プロローグ:歴史の陰に、僕らは佇む
世界を裏から操る「黒幕」になりたかった。
表舞台でスポットライトを浴び、民衆の歓声を背に受ける正義の英雄には興味がなかった。誰にも知られぬ闇の中に身を潜め、歴史の表裏を指先一つで手玉に取る絶対的な影の組織――それに、前世の俺(黒野幹太)は狂おしいほどの情熱を捧げていた。
高校生の頃、俺はその青くさい野望を現実のものにしようと本気で行動を起こした。
路地裏に足を運んではガラの悪い不良に「世界を裏から動かす組織を作らないか」と声をかけた。当然、まともに相手にされるはずもなく、俺は見事に仲間外れにされた。
海外の怪しい掲示板やサイトを片っ端から巡り、世界の裏情報を集めようとしては、実家のパソコンを壊滅的なウイルスに感染させて親父に激怒された。
才能も、能力も、金も、人脈もなかった。
現実はどこまでも無情で残酷であり、高校生の俺が抱いた誇大妄想は、何一つ形になることなく惨めについえ去った。
――だけど、諦めきれなかったのだ。
現実で破れ去った夢を、俺は捨てることなんてできなかった。
だから俺は、自分自身の頭の中に逃げ込んだ。
誰にも邪魔されない思考の領域の中に、完璧で理想的な「闇の組織」を構築していった。
人知れず構えられた地下アジト。世界中に張り巡らされた巨大な情報網。一騎当千の凄腕を集めた幹部陣。世界を裏から破滅へと導かんとする真の悪――『漆黒の導師』。そして、それらを闇の中から人知れず討ち果たす影の守護者たち。
大学ノートにびっしりと書き殴り、真夜中の自室で一人、重々しい声を作って語り明かす妄想の戯れ。
虚しかった。惨めだった。けれど、その痛々しい独り言だけが、孤独で冴えない俺の青春のすべてだったのだ。
そして俺は高校三年の冬、ごくあっけなく交通事故で命を落とした。
◇
「……そうか。俺は、あの頃の俺か」
異世界に転生し、5歳の誕生日を迎えたある日。俺――クロノ・アルヴァースは、前世の記憶を完全に思い出した。
周囲を見渡せば、そこは剣と魔法が存在する紛れもない異世界だった。
この街で相応の規模を誇る『アルヴァース商会』の息子として生まれた俺は、前世のモブ一般人だった頃に比べれば、遥かに恵まれた環境にいた。
「今度は……今度こそ本当に、作れるんじゃないか?」
胸の奥から熱いものがこみ上げ、武者震いが走った。
だが、前世の記憶を取り戻したからといって、5歳の子供が突然無双の超人に覚醒するわけではない。結局のところ、俺のやることは前世と大差なかった。
昼間は商人の息子として店の手伝いや算術の勉強をこなし、夜になれば「闇のボス」としての立ち振る舞いや、威厳のあるポーズを鏡の前で研究する日々。
魔法の才能も平均的だったが、俺はひとつだけ、異彩を放つ技術を磨き上げた。
それは攻撃にも防御にも使えない『微小な影魔法』だ。自分の顔に絶妙な影を落としたり、声を洞窟の奥から響くような低音に変えたりする演出用の小技。それだけを、前世の情熱を注ぎ込んで完璧に極めた。
――そして、前世の記憶を取り戻してから6年。11歳になった俺には、前世には決して手に入らなかった「決定的な存在」がいた。
「おい、クロノ。またそんなボロ倉庫で何をしておるのだ」
街の外れのボロ倉庫。積み上がった木箱の陰から姿を現したのは、俺と同い年の幼馴染――レオンハルト・フォン・ヴァルハイトだった。
没落した下級貴族の三男坊であるレオンとは、彼がこの街へ流れてきて以来の付き合いだ。貴族社会のドロドロに傷ついていたレオンに、俺は前世の高校生の知識と視点で寄り添い、そして――ありったけの「闇の組織論」を、ごっこ遊びとして語り聞かせてやったのだ。
前世では誰一人として相手にしてくれなかった俺の「最高の作品」を、レオンは一言一句聞き漏らすまいと食い入るように聞いてくれた。
