70.節(へんせつ①)
ラティエースたちがロフルト教皇国に滞在して、3ヶ月が過ぎようとしていた。
ユリはすっかり元気を取り戻し、今も広い庭でアマリアとウェルチカという若い修道女と共に追いかけっこをしている。最近では、帰りたいとも言わなくなった。
ウェルチカ・ハモンは教皇側から送り込まれた監視人の役割を託された修道女であった。しかし、あまり本人にその自覚はなく、聖女様をお世話できるなんて、と喜んでエレノアたちに協力してくれていた。エレノアたちとも年が近いこともあり、ウェルチカはすぐに馴染み、率先して雑用を引き受けてくれていた。特に、他の修道女との連絡役としてウェルチカの存在はありがたかった。ウェルチカは黒縁眼鏡を掛けたおっとしりとした修道女であった。
「平和だねー」
二人の様子を見ながら、ラティエースは言った。
ラティエースとエレノアは、パラソルの下に丸テーブルを据え、椅子に座っていた。そろそろ疲れて戻ってくるだろう。テーブルには冷えた飲み物と果物、菓子もテーブルに並んでいた。
「とりあえず、ユリちゃんは大丈夫そうだけど・・・・・・。ラティの方は?」
「やはり、魔法障壁を解除する秘術を使いたいみたいだな。聖女と教皇の絆が秘術成功の鍵となる」
「そう。もし成功したら、魔法国とロフルトの戦争となるわけね」
「どうだろうな・・・・・・。ロフルト単独じゃ、戦力的に魔法国に攻め入るのは難しい。となると、ロザ帝国や西方諸国、もちろんラドナに参戦を要求するだろうが、50年前のトラウマがあるからなぁ」
ラティエースたちが使う「50年前」とは、ラティエースたちが生まれた時点を起点とする。よって正確には約70年前ということになる。ラティエースの世代は戦争の経過年数を区切りの良さ優先して「50年前」を常用する。
「共和国と連邦が参戦したら話は違うでしょう」
「そりゃ、そうだけど・・・・・・」
今、お互いに戦争なんてしている余力なんてないのではないか。少なくとも積極的に参戦はできないはずだ。ロザは代替わりに集中したいだろうし、ラドナも他の国も国力的に遠征する余力はない。できても短期決戦を望むだろう。しかし、前回は終結までに50年掛かったし、途中でロフルトは戦争をほっぽり出したような状態だ。底に貯まった不信感が、各国にはヘドロのようにこびりついている。共和国と連邦も、魔法国に対して似たようなものだろう。
「今回は、障壁だけ取っ払ったら結果オーラかもね。あるかどうか分からないけど、次の聖女で魔法国に直接大砲を撃ち込むような攻撃を加えればいいわけだし。段階的に削り取る。各国も、それぞれがタイマンで喧嘩するならそうとやかく言わないだろう」
「もしラティの言う通り、魔法国に攻撃するために秘術を使い続けるとしたら、決着が付くまで聖女が召喚されるってことでしょう?それが終わるまで犠牲は続くのよ。それに、聖女は自分がどうなるか分からないのに命を犠牲にするのよ?黙っていられないわ」
「人道的にはそうだが、他国としては小さな犠牲と見なす。戦死者の単位は、一人二人じゃない。数万単位だ。どっちをとるか分かりきっている」
きゃはははっ、と無垢な笑い声を上げているユリを見ながら、ラティエースは言った。
「どうにか止められないの?」
「どっちを?」
「どっちって・・・・・・」
「障壁を取り払うために聖女召喚を止めさせること?それとも魔法国に戦争を仕掛けるなということ?」
「どっちもよ」
「・・・・・・。無理だろ、赤の他人が急に土足で踏み込んで、「争いは何も生みません。今日からお手々つないで仲良くしなさい」と言ったところで聞くとは思えない。戦争が終わったのは、50年前だ。まだ50年なんだ。相手への憎悪なんてもう理屈じゃなくなってる。50年でそれだけ憎悪は蓄積されるんだ。その何倍の憎悪を、子ども、孫、その祖先たちに脈々と伝えられているから、今のロフルトと魔法国があるんだ。ある意味、憎悪も国を構成する必要な要素になっている」
「憎悪は消せないけど、戦争をする意味はないはずよ」
「憎悪の終着点は、相手の殲滅だろ」
その手段の一つが戦争だろうとラティエース考える。
「ロイネリウムの例もあるわ」
ラドナ王国とロイネリウムは、結局、刃を交えずに終わった。何が起こったかというと、ロイネリウムがラドナ王国ではなく、南方諸国連合の一翼であるクサバに併合されたのだった。ロイネリウムの戦力がラドナに釘付けになっているうちに、クサバがあっさりと首都を占拠し、ロイネリウムは消滅したのだった。
ロイネリウムは度重なる跡目争いで経済も崩壊し、国民の不満も爆発寸前であった。そんな折、救援物資を携えたクサバ軍が現れたのだ。国民は城門を開け、結果、無血開城という形で占領されたのであった。
「あのなぁ・・・・・・」
ロイネリウムとラドナの開戦理由と、魔法国とロフルトを同列にするのはお門違いだ。ロイネリウムとラドナ王国の対立は、憎悪の果ての戦いではない。エレノアも分かっているはずだ。
「お願いよ。数とか単位で犠牲を推し量らないで・・・・・・」
エレノアは祈るように言った。そうは言っても、と言いかけた言葉を、ラティエースは飲み込む。エレノアの切実な表情を前にして、ラティエースは嘆息するしかなかった。
エレノアはユリに呼ばれ、駆け寄っていく。ラティエースにとっても助け舟の呼び声だ。この話を、これ以上エレノアとしたくなかった。それは、話していくうちに自分の中の矛盾に気づいたからだ。
ラティエースは犠牲の数をエレノアに説いたが、ラティエースとて犠牲を度外視して行動してきたのだ。最近だと、共和国の人身売買組織の壊滅だ。一人を助けるために、その何倍もの犠牲を出したし、結局、その一人も助けられなかった。さらには、この事件をきっかけに、ラドナとロイネリウムの開戦が現実味を帯びたのだ。もし、開戦していたら犠牲者は一人、二人ですまない。そこをエレノアに突かれたら、ラティエースは反論できなかった。
――――これから大変なことになりますよ。
組織のボスはそう言い捨てた。あの時は負け犬の遠吠え、最後の一啼きと特に気に留めなかったが、彼はこのような未来を想像できていたのだろうか。
(あーあ・・・・・・)
ラティエースはテーブルに突っ伏す。
3年前の方がずっと単純だった。どこか駆け引きをゲームに見立て、楽しんでいる自分がいたのも自覚している。だが、今はどうだ。
(怖いなぁ・・・・・・)
以前、結末が見えないことは不安だ、と吐露したことがあったが、改めて実感してしまう。
結局は、自分の中の矛盾を肯定した上で他者を犠牲にし、自分の考えを貫いていくしかないのか。満足する結果を得るまで足下に積み上がっていく犠牲を見ぬふりをして。そして、自分と自分の周りだけ幸せならばそれでいいと納得すれば良いのか。
所詮、ラティエースのような小娘が出来ることなどたかがしれている。身の丈以上の成果を出せたのは、大公や貴族令嬢としての力を借りてのこと。個人としては何の力もない。
(虎の威を借る狐・・・・・・)
自分をそう評してなぜかショックを受ける。これはよくない自傷行為だ。すごく傷ついた。
「うー・・・・・・」
ラティエースは小さく呻く。
(誰か助けて・・・・・・)
(あちゃー・・・・・・)
アマリアは眉根を寄せた。視線の先には、テーブルに突っ伏して椅子に座ったまま、身体を左右にクネクネさせているラティエースがいる。貧乏ゆすりとは異なる。
(あれは、ラティが思考のドツボにはまったときのクネクネダンスだ)
あれを見せるのは、よほどのことだ。ちなみに、その一歩手前が、絨毯や敷物を身体に巻き付ける春巻きローリングという動きだ。土足で踏まれた絨毯であってもラティエースは平気で横になり、クルクルと絨毯を身体に巻き付ける。実際に頭を回転さているせいなのか、その後、良い考えが浮かぶことが多い。
ふと隣を見やれば、エレノアもなんとも言えない顔で、アマリアと同じ方向を見ていた。
「エリー。何言ったの?」
「えっと・・・・・・。無理を通して何とかしてほしいって・・・・・・」
エレノアが気まずそうに言った。
(なるほど。それで、あれか・・・・・・)
エレノアの要望を叶えようと色々考えるうちに山積する問題とぶち当たり、板挟みになっているのだろう。
(シンプルに考えればいいのに)
ラティエースがしたいようにすればいいのだ。結局、皆が幸せになる方法なんてない。アマリアたちが幸せな生活を送る一方で、アマリアたちのせいで不幸な生活を送っている人たちだっているのだ。バーネットがその最たる例だ。
もし、ラティエースたちを断罪できるならば、それはラティエースたち以上に強い意志を持ち、行動を起こす人たちだけだ。3年前の断罪・処刑も、結局は、ラティエースたちの行動が相手よりも上回り、多くの賛同を得たに過ぎない。バーネットやマクシミリアンが、ラティエースたちよりも知謀に優れ、数あるイベントを自分たちの有利に運ぶことができたならば、今頃、ラティエースたちはこの世にいない。マクシミリアンたちは、そういうことだって出来たのだ。むしろ立場上、有利だったのはマクシミリアンたちの方だ。
そう言葉にしてやれればいいのだが、あいにくアマリアはラティエースのように屁理屈で武装理論出来る人間ではないので、言い返されると、反論する言葉を探すのに時間ががかる。極論を言えば、ラティエースとの問答は面倒くさい。
ユリがウェルチカを伴って戻ってきた。そのまま、エレノアに飛びつく。エレノアは抱き留め、頭をなでてやった。
「さて。ユリ様、そろそろ湯汲みに向いましょう」
ウェルチカの言葉に、ユリがエッと身体を竦ませる。湯汲みの後に何があるか思い出したからであった。
ユリの体調が良くなってから、教皇との交流をかねて、3日に一度のペースで夕食を共にするようになった。その時間を、ユリはたいそう億劫に思っているのだった。教皇もうまくコミュニケーションがとれないのか、最近ではレンを伴ってくる。ユリも、エレノアたちとの付き添いを熱望し、教皇はそれを許可した。お互いの連れのおかげで、少しずつ会話を交わしているものの、やはりぎこちなさは消えない。
「もうそんな時間?」
エレノアの言葉に、ウェルチカが苦笑して頷いた。
「はい。ドレスも用意してありますよ?」
「そう。ユリ、行きましょう?」
「うん・・・・・・」
言って、ユリはエレノアの手を握りしめる。
「わたしたちもいるわ」
「分かってる。でも・・・・・・」
(あのビジーノ教皇聖下は怖い・・・・・・)
ユリを獲物のような目で見てくる。自分が丸く肥え太っているか確認されているような気分になるのだ。しかし、世話になっている手前、拒否も出来ない。何より、ずっとユリに寄り添ってくれたエレノアたちにも申し訳ないと思う。
「お風呂、行く」
「ええ。行きましょう」
夕刻。
湯汲みを終え、ユリは空色のワンピースに着替えた。髪を緩く編み込み、真っ白なレースのリボンを、エレノアが付けてくれた。
餐堂の床は蒼い。そして、天井と壁は真っ黒で、星々が散らばっていた。天命図というものを模したものらしい。水槽には小さな蒼い魚がゆったりと泳いでいた。広い餐堂の中には、ポツンと小さな食卓が据えられていた。すでに、ビジーノとレンが待機していた。
ユリの入室を認めて、レンが駆け寄ってくる。
「ユリちゃん、こんばんは。そのリボン、かわいいね」
「あっ、ありがとうございます」
レンはにっこり微笑む。
ビジーノは頬杖をついて、つまらなさそうにそのやりとりを見ていた。ユリはエレノアに手を引かれ、ビジーノの前に立つ。ユリの後ろには、ラティエース、アマリアが立っていた。
エレノアがゆっくりと膝を折る。
「教皇聖下におかれましてはご機嫌麗しゅう。本日も、共餐の栄に浴することを感謝申し上げます」
エレノアに倣い、後ろの二人も膝を折る。ユリも少しだけ腰を落して、膝を折った。
「席に着け。余は腹が空いておる」
エレノアは黙したまま、ユリを教皇の隣に、その隣に自分が座る。ちょうど、レンの対面だ。一席分空けてアマリア、アマリアの対面、レンの隣にラティエースが座った。
給仕がビジーノの杯に、食前酒を満たす。同じものが、ラティエースたちにも注がれ、ユリにはリンゴジュースが用意された。ビジーノは自分の杯が満たされるとすぐに飲み干し、給仕がおかわりを注ぐ。
