こっちも手は抜かない」

「……命で償う、ではないのだな」

「当然。そんな事したって死者は死者。殺した相手を殺したって、殺された者が蘇る、なんてことはあり得ない。――それにね、リュートの時も言ったけど、あたしは生き汚いのよ」


 くすりと、笑う。

 自嘲するように、呆れるように――その姿はまるで泣いているような、己の性分を嘆いているような、そんな言い知れない暗い感情が滲んでいた。


「……勝手、だな」

「そうね。ifもしで語るなんて、らしくない事したわ」


 こちらの声に咎める色がない事に気付いたのだろう。アルフは苦笑を浮かべたまま肩をすくめた。


「一つ、聞かせてくれ」

「うん?」

「もしお前が言うように早く動いていた場合、領主夫婦が生きていた可能性は……?」

「変わらなかったでしょうね、何も。……お互い、相容れない主張だったから」

「……そう、か」


 返ってきたのは一瞬の迷いもない返答。それだけで《魔石狩り》と|《獣人》(けもののひと)との間にある問題の根深さを思い知る。


 魔力の少ない《大陸人》は魔力を求め、《魔石》を求める。命を奪われる|《獣人》(けもののひと)や|《七族》(セッテラッツァ)は、そんな《大陸人》の行動を嫌悪する。

 それが判っていて尚、ヒュームリアは魔力を求めることを止める事ができない。


 現に旧ユヴェリエ領での領地運営において、《心臓石》は欠かせない存在だったのだろう。

 風の噂に聞く故郷の様子は、以前と比べ随分暮らしにくくなったという。資源の乏しい旧ユヴェリエ領にとって、《魔石》は欠く事のできない存在だったと、今なら判る。


「気にするな……とは、口が裂けても言えはしない。……だが、過ぎた事を語ったところで、何が変わるでもないだろう? ……死んだ者は、蘇りなどしないのだから」

「そうね。死者は死者、もうこの世には居ないから――戻らない者だからこそそう呼ぶのだもの」

「それに、もしそうなっていればリュートが……彼女が両親と居られた時間は、さらに短いものとなっていたのだろう?」

「……まあ、ね」


 こちらの言葉に、何がおかしいのかアルフは苦笑で返す。


「随分優しいのね、彼女には」

「……問題があるのか?」

「いーえ、まったく」


 何やら揶揄するような言葉にじろりと眼光を鋭くするも、アルフは涼しい顔で受け流す。すっかり毒気を抜かれてしまい、しかめていた目を元に戻す。そんな気配を察したのだろう、ラーがほっとしたように息をついた。





 冬を感じさせる湧いた風が頬を撫でる。


 もう秋も随分深まって、迫る雪の季節に備えた森の木々はすっかり葉を落としていてどことなく寂しい感じがする。

 この時期になるともう街道に商人達の姿も少なくなってしまう。早い年にはそろそろ雪が降り始めているから、たくさんの荷物を運べる大型の馬車は雪にはまりやすいせいで使うことができなくなってしまうんだって。それに寒さで獲物が少なくなった分、お腹を空かせた狼や熊みたいな肉食動物が街道にまで迷い出てくることもあるし、どうしてもこれからの時期の移動は厳しくなってしまうから。

 村の外でジークとわたし、アルフと京子、それからラーの四人と一頭はそれぞれ旅支度を調えて街道脇に止めた馬車のすぐ側に集まっていた。


「もう発つんだ」


 気が早いなぁ、まるでそういうみたいに苦笑を浮かべるアルフ。


「ああ。……冬が来る前に、もう少し南へ行っておきたいからな」

「ふーん、もしかして寒いの苦手なの?」

「旧ユヴェリエ領は高地だ、多少は耐性はある。……が、これからの時期人の流れが少なくなる場所では依頼が少ない」


 ジークが言うように、人の移動する機会が少なくなる冬の間はギルドに寄せられる依頼も少なくなる。……それでも街の周辺にまで餌を求めた野生動物がやってくることはあるから、完全になくなってしまうわけではないけれど。


