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黒き獣と赤の少女  作者: 竜胆 梓
一章 《黒き獣》
11/35

9 -残響-

 あの後、血のぬかるみの中で馬車を起こし、元の道まで引き返し麓の街へと向かった。

 あまり離れていないとはいえ、道中のこともあり余計な時間を食ってしまった影響で、街に到着したのは日も暮れた頃だった。幸いにも、キラザ村との交流は深いらしく、そのまま街の外で一晩明かす羽目になる、といった事にはならなかったが……

 街に着くまでの間、荷馬車の中は気まずい沈黙が支配していた。元々あまり会話らしい会話があったわけでもないが、明らかに怯えた村長達は必要最低限の会話ともつかないやり取りをするのみ。俺やリュートも凄惨な光景が頭から離れず、すれ違う者がいれば、まるで葬列のようだと思っただろう。

 結局――|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)で生き残ったのは、隠れた場所から獣達に指示を出していた《獣使い》ただ一人だった。……まあ、内通者を含めれば二人、と数える事も出来無くはないのだが。

 話しによると、キラザ村のシーザが|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)に情報を売ったのは復讐だったらしい。

 以前、まだ村が魔鉱石の採掘で賑わっていた頃、村は周辺のどの村よりも整った生活環境があり、当然医者など普通なら街か規模の大きな村にしかいないような人材まで揃っていたのだという。

 しかしそれも魔鉱石の採掘で富を得ている間の事。数年前からの採掘不良が村の財政を縮小させ、医者などを常駐させる事が難しくなった。

 そうして医者のいなくなった村で、半年ほど前に幼い子供が熱を出した。季節の変わり目になれば体の弱い子供など、体調を崩してしまう事はままにある。子供の親は医者を呼びに街へと走ったのだが、生憎間に合わず、子供は亡くなってしまったらしい。

 そしてその親というのが、シーザだった。彼の言い分では村に医者さえいれば息子は助かったのだと、妻も子を失った事で心を病む事はなかったのだと事情を聞く街の兵士にもらしたらしい。

 子供を失った悲しみと、今までのように医者が常駐していればという憤り。そんな心の隙間を埋めるように|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)からの誘いをかけられ、彼はその提案に頷いてしまったのだろう、というのはシーザを取り調べた兵士から伝え聞いた事だ。

 一方で、ただ一人の生き残りである《獣使い》は終始、怯えた様子で今だろくな情報を引き出す事も出来ない状況らしい。これについてはまあ、無理もない事だ。

 何しろ《獣使い》はあの惨状を目の当たりにしている。運の悪い事に、荷馬車を起こす音で意識を取り戻した《獣使い》が最初に目にしたのが、仲間と配下だった黒狼の血によって生み出された血の海だった、という訳だ。

 街の兵士達も、顔色の悪い村長達の様子からなんとなく事情を察したようで、明日襲撃された現場を確認しに行くのは気が重い、といった様子だった。

 いくら相手の生命を保障する必要がないとはいえ、流石にやり過ぎだと咎められる場面もあったが、えいはいたって平然と「多勢に無勢だったから、こっちも思いっきり暴れさせてもらっただけだ」と返していた。反省の色は無しである。

 強靱な身体能力を誇る《蛮族》の「思いっきり暴れる」状況に、ただの人間が対抗するのは容易ではない。現に|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)や《獣使い》によって操られていた黒狼達は、まるで嵐によって破壊されたの如く蹴散らされていたのだから。

 栄が|《狂獣》(モルデラウァ)の二つ名で恐れられているのも、おそらくはこの戦い方にあるのだろう。大陸人とよく似た姿を持ちながら、けれど大陸人は持ち得ない、《蛮族》としての圧倒的な身体能力を用い敵対する存在を問答無用で葬り去る者――血に濡れる事を厭わない、狂った獣、と。


 《獣使い》とシーザを街の兵士達に引き渡した後、村長達は押しつけるように報酬を支払うと、そのまま逃げるように宿屋へ姿を消した。

 兵士達への事情説明で日暮れどころか夜中と言っても差し支えのない時間になっていたため、疲労が溜まっていたという事もあるのだろうが、二人の様子からそれだけではない事は明白だった。

 そもそもが、本来今回の依頼は魔鉱石を売り払い、その収入で冬越えに必要な物を買い込んだ村長達を村まで護衛する事も含まれていたはずだ。だがここで報酬を払うという事は、復路については同行不要、という事だろう。

