82.収(おさめて)
――――ロザ帝国ミルドゥナ大公領府ダーナ
ミルドゥナ大公領の中で最も栄えている都市がダーナである。東に行けば港があり、そこはロザでも指折りの貿易港である。最近ではダーナとメブロを結ぶ定期便が運航されており、ますます人の出入りが増加している。その異国情緒たたえた港の側近くには、富裕層を中心とした別荘や邸宅があり、さらには澄み切った水をたたえた海水浴場もある。中でも大公所有のヴィラは観光名所の一つとしても有名であった。
ラティエースたちは、1カ月ほどかけてロフルトでの後始末を終えると、孤児院の子どもたちを迎えにいくために、ダーナにある大公のヴィラに立ち寄った。
「ねっ、ねっ、ねっ姉さん!!それ、どうしたの!?」
(何故だ。何故、ブルーノが此処にいる)
ヴィラの玄関で、ラティエースたちを迎えたのはブルックスとそして、ブルーノであった。
顔を顰めたラティエースに気づくことなく、ブルーノはラティエースの周りをちょこまかと動き回り、傷の具合を尋ねる。
「誰がやったの?どうしてこんなけがをしているの?ねえ、何があったの?今からそいつをぶっ飛ばしに行くから犯人の名前教えて?」
「そりゃ無理だ」
(何せ悪魔様だからなぁ……)
「何で?何、そいつのことかばってるの?で、何があったの?どうしてこんなけがをしているの?で、だれがやったのさ?」
(煩せぇ……)
「お嬢様方、お荷物をお預かりします」
後ろで繰り広げられる喜劇を無視してブルックスが、立ち尽くすエレノアとアマリアに声をかける。
「えっ、ええ……。お願いします」
「お願い、します……」
二人はブルーノの態度に戸惑いを隠せない。あんな弟だったっけ、と。
「ブルックス。子どもたちは?それとおじい様は?」
姉さん、姉さん、とまとわりつくブルーノを壁に押し付けて、ラティエースは問う。
「大公殿下は各州長との会合に出席されております。まもなくお戻りかと。お子様たちは今、庭園で遊んでいる時間かと。今、ご案内いたします」
ブルーノに先導され、ラティエースたちは庭園へ向かう。渡り廊下に面した両脇の空間には、南国の植物が植えられ、その極彩色の花が満開に咲いていた。帝都にはない景色に、エレノアとアマリアが物珍しそうに見ていた。
「ブルックス。留守の間、子どもたちが迷惑を掛けなかったか?」
「いえいえ、そのような。皆、とてもお利口で賢い子たちでした。大公殿下もたいそう気に入られて、自ら子どもたちと遊んでおられましたよ?10年若返ったと笑っていらっしゃいました」
「そっ、そう……」
「ところでエレノア様」
「はい」
「2日前より此処から少し離れた別荘に、ダルウィン公爵夫人とダルウィン公爵令息が滞在しておられます。よろしければ、後程馬車を出しますので」
「ありがとうございます!お母さまとウィルが?」
「はい。実は滞在していただいている別荘の一帯は、新しく開発したエリアでして。オープン記念のセレモニーにご招待させていただきました」
「いいじゃん。エリー、今日はそっちに泊まってきたら?」
「そうね。そうさせてもらおうかしら」
「それとアマリア様」
「はい」
「そのエリアでは飲食店も新規にオープンいたしまして、アドバイザーとしてリー男爵に色々とご相談しておりました。男爵夫妻、男爵令息も同じエリアの別荘に滞在中でございます。エレノア様と同じく、後程、馬車をご用意させていただきます」
「あっ、ありがとうございます!」
大公領に立ち寄ると手紙を出したのが10日前。その間に、祖父はここまで整えたのか。さすがに10日で新エリアの開発を終えることはできなかっただろうが。感嘆を通り越して恐怖すら抱いてしまう。それにどういうわけかブルーノもいるわけで。
「で、庭にプールまで作っちゃいましたか」
少なくとも3年前には、こんな施設はなかった。
水着を着た子供たちが、透き通った水の中で大はしゃぎしている。
「みんなー!ただいまー!」
