30.襲撃
娼館『ラキシス』にとっては、いつもの昼間であった。あと数時間もすれば、湯汲みをし、ドレスに着替え、簡単な食事をして客を出迎える。そのわずかな余暇であった。
「今日は、あの人が来てくれるかしら?」
「ねぇ。舞台演出家のクルム様が、わたしを舞台に出したいって」
「やだ。本気にしてるの?」
女たちもリラックスした状態で、会話を楽しんでいる。
「ねぇ、ロゼリア姐さん。姐さんはどう思う?」
えっ、とロゼリアは瞬く。和やかな雰囲気を満足げに見ていただけで、会話には耳を傾けていなかったからだ。
「ごめんなさい。ぼーっとしてたわ」
「もう、姐さんったら。それにしても、キャロル、遅いわね」
そういえば、遣いに出してから大分時間が経っている。寄り道に目くじらを立てるつもりはないが、あまり長時間留守にするのもよくない。前も言って聞かせたのだが、これは再度言い含めないといけない。マダムがいないことをいいことに、道草食っているのだろう。
マダム・ローズは、アインスの補佐として、定例会に出席しているはずだ。建国祭も近いし、外国からの出入りも多くなる。比例して、ゼロエリアも賑わうが、治安の問題がある。そのあたりを打ち合わせするのだろう。建国祭にかこつけて、得意客を含めた何名かがロゼリアの元を訪れたいと手紙が来ていた。
「いったん部屋に戻ろうかしら」
ロゼリアが言って、戸口の方を見やったときだった。瞬時に身を固くした。戸口の前にいたのは、見知らぬ男たちだったのだ。
この広間に入るには、外に面した玄関ドアを通らないと入れない。玄関ドアには覗き口があって、中側から相手を確認して開ける。そのための従業員、マダムの補佐をしている老婆がいたはずだ。彼女が通したのだろうか。こんな剣呑な雰囲気を持つ男たちを。
「あの・・・・・・?」
友好とはほど遠い気配の男たちが六人。一人が広間に続くドアを閉めた。不思議そうにロゼリア以外の女たちも戸口を見やる。
「あなたたちは、どなた・・・・・・?」
言いかけて、ロゼリアは言葉を切った。男たちがナイフや剣を出したのだ。誰かが悲鳴を上げる。
「逃げて!!」
ロゼリアが裂帛の声を上げると同時に、羽交いいじめにされる。
(何なの?訓練じゃないわ!)
時折、抜き打ちで避難訓練が実施されるが、これは違う。男たちが漂わせるのは、本物の殺気だ。
「あなたたち、これは一体・・・・・・」
口を塞がれ、抱え上げられる。ロゼリアを抱え上げた男は、他の男たちに顎でしゃくって指示を出す。心得た男たちが散り散りなる。広間に残った二人の男が、女たちにナイフを向けた。
「たっ、助け・・・・・・!」
男の一人が若い女の身体にナイフを突き刺す。女はたやすく絶命した。次々と女たちが屠られていく。
ロゼリアは目を見開く。咄嗟に身をよじり、男の腕から逃げる。転げるように床を這い、戸口へ向う。自分が逃げるためではない。妹たちを逃がしつつ、外に助けを求めるためだ。
薄暗い廊下を走り、玄関扉へ向う。その扉の前に立つ一人の少女。その足下に、門番代わりの老婆が横たわっているのが見えた。
「キャロル!逃げて」
と、ロゼリアの背に強い衝撃が走る。悲鳴を上げ、その次にやってきた強烈な痛みに再度、悲鳴を上げる。床に飛び散った鮮血。
顔を上げれば、微笑を浮かべたキャロルがいた。
「姐さん・・・・・・」
「逃げて・・・・・・。助けを呼んで・・・・・・」
「ふふっ。逃げるなんて、無理よ。みんな、死んじゃったから」
なぜ、この子は笑っているのだろうか。
(なぜ、なんで、こんな・・・・・・)
「姐さん。わたしはお針子なんてなりたくなかったわ。わたしには美貌がある。それだけで、男たちはわたしに跪くのよ?つまらないお勉強も、作法もいらないわ」
ひゅー、ひゅー、と喉奥から息が漏れる。身体が重く、全身が痛む。テラテラと血が細い川のように流れていく。
「安心して?これからは、カスバート様と共に、ゼロエリアをもり立てていくから」
乱れる足音。まるで狩りで追い立てられるウサギのように、妹たちが消されていく。悲鳴と共に。ああ、一番小さい妹はまだ6歳なのに。
二度、三度と鋭い痛みが、ロゼリアを襲った。
(誰か、誰か・・・・・・。助けて、アインス様・・・・・・)
定例会を終え、アインスがマダム・ローズを連れて街に出る。アインスは護衛を遠ざけ、徒歩で移動することにしたのだった。元軍人を襲える人間などごくわずかだ。護衛もいつものことだと了承し、距離を取って移動した。
「店に寄られますか?今日、ロゼリアは空いていますよ」
「そうだな。一杯くらい付き合ってもらうか。ロゼリアに会ってから帰るよ」
「奥様を亡くされて大分経ちます。ロゼリアも良い年ですし、もらってやってくださいな」
予備動作もなく、ズバッと切り込まれて、アインスは思わず葉巻の煙を吸い込みすぎてしまう。アインスは、咳き込み始めた。
「そうは言ってもなぁ」
ようやく咳が止まり、アインスは言った。
この話題になるとアインスはほとほと困り果てる。妻を亡くして10年。実業家としても名をはせているアインスの元には後妻をと話が舞い込んでくる。妻を亡くしたアインスを慰めたのが、娼婦になったばかりのロゼリアであった。
「他の身請け先を紹介しても、ロゼリアは頷きません」
マダムはそう言って、困った顔をする。
(困ったなぁ)
正直、身請け金などいくらでも用意できるし、ロゼリアを嫌っているわけでもない。ロゼリアならば、後妻としてしっかり務めを果たしてくれるだろう。
そう思いながら、角を曲がれば娼館まであと少し。ふいに、マダムが足を止めた。どうした、と聞かずとも分かる。娼館の前に人だかりが出来て、騒がしい。
反射的に、角を曲がり、その光景に立ちすくんだ。
ゼロエリアには珍しい警吏たちの姿。規制線を張って、野次馬たちを押しとどめている。そんな娼館の玄関扉から、血まみれのラティエースが姿を現した。
「ラティ!」
アインスの声に、おもむろにラティエースが顔を上げる。血まみれのