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五十話 紛い物と偽物

 結局のところ、薄々最初からそうなるだろう事を、そうなってしまうだろう事を弥代だって分かっていた、気付いていた、筈だ。

 それなのに変に(つくろ)ったり、慣れもしない、なんならこれまでした事もしない何処ぞの誰かさんの真似をしてみたり。(こじ)れてしまった、随分と面倒くさくなってしまった現状を前にして、弥代は限界を迎えた。

 いつから、いつからこんな分かりにくくこんがらがってしまったのだろう、そんな事を考えてしまう。そうして、そしたらこの場ですぐに出来そうな事は何かを思い考えてみると、それはなんと意外にも、弥代の中では殆んど目の前に、何なら足元に転がっていたようなもので。

 今更、今になって腹の傷は塞がりきってないだとか、あまりの痛みで意識が飛んでしまいそうになるのだけは堪えなきゃいけないとか、そういう全てを全部上から塗り潰して、それで。

 それまで自分を支えていてくれた、彼の腕の中から起き上がって、いつかと同じように釘を刺す。

 以前まではそれを、彼の気持ちを都合よく利用している気分になって気持ちの良いものではないとか、そんな風に感じていたのに、この時はもうそんな事を気に掛けられる程の余力が弥代にはなかった。

 彼女の更に奥、自分と同じように腹に穴を開けられた、妹の話を出されればそれで、案外容易く折れてくれる兄の存在も、またいつ横槍を入れられてしまうかを考えれば気掛かりではあったが、既に随分と体力気力、共に消耗している様で、勝手に大人しくしてくれるだろう事に期待することにした。

 それ以外の、この境内(けいだい)にまだいる二人は、恐らくは気を失っている事だろうから邪魔になる心配はどこにもない。

 だから、だからそんな事を一頻(ひとしき)り考え終えた後の弥代の、その動きに一切の迷いはなかった。

 神鳴の落とした落雷が直撃したことで、その場から未だに一歩も動けずにいる。ふらふらとした足取りではあるが、どうにかなんとか立ててはいる。そんな相手の元へと駆け寄る最中(さいちゅう)、狙いを定めた腹に届く、と分かった瞬間、(こぶし)を握っていた腕はそのまま大きく振りかぶってみせた。

 遠慮も躊躇もない一撃は、拳を振るった弥代自身への衝撃も大きく。けれども追い討ちを掛ける。呻き声を上げた相手の、ふらつく事で低く、腹からそのまま掴みやすくなって胸ぐらに、襟元を力任せに掴み掛かる。勢いよく()らした顔を、相手の同じ場所目掛けてぶつけてやった。二人揃って、足元は覚束(おぼつか)ないものになったがそれも一瞬の出来事。ほんの少ししか開いていない距離を、掴んだままの襟元を強引に引き寄せて、高さの違う鼻先が触れ合いそうになる距離まで近付いてみせて。そしたらそこには自分のよく知る彼女がいる筈なのに、初めて目にする反応を示す彼女がいて。

「こっからは俺に付き合えよ、姉ちゃん!」

 その時がやっと、やっと初めて、丸裸となった彼女と(せっ)せた瞬間の様に、弥代は感じられて。

 やや興奮混じりの苛立ちを抱えたまま、(ほと)んど勢い任せに口を滑らせていた。






 鬼ノ目 百話






 どうしてだろう、と██は考える。

 どうして自分は、自分は今こんな無神経なヤツを相手にしないといけないのか、と。そんな事を考えてしまう。

 喰らった頭突きは思いの(ほか)、重たくってズキズキ、と。避けようがなく直撃を喰らってしまった、雷によって一瞬で焼け(ただ)れた皮膚だってまだ治ってないというのに、加減を一切知らない、頭の悪い一撃の方がどちらかといえば痛い。

 それが、冷静になって考えようとする██の邪魔をする。何で、何でこんなにも何事も上手くいかないんだろう、とぐるり視界を広く見渡してみた時、鼻先が触れ合いそうになるぐらい、(わめ)けばそれで飛沫(ひまつ)がお互いの顔に掛かってしまいそうなぐらい近いのだから、その(ほと)んどを相手が占めているのは分かりきって、いて。でもそれが、それこそが答えで。

 何も難しく考える必要はどこにもない。目の前のそれがそもそもの元凶なのだ。彼女が自分に(ゆだ)ねた、手放してしまった、忘れてしまった、要らないものと捨ててしまった、その中に確かにあった。

 人の腹から産まれたにも関わらず、“色”だけでなく、(ぬぐ)いきれぬ“(ごう)”を背負って生まれてしまった“鬼”である自分たちと、その存在はまるで違う。

 唯の人間であった筈のそれが、そいつがあの子からその心臓を奪ったのが全ての始まりだ。それさえ奪われる事がなければ、彼女はあの時死んでしまうことはなかったし、そうであったのならあの男を彼女は忘れてしまおうとする事もなかった筈だ。

 そう思えば、そう思い至ってしまえばそれで、それだけで██は、今、自分が何をするべきなのかが痛いほど分かった、分かって、しまった。

(コイツさえ、いなければ……ッ‼︎)