プールに向かってエレノアが大きく手を振る。子どもたちはいっせいにこちらを向き、きょとんとした顔をしていた。そして、次の瞬間、爆発したかのような歓声を上げて子どもたちが一斉にこちらに向かってきた。
「ママ―!」
「エレノアママ!!」
「ラティママも、アマリアママも!!」
「おっそいよー!」
水にぬれると分かったうえで、3人は子どもたちを抱き留める。久方ぶりの小さなぬくもりに、図らずも安心してしまう。
「ごめんなー。遅くなって」
「もうお仕事は終わったの?」
「ラティママはどうしてそんな大けがしてるの?痛くない?大丈夫?」
大丈夫、大丈夫、とラティエースは笑顔で応じる。その隣でブルーノが「何で僕には言ってくれないのさ」とふてくされているが、こちらは聞こえなかったふりをする。
「ええ、もう大丈夫よ。さあ、家に帰りましょう?」
「大公の御家は楽しかった?」
「うん。すっごい広くて、大きくて。ご本もいっぱいあって。剣も教えてもらった!!あとね、動物園にも連れてってもらった」
子どもの一人が興奮気味にまくしたてる。
「そっか、良かった……」
子どもたちと再会を喜び合っているところに、芝生を踏みしめる音が割って入る。振り返ると、そこにはレオナルドが立っていた。
「ただいま、おじい様」
「また、ひどい格好だな」
ギブスで固定されたラティエースの腕を見て、レオナルドが目を細める。
「まあね」
ラティエースが軽く応じるとレオナルドは嘆息し、顎でついてこいと示す。子どもたちをブルーノに任せてラティエースはレオナルドを追った。
通された部屋は、レオナルドの私室であった。
ラティエースは応接用のソファーに座り、レオナルドは暖炉近くのロッキングチェアに腰掛ける。片手には二つのグラスと蒸留酒を手にしていた。
「色々と大変だったな」
「まあね」
「レンの葬儀は滞りなく終わったそうだな」
「うん。おじいさまも葬儀の列席者に皇帝を推してくれてありがとう。あれで、ロフルトの面子が保たれた」
「降臨祭以降、ロフルトは失態続きというか、協力国に対して褒められるべき態度ではなかったが、今、ロフルトという楔が切れると、世界は本当にバラバラになるからな。ロザの皇帝が列席するならば、他国も下手な人物は送らないだろうからな」
事実、ロザ帝国皇帝の出席が発表されると、レイナード王子や他国も、国王や皇太子、王子、王女といった王族に準ずる人物を送ると発表してきた。一介の枢機卿の葬儀の列席者でこれ以上のメンバーはいない。教皇の葬儀でもこれほどの面子は揃えられないだろう。
レオナルドが琥珀色の酒を注ぎ、グラスをラティエースに手渡す。ラティエースは受け取ったものの、一口舐めて、ローテーブルに置いた。
「なんだ。本当に具合が悪いのか?」
いつもならすぐに空にするのに。
「いやあ。色々あって、酒と塩分を控える生活を送らなければいけなくなりまして」
ラティエースは苦笑した。そうか、とレオナルドはそれ以上は追及しなかった。
「子どもたちの面倒もありがとう。プールまで作ってもらちゃって」
「最初のころは寂しそうにしていたがな。皆、いい子たちだ」
「うん……」
「で、だ。何人か此処に置いていかんか?」
えっ、と瞬く孫娘にレオナルドは口角を上げる。
「皆、優秀な子どもたちだ。特に年長組は手元で育てて、ゆくゆくはブルーノの側近にしたい」
「剣とかも教えてくれたそうだけど?」
「初歩中の初歩だけだ。騎士の剣術と傭兵の剣術ではまるで違うが、一人、騎士にしたい子どもがいたぞ。ほら、カーク少年」
「あの子、体格的に騎士は無理じゃない?」
「まだ子どもだ。食わせて鍛えれば、どこの騎士団にも負けない騎士になる。本人もわりと乗り気だったぞ」
「にゃるほどねぇ……」
孤児院の子どもたちの出自は複雑な子が大半だ。成長したらその出自を明かす予定であるが、その出自が彼らの未来を邪魔する可能性は多分にある。そうならないためにミルドゥナ大公に後ろ盾になってもらった方がいいに決まっている。実は、もう少し子どもたちが成長し進路を決めたら、場合によっては大公を頼ろうと思っていたところであった。
