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黒き獣と赤の少女  作者: 竜胆 梓
三章 《狂獣》
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9 -少女の願い-

 京子が投げ飛ばしたジークの体を、うっすらと青みを帯びた燐光が包んだと思ったら、次の瞬間には氷の蔦が手足を絡め取る。

 地面に四肢を縫い付けられた黒い獣が、忌々しそうに唸り声を上げた。


「今よ! リュート、早く!」


 促すアルフの声はが焦っているのは、その拘束が長く続くものじゃないからだとわかった。今も見ている前でミシミシと不吉な音を立てながら、氷の蔦に細かいヒビが増えている。


「で、でも――どうすればいいの?」


 ジークを正気に戻したい。元の姿に戻って欲しい。

 その気持ちに嘘なんてない。だけどいきなり《魔石使い》だとかそんなことを言われても、何をすればいいのかなんてすぐに判るはずもない。


「いいから――とにかくこっちに! 悪いけど、この馬鹿力そう長くは止められそうにないっ」


 ひび割れたところから、まるで血が滲むみたいに青い燐光が滲み出す。それはアルフが修復しようと魔力を込めているからなのか、それとも魔術が壊れているからなのか、わたしにはわからない。

 でもアルフの額にうっすら浮かんが汗が、時間がないことを教えてくれる。


 気迫に急かされ、ジークの近くに走る。間近から見上げる《獣化》したジークの姿は、離れて見ていたよりももっとずっと大きくて、纏っている鉄臭さに息が詰まる。

 これはジークが流しただけじゃない。黒い毛皮を重く濡らしているほとんどはジークが噛み殺した|《魔石獣》(ユウェルディール)やえいが流したものだ。殺戮の証のような匂いに刺激されて、記憶の中の光景が蘇る。


 暗い廊下。見知った人の変わり果てた姿。

 誰もが命の火を失って、代わりにお家を焼き尽くす紅蓮の炎。もうもうと撒き散らされた黒い煙。

 息が苦しくなるくらい熱かったのに――凍えてしまいそうに寒くて。


 氷の蔦に拘束されたジークに、自分でも意識しないまま手を伸ばす。

 思っていたよりも手触りのいい毛皮は暖かくて、伝わる体温が確かに生きていることを教えてくれる。


 それだけで、記憶の中の惨劇がすうっと遠ざかっていく。



 ジークは、生きている。死んでなんかいない。



 手のひらから伝わってくる命の証を確かめるよう、噛みしめるように反芻した。

 まだ間に合う――わたしにも、出来ることがある。



 もうあの時みたいに何も出来無いだけじゃ、ないんだよね――?



「どうすれば、ジークを元に戻せるの? わたしは、何をすればいいの?」

「同調も魔術も、やる事はそう変わらない」


 燐光を操りながら、アルフは続ける。


「『魔術』とは『世界の根幹に近しい魔性の力を用い、思い描いたモノを想像の中からこちら側へと具現化する術』よ。強いイメージと魔力を用い、世界と想いを重ねることで本来この世界にはあり得ない現象を顕現させることすらも可能となる術」

「え、と――つまり?」

「――願え! そうすれば強い想いに応えて、後は世界が力を貸してくれる! 魔力を視認することの出来る人間には、その素養がある!」


 魔力だとか世界だとか、アルフの言ったことは正直、半分も理解できなかった。

 でも、今のわたしにはその言葉に縋るしか無くて――ただ願う。


 ジークの無事を。元に戻ってくれることを。


 まだ乾ききっていない返り血が移ることも構わずに、黒い毛皮に抱きつく。血の匂いがますます濃くなる。獣の吐く息の生臭さと混じってますます耐え難い匂いが押し寄せる。

 だけどそんなにオイを頭の中から排除して、ただ思う。


 願う。


 元に戻って欲しいと、強く強く――



 毛皮越しに伝わってくる熱が、どくんと脈打ったような気がした。



 まるで燐光を見ている時みたいにはっきりとわかる、わたしの中に感じるわたしのものじゃない何か。それが《心臓石》の力なんだと、アルフが魔術を使うときにも見えていた燐光と同じものなんだって理屈じゃなくて本能が理解した。

 心臓が脈打つみたいに、どくりどくりと波打つ力。

 意識を集中していく内に、脈打つ温かさが記憶の中にあるジークの温もりと重なる。


 村を飛び出した直後、遭難したとき寒さから身を守るために寄り添って寒さをしのいだあの時。

 慣れない旅に、眠れないわたしを抱きしめてくれたあの時。

 旅に慣れてからも、しょっちゅううなされるわたしを悪夢から引き上げてくれた。

 いっしょに旅をした三年の間、ずっとずっと側にあった温もり。家族がいなくなったわたしに、無くした温もりをくれたのは、他の誰でもないジークだ。


 例えどんなに姿は変わったって――その温もりは変わらない。


 考えてみたら当たり前のことが、どうしてだろう今はすごく嬉しくてくすぐったい。

 思わず涙がこぼれそうになる。



 この温もりを無くしてしまうなんて、絶対に嫌だ。



「お願い、ジーク――」


 瞼の裏に浮かべるのは、《獣化》した姿じゃなくていつもの黒髪の青年の姿。霞むことなくはっきりと見える。


 大丈夫、絶対に鎮めてみせるから。

 誰に教えられたわけでもないのに、自然と自身のような感情がわいてくる。

 その感情に背を押されるように、気が付けば、わたしはその名前を呼ぶ――



「ジヴォートナイ、もう敵はいないよ。だから――お願い、元に戻って」

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