85.ゲームセット
エレノアは、ひじ掛け付きのアンティーク調の椅子に座り、今か今かとその時を待っていた。
あの日から、ラティエースが居なくなった日から、2年が過ぎようとしていた。
(あの日から何かが変わった……)
レイナードやギルドだけでなく、思いつく限りの心当たりをあたって捜索したが、足取りはようとして掴めなかった。国を出たとも思ったが、関所を通過した形跡もない。本当に忽然と消えたのだ。
それから世界が少しおかしくなった。各地で不穏な出来事が次々と起こり、エレノアが目にする新聞には、不吉なニュースが埋め尽くすようになった。
エレノアはラティエースを探しつつ、孤児院は平穏であるよう心を配った。年長組を中心とした孤児たちは、春からミルドゥナ大公の世話になることとなった。年長組がごっそりいなくなったことで年少組の何人かは不調を訴えるようになった。それでなくとも精神年齢が子どもたちと近いラティエースもいないのだ。別離の寂しさでおねしょが再発した子どもも出始めた。そんな子どもたちひとりひとりと向き合いながら、エレノアは孤児院を経営していった。身重であるアマリアも可能な限り協力してくれたが限界であった。アマリアはまず自身の腹の子を無事に生まなければならないのだ。彼女を当てにすることはもうできなかった。
エレノアは一人でこの問題を打開するつもりはなかった。すぐさまミルドゥナ大公を頼ったのだ。大公もブルーノも、ラティエースの捜索に時間と労力、そして財力を投入していた。が、ラティエースの痕跡は何一つ見つからなかった。それはもうかえって不自然なくらいに。
やがてブルーノの執り成しで、エンリエッタがこちらに住み込みで手伝ってくれることになった。
(その後……)
エレノアが、次の思い出のかけらに触れようとしたときであった。無粋なノックの音が響く。
「どうぞ」
少し残念に思いながらも、迎えを待っていたのも確かだ。ドアをノックした者に怒りをぶつけるのは理不尽である。だから、エレノアは平坦な声で応じた。
「準備が整いましてございます、皇妃殿下」
ええ、とエレノアは頷いて立ち上がる。迎えの者を労い、女官を引き連れてエレノアは廊下を出て、目的地へ向かう。
ラティエースが消息を絶ってから、世界中の不穏な出来事の幾つかが、彼女の仕業だとまことしやかにささやかれた。特に先代皇帝ケイオス一世の襲撃犯として、主犯にラティエースの名が挙がった。連座制で、エレノアも拘束された。アマリアは平民であることと身重であったこと、そしてレイナード王子の機転で、ロザに連行されることはなかった。だが、エレノアはそうはいかず、ロザ帝国に身柄を移された。
その後、貴族令嬢として尋問を受けることとなった。さすがに、大貴族ダルウィン公爵の一人娘に拷問などという真似はせずに、捜査関係者は敬意をもってエレノアに接し、エレノアもまた真摯に応対した。同時に、この奇妙な偶然に疑問を持ったエレアノアを含めた者たちが独自に調査し、つい先ごろ真犯人の捕縛に成功した。
エレノアは皇城の門前に止められた四頭立ての馬車に乗り込む。馬車は数十分かけて処刑場となる広場に到着した。一大イベント化しているのか、今回の刑場には見物客でごった返していた。エレノアは彼らに混ざって見学するつもりはない。帝室専用馬車を確認すると、兵士たちは見物客をやや強引に押しのけて道を作り、馬車に向かって敬礼した。いつもなら少し車窓を開けて礼を言うのだが、今回はそういう気分ではなかった。カーテンを開けもせず、ただ黙って目的地到着を待った。
足場が悪いのか馬車は揺れる。随伴を希望した女官たちは揺れるたびに小さな悲鳴を上げる。
(今からそれで大丈夫かしら?)