(何だが今日は・・・・・・)
ラティエースが盗み見するようにエレノアを見れば、エレノアも同じ気持ちらしい。
どうも、ビジーノは機嫌が悪いようだ。レンを見れば、「あはは・・・・・・」と乾いた微笑を浮かべる。
いつも以上に沈黙が降りる餐堂で、食事は進む。メニューは贅の尽くされたものばかりで、テーブルマナーの端っこをかじった程度のユリにとっては苦行だ。エレノアは甘やかしてはいけないと分かっていても、つい、甘やかしてしまう。ユリの皿を自分の前に置き、一口サイズに切り分けてやってから、皿をもう一度、ユリの前に置いてやる。
「ありがとう、エレノアさん」
「涙ぐましい光景だ」
ビジーノが吐き捨てる。料理よりも、酒杯の減りの方が早い。
ラティエースたちは食前酒に一口だけ口を付けて、あとは水に切り替えていた。
エレノアは微笑むだけだ。ユリも黙々と料理を口に運ぶ。さっさと食事を終わらせて、この場を離れたい一心であった。
「ところで、ユリ」ビジーノが静かに言った。「調子はどうだ?そろそろ体調も回復したのではないか?」
「えっと・・・・・・」
回復したと言えば、次のステージに進む。次とは死に直結しているのだ。今まで、エレノアたちがのらりくらりと躱していてくれていた。黙っていれば、そのうちエレノアたちが対応してくれるだろうが、いつもまでも彼女たちに頼りっぱなしで良いわけがない。しかし、どう答えるのが適切かも分からない。
「聖下、不躾ですよ」
レンがことさら明るい声で言った。
「そうか?もう3ヶ月経つだろう。いい加減、愛を返すべきではないか?」
「愛を返す?」エレノアがピクリと眉をつり上げる。「どういう意味ですか?」
「食事も、服も、住まいも与えてやった。与えられたものは返すべきだろう?そなた、自分が召喚された理由を知らぬ訳ではなかろう」
ユリがヒッと小さな悲鳴を上げた。
「秘術の法陣がちっとも反応しないのは、そなたが余に感謝をしていないからだ。そなたをこんなにも大切に思っている余の役に立ちたいとは思わぬのか?」
「勝手に召喚されて、感謝も何もないでしょう」
ラティエースが、フォークを投げ捨てるようにして置いた。カシャン、と無機質な音が部屋に響き渡る。
「それが聖女の運命だ」
ビジーノが言い切る。
「あなたの一連の行動が愛というなら、秘術は一生使えないだろうね」
「何だと?」
ビジーノが不快げに眉間に皺を寄せる。
「押しつけがましいって言ってるんです」
「なんだとっ!?」
ビジーノが弾かれたように席を立つ。
「やめてっ!!」ユリが声を荒げた。悄然とし、「ラティ、やめて・・・・・・」
ラティエースはチッと舌打ちし、浮かせた腰を椅子に沈めた。
(そうだ。いつまでも三人に頼ってばかりじゃ駄目なんだ・・・・・・)
ユリは、酒精で胡乱な目をしているビジーノを見据える。
「聖下。数々のご配慮に感謝しております。ですが、わたしは元いた世界に帰りたいです。秘術のお手伝いはできません」
なっ、とビジーノは瞠目する。
「わたしは、此処に来たくありませんでした。愛を返せと言われても、どうしたらいいか分かりません。お金で返せるなら、働いて返します。でも、でも、わたしは、ここに来たくて来たわけじゃありません」
「そなたは聖女なのだぞっ!余のために命を賭けるのが聖女の勤めであろう。かつて、わたしだって・・・・・・」
「聖下」
レンの優しい声が頭上から降りかかり、ビジーノの肩に手が置かれる。
「随分と酔っておられるようですね。今日はもうお開きにされたらいかがですか?」
ビジーノはキッとレンを睨み付ける。
「レン、余は命じたはずだ!これがその結果か!」
手を打て、と。確かにユリは回復した。しかし、これでは秘術どころではない。聖女はビジーノに明らかな敵意を抱いている。
「申し訳ありません」
レンのすまし顔にビジーノは激高し、パンッと肌を弾く音が部屋中に響き渡る。レンは頬を叩かれても微笑したままであった。