 額が、熱を持つ。

 長く日の目を見ることのなかった存在である筈なのに、██はそれが何なのかを理解していた。

 溢れ出したその感情を、その憤り、怒りはそんなすぐに収束するものでない事を██は分かっている。しかしそれは、それは相手も同じであった。

 この後に及んで、到底許されぬ事をした悪者であるはずの相手が、いくら覚えていないからといってそれを盾に、自分の主張を押し通そうと暴力に訴えてくるなんて、そんな事、そんな事が(まか)(とお)って良いはずがない。

 頭角を、現す。比喩などではなく、芯を持ったそれがぐるりと渦巻き円を描く。その形はまるで、まるで今はもういないあの子の、それを逆さまにしてみせたようで。自分が直接、直接言葉を交わした事は一度たりともなかったというのに、彼女が切り離してしまったそれでしか知らない存在であるはずなのに、胸の奥が熱くなるのを██は感じた。


「いつまで掴んでるんだよ、離せよ?」

 言って、██は弥代との体の間に足を無理やり挟み、そうして弥代の手元を容赦なく蹴り上げた。

 それで僅かに開く距離の、体勢を崩し後ろへと倒れ込んでいく体を見つめる。そのまま身を屈めて足払いをした(のち)、立て直しようがなくなってから馬乗りにでもなって、気が済むまで殴ってやろうかと、そんな算段(さんだん)を██は立てていた。だがしかし、弥代が倒れ込む、その先には何やら黒い物体があって。分厚い雲が邪魔をして、月明かりの中々差し込まないこの夜はそれが何であるかがよく見えなくて。でも記憶を辿れば、そこにあるだろう物が██は何であるかを思い出した。そしてそれは弥代も、相手もそれの正体に倒れそうになりながら気付いたのだろう。隠しもしない、凶暴そのものの顔を、その口角を分かりやすく歪ませて、伸ばした腕が、指先がそれを掴む。予期せぬ展開に気を逸らしてしまい、対応が遅れてしまった██は全く面白くなさそうに、慣れた手付きでそれを前へと構える弥代を見つめた。

「唯の姉妹喧嘩にさ、それは卑怯じゃないかな?」

「馬鹿言え、身内に刀向ける趣味はねぇよ。」

「抜かなきゃそれでいいとかもしかして思ってる?抜きたくても抜けないだけの腰抜けがデカい口叩いてんじゃねぇよ。」

「今日は一段と口が悪いじゃねぇかよ!そっちの方がお似合いだぜ!」

「ふざけんなッ‼︎」

 薙ぐ、その刀身はやはり鞘の中に収めれたままだ。

 過去に起きた事をきっかけに、相手が自らの意志で刀を抜く事が出来ないという事を、それもまた彼女が手放してしまった記憶を介して、██は知っていた。██は知っている、彼女が少しづつ、すこしづつ要らないと見限って、捨ててきてしまったその、全てを。

 今この体を動かしているのは紛れもない自分である。そんな感覚は確かにある筈なのに、体の動かし方一つだって、それら全部は、全部が彼女のものだ。(まが)い物の、彼女が捨てた物しかない場所でずっと一人、一人で過ごした自分に、自分のモノと呼べるものはなに一つない。

 彼女の遺したものを頼りに、それをそのまま(なぞら)える。自分に出来る事はそれだけだ。それ以上も、それ以下も何もない。

「向き合おうって、お前は決めたんじゃないのかよっ‼︎」

 そして、これは八つ当たりだ。

 彼女の遺した、それよりも一歩も進めていない、どうしようもなく臆病で意気地なしの、それなのに自分の意志主張だけは強引に押し通そおうとしてくる奴への怒りだ。

「お前のそれはっ、一体なんだったっていうんだよっ‼︎」

 それは間違いなく、間違いなく自分の為の言葉であっただろう。徐々に近付いてくる、死という終わりを前に膝を抱えて怯えてしまわぬように。最期まで傍にいてくれる、欲を言うのならあの子によく似た心臓の音をしたこの子が欲しい、と。本物じゃないと分かっていても、偽物でもいいから傍にいてほしい。嘘でもいいから、近くにいてほしい。変わらぬモノを求めていた。

 巡る、ぐるぐると巡り行く季節とおんなじように、ずっと変わらない、変わらずに自分の傍に、隣にいてくれるたった一人の存在。彼女が望んでいたのはずっとそれだった。多少時間が経ちすぎて、それは少しずつ(いびつ)な部分も出てきて、途中からどんどんと手段を選べくなってはいたけども、でも根っこになっているのはずっとそうだった。彼女から受け継いだモノで形作られている██だからこそそうだったと、そうであったと断言出来る。

「お前のソレは!どうせ誰だって良かったんだろう‼︎」

 彼女は、彼女にはお前しかいなかった。

 あの子と同じように“色”を持つ、あの子の心臓を奪い生きながらえているお前でなきゃいけなかった。

 それ、なのに


「羨ましい、」

 ボソリ、彼女は一人そんな事を口にした。追った記憶の、その視界の先には遠く、夕陽を背にして肩を並べる、自分が直接見ていたわけじゃないから見慣れているというのも変な、でもちゃんとよく知った後ろ姿があって。頭一個分は背丈の違う、何人かと楽しげな談笑をしているようで、距離がある筈なのに時折笑い声が聞こえる。