 もっとも、この辺りの森に生息する獣はそこまで積極的に人の前に姿を現す手合いは少ない。障害となっていた|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)が壊滅した今、土地の者である村長とトマスだけでもさほど問題はないだろう。

 要するに、これは手切れ金なのだ。片道しか護衛していないにも関わらず往復分の護衛料に加え、さらに色がついている。これは村に置いてきたままになっている荷馬車やそこに積んだままになっている荷物の分も含まれているのだろう。

 自分達に二度と関わってくれるな、もう村へ足を踏み入れてくれるな――そんな無言の訴えが、ありありと伝わってくる。

 その場に残された俺達は、ともあれようやく長い一日の終わりを迎えていた――





 今もまだ、あの音が聞こえてくるような気がする――

 もうあの場所から離れているって、ここが街の中の宿屋だってことは解っているのに、だけど目を閉じるとあの光景が蘇ってきそうで目をつぶることも出来ない。

 黒狼の動きを止めるためにジークが《獣使い》を止めに行った後、|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)の人達は少し焦ったみたいだったけれど、逆に荷馬車の守りが薄くなったと勢いづいて襲いかかってきた。

 相変わらず樹の枝も襲ってきたけれど、やっぱり蛍火みたいな光が見えたから、それを知らせることで少しは榮を助けられたと思う。


 けど――だからこそ、それを見てしまった。

 人が獣に変わる瞬間を。


 手足が歪に膨張する様子を、顔つきが替わり人のものから肉食獣のそれへと変貌する様を、体を覆うごわごわした赤い体毛、石榴みたいに裂けた真っ赤な口――

 見る見る内に変わっていく姿に、言葉が出なかった。|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)達も、似たような状況だった。誰もが呆然とする中、状況を把握するより早く、獣は地面を蹴った。


 ――そこからは、一方的な戦い……ううん、戦いとも、呼べるものじゃなくて。


 まずその牙の餌食になったのは、一番近くにいた黒狼達。風のように駆け回る獣を前に、まるで馬車に惹かれるみたいにして弾き飛ばされていった。

 黒狼達だってただやられている訳じゃなかった。反撃しようとしたものもいた。でも獣の圧倒的な力の前には為す術もなかったし、少し前から黒狼達の動きがどことなくぎこちなくなくなっていたのもあって、あっという間に黒狼達はあるものは噛み殺され、あるものは体当たりで弾き飛ばされ動かなくなり、あるものはまるで虫でも踏みつぶすみたいにぐしゃりとお腹を踏みつけられて、そのまま動かなくなった。

 黒狼がいなくなった後、獣は次の獲物を求めるよう、どろりと濁った瞳で周囲を見回す。

 呆然と立ち尽くしていた|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)の人達がひっと息を呑む音が聞こえた。でも、動かない――動けない。少しでも動いたら、少しでも声を出せば、殺されてしまう。そんな恐怖心が、ついさっき見せつけられた光景もあって心を支配していた。

 感情の感じられない目で獣が|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)を見つめていたのは一瞬。

 逃げ出すことも、それどころか抵抗することも出来ない|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)の人達に向けて、獣は地面を蹴る。あ、と誰かが叫んだときには、もう手遅れ。ものすごい速さで近付いた獣が、その人の腕を、足を、体を、頭を――ばくりと、呑み込む。


 血飛沫、くぐもった悲鳴――なにかがすりつぶされる、酷く耳障りな雑音。


 それが人を咀嚼する音だって、わかっていても理解したくなくて。

 人一人が食われたという現実を突き付けられて、|《緑の猟団》(ヴァルトルーター)の恐怖はいよいよ限界になった。逃げ出す人、その場にへたり込む人、とりあえず剣を構える人、反応はいろいろだった。だけど獣はそんな人達に関係なく飛び掛かると、最初に喰らった人と同じように食らいつき、赤い飛沫を撒き散らす。

 気が付けば、わたしは自分の身体を支えることも出来なくなって、横倒しになった荷馬車の中にへたり込んでいた。

 外からはまだ悲鳴や泣き声が聞こえてきて、そんな全てをかき消すように獣の唸り声や噎せ返るような血の匂いが押し寄せてきて――




 安宿の定番に漏れず、今晩部屋を取った宿屋も一階は大衆向けの食堂兼酒場となっていて、流石にこの時間ともなれば人の気配も少ないが、まだ数人、酔っぱらった男集が杯を酌み交わしているようだった。