この後、もっと凄惨なものを見ることになるというのに。
馬車を降りると、血なまぐさい匂いにエレノアは顔を顰める。足元の泥が血を吸って赤黒く変色していた。女官たちの何人かはこの時点で卒倒しそうな雰囲気であった。筆頭女官のブレンナード伯爵夫人に、顔面蒼白の年若い女官たちを戻すよう指示する。こんなところで卒倒されても迷惑だ。
エレノアは物見櫓を見上げる。貴族や皇族が見物するために、物見櫓が組まれていた。すでに満席状態である。貴族たちは誰かが持ち込んだ料理や酒を手に、今日のメインイベントが始まるのを待っている状態だ。悪趣味だと断じるのは簡単だが、それはそのまま自分にも返ってくる。それが分かっているからエレノアは黙って、皇族用の物見櫓を目指した。
民衆の前に出ることになるから、簡素な服装ではなく豪奢なドレスと装飾品を身に着けていた。ティアラも装着している。泥にまみれた地面には、役に立つのか立たないのか微妙な板きれが敷かれ、そこを通って物見櫓の階段まで歩く。女官たちがエレノアのドレスの裾を上げる。
「ありがとう」
エレノアは言って、板を渡り物見櫓の階段に足を掛ける。自分でも前の裾をたくしこむようにして持ち、階段をのぼっていく。皇族用の櫓には、玉座を模した椅子が二つ。すでに一つは埋まっていた。
「皇妃、やはり来たか」
そう言って、エレノアの夫、現皇帝のリート・ロザ・クラーク・アークロッド改めリートリッヒ一世が椅子から立ち上がり、エレノアを出迎えた。その側には、皇太子のアレックスが控えている。彼との関係は今や友人の元婚約者から、義理の息子に様変わりしていた。
「昨日の雨のせいで、足場が悪くなっているな」
「ええ。ここに来るまで難儀しました」
リートリッヒ一世はエレノアの手を取り、自分の隣の席までエスコートする。
「まずは民たちに挨拶を」
「ああ、そうだな」
リートリッヒとエレノアは並び立ち、櫓の手すりあたりまで姿を現し手を振る。もう片方の手はお互いが手をつないでいた。その仲睦まじい様子に歓声が沸いた。当代皇帝の評判は悪くない。皇妃も、その過去を知る国民たちに愛されている。皇太子のアレックスもリートリッヒ1世の隣に立ち、手を振った。
しばらく左方、正面、右方と体の向きを変えて笑顔で手を振り続けた。それは皇帝の背後に秘書官が現れるまで続いた。
「罪人が到着しました」
「そうか」リートリッヒは短く言って、「さっそく始めよ」と続けた。
リートリッヒはそのままエレノアの手を引いて席に座るよう促す。
「見ておけ、エレノア。お前を長年苦しめた者たちの最後だ」
「ええ。目を見開いて、瞬きせず、見届けます」
これから行われるのは、とある貴族夫婦の処刑だ。普通、貴族に対しこんな真似はしない。罰を受けたとはいえ、貴族は貴族。ましてや死罪を言い渡された貴族を、見世物のようにするなんていうことはない。では、何故、今回はそういう手段が取られたのか。答えは簡単だ。皇妃であるエレノアが強く望んだからである。
やがて、罪人が広場の中央に引っ立てられる。見すぼらしい元は白だったであろう薄汚れた衣をまとった男女が、両手に縄をかけられ、裸足で泥の地面を歩いていく。首切り人の姿に悲鳴を上げたのは女の方だった。エレノアのいる場所からは内容まで聞き取れないが、大体の予測はできる。
一方の男は項垂れたままである。泥や石を投げつけられても特に反応は見せない。既に男女ともに凄惨な拷問を受けた後なのだ。特に男の方は初めて本物の暴力、暴行を受けたのだろう。本来は禁止されている暴行も受けているはずだ。たちの悪い兵士に見張りを任せたのは、アレックスとブルーノが手を回した結果なのだろう。彼らの怒りはそこまで達していたのだ。エレノアも知っていたが黙認した。女の方は、時間外の暴行に、兵士たちに見返りを求めたというから驚きだ。彼女はとにかくたくましい。