 すれ違う、行き交う人がいないわけじゃないのに、そうまでしてしっかりとその声が聞こえるのは、彼女の鼓膜を微かに震わすのはそれだけ、それだけ彼女がそちらに意識を向けている、何よりの証拠で。

「どうして、どうしてそこに居れるのはボクじゃないんだろう。」

 (うる)んだ世界の、けれども自分にそれを止めてやれる術はなくって。それは全て起きてしまった事、既に過去の出来事だから何も、何も出来ずに彼女が感じたモノを一つ一つ追うことしか、出来なくって。

「ボク……、ボクはただ、キミに、キミが傍にいてくれればそれで、それだけで、それ以上は何も、何も望みなんかしないっていう、のに、」

 どれだけ、どれだけ██が彼女の幸せを、彼女に明るい未来が訪れることを願っても、それが叶うことはなく。もし叶うことがあればそれは、それで██は今まで彼女が要らないと言った、押し付けられたてきたモノしかない、ガラクタ塗れのそこで長い間過ごした時間を全部許してだってやれるというのに。どうにもならないから、どうすることも出来ないから声を張り上げて、もう二度と望めない、望んでも叶わない事を分かって、他に行き場のないそれを全てぶち撒ける。

「お前さえ……ッ、お前さえ居なかったから全部、全部全部全部どうにかなった筈なんだよッ‼︎」

 そんなの分からない。そんなの分かるわけがない。もしかしたら、もしかしたら何か一つだけ可笑しな引っ掛かりがあって、そのたった一つでやっぱり救いようのない結末を、彼女は迎えてしまった可能性だってあったかもしれない。でもそれは、それはきっと今この一番最悪な状況よりは絶対にマシなもので。

 だってそうだったなら、そうであったなら彼女はもっとあの子の、あの子と過ごす時間があったかもしれなくて。あの男の事だって、時間をいっぱい掛ければそれで関係が修復されていた未来だってあったはずで。だから、だから、だから、だから、だからっ‼︎

『どうしてそういうこと言うの?』

「何でお前はいつもそうなんだよ‼︎」

『ボクが、言われたボクがどんな気持ちになるとか考えなかったの?』

「考えたことが一度でもあったのかよ⁉︎言われたボクが、ボクがそれをどう思うとかお前はっ‼︎」

『ねぇ、どうして?』

「答えてみろよ、弥代――ッ!」






 今この時、自分が向き合うべき相手が一人しかいないと分かった、それからの弥代には、変な心の余裕が生まれていた。

 相手の、言葉一つ一つに耳をしっかり傾けて、それをどんな気持ちで言っているのかを考えることが出来て。

 憤りが、苛立ちが収まったわけではない。それらを全て両立させて、そうして向き合う。

 ただ何だか、どうしても彼女のそれはただの聞き分けのない子供の癇癪のようにしか見えなくって。それを言ってしまえば自分だって、自分がここまで来て押し通そうとしているのだって幼稚な我儘で、公平な立場の大人が仮にいたとすれば、何と言ったか……喧嘩両成敗とか、なんとか。そんな言葉一つで片付けられてしまうような、そんなくだらない、どうしようもない押し問答でしか多分なくって。

 あぁ、でもその言葉はどれも、それも弥代に深く刺さる。

 身に覚えしかなくって、改まって言われてしまうと言い逃れが出来ない、うるせぇとどうにか一蹴することぐらいしか出来ない、正論過ぎて太刀打ちのしようがないものばかりで。

 そんなの言われるまでもなく、弥代自身が誰よりも一番、何よりも一番分かっていることで。

『でも、それはキミにとっては必要な事だったんじゃないかな?』

 話さねば何も分からない、伝わらないままだと言った彼女の膝を枕代わりにして寝転んだ。大して遠くもない天井目掛けて手を伸ばして、刀を抜けなくなってしまった理由を話した。

『でもさ、俺…………いや、そもそも俺なんかがそこに出入りしてるのも変な話なんだろうけどさ。何か有れば、いざとなりゃ刀だって抜かなきゃ、そういう一応、それで飯食えてるようなもんなのにさ。やっぱり、変だろそれって?』

『そうかなぁ?さっきから聞いてたけど、ボクは全然それを変だとは思わなかったよ?』

『ほ、本当かよ?』

『お姉ちゃんの言葉が信じられないとは何事だぁ?』

 脇腹に手を伸ばされて、(くすぐ)りを受ける。こそばゆくって仕方がなくって、寝転がったままじたばたと体を捻ったりして過ごした。

『良いんだよ、今が出来なくたって。』

 今になって思い返してみればそれは、彼女のその自分を肯定するばかりの発言のどれもは、自分の事を逃さないようにするための甘い罠だったのかもしれない。でも、

『ボクらはさ、普通の人よりもずっと、これからも長い時間を生きなくちゃいけないから。無理に、無理に今どうにかしなくたって良いんだよ。』

 その、言葉の奥にはいつも、大体いつも似たような思いが見え隠れしていたような気がして。

 得てしまった温もりは、一度でも触れてしまったその温もりは何よりも、どんなものよりも弥代がずっと求めていたモノに違いはなくって。

『お前のソレは!どうせ誰だって良かったんだろう‼︎』


「当たり前だろッ‼︎」

 弥代は、叫んだ。


「どうせ誰でも良かった?そうだよ‼︎それの、それの何が悪いってんだ‼︎俺は何も頼んじゃいねぇ、何も望んでなんかいなかったっていうのに勝手に、勝手にそっちが教えてきたんだろうがッ‼︎