 街の兵士達に事情を説明する前に、リュートは宿屋においてきた。兵士達も見るからに顔色の悪いリュートから無理に話しを聞こうとは思わなかったらしく、むしろ早く休ませてやれと言われたほどだった。

 直接武器を振るうことこそしなかったものの、道中リュートの疲労は誰の目にも明らかだった。ただでさえ白い肌は白を通り越して青ざめ、食事どころか水すらろくに口をつけようとしなかったほどに。

 大人でも気分を害する光景を見せつけられたのだ、これで平然としていられる方がどうかしているのだが――無論、約一名はそんな様子など微塵も見せなかったのは今更言うまでもない。

 安宿の薄い木の扉を叩き、返事を待つが部屋の中にいるはずのリュートから返答はない。眠っているのであれば、それでいいのだが……。三年間の付き合いで、そうではないことは容易に想像がつく。

 音を立てないように開けた扉の向こう、室内は薄暗く備え杖のランプにも火は入っていない。


 ――あの時と、同じだ。


 記憶の中の光景と、目の前の|現実(今)を混同しそうになる。頭を振ってかつての光景を追い払い、二つあるベッドの片方に近付く。


「リュート」


 名を呼べば、ベッドの上で丸まっていた固まりがびくりと震える。薄い毛布を頭から被る姿もまた、あの頃を彷彿させるものであった。


「軽い食事をもらってきた。……食べられるか?」


 備え付けのサイドテーブルに置いたのは薄いハムや野菜、輪切りにしたゆで卵などを挟んだパンと数種類の根菜が入ったスープ。値段の割に料理人の腕は悪くはないらしく、食欲をそそる香りがする。

 本来はこういった宿屋では宿泊客も下の食堂兼酒場で食事を取るのだが、時間が遅い事とリュートの体調が思わしくない事から部屋で食べる許可を取った。

 ただでさえ人見知りの傾向があるリュートを、今の状況で不特定多数の人間が出入りする場所にはとてもではないが連れて行く事は出来ない。食事の方も酒場向けのどっしりとしたものではなく、体の負担いならない軽いものにしてもらった。

 しばらくの間反応が無かった固まりは、ややあってもそりと動き、固く閉じていた殻を破るよう、隙間から覗く金色の瞳が外の様子を伺う。その姿はどちらかというと警戒心の強い野生動物のようで、貝のように身を守っている様子からするといささか不釣り合いだ。

 リュートと俺以外に人が居ない事と、空腹の胃を刺激する食欲をそそる香り。自らを脅かす存在が居ないと判断したのか、それとも食欲に負けたのか、ややあってリュートは細い体を隠していた毛布を畳むとベッドに腰掛け、サイドテーブルのパンにおずおずと手を伸ばす。

 こんな状況だというのに律儀に「いただきます」と小さな声で祈りを捧げ、ゆっくりと口に運ぶ。小さな口でパンをかじる姿は、やはりどこか小動物を連想させた。

 しばらくの間、会話をするでもなくただ下の階から聞こえてくる酒場のざわめきだけが聞こえてくる。


「……ごちそうさまでした」


 結局半分程度手をつけただけでリュートは食事の手を止めた。温かいスープには、一切手をつけていない。

 こんなところは、三年前から変わらない。火災によって両親を、住む家を、見知った人を失った影響だろう――鬱ぎ込んだときなど、リュートは少しでも熱を持ったものを受け付ける事の出来ない体質となってしまっていた。


「……ごめん、なさい」


 俯いたままのリュートが、ぽつりと言葉をこぼす。


「あまりに気止むな。具合が悪くなる事は、誰にでもある」


 何に対しての謝罪なのか、特定できない言葉に俺もまたそれを指摘するでもなく、当たり障りのない言葉で返す。けれどリュートはゆっくりと首を振る。


「リュート?」

「違う……の。わたし、一緒に連れて行ってって、わがまま……自分で言ったのに……なのに、結局なにもできなくて、ただ震えているしかできなくて――っ!」


 震える声は今にも泣き出しそうなほど弱々しく、けれどそれを悟られまいと必死に堪える姿が余計に痛ましい。


「それこそ気にする必要はない。リュート、お前を同行させても問題はないと判断したのは俺だ。……むしろ、こちらこそ謝るべきだろう。辛いものを見せてしまった」

「あれは、ジークのせいじゃっ」

「なら、お前も謝る必要はない。それに、村長達の様子はお前も覚えているだろう? 帰りの護衛も必要ないと言われた……。あのまま村に残していれば、迎えに行くのもいつになった事か。こうなった以上、むしろ共に来ていて正解だったと言えるだろう」