 ……たぶん、ジークはまだ体の調子が戻っていないんじゃないかな? そんな状態で足場のよくない雪の上、悪条件をものともしない獣相手に戦うのは難しいって……だから、なるべく雪の少ない南の方に行こうって。


 そういえば、事件の手掛かりを探している時も冬の間は南の方に行っていた。だからこれはほとんど習慣のようなものでもある、んだと思う。


「ふーん、仕事熱心ねぇ」

「……そちらが不真面目すぎるだけだろう」


 呆れたようにジークはため息をつく。暗にアルフが――|《死刑執行人》(ディアノーディル)があんまり依頼を受けないことを非難しているけれど、アルフは全然動じた様子もない。


「まったく……。それに、そもそもあまり一箇所にとどまらない方がいいと言ったのはお前だろう?」

「あはは、そーでした」


 |《獣人》(けもののひと)の体の中にある魔力の固まり――《心臓石》を狙うことを専門にしている人達のことを《魔石狩り》というらしい。そういう人達の中には《魔石》の存在を感知する方法を持っている人もいて、あまり同じ場所にいると怪しまれて襲われる可能性があるんだと、注意した方がいいと言ったのはアルフだ。


「……他人事、だな」

「うーん、まあほら、あたしは|《獣人》(けもののひと)じゃないからね?」

「だが|《七族》(セッテラッツァ)も似たような状況なのだろう? 血を触媒に用いる場合もある、と言っていただろう」

「ああ、確かに触媒なりなんなりに利用出来るけど……下手にあたしの血なんか使ったら痛い目見るっているか逆効果って言うか」

「?」


 苦笑するアルフの言葉の、最後の方は小さすぎてよく聞こえなかったけど、一瞬何か諦めみたいな、普段のアルフからするとらしくない表情を浮かべていたように見えたような……気のせい、かな?


「まっ、そんな連中がいたら好都合――まとめて芋づる式に引っ張り出して、そのままブタ箱に放り込んでやるわ」

「ああ……」

「……一応冗談のつもりだったんだけど……。なるほど、あんたがあたしの事をどう思ってるのか、よーく解ったわ」

「冗談だったのか?」


 本気で聞き返すジークに、アルフは盛大なため息をついた。


 そんなやり取りをしていたけれど、いつまでもこうしているわけにはいかない。いくら街道の脇に止めているとはいっても、いくら街道を使う人が少ないっていっても、ここは街への入り口。

 商人はほとんど通らなくなっても、街に住んでいる人が畑に出かけたり近くの森に仮のために出かけたりするのに使っている。それに、いつまでも話していたら出発が遅れて、日が暮れるまでに次の街にたどり着けなくなってしまうから。


「あ、あのっ」

「うん? なにかな?」


 出発の前に、どうしても言っておきたいことがあったわたしはそろそろ出発しようとしていたまさにその時に、アルフに向けて声をかける。そんなわたしの行動を訝しむでもなく、アルフは視線を合わせるように膝を折って首を傾げた。

 むしろ突然の行動に首を傾げたのはジークだった。心配する視線を向けているのが見なくても解る。


「リュート……?」


 でも、どんなに心配させているって解っていても、これだけは聞いておかないといけない――そうしないと、きっとわたしはいつまで経っても立ち止まったままだと思うから。進み出せないと思うから。


 だからわたしは、怖じ気づいてそのまま黙り込んでしまいそうになる自分を奮い立たせて、言葉を続けた。


「アルフはあの時言ったよね……憎いのなら、憎んでいいって」

「……ええ」


 空気が、重くなるのが解る。今までと違う、張り詰めた空気。少しでも刺激したら、そのまま張り裂けてしまいそうな――


「それで、何かな? ――やっぱりあたしの事、許せない、かしら」


 ジークから向けられる気遣う視線。アルフから向けられる挑戦的な視線。京子から向けられるおろおろとした視線。

 そんな三つの異なる視線を受けたまま、わたしはゆっくりと、だけどしっかりと、言葉の続きを口にする。


「お父さんとお母さんがいないことは、確かに悲しいし、寂しいよ……。でも、なんでだろう……|《魔石獣》(ユウェルディール)を見ちゃったからかな……わたし、アルフが言ったみたいにあんな物を作っちゃうとしても、石の研究は悪くないだなんて、必要なことだって全然思えなくて……だから、えっと……」