 無くたって生きてこれた‼︎今までそんなもん無くたって俺は、俺は一人でどうにかやって来れたんだよ‼︎」

 嘘だ、一度知った温もりは何をしたって忘れられない。遠く、別れを迎えたって、いつまでも胸の中に残り続けている。思い出す度に、胸の内に抱えきれなくなってしまったものが溢れ出して、一人膝を抱えてずっとやり過ごしてきた。

 ()わした言葉の、奥に秘められた思いを。押し付ける事だけは出来ず、我が身可愛さんに逃げ出した事だってあった。後悔だけが残り続けて、もう何年もその顔を見ていなかった相手でさえ、再会を遂げて未練がましくしがみついて、結局振り回してしまう事になって、それで、

「でも、お前だけだったんだ!」

『ボク、ボクは弥代のお姉ちゃんだよ?』

『家族、なんだからさ。』

『ねぇ、ボクの事、お姉ちゃんって呼んでよ?』

『ンフフ、甘えん坊さんだ。』

『眠れないのかい?じゃぁ、眠たくなるまでボクとお話しをしようか?』

 弥代は、家族という存在が分からない。

 昔のことを思い出せない、家族と呼べる存在に愛されたことが、接されたことがない。

 名を知ることなく別れを告げることとなった、あの荒屋(あばらや)で一年にも満たない時を過ごした老夫婦を、そういう風に見たことがなかったわけではない。でもそこに、そこへ踏み入る勇気が弥代にはなかった。あの晩、自分が拾われるきっかけとなった、亡き息子夫婦と、その間に生まれてしまったという“色持ち”の赤子の存在を聞かされ、余計に二人との間に溝のようなモノを感じてしまった。その溝をどうしても埋めたかった。その思いもあって、二人と過ごすこれからを諦められなくてそれで、それで弥代はあるかも分からない薬を求めて雪の中、外へと飛び出したのだ。

 そうして、その溝は埋まることのないまま別れを迎えた。


 冬の訪れを静かに待って、雪にそのまま埋もれて二度と目覚めずに済まないものかと、そんな事を望みながら膝を抱えて過ごした。

 目を閉じて、一人その時を待っていたかったのに邪魔者が現れてしまった。お転婆でお喋り好きな、この世の鮮やかさを全て詰め込んだような、色褪せた景色がそれを目にしてしまえば一瞬で色付いてしまう。思わず目が(くら)んでしまう、(まばゆ)すぎる憂いを知らぬ存在。

 桜の事を思い、桜の為を考えて弥代はその手を掴もうとした。でもそれは叶わなかった。当時の桜が望んでいるものは、弥代の浮かべるそれとは大きく離れていて、(みずか)らの意思で彼女の傍から離れる事を決めた。それでも一度知ってしまったものは、次がもしあるのならそれはきっと何があっても手放したくなくなるのだろう、と思って。


 その点じゃ、雪那という存在は弥代にとって少々違う。

 彼女自身温もりを知らない。その与え方も、受け取り方もきっとまだ分かっていない幼子(おさなご)のような女で。


 求めた繋がりは、望んだ関係は、自分の見えぬところで途絶えて、途切れてしまった。勝手に寄せていた、その心は行き場を失い、ただ時間だけが過ぎていって。そうして迎えてしまった春の、自分のこれまでを全て受け入れてくれるような彼女は、彼女という存在は二度と失いたくないもので。


 弥代は、家族と呼べる存在を知らないが、それでも多分心の奥底では強い憧れがあった。だって、ただ血が繋がっているというだけで手間が掛かると分かっていても親は子供の世話を焼いてくれるのだ。どれだけくだらない事を言ったって、はいはいなんてあしらったり、軽く(たし)めたり、四六時中同じ屋根の下で過ごしてくれる。元は他人であったはずなのに、誰かと誰かが手を取り合って、そうして育まれた時間のその先に、子どもが授かって家族という形が広がっていくなんて、なんだかそれだけで、それは素敵な事なんだろうな、と思える。

 けど、自分はその家族と過ごした事がこれまで一度もなくって。そうだったのに、遠目から憧れを見えぬ様に隠して抱く、それだけで良かった、はずなのに。

『ボクは、弥代のお姉ちゃんだから。』

 素直に、それを受け入れる事は出来なかった。

 望んでいた温もりも、憧れていた家族も、その両方を彼女は自分へと向けてくれた、差し出してくれた、というのに。

 気になったのは周りの目、それから彼女の本心。

 時折見え隠れする、まだハッキリとは見えない本音の、その裏を勝手に勘繰って心の底から信じきれなかった。疑念はずっと消えてくれなかった。

 彼女が提示してくる、それをすんなりと受け入れてしまうのはきっと楽だ。自分が求めているものに、こんなにも合致する条件、そんな都合のいい相手は他にいるとは思えなかった。でも、それでも、そうだというのに最後の最後まで彼女のその誘いを受ける事が出来なかったのは、

