第49話:職人の仕事
ミリスに試薬抽出器具の二度目の依頼を出してから、ちょうど五日後の夕方。
約束の時間に合わせて、俺たちは王都東区の第三魔道具工房へと向かった。
隣を歩くリゼリアは、心なしかいつもより足取りが速い。
「落ち着けってリゼ。そんなに急がなくても道具は逃げないぞ」
「急いでなんていないわ。ただ、約束の時間に遅れるのは美徳に反するでしょう」
ツンとすました顔で言うが、手元の羊皮紙(抽出実験の計画書)を何度も確認しているあたり、期待で胸がいっぱいなのは丸わかりだった。
工房の扉を開けると、夕刻の忙しない金属音とともに、いつもの香ばしい金属と魔力の匂いが鼻をくすぐった。
奥の作業台へ向かうと、そこには約束通り、自分の道具を完璧に手入れし終えたミリスが静かに腰掛けていた。
「……来ましたね」
ミリスは無表情のまま俺たちを迎えると、作業台の上に置かれた長方形の木箱を開けて見せた。
「依頼されていた試薬抽出器具、完成しています」
「……!」
リゼリアが息を呑み、吸い寄せられるように箱のそばへ歩み寄った。
箱の中に収められていたのは、透明度の高いガラス管と、その内部に寸分の狂いもなく組み込まれた、漆黒の精霊銀の螺旋回路。
継ぎ目は一切見当たらず、まるで最初から一つの鉱石としてそこにあったかのような美しさだった。
「ガラス管の肉厚を均一にし、内部の精霊銀の螺旋を接合部なしで一体成型しました。これにより、熱伝導のムラを完全に排除してあります」
ミリスは淡々と説明しながら、組み立て用の小さな固定金具を指で示した。
「分解清掃の際は、この金具をスライドさせてください。内部の螺旋に触れずに管だけを外せます」
「……見事ね」
リゼリアが慎重に指先でガラス管を持ち上げ、光にかざして呟いた。
彼女の瞳には、職人の技に対する心からの感嘆が浮かんでいた。
「私の描いた図面以上の組み上げ精度だわ。……ありがとう、ミリス」
「……いえ。仕様通りに作っただけです」
感謝の言葉に対し、ミリスはやはり誇る風でもなく、ただ小さく頭を下げた。
◆
完成した試薬抽出器具を受け取った俺たちは、そのまま足早に秘密基地へと戻り、さっそく実証実験を執り行うことにした。
古びた倉庫の木机の上。ミリスが作ってくれた魔力ランプの柔らかい光が、新しいガラス抽出器具を美しく照らし出している。
「よし、リゼ! やってみてくれ!」
「ええ。準備は完璧よ」
リゼリアは慎重な手つきで、野草から抽出した粗悪な液体を抽出器具の上部へ注ぎ込んだ。
下部から少量の魔力を注ぎ込むと――ガラス管内部の精霊銀の螺旋が、じわんと均一な青い光を放ち始める。
管の内部で、液体が微細な気泡を立てながら分離していく。
従来なら熱の偏りで焦げ付いたり、不純物が混ざったりしていた高難度の精製過程が、まるで滑らかな水流のように滞りなく進んでいく。
やがて、フラスコの下部に溜まったのは、透き通った鮮やかなエメラルドグリーンの試薬だった。
「……できたわ」
リゼリアがフラスコを持ち上げ、声を震わせた。
「純度、九五パーセント以上……! 既存の市販器具じゃ、七十パーセントが限界だったのに! 完璧よ……これなら、私の研究は一気に数か月分跳ね上がるわ!」
「すげぇぇぇぇっ!! 大成功じゃん!」
俺は叫び、思わずリゼリアとハイタッチを交わした。
「フフフ! リゼ殿の至高の理論と、ミリス殿の卓越した技術……! まさに我が『クロノ・ヴェール』の技術基盤がまた一歩、強固なものとなりましたな!」
「私はまだ加入を認めていないけれど……まあ、今日のところは彼女の腕前に免じて文句は言わないわ」
リゼリアも嬉しさを隠しきれない様子で、フラスコを愛おしそうに眺めていた。
「よし! この大成功の報告と、お礼を言いに……明日、もう一回工房に行こうぜ!」
◆
翌日の午後。俺たちは王都の有名なお菓子屋で買った小さな焼き菓子の箱を手に、再び第三魔道具工房を訪れた。
