81.別(さようなら③)
――――――1ヶ月後。
カノトは、棺の端にヒールの踵を引っかけた。誰かが見ていたら、死者に対する冒とくだと騒ぐところだろうが、今、この場にいるのはカノトだけだった。
黒レースをあしらったトーク帽と喪服用のタイトなワンピース。黒のパンプスは儀礼用としてはヒールが高いが、カノトはヒール5センチ以下は靴とは言わないという自分のルールがある。たとえ、友人の死を前にしてもそのルールを破るつもりはなかった。
「死んでるんじゃないわよ、バカ……」
言って、カノトはヒールの踵部分で、棺の側面を軽く蹴る。
「柄にもない死に方して・・・・・・。あんたはもっと、クズみたいな死に方をすると思ってたわ」
言って、ガンッ、と蹴る。
レンは教皇を守った功績により「国葬」待遇となる。一階級特進となり、枢機卿として送り出されることになっていた。明日、盛大な葬儀が執り行われる予定だ。
突如、届いたレンの訃報。聞けば、ラティエースも大けがをしたという。カノトの元に入ってきた情報はそれだけであった。ロフルト教皇国で何かが起こり、二人がその事件に遭遇した。ただ、その事件について誰もが分からない、知らないという。
レンの遺体を収めた棺はベルベッドの布に覆われた台の上に置かれ、棺桶の蓋が少し開いて、顔だけが見れるようになっていた。レンの顔の周りには花が敷き詰められ、彼は穏やかな表情を晒している。
「あの時のこと、まだ謝ってもらってないんだけど。・・・・・・あの世で絶対に謝らせるからね」
カノトが呟く。うん、と笑顔で返されても、今回は怒らない。だから、返事をして欲しい。「驚いた?」なんて言って、棺の中から出てきて欲しい。今回は、今回だけはそんな悪質な冗談でも許してやるから。
カタン、と物音が響いたのはそのときであった。カノトは振り返らなかった。
右手をアームホルダーで吊ったラティエースがカノトの隣に並び立つ。頭部や左手にも包帯が巻かれている。
「レン、誰かを守って死んだの?」
棺に視線を向けたまま、カノトは問う。
「うん・・・・・・。皆が動けない中、レンだけが教皇を守るために動いた」
「そう・・・・・・」
「ごめん・・・・・・」
「誰に対して謝ってんのよ。レン?あたし?」
「・・・・・・分からない」
ラティエースの声が震え、ポタリと涙が床に落ちる。
「あんた傲慢なのよ。どういった状況かは知らないけど、少なくともレンが死んでしまうような出来事があった。それをあんたの小ずるい頭だけで皆を救えると思ってたの?・・・・・・傲慢だわ」
「うん・・・・・・」
ラティエースが一番欲しているのは、誰かの罵倒だ。もっと、もっと傷つけて、責めて欲しい。何故、レンの代わりに死ななかったのか、と。何故、誰もそう言ってくれないのか。
「でも、でも・・・・・・」
それでも。ラティエースが何とかしてくれなかったのか、と思う自分もいる。何故、レンは、カノトもレイナードも、そしてウィズもタニヤもいないところで死んでしまうのだ。もし皆が揃っていたら、こんな結末を、彼の死を、遠い国で聞くこともなかったのに。
「なんで……、何で……、死んじゃうのぉぉ……」
カノトはその場にしゃがみ込み、顔をくしゃくしゃにして空を仰ぐ。
「死んじゃったら、もう、もう、会えないのに……。何で、死んじゃうのよぉ……」
もう会えない。二度と、レンは皮肉なことも、気遣う言葉も、何も言ってくれない。あの少し高い、声変わりを終えても、高音の声―――本人は実はすごく気にしていた。あの声がもう聞こえない。
「うわっ……。ああっ、ううっ、わああああん……」
改めて喰らった喪失感に、ラティエースも立っていることができなかった。壊れた人形のように力を失い床に崩れ落ちる。二人は抱き合って、声を上げて泣いた。
ひとしきり泣いて、カノトはレンの棺に一蹴りして部屋を後にした。ラティエースはもう少しだけ此処に残ると言って、留まった。
ラティエースは立ち上がり、レンの棺を見つめる。
「・・・・・・おい、くそ悪魔。出てきなさいよ。これで終わり?元々は、あんたが部下の手綱をしっかり握ってなかったころから起こったことでしょうがっ!!このまま逃げる気?序列上位の悪魔かなんだか知らないけど大悪魔が聞いて呆れるわ!!」
