84.終章
気づくとユリは、見覚えのあるアスファルトの道に立っていた。
「エレノア・・・・・・?」
真夏の陽光がアスファルトを照りつけ、陽炎を生じさせていた。道の両脇には、真新しい住宅が並び、舗装された道路と歩道の間には等間隔に桜の木が植えられていた。
(何で、わたしあの時と同じTシャツを着ているんだろう・・・・・・)
今日は、エレノアがデザインしたピンク色のワンピースを選び、アマリアが髪を結ってくれて。そして、ラティエースが「かわいい」と言ってくれたはずだ。
ユリはぼんやりと佇んでいた。ふと、背後から押されたように一歩を踏み出す。そして、二歩目。そこからは慣性に従うかのように歩き出す。
ふと我に返る。
確か、昼食を終え、庭園で遊ぼうと皆で廊下に出たのだ。
風が、吹いた。ユリはつられるようにして振り返った。前を行く3人はその風に気づかないのか、談笑しながら進んでいく。アマリアがお腹を抱えて爆笑し、エレノアが心底呆れたようにラティエースに言って、ラティエースは口を尖らせる。いつもの光景だ。
柱と柱の隙間からゆっくりと手招きする繊手。柱と柱の間は人が2人くらいは立っても隙間が残るくらいなのに、そこにはぼんやりと浮かんだ繊手しかない。
何かしら、とユリはゆっくり近づく。本当なら3人を呼ぶべきなのだろうが、薄気味悪さと好奇心がない交ぜになった状態では、3人を呼ぶという行為は後回しになった。
間近まで寄ると、繊手はグンッと手を伸ばし、ユリの腕を掴んだ。ヒッと悲鳴を上げたのと、引っ張られたのは同時であった。まるで水面に飛び込んだかのようにユリの眼前がぼやける。ぼやけた視線の先に小さな光があった。
自分の体が溶けるような、輪郭がぼやけるような感じがした。腕だけに感覚が集中していて、ユリを掴んだ腕は、視線の先の光に向っている。
やがて、ユリたちが近づき、光が大きくなる。そして、その光に包まれた。
引きずり込まれた先が、あのアスファルトの道だった。
機械的に歩き続け、ユリは一軒の家にたどり着いた。近代的なコンクリート造りの家。父がローンを組み、念願のマイホームだと喜んでいた。ユリにも2階の一室が与えられていた。家の隣には小さなコンパクトカーが駐車してあった。
――――――ユリちゃん!?
――――――今までどこに行っていたの?
――――――畑中さんは?
――――――多分、パートよ!連絡先知ってるから連絡するわ。
大勢の声にユリは当惑する。ひとりひとりの顔はなんとなく覚えているが、皆、狼狽し、ユリを異物のように見る目が怖かった。
とりあえず、と言って近所の人たちはユリを隣家に招き、炭酸飲料を出してくれた。前はそれが好きだったのに、今は絞りたてのオレンジやリンゴのジュースの方が好きだ。小袋に入った菓子も、やたら甘く、ユリの口にはあわなかった。あの素朴なほんのり甘いバタークッキーが食べたい。
時折、ラティエースが面白がって「オトナのブドウジュース」を舐めさせてくれて、そのことに気づいたエレノアにこってり絞られていたことも思い出す。アマリアとユリは、その様子を笑って見ていた。
「ユリ!!」
背広姿の父親と、麻のブラウス姿の母親が飛び込んできた。汗まみれの二人は、ユリの姿を認めると滂沱の涙を流し、ユリを抱きしめる。
「ユリ!ユリ!!」
「どこに行っていたの!?心配したのよ?」
「・・・・・・ママ、パパ・・・・・・。わたし、わたし・・・・・・」
(あれ?)
つい先ほどまで思い出せていたことが、靄がかかったかのようにぼやける。色々なことがあったはずなのに、それが段々と消えていく。
(待って、消えないで!)
しかし、ユリを優しげに見つめる女性の顔がのっぺらぼうのようになっていき、その声も思い出せなくなる。忘れたくないはずなのに、記憶が無情にも誰かによって奪われていく。
流れる映像が、一コマ一コマ途切れていき、それはやがて写真のようになり、そして、その写真の輪郭が溶けていく。
ユリの頭から、あの世界での出来事が消えていく。
「わたし、どこにいたの?」
母親がユリの肩を揺すった。
「どこって。あなた、1年の間ずっと行方知れずだったのよ?パパとママ、すっごく、死ぬほど心配したんだから」
「わたしが行方不明?」
「そうよっ!!」
「畑中さん。そう一気に言ってもユリちゃんも混乱しているようだし。警察ももうすぐ来るから、まずは落ち着いて、ねっ」
見かねた隣家の家主がそう言った。
「家に戻って3人で過ごさせてあげよう」
その声に否定は上がらない。ユリは母親に手を引かれ、1年ぶりの我が家に戻ったのであった。家の扉が閉まる瞬間、誰かに呼ばれた気がして振り返る。しかし、そこには誰もいなかった。
「・・・・・・ラティ?」
ユリはポツリと呟いた。
第二編 了