「他は?」
「カナンもいい。あいつは官吏にも軍人にも、それこそ商人にもなれる。できれば、ミルドゥナに欲しい男だ。ハンナもあの年頃にしては洞察力もあるし、気づきも早い。わしがもう少し若ければ養女にして、他国の王室に送り込みたいところだな」
「本人の意に沿わない教育はしてほしくない」
「当然だ。わしもそこまで人材に困ってはいない」
「……。お前たちが留守にしている間に、知り合いの学長に学力テストを依頼したが、皆、基準値以上の点数をたたき出していたよ。エレノア嬢の教育のたまものだな。そのテストで、タマラとカイエン、そしてナディアに奨学生打診があった」
「知らないうちに、子どもたちの可能性を広げてくれたありがとっ!」
ラティエースは厭味ったらしく返した。
「なんだ。子どもたちに色々な選択肢を与えるのが親の務めだろうが」
「そうなんだけど。こう短時間にちゃっちゃとやられると、嫌味の一つの言いたくなるよ」
「なんだそれは」
レオナルドは心底呆れたという顔で言う。レオナルドは少し黙り込み、空にしたグラスに蒸留酒を満たす。
「トリトの様子はどうだった?」
「だいぶ憔悴してたけど、大丈夫だと思う。すべて収めて前に進もうと言ってたから」
自分に言い聞かせるようにトリト卿は、ラティエースやレイナード、カノト、ウィズ、タニヤに言った。何度も、何度も。タニヤが口答えする度に、何度もそう言い聞かせていた。タニヤが最後まで報復を唱え続けていた。が、ラティエースとトリトは、報復する相手がいないことを知っている。だからこそ、全てを消化して、前に進むしかない。そうとしか言えないのだ。
「まさか、あいつの養い子が一番に逝くとはな……」
グラスの水面を見つめたまま、レオナルドが寂しげに言った。
「わたしたちもレンが一番長生きすると思ってた」
「そうか……」
「わたしたち、はじめて友人を失って、こんな気持ちになるんだって学んだよ」
サシャを失ったレオナルドは、こういう気持ちだったのか、とも思った。今でも、もう二度と会えないと思うと身体が強張って、次にその事実に打ちのめされて心が疲弊する。
「自分の不甲斐なさに嫌気がさすだろ」
「うん。でも、何でも自分が解決できると思ったら大間違いだ。傲慢だって言われた」
ふっ、とレオナルドは苦笑を落とす。「サシャにもよく言われた」
「二度とごめんだね」
「だったら傲慢になれ」
レオナルドがラティエースを見据えて言い放った。
「どこまでも傲慢に、世界は己が動かすという気で一日一日を生きろ。己と己の友だけが幸せに生きられれば、他は地獄でも何でも勝手に好きなところで生きろという気で動け。一度懐に入れた人間は最後まで守り切れ。お前を邪魔する奴はお前より賢く傲慢な奴だ。そして、そいつにお前が敗れたときはスパッと逝け」
「スパッとって……。かわいい孫に長生きして欲しいとは思わないわけー?」
「そりゃ、出来ればそうして欲しいが・・・・・・。一個人としては苦しんで長生きするよりも笑って死んで欲しいもんだな。わしも笑って逝きたい」
「おじいさまは、ホント好き勝手してきたから笑って死ねそうだね」
ラティエースは皮肉交じりに言った。
「否定はせんが、わしが無能だったせいで娘は死に、友も何人も死んだ……」
レオナルドは自嘲の微笑を浮かべる。まあ、とにかくだ、とレオナルドは続けた。
「お前を邪魔する奴には最後まで抗え」
「過激だなぁ……」
ラティエースは苦笑を浮かべた。
ただ、これだけは言える。もう二度と敵がどんな奴だろうと、ビビってその場で硬直するような無様な真似はしない。絶対にしない。もし、動けなければ大切な人を喪うことになるのだから。だからもう二度と同じ過ちは繰り返さない。
そのために、ラティエースは悪魔の手を取ったのだから。