ラティエースは握った拳を、怒りのまま棺の蓋に叩きつける。今ので小指をやった気がしたが構わなかった。誰も罰してくれないならば、自分で自分を罰するしかない。
「っざけんな!!」
言って、ラティエースは唇を噛んだ。こんなものはただの八つ当たりだということも分かっている。
(そうだよ、わたしがあそこでブルって動けなかったからレンが死んだ。あの時、飛び出していれば・・・・・・)
あの鎌首を弾いて軌道を変えさせれば、レンはビジーノを抱えて逃げられたはずだ。
「よく分かっているじゃないですか」
それは、足下から響いた。ゆっくりと黒い円が形になり、垂直にユラリと人影が現れる。あの時と違うのは、仮面を付けていないことだった。
病的な白い肌に、琥珀色の瞳。真っ黒な瞳孔が瞳の中央に据えられている。切れ長の瞳と、鼻筋の通った顔立ちは、美しいが生気がまるでない。
「アモン・・・・・・」
「あんまり煩いから出てきちゃいました。確かに部下の失態はわたしの責ですが、それで部下の攻撃を避けられない愚鈍さをわたしに責任追及されても困りますよ」
――――――傲慢よ。
カノトの言葉が脳裏にこだまする。
(それでも、わたしは・・・・・・)
「・・・・・・あんたの失態はそれだけじゃないでしょう?」
ラティエースはアモンに体ごと向け、その金に覆われた瞳孔をにらみ据えた。
「あんたはまず、贄であったスフォンを掠め取られた。このことで、アカネはスフォンの死を二度体験した。しかも、教皇にまで押し上げられた。掠め取った理由は、あんたへの嫌がらせか、スフォンを使ってあいつは秘術行使に利用しようとしていたかは分からないけど。どちらにせよ、次の秘術行使は大惨事になっていたはずだ」
うーん、とアモンは顎を撫でた。「多分、両方でしょうねぇ」
「そして、部下の失態の後始末に来たのに、長ったらしい口上を垂れてたから、あいつがビジーノを道づれにしようと最後の足掻きに出た。あんたがとっとと部下の頭掴んで地獄に戻らなかったせいよ!!」
「なるほど・・・・・・。確かに、アカネさんにはつい懐かしくてご挨拶してしまいましたね」
アモンは言って、俯くラティエースを見やる。
「で、わたしにどうしろと?」
「二つ願いを叶えろ」
「贄なしでですか?」
「足りない分は、わたしが支払う」
「ほう・・・・・・。あなたが贄になりますか?」
「正確に言えば、わたしのココだな」言って、ラティエースは自分のこめかみあたりに人差し指を向けた。「知識だ」
「知識?」
アモンは知識の悪魔だ。過去と未来の知識授け、人の関係においても干渉する能力を有する地獄でも屈指の悪魔だ。そのアモンに対し、知識を与えてやるという。アモンは失笑した。お話にならない。これ以上、つまらない話をするならば、この小娘の首を掻き切ってやろう。
「わたしは転生者だ。この世界にはない知識を有している。向こうの世界の物語や出来事を、お前ならわたしの記憶から取り出せるだろう?」
アモンは少し興味が湧いた。確かに、アモンの知識はこの世界限定のものだ。娘の言っていることは本当だろう。今は思考を盗み見る無粋な真似をしてはいないが、この娘の言う通り、異世界の物語や出来事、どういった生物が生息しているのか、異世界の人間がどういった生活をしているのか興味がある。それを記憶ではなく記録として取り出すことなど、アモンには朝飯前である。
それに、この娘の過去、そして未来の経験にも触れたいとも思う。
「どうだ?少しは興味が湧いたか?」
こちらを見透かすようにラティエースが言う。生意気にも挑発してきている。アモンは残念でならなかった。この娘が今のような状態であれば、レンという青年は確実に生きていただろう、と。だが、今、こうしてラティエースがアモンと対等に話しができているのは、レンを喪ったからだ。
(皮肉なものだ・・・・・・)
アモンの口元に微笑が浮かぶ。
「幾ばくかは・・・・・・。で、その願いとは?」
「一つはユリを元の世界に戻すこと。もう一つは、二度と秘術行使を行わせないこと。つまり、聖女召喚を二度と出来ないようにしてほしい」
「なるほど・・・・・・」
「お前の失態の補填だ。これで相殺しろ」
「それはさすがに無理ですねぇ」
やっぱり、とラティエースは肩を落す。
なるほど、娘はこのアモンと契約交渉をしているのだ。最初にふっかけて、揺さぶり、そして譲歩できるところを探る。1カ月前とは大違いだ。人は喪ってから得るものもある。この娘もそうだ。