「俺は、俺の手を取ってほしかったんだ‼︎」

『ゆい』、そう時折自分の事をそう呼ぶ、それは嫌だった。弥代は、彼女が望む家族の形を、見たことはないがそこに当て嵌まるのがどうしても嫌だった。そうではなく、鬼だからとか、姉だからとか、そういうのではなくって、いきなりそんなでなくたって良いから、先ずは傍にいて支え合って、それから、それから家族と呼べる関係になる事を望んだ。心の底から、望んでいたのだ。

 だからそれは、それは唯の自分の我儘であると弥代は痛いほど理解している。無意識にそれはずっと堪えていた、表に出さないように。二人の妥協点がどこなのか見極めて、それで少しずつ一緒にいれればそれで、そんな綺麗事は今はもう意味がない。

 相手に合わせるように、真正面から喰らいつく。

 こんなのはやっぱり間違っているし、意味なんてどこにもないかもしれない。

『ねぇ、弥代』

 そして大抵こんな時に思い出すのは決まって、今は亡きあの女の、あの言葉だ。

『それに、意味はあると思える?』

 答えは変わらない。弥代のその答えはきっとこれからもずっと変わる事はない。

 意味がなくちゃしちゃいけないなんて事は、そんなことは絶対にないんだ。

「だからこれは俺の、俺にとって都合がいいだけの、」

 刀を振り上げる。その刀身は今もまだ鞘の中で(くすぶ)り続けている事を、弥代は誰よりも分かって、いて。

「――――我儘、なんだよッ‼︎」






 刀の柄の先端が、詩良の鳩尾に埋もれる。帯そのものに穴が空いてしまそうなほど深く、深く埋もれたそれは弥代が一人の力で成し得られたものではなく、相手の動きを利用したものであった。

 足が主体となる攻撃手段以外を持たぬ彼女は、何よりも対峙する相手へとその距離を詰めねばならなかった。余程の事がなければ、一度駆け出し突っ込んでくればそれは止まる事を知らない。神鳴が意のままに操る(いかづち)を前にした時は、それをなるべく避ける為にだろう、動きはそれほど激しいものではなかった。

 彼のような手札を持たない、自分が意識を失っている間の春原との交戦でも、横槍を恐れてか神鳴が姿を表した途端に、その動きは落ち着いたものとなっていたと、そう聞かされていた。

 直前まで、距離を詰められれば離れるその瞬間まで、弥代は打ち込み、詩良は足を振り上げて、とその繰り返しで。彼女の露出した右足は暗くともハッキリと分かるぐらい、弥代の打ち込んだ(あざ)が浮かんでいて。弥代の露出部分も同じぐらい、彼女の蹴りを喰らって腫れ上がっていた。

 慣れは油断を生む。それはつい最近まで続いていた、屋敷近くの道場で、打ち込み稽古(げいこ)が行われた際に誰かが言っていた言葉だ。(いや)、違う。もっと、それは最近の事だ。それがいつであったかを思いだそうと弥代は(こころ)みようとするが、それよりも自身に(もた)れ掛かるように意識を失っている、やっとその動きを止めてくれた彼女を介抱する方が先だった。

「……弥代、」

「あぁ、悪ぃ。勝手に借りたわ。」

「それは、構わない。」

 当然のように、彼のその一言に弥代は引っ掛かりを覚える。

「お前が……、弥代が何を望むのか、それは分かっている。しかし、其奴(そいつ)は危ない。」

「意識のねぇ奴の何にそんな警戒しろっつーんだよ?寝てる時に暴れだす奴がいんのか?」

「酒に酔って意識がないのに暴れる者はいる。」

「そういうの、今は欲しくねぇよ。」

 返そうと差し出した刀を、鍔に引っ掛けた指に力を込める。

 交差するように春原は、弥代の持つ刀の鞘の部分を握りしめる。単純な腕っ節勝負に、弥代はこの男に勝てる自分を想像することは出来ない。

「弥代、」

「断る。」

 片腕に抱える、彼女を弥代は手放したくはない。

「これは、俺だけの問題だ。」

「それは違う。」

「違くねぇよ、ただの身内の喧嘩だ。」

此度(こたび)は、それで片付かない。」

 春原は引くことなく食い下がってくる。

 普段絶対に自分に対してそんなに意見を述べてくる事のない相手からそれをされるというのは、妙な焦りを感じる。(あん)にそれは、自分が望んでいるそれは絶対に許される事ではないと、(さと)されているよう、に。

「……弥代、それは駄目だ。」

「お前に口挟まれる筋合いは、俺にはねぇぞ。」

「違う、そうじゃない。」

「さっきから何だよお前はっ!言いてぇ事があんならハッキリ言えよっ‼︎」

「だから、それは――」「大体、お前はっ――」


「双方、その場より動くな。」

 その場に静かに響き渡る、聞き知らぬ声に弥代の動きは止まった。











「双方、その場より動くな。」

 それまで賑やかしく感じていた境内(けいだい)が、一気に静まり返ったような錯覚を覚える。賑やかしくなんて、ただ弥代と春原が二人、どうしようもないやり取りをしていただけで。ただ雑念にそれは(まみ)れていて、そのくせ本当に言いたい言葉は互いに中々口に出さなかっただけで。