作業場の奥へ向かおうとした時、入口の近くで親方と身なりの良い商人が話しているのが耳に入った。
「親方、来月の街灯魔道具の件だがね……二百基はやっぱり厳しいか?」
「うーむ……簡単な組み立てなら見習いどもにやらせればいいんだが、最後の魔導回路の同期調整がな。ミリスに任せれば一番早くて確実なんだが……さすがにあいつ一人に頼り切るのも限界がある」
親方は参ったように頭を抱えて溜め息をついた。
「あいつの作業速度は並の職人の三人分だが、だからって二百基分の調整を全部押し付けたら、他の修理仕事が全部止まっちまう。もっと腕の立つ職人がもう一人いりゃあなぁ……」
「そうか……無茶を言ってすまん。できる範囲でいいから頼むよ」
商人が去り、親方が「さて、どう工面するか……」と呟きながら奥へと歩いていく。
不当に虐げられているわけでも、夜べを強制されているわけでもない。
ただ、ミリスの技術が圧倒的に高いからこそ、工房全体から頼りにされ、けれど工房の規模と設備では彼女の能力の受け皿として限界が来ている。
奥の作業台を見れば、ミリスは今日も文句ひとつ言わず、積み上がった金属部品のバリ取りやネジ切りを、正確無比な速度で淡々とこなしていた。
「……ミリスさん」
俺たちが声をかけると、ミリスは作業を止めて振り返った。
「……何か不具合でもありましたか?」
「ううん! 全然逆! めちゃくちゃ綺麗に抽出できたんだ! ほら、これお礼の焼き菓子! みんなで食べてよ!」
「……お礼?」
箱を受け取ったミリスは、どこか不思議そうに目をパチパチさせた。
「依頼の代金はすでにいただいていますが」
「いいんだよ! 本当に助かったからさ! じゃあ、また何かあったら頼むな!」
「……はい。ありがとうございました」
手渡された焼き菓子の箱を胸に抱え、ミリスは静かにお辞儀をした。
◆
工房を出て、夕暮れの賑やかな街道を三人で歩く。
夕日に染まる王都の街並みを見つめながら、俺はふと、作業台で黙々とネジ切りをしていたミリスの姿を思い返していた。
「……なぁ」
「何でしょうか、ボス?」
レオンがとなりに並び、顔を覗き込んでくる。
「ミリスさんってさ、あんなに凄い道具を作れるのに、ずっと同じバリ取りとかネジ切りばっかりやってるだろ?」
「ふむ。工房の規模と仕事内容に、彼女の才能が収まりきっていないのは確かですね」
リゼリアもあごに手を当てて頷いた。
「……なんというかさ。もったいなくね?」
「もったいない、でございますか?」
「だってさぁ、あの人にもっと自由に使える設備とか、面白い図面をいっぱい渡したら、もっと色んな凄い道具を作ってくれそうじゃん。それが見られないのって、なんか『もったいねぇな』って思ってさ」
俺が素直な感想を口にすると、となりのレオンの瞳がカッと見開かれた。
「……!」
レオンは静かに胸の前で手を取り、深く深く感じ入ったように頷いた。
「……流石はボス。あのお方の真の才能を見抜き、既存の枠組みに縛られた現状を憂いておられるのですね……!」
「え? いや、ただ『もっと色んなもの作ったら面白そうなのにな』って思っただけだけど」
「ふふ……ご謙遜なさる必要はございません! あの方の才能を解き放ち、我が『クロノ・ヴェール』の至宝として迎え入れる……そのための機が熟すのを、静かにお待ちになっているのですね! 承知いたしました!」
「だから何をだよ!?」
勝手にテンションを上げて深読みしまくるレオンに、俺は思わずツッコミを入れた。
リゼリアも呆れ半分、可笑しさ半分といった様子で、くすくすと肩を揺らしている。
スカウトだとか、救出だとか、そんな大層なものじゃない。
ただ、あんなに凄い物を作ってくれる職人さんが、もっと面白そうに仕事をしている姿を見てみたい。
俺のそんな素朴な「もったいなさ」を胸に抱きながら、俺たちは夕暮れの王都を賑やかに歩いていくのだった。