彼は虚ろな目をしていて、ただ息をしている人形のようだった。抵抗する余力するら残っていないのだろう。そう考えると女はやはり大した精神力の持ち主だ。
罪人夫婦は、エレノアとも面識があった。もっと言えば、男の方はかつての婚約者であった。彼の姿を目にしたのは、学園を卒業して以来だ。
(娘もできて落ち着いたと思ったのに。・・・・・・本当に愚かね)
斬首台にそれぞれが引き倒され、手足の自由が奪われる。その間、中央に立った身奇麗な青年が二人の罪を朗々と民衆に聞かせる。それは、ブルーノであった。まるで吟遊詩人のように滑らかで、興奮していた民衆も、ひとり、また一人と罵倒や暴言の口を閉じて聞き入る。見物人の間には静けさが広がるが、代わりに女の金切り声が響き渡る。
先程は、民衆の罵詈雑言で聞こえなかった女の言葉も今はエレノアの耳にも届く。
「みんな、騙されないで!悪いのはエレノアとラティエース、そしてアマリアなのよ。あの人達はヒロインを貶める悪役令嬢のなのよっ!!わたしは皆を守りたかっただけ。みんな、目を覚まして!!」
今回はどちらかというと女、バーネット単独の犯行で、男の方、つまりマクシミリアンは巻き添えを食らった形だ。だが、最終的にバーネットの甘言に乗ったのは彼だ。実行する前に、誰かに密告でもなんでもすれば、少なくとも娘は助かったかも知れないのに。
彼らは、あのときと同様、賭けに負け、斬首台に首をさらしている。
(無様ね)
バーネットがぐるりと首を巡らせて、エレノアに向かって叫び始めた。残念ながら、民衆の声に掻き消されて内容は分からない。
エレノアはその様子を無表情で睥睨する。
(あなたは二つのミスを犯したのよ)
一つは、ラティエースが行方不明であることを知り、エレノア達を潰しにかかったこと。ラティエース以外なら組みしやすいともで思ったのか。冗談ではない。ラティエースは確かに小賢しいが、敵に対して容赦がないのは実はエレノアである。
そしてもう一つは、ラティエースの名誉を一時でも貶めたこと。これはエレノアの逆鱗に触れた。アレックスやブルーノ、他にも二大公、根源貴族の面々、最終的には当代皇帝リートリッヒ一世までも敵にした。ただ皇帝に関してはエレノアが伴侶になることで味方に引き込んだようなものだが。
バーネットはこれらの有力貴族をいっぺんに敵として相手にしたのだ。学園時代のエレノアたちを相手にしたときとはわけが違う。
「そろそろ良いか?」
夫が優しげに尋ねる。
「ええ、はじめてちょうだい」
夫は頷き、軽く手を上げた。これは執行せよという合図である。
まず、マクシミリアンの方に、斬首用の剣が振り下ろされ、首が飛ぶ。首がコロリと転がった瞬間、歓声が上がった。民衆は、かつて皇子であった彼の死を大いに喜んだ。
アレックスの横顔を一瞥すれば、端正な顔立ちには何の表情も出ていなかった。彼もエレノアと同様、凪いだ気持ちといったところなのだろう。今回の件で、エレノアとアレックスは一点に置いて同盟関係にあった。ラティエースの名誉回復という一点において。
幸い、それは達成されたが、彼とは良好な関係が続いている。
次にバーネットの番である。彼女は半狂乱で叫んでいた。髪を振り乱し、およそヒロインの所業とは思えない。ついにバーネットの口に布が詰め込まれた。うるさい、ということらしい。また同じように剣が振り下ろされ、首が転がった。
(ラティ、あなたが今ここにいたらなんていうかしら・・・・・・)
――――わたしたちはまだゲームの影響を受けていると思うか?
かつて、ラティエースが呟いた言葉を思い出す。
(ラティ。わたしがゲームを終わらせたわ……)
ちょうどその頃、彼らの首が台に掲げられ、民衆は一層の歓声を上げていたのだった。