 その声の主は何処にいるのかと、ぐるり視界を見渡せばそれは案外直ぐに見つかった。

 先ほどまで神鳴が立っていた建物の屋根の上、今まで以上に晴れ渡った夜空の、煌々と光り輝く月明かりを背に立ち、ひどく落ち着いた様子でこちらを見下ろしているのが分かる。

 夕暮れ時や夜間はどこか“色”は(まぎ)れてしまうものだが、月明かりに照らされたその姿は、纏うその“色”はまるで、燃ゆるような赤をしていて、あまりにも強烈な“色”に、弥代の目は奪われた。

「誰……だ、」

 無意識に弥代は言葉を紡ぐが、今この場においてその問いに答えてくれる者は誰一人いない。

 だが、

「弥代、」

 彼が、口を開いた。

「其奴を、離せ。」

「今それを言うのは違ぇだろ。どさくさに紛れて何言い出してやがんだオメェは。」

「違う、早く其奴を降ろせ。」

「は?」

「いいから早く降ろせ、弥代――ッ‼︎」



 弥代が驚いたのは、何も春原が突然声を張り上げたからだけではなかった。二人して掴んだままであった刀が、彼が叫ぶのと同時に強くそちらへと引き寄せられ、意識のないままの詩良を腕に抱えたまま、二回りは大きい彼の、その腕の中へと二人して抱え込まれた。そうして、そのまま横へ三人一緒になって倒れ込んだ。

 状況がまるで理解出来ぬまま、何故彼がそんな事をしたのかが分からないまま、下敷きになった春原の上で上体を起こして、今まで自分がいただろう方を振り向いた。

「なっ――、」

 思わず、息を飲んだ。

 それまで自分が立っていただろう場所が、地面がごっそりと抉れている。その場所にあった土、そのものがなくなっている様にそれは映った。

 ゾッと、背筋が凍る。あのままそこに立っていたら、自分と詩良はどうなっていたかを想像してしまい、今も下敷きとなったままの春原を見つつも、恐らくはそれをしたであろう、その張本人へと意識を向ける。

何者(なにもん)だ、アンタ……っ!」

「今は未だ、お前に名乗る名は持ち合わせていない。」

「なに、言って……、」

 女だ。()ゆる“色”、をした髪は、いつぞやの、この里で崇められる神仏と初めて対峙した時に感じたような、夜闇(よやみ)に溶け込んでしまいそうだ。だが、あまりにも強烈なその“色”が決して、混ざらぬ事を弥代は知っている。

 女を見つめて少し経ち、ふとその腕の中に抱えられた存在に弥代は気付く。そして、その名前を口にしようとしたが、それよりも早く相手が動きを見せた。

 屋根の上から地面に降り立つ。それから腕の中に抱えていた存在を地に降ろして、未だ膝付いたままの、深傷(ふかで)を負っている神鳴の元へと歩み寄った。

 

「――兄様っ!」

「生きておるか、神鳴。」

「ご(たの)みに()えず申し訳ない、師よ。」

「よい。昔から姑息(こそく)な手ばかり考えつくアレに、頭の固い貴様を送り出した私に非がある。時間が足らぬからと、無理をさせた。癒えるまでそこで休んでおれ。ここからは、私の仕事だ。」

 今宵の師は随分と口数が多いものだと、あまり知らぬ様子を見せる彼女を尻目に、鶫は傷を負った兄のその傍らに寄り添った。

 今はここに至るまでの道中、乱れた髪を手櫛で直すことさえそんな余裕はない。決して近付かず、高い場所があるのならそこから降りてしまれませぬように、と兄と交わした口約束は、今彼が地に跪いている事から守られる事はなかった事が十分に分かる。

 自分の言葉であれば、と信じてこの地を目指す兄に見送ったのだが、それだけでは甘かったようだ。もっとしっかり自分が伝えられていれば兄はこのような怪我を負わずに済んだのではないか、と考えられると胸の奥が苦しくなるぐらいに、ギュッと萎むような痛みを覚える。

「――――鶫、さん!」

 だが、その意識は自分の名を呼ぶ、その存在へと自然と向けられた。

「弥代……様、」

 少し離れた場所にいるというのに、相手が兄よりも随分と酷い怪我を負っているのがよく分かる。同時に、兄達がこの場で対峙した敵が、どれほど残忍であるかが狭間見えてしまった。

「弥代様……、後ほど(わたくし)が説明をします。

 ですから今はどうか……どうか、抱えられているその方を、お姉様をこちらへ引き渡してくださいまし。」

「…………は、」






「弥代様……、後ほど(わたくし)が説明をします。

 ですから今はどうか……どうか、抱えられているその方を、お姉様をこちらへ引き渡してくださいまし。」

「…………は、」

 弥代は、その言葉の意味をまるで理解出来なかった。いや、理解することを頭が拒んだという方が正しいかもしれない。それでもここで今考える事を放棄することは何があっても許されないと、ぐるぐる回る、未だに状況を飲み込みきれていない頭を必死に動かしてそれで、少し前に神鳴と言葉を交わした際に、彼は自分が頼まれてこの場に訪れている、とそんな旨を溢していたのを思い出した。

 その頼んできた相手が、今自分に話し掛けてきた彼の妹であるとはどうにも考えられない。もし仮にそれが妹からの頼みであったのなら、自分があんな話をした時、優先されたのは妹の頼みであったはずだ。だから、だから間違いなく、彼に、神鳴にそれを頼んだのは、鶫がそんな事を今言い出すのは、自分たちがどこか追い詰められたような状況にあるのは全て、全て二人の傍らで鋭くこちらを見てくる、燃ゆる髪をした見知らぬ女が原因に違いないのだ。

「お前……はッ‼︎」

「いつまで気を失った芝居(ふり)をしている?