 伝えたいことも、言わなきゃいけないことも沢山ある。あるのに、言葉にするのが難しくて上手く行かない。


 悲しい気持ちとそれ以外の気持ち。同じことに対して思う感情のはずなのに全然違う感情はごちゃ混ぜになって、いったいどう表現したらいいのか解らない。

 上手く言葉が続かないわたしを急かすこともしないで、アルフはじっと、ただ静かにわたしを見つめる。

 いつかと同じように氷色の瞳に見つめられて――だけどあの時は恐くてたまらなかった瞳が、どうしてか今はとても暖かみのあるものに見えて、手の平から伝わってくるジークの熱も手伝って、まるで波が引くみたいに簡単に、すとんとその言葉はこぼれ出る。


「……わたしは、何も知らなかったんだって、そう思ったの。お父さんのことも、お母さんのことも、《魔石》のことも、そのために殺されたジークの村の人達のことも、何もかも。

 でもね、そのことを言い訳にしたいんじゃないよ? だけど……だけどまだ気持ちの整理がつかなくて、どう受け止めたらいいのかもわからなくて……

 だから……これから先、大きくなる間にもっといろいろなものを見て、知って、いろんなことがわかるように、ちゃんとわかるようになりたい」


 ――きっとこれは、問題の先送りなんだと思う。


 だけど今のわたしには、突き付けられた現実はあんまりにも大きすぎて、自分の手に負えるものじゃなくて、だからこう考えることが精一杯で、


「でも、今はわたし、ジークと一緒にいられることが嬉しいから。わたし一人だったら、絶対ジークを助けることも出来無かったと思うから――だから、これだけはきちんと伝えておきたかったの」



「わたしが大人になった時、アルフのしたことが許せないって思ったら――その時は、お父さんとお母さんの、屋敷にいた人達の仇を、取りに行くから。だから――答えが出るまでは、待っていて欲しいの」





「……よかったのか?」


 村から南に延びる街道。ラーが引く馬車に揺られながら、珍しく荷台ではなく隣に座り後ろに流れてゆく景色を眺めていたリュートに声を投げる。


「うん……いいんだ」

「……そうか」


 あの後――アルフ達への礼を言い終えると、リュートは恥ずかしそうに踵を返しそのまま馬車に乗り込んだ。そろそろ発たねば本当に野宿を余儀なくされるような時刻であった事もあり、そのまま簡単な別れの挨拶を残しこうして南へ出発したわけだが……まあ、今更気に止めても仕方のない事だろう。

 それにあの性格だ、もし言いたいことがあるのならば無理矢理にでも引き留めて、言いたい事を言っていただろう。その姿があまりに容易に想像できる。


「……ジーク?」

「いや……なんでもない。それよりもリュート、寒くはないか?」

「うん。ちゃんと前の街で防寒具も買ったし、大丈夫」


 兎の毛皮でできた外套を指差し、リュートは頷く。丸く加工が施された毛皮が馬車の揺れにあわせて揺れていた。


「ジークは、寒くないの?」

「ああ。この程度は問題ない」


 そもそもラーに指示を出すため風よけのない外にいなければならない事はわかっている。そのため風の通りにくい加工を施した外套を用意している。そんな俺の言葉に、リュートは安心したような逆に何か物言いたげな、そんな顔をする。