(いけませんね、これではあの部下と同じではないですか……)
今頃、あの悪魔は毎秒のように八つ裂きにされて、同胞たちに弄られていることだろう。大悪魔の贄をかすめ取ろうとしたのだ。悪魔は身勝手で個人主義だが、それなりに筋を通すところもある。特に卑劣な手で大悪魔の贄をかっ攫おうとする奴とか。不思議なことに掠め取った上で大悪魔を打ち倒せば、同胞から尊敬されるのだ。つくづく悪魔という奴は捻くれている。
(いいでしょう。わたしも憂いが無くなって、次はどうしようかと考えていたところでしたから)
悪魔にとっては人の一生は数時間のようなもの。それくらいの時間をここで過ごすのも悪くはない。
「二つのうち一つはわたしの失態の補填として叶えましょう。もう一つは応相談です」
「わたしが差し出すものでは足りないと言うことか」
「・・・・・・・ふふっ。少しあなたに興味が湧きました。どうです?わたしと契約しませんか?」
「いえ、お断りします。他のプランをご提示下さい」
ラティエースはサッと掌をアモンに向ける。
「それも揺さぶりですかね?」
「いえ、本気です。知識以外だと・・・・・・。命以外で何かあるか?」
「そうですね。大抵は、体の一部を捧げたりしますね。眼球とか」
ラティエースは少し黙考し、「肝臓一つとか?」
アモンはジッとラティエースの胸元辺りを凝視する。
「その傷んだ肝臓ですか?」
「失礼だな!16歳の時からコツコツ継ぎ足し継ぎ足ししてあらゆる種類のアルコールに漬けて、今は乾かしている一品だぞ!」
「つまり、16の時から飲酒していて、ロフルトは食前酒と儀式の赤ワインを除いて禁酒だから飲んでないだけですよね」
ラティエースはあさっての方向を見る。下手くそな口笛まで披露している。
「正直、人間との契約は悪魔にもリスクがあります。人間の願いを叶えることは、悪魔自身の力も削がれると言うこと。今回は、ユリという娘を天上世界に戻すことで、わたしの力は全盛期の10分の一まで落ちます。続いて聖女召喚のための天上の門を閉じる。これは、続けては出来ません。たとえ贄があったとしても。逆でも同じですよ。能力回復には10年は掛かるとお思い下さい」
「じゃあ、ユリが先だ」
「ええ。残りは、分割払いということでいかがですか?」
「肝臓を10年がかりで10等分に切り刻むのか?」
うえ、とラティエースが顔をしかめる。どうもこの娘はアモンの品位を随分と低く見積もっているようだ。
「肝臓の話はいったんナシです。あなたとわたしが契約し、あなたがわたしを楽しませることができれば、それを贄とします」
「それは・・・・・・。あなたが表面上、楽しくないと言ってしまえばあなたの勝ちだ。わたしには不利な契約だな」
ふざけたかと思えば、ちゃんとデメリットも計算できる。アモンはこの娘に翻弄されていることを自覚していた。
「そこは、まあ、そうですが。代わりに、わたしはあなたを適宜サポートしますよ。このアモン、必ずやあなたのお役に立ちます」
「その都度、贄を用意するのはちょっと・・・・・・」
ラティエースが急に契約に後ろ向きの様子を示す。アモンはすかさず畳みかけた。
「わたしはこの世界を巡ってみたいと思っております。そのためには、人間と契約し、生気をもらって活動した方が融通が利きやすい。その生気提供を報酬として、そして贄代わりとして頂きたい。力が戻れば、召喚の門を閉じてさよならです。これでいかがですか?」
我ながら随分と譲歩したものだ。この娘の術中にはまってしまったのだろうか。この娘との会話が堪らなく楽しい。
「つまり、飽きたとか言って、わたしが一方的に○されることはない、と。ちょいと寿命が減るくらいか?」
「ええ。あなたの行く道は無血ではありえない。その際に出た犠牲者の生気も頂きます。あなたの生気は最小限。わたしは、あなたが犠牲を出せば出すほど回復が早くなる。いかがです?」
(そうか・・・・・・)
未来の知識を有する悪魔が言うのだ。これからもラティエースの歩む道は、血が絶えないのだ、と。
自身で屠るか、それとも自身の行動の結果、誰かが行うのか。
(そんなの今更だ・・・・・・)
ラティエースはアモンを見上げた。そして――――――――。