 こちらへ()れる足はあるだろう、自分の足で()い、詩良(しら)。」

 腕に抱えたままの、彼女が身じろいだ。



「なんで……、」

 言いながら、彼女はその身を起こした。

 弥代の体を支えにするように、やけにゆったりと体を起こし、一人ペタンとその場に座り込んだまま、見知らぬ女の方へ顔を向けて、これまでのやり取り全てが嘘に感じるぐらい落ち着いた様子で口を開いた。

「……どうして、今になって姿を見せたの?」

「お前をずっと野放しにしていた。私も落ち度がある。これが私なりの、落ち度の付け方だ。」

「会話の仕方をしらないのかなぁ?ずっと引き篭もってたものだから、話し方自体忘れちゃったの?大体、なんで貴女がこんな場所にいるっていうんだよ?座を()けちゃ駄目だって、ボクに教えてくれたのは貴女だったじゃないか?」

「自らの役目を放棄し、人を(がい)し続けてきたお前を、これ以上見過ごすわけにはいかぬのだ。」

「だーかーらーさぁ、まともな会話になっちゃいないんだよ、ねぇ?」

 ふらつきながらも自力でどうにか立ち上がる。どこか自棄(やけ)になったように、次第にその身振りが大きくなっていく。

この子(ボク)を、どうしたいの?」

「終わらせに、来た。」

「…………誰が、死んでやるかよ!」


 吐き捨てるように言い残すと、詩良は何の躊躇もなくその場から駆け出した。二人の交わす会話の一つもその意味は分からなかったが((いや)、あの女が詩良の命を狙っている、それが目的である事ぐらいは今の弥代でも理解することが出来た)、弥代も迷いなく立ち上がり、その背中を追う。

「――詩良っ‼︎」

 やっと少しだけ、ほんの少しでも彼女を知れた気がするのだ。今ここで彼女を、彼女と別れるのだけは嫌だ。その思いだけが弥代を突き動かす。

 それほど広くない境内は、参道を走ればそれほど掛かりもせず鳥居が見えてくる。分厚い雲の少なくった夜は、植えられた木々が月明かりによって出来た細々とした影があるぐらいで、見渡しがよく、だから弥代は、弥代は気付いてしまった。

 彼女の進行方向である出口の、鳥居そのものに寄りかかっている、扇堂雪那の存在、に。

「止まれっ、詩良ッ‼︎」

 しかしいくら呼びかけようとも彼女は止まらない。その足取りを止めてはくれない。徐々に彼女の早さに追いつけなくなっているのは気の所為ではなく、ここに来てやっと自分の限界が来た事を弥代は悟ってしまう。よりによって、何でここでなんだ…と苦虫を噛み潰したような顔をして、それでも、走る事を諦めることだけは出来なかった。

 彼女が鳥居の元へ辿り着いて、何も雪那に危害が加わると、そんな事を言っているのではない。でも、今になっても心のどこかで、そもそも屋敷を離れるきっかけとなった、一連の出来事が脳裏に過ぎる。そうじゃないんだ、そうではないんだ、と強く言い聞かせて、同時に、だったら何なんだ?と自分に問い掛ける。

 だって、そうじゃないか。

 境内にまだいるだろう、あの女は間違いなく彼女の命を狙っている。そうとしか聞こえようのない発言をしていた。今自分が彼女に対して止まってくれ、と望むのは、その行き着く先で彼女に待ち受けているものは死の可能性だってある。なのに、それなのに彼女に制止するよう訴えかける、その理由はなんだというのか?

「し……、ら!」

 その時、鳥居の先に弥代は人影を見た。



 その男は腰に刀らしきものを吊るしているようだった。何故今になって、武器を持つ者が姿を現すのかと、もしや自分や雪那が亡くなってしまったとそう思っていた、屋敷に置いてきた氷室が生きていて、こちらに追いついたのかと、そんな考えが浮かんだ。

 だが、距離が徐々に詰まるにつれて、天上より降り注ぐ月光を遮る物がもう何もない夜は明るく、相手の正体が分かってくる。

 自分の方へと迫ってくる相手に対し、驚いた様子を見せながらもすぐさま持っていた刀に手を掛けて、それを容易く抜いてみせるその男は、扇堂家が抱える医者の、名前は確か……、

「貴様か――――ッ‼︎」

 弥代には、その男が何故刀を構えているのかが分からない。

 弥代には、何故その男が彼女に対し、詩良に対して刀を振り上げるのかがまるで分からない。

 弥代には、どうしてそんな事が起きてしまったのかが、どれだけ、どれほど、どんなに考えたって最早分からない。

 彼女に迫る、その一太刀を遮る術はどこにもなく、さっきからずっと体は限界を迎えて、(はし)ることさえ出来なくなってきている。

 喉の奥がへばり付く。もっと、違う……まだ、これから、なんだっ!一縷(いちる)の思いを胸に、それでも足掻く。何があっても足は止められない。彼女の、詩良の元に辿り着く、その時、までは。