「……どうかしたのか?」

「え……? ……うん。あのね……」


 首を傾げて先を促すと、リュートは真剣な様子でこちらを見上げ――



「――ありがとう」



 ――花が綻ぶように、笑う。

 可愛らしい唇が紡いだ言葉は、共に旅をした三年間の間、一度も――否、あの日以降初めて聞く単語で、


「あの時にね……ジークがもし一緒に行こうって言ってくれなかったら、わたしはきっと今も何も知らないままだったと思うの。お父さんのことも、お母さんのことも……石のことも。

 ううん、もしかしたら今頃お父さん達みたいに石の研究をしてたのかもしれないって……|《獣人》(けもののひと)を殺していたのかもしれない。そう考えたら、恐くて」


 告げられた予想外の言葉に戸惑い、沈黙してしまった俺の反応をどう捕らえたのか、リュートは寂しさを堪えるよう、そんな気持ちを払拭するようにくしゃりと笑う。


「旅なんてしたこともなかったから、辛いことは沢山あったし馴れるまでは本当に大変だったよ。……でも、ジークの方がもっと大変だったんだよね。旅に慣れてないのは、一緒だったのに……なのに、わたし全然気付いてなくって、なのに役に立ててなかったもん。足、引っ張ってた……よね。……仇討ち、だってさ……結局はあんな形になっちゃって……できたって、言えなくて……

 ……でも、でもね、あの時ジークが連れ出してくれなかったら、わたしはきっとここまでこられなかったんだと思うの。あの時ジークが村から連れ出してくれなかったら――助けに来てくれなかったら、わたしは何も知らないままで、お父さんとお母さんが何をやっていたのかも知らなくて、何もわからないままだったと思うから……だから、ありがとうって、それだけは伝えたくて……えっと――それだけっ」


 恥ずかしさを誤魔化すようにそう言うが早く、リュートは声をかける間もなくくるりと背を向け荷台の中に入ってしまう。

 行き場を失った手を呆然と見つめ、やや置いてはっと我に返る。


 今――俺は何をしようとしていた? この手は、どうして――


 胸の内に生まれた、今まで感じた事のない感情。今まで俺を突き動かしてきていた怒りや、喪失感から来る暗く荒々しい物とは異なる、暖かでどこか日溜まりを連想させる感覚。むず痒い感情に戸惑いは禁じ得ない。

 いったい、これは何なのか――あれこれ考えるものの到底心当たりなどあるはずもなく、いっそう混乱を深めるばかりだ。


 俺にとってリュートは、守るべき存在だ。頼るべき親を、住む場所を失いただ闇の中で震えるしかできなかった彼女の姿を見た時、小さな体は目を離せばすぐにでも消えてしまいそうで儚くて――あの時俺は、あの惨事の中からただ一人助ける事のできた彼女がすぐにでも消えてしまうような気がして、その事が恐くて、ただただ繋ぎ止めようと必死だった。

 それは旅の間もずっと変わる事はなく――これからも、変わる事はないはずだった。


 だが、なら今感じたものは何なのか。何か今までのものとは決定的に異なるような気がして――

 頬に当たる風が冷たいと感じる。確認するまでもなく熱を帯びているのだとわかる。心なしか馬車を引くラーがこちらに生暖かい眼差しを向けているように思う。

 三年以上寝食を共にしているせいか、どうにもラーは行動の端々がやたら人間臭い。


 ――では、なくて、


「……っ、あり得ないだろう……それは」


 こんな状態に思い当たる事は一つ。だがそんな事などあるはずがないと首を振ってその答を頭の中から追い払う。

 リュートは年の離れた妹のようなものだ。弟よりも尚幼い彼女に対して抱く思いは、それのはず。


 だからきっと、この思いは何かの間違いで――


 ともすれば思考の迷路に迷い込みそうになる意識を首を振って引き戻し、余計な事を考えないよう手綱を握る。



 頭上に広がる空は、地上を這うちっぽけな人間の思考などまるで知らないよう、この時期としてはとても珍しくいっそ憎らしいほど清々しく晴れ渡っていた。

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