「でも……」


 尚も食い下がるリュートの頭を軽くなで、続くはずだった言葉を遮る。赤い髪越しに子供らしい体温が伝わる。


「今日はもう遅い、ともかく今は休め。……しばらくの間、馬車や備品の調達でここに留まる事になる。最悪、この冬はこの街に足止めになるかも知れないが……まあ、何とかなるだろう」


 幸か不幸か、本格的な冬支度はまだ済ませていなかった。根無し草の生活故、元々荷物は少ないがそれでも馬車での旅、多少荷物の量はあった。予備の衣類やかさばる鍋などは置いてきてしまった事になるが、こういった事も旅をしていれば希に遭遇する。割り切るしかない。きっと馬車共々村で有効利用される事だろう。

 渋るリュートを寝かしつけ、空になった食器などを返すため下の階へ向かう。


「ジーク」


 部屋を出る直前、背にかけられたのはリュートの細い声。


「ごめんなさい……」


 嗚咽を堪えた言葉は、はたして己の無力を謝罪しているのか、それとも異なる何かが彼女の心を蝕んでいるのか――


「……もう、休め」


 頷く気配を背に感じながら、立て付けの悪い扉をそっと閉めた。

 胸の内に渦巻く、やりきれない感情を押し殺しながら――





「よ」

「……立ち聞きとは、恐れ入る」

「いやー、これでも一応気は使ったんだぜ? 今のお嬢にゃ俺の顔、なるべく見せない方がいいだろう、ってな」


 廊下に出た俺を待ち構えていたのは、茶色い髪の青年――栄だった。

 相変わらずのふてぶてしい態度に、思わずため息がこぼれる。


「どの口が。……他者に気を使えるのなら、もう少しマシな戦い方があっただろう?」

「お生憎様。オレは誰かさんとは違って、敵対者にかける情けなんざ微塵も持ち合わせちゃいねぇんだよ」

「……勝手に言っていろ」


 反省の欠片もない姿はふてぶてしさに呆れこそすれど、あのような殺戮を行った者であるのかと、悪い夢でも見てしまったのではないか、そう疑いたくなるほど自然体で。

 ……けれど、その身に纏う、いくら洗い流そうと完全に消す事のできない鉄臭い血と死臭が、この男が行ったと教える。


「ま、なんだ……悪かったな。馬車とかいろいろと面倒駆けちまって」

「別に。……無くなって困るような物は、そもそも身の回りに置くのが鉄則だろう」

「ははっ、そりゃごもっともで」


 榮もギルド登録者の例に漏れず、旅から旅への根無し草。そんな事は言われるまでもなく理解しているのだろう。けらけらと笑う。


「……それで? わざわざ待ち伏せまでして、いったい何の用だ?」


 不機嫌を隠しもせず問うも、榮は相変わらず何処吹く風だ。

 ……本当に、いい神経をしている。


「そう恐い顔しなさんなって。あれだよ、お邪魔虫はとっとと退散しようと思ってね。ま、別れの挨拶ってヤツ?」


 大仰に肩をすくめる姿は相変わらずちゃらけているものの、どうやら冗談ではないらしい。


「……そうか」

「お? なになに、頼れる先輩との別れは寂しいってか?」

「むしろ清々する」

「うわひでぇ」


 口では批難しているものの、本心は小指の先程も気にかけてはいないことは飄々とした顔からも明らかだ。


「たく、かわいげのない後輩だなー……。ま、いい。そんじゃ報酬――ってか、情報だったな」


 言葉を切り、それまでのふざけた空気は何処へやら。鋭い目で、まるで探るよう、あるいは決意を問うよう視線を向ける。


 ――が、それも僅か一瞬のこと。


「覚悟があるのならスディラ領の――そうだな、クルヴィ山脈の近くにでも行ってみな」

「……は? 待て、それはいったい――」

「後は行ってのお楽しみ、ってな。せいぜい死なねぇように気をつけな。そんじゃーな」


 人をくったような笑みでそんな言葉を言い残し、榮は振り返る事なく姿を消した。

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