「……邪魔、だよ。」

 が、そんな弥代の思いを無碍にするかのように、彼女はトンッと、自身へと向かってくる刀の、その刀身に足を掛けて、幅のそれほどない上で身を翻して、佐脇を後ろへと蹴り飛ばした。そしてその勢いを殺しきれなかったのか、今まで弥代が必死になって走ってきた参道の、奥の方へと着地する。

「しっ…………、ぁ、せつ……っ?」

 目が、右往左往する。

 まるで狙ったかのように、佐脇が飛ばされたその場所は、先ほど弥代が雪那が寄り掛かっているのを目視した、鳥居の右側で。自分が今優先するべきなのは、間違いなく彼女の方であるというのに、それなのに体は、体が勝手に動き出す。

 違う、違うんだ、と心の中で叫び続けて、何だかもう、もうずっと頭の中はぐちゃぐちゃになっていて。だというのに、怪我一つない友人の、その姿を前にすれば手を伸ばしてしまっ、て。時間にすればそれほど経っていない筈なのに、弥代は一時(いっとき)でも彼女から、詩良から目を、逸らしてしまって。

「………………ぁ、」

 雪那を抱えたまま振り返る、そこには後ろへと飛んだ彼女がいて。でも、どうしてかは分からないけど(嘘だ、弥代はそれを既に一度見ている)、何故だか、彼女のその体の中心には、彼女が自分や神鳴に食らわしたものよりも遥かに大きい、あまりにも大きすぎる穴が、空いてしまって、いて。

 震える指先が地を這う。指先が、何かに触れる。

 それ、は……それは、さっき勝手に春原から借りたままの刀、で。

 弥代は、見た。

 弥代は、見てしまった。

 彼女の胸元に空いた穴から覗く、その背後に立っている、あの()ゆるような髪を持つ、女の姿、を。

 そして、それで(ようや)くその光景の意味を理解する。理解、してしまう。

「違う……、」

「駄目だ、そんなのっ、絶対に駄目だ…ッ‼︎」

「なんで……?どう、して?」

「嫌だ……詩良、」

「…………詩、良?」

 その光景は、やけにゆっくりと弥代の脳裏に焼きつく。

 望んでいない、何よりも望んでいなかった結末が眼前に広がっている。

 友人を抱えたままの自分では、どうしたってその場へ駆けつけることが出来なくて。どうして、どうして彼女でなく自分はさっき雪那の身を(あん)じてしまったのかと、今まで考えた事もない、そんな事を考えてしまう。


 どこか、遠くどこからか、もうずっと聞こえていなかった、花火の打ち上がる音が、雲一つない夏の夜空に響き渡っている。

 天上は、既に月がその輝きを見せており、夜空に咲き誇るという大輪の花はまるで空気を読んだかのように、その姿を見せない。

 それは、七月の暮れの出来事。

 当の昔に熟した梅の実は収穫期を迎えていて、それでも探そうと思えば独特な、青臭さの奥に人を魅了する甘い蜜の香りはきっと、何処かしらにありそうで。

 そんなある晩に起きるべくして、起きてしまっただろう話。

「違う…………、なんで、こん、な?」

 

 鬼ノ目 五節・梅子実(うめのみきばむ)、破られし(えにし) ―夏陰に消えゆく虫―

 これにて、閉幕。










































そういえばアイツ、多分……いや、絶対にまぁそうなんだろうけど、ボクの事をずっとあの子勘違いしてた、よな。

何だろうな……そういうところ、本当にボクは嫌いだなぁ。たとえさ、彼女の心臓をアイツが持ってたからってさ、██はちょっと優しすぎるし、甘いところがあったからさ。

………アレ?違うな?なんだっけ……ボク、ボクが██で、それならあの子が詩良、で。

だから、えっと…………いや、もうなんだかもう疲れちゃったから、どうでもいいや。

おやすみ。

鬼ノ目 五節・梅子黄、破られし縁

全五十話、これにて終話となります。


初節の後書きに倣い、コチラの五節は、

2022年3月22日~23年7月20日に打たれた内容で、加筆等は一切行っていない内容になりますが掲載させていただきました。


全十二節中の、五節目の話となりますが(あらすじにも記載あり)、

初節同様に継続する話ではないため、各節終話時点で完結という形を取らせていただいております。

四節では後書きを設ける余裕がなかった為、割愛させていただきました。

ご了承下さいませ。

評価、感想等いただけますと大変励みになります。


また、この度ブシロードワークス小説大賞に、同人時代から長年推しているヤマザキコレ大先生が審査員として参加されるとお見掛けし、賞に応募してみました。

望みは無いに等しいとは分かってはいますが、現時点で継続的に読まれている方がいる気配もありませんので、賞の発表までを見届けましたら作品の削除を視野に入れております。


次の六節で、本編全体の折り返しに到達となります。

以降は、最長で3年ほど筆を休ませるつもりです。

ここまで読まれている方は、きっといないとは思いますが。

形式上として、長らくお付き合い下さりありがとうございました。

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