「フッ……来たか、レオン」
俺は木箱の上に腰掛け、あらかじめ仕込んでおいた微小魔法を発動させた。
頬から下に深い影が落ち、声が重厚な低音となって倉庫内に響き渡る。
「我が名はクロノ。世界を覆う影となり、裏から歴史を紡ぐ組織――『クロノ・ヴェール』の主だ」
「……クロノ・ヴェール……!」
レオンの瞳がカッと見開かれ、まるで王の前に侍る騎士のように、真剣そのものの眼差しで俺を見つめてくる。
ノリが良い。あまりにもノリが良すぎるのだ、この男は。
「レオン。我々の『クロノ・ヴェール』だが……表の金を使うわけにはいかない。独自の情報網と財源が必要だ」
「財源……! しかしボス、我々にはまだ実績も資金もございません。いかにして闇の資金を……?」
「フッ……街の裏通りを見ろ。路地裏に潜む『ごろつき達』……彼らは金の匂いと『恐怖』に敏感だ。表の法に守られぬ連中だからこそ、真の力に平伏す。まずは奴らを一口乗せろ」
商人の息子として耳にしていた知識を混ぜつつ、悪の組織のボスっぽい台詞を吐き捨てる。最高に気持ちいい。これぞ俺の求めていた「闇の組織ごっこ」だ!
「……なるほど。表の社会に居場所のない裏の者たちを、ボスの威光によって傘下に収める……。恐怖と利益によって裏社会を制圧し、我らの足がかりとするのですね」
「そうだ。……任せられるか、レオン?」
「ハッ……! このレオンハルト、必ずやボスの御期待に応えてみせます!」
胸に手を当てて深く一礼するレオンに、俺は胸の中で拍手喝采を送っていた。
(いやあ、レオンのやつ、今日のごっこ遊びもキレッキレだな! 没落貴族っていう設定の背景も相まって、演技に深みがありすぎるだろ!)
俺たちはそうして、大満足のうちにその日の「秘密集会」を終えたのだった。
◇
――それから数日後の夕刻。
ボロ倉庫の扉を開けた俺は、薄暗い倉庫の中央に立つレオンと、その足元に転がされた数人のガラの悪い男たち――本物の「ごろつき」を目にして絶句した。
「――ボス。ご指示通り、街の裏通りを牛耳っていたごろつき共を打ち払い、我が『クロノ・ヴェール』の傘下に収めてまいりました」
呆然とする俺の前で、レオンは恭しく片膝を突き、深々と頭を下げた。
「奴らもボスの圧倒的な威光の前に完全に屈服しております。――こちらが、奴らから回収した初期資金にございます」
ズシリ、と重々しい音を立てて足元に差し出されたのは、革製の大きな袋。中には光り輝く、本物の金貨が山のように詰まっていた。
「……(えっ?)」
俺は思考がフリーズした。
本物の金の重量感、冷たい感触。……え、これマジの本物?
レオンのやつ、裏社会ごっこの小道具にするために、わざわざ本物の金貨持ち出してきたの!? 小道具へのこだわりが凄すぎるだろ!
「奴らから吸い上げた資金と情報を元に、すでに街の各所に我が『クロノ・ヴェール』の潜伏拠点を確保し始めております。……ボスの深謀遠慮の賜物にございます!」
(深謀遠慮!? いやいや、ただの妄想ごっこだから! でも……ここで『これ本物のお金じゃん、やめなよ』なんて言ったら、こんなにノリノリで準備してくれたレオンの夢を壊しちゃうよな……!)
俺はすっと息を吐き、微小魔法で顔に重厚な影を落とすと、金貨の袋を静かに足元へ押しやった。
「……フッ、上出来だレオン。だが浮かれるなよ。闇の足音は静かに広げねばならぬ」
「――ッ! ハッ! このレオンハルト、どこまでも御供いたします!」
感極まり、感涙すら浮かべながら再び深々と頭を垂れる親友。
その姿を見て、俺は心の底から深い友情と感謝を抱いていた。
(最高の友達を持ったなぁ、俺……! ここまで俺の妄想に付き合って、全力でごっこ遊びを作り込んでくれる奴なんて、前世も含めてお前だけだよ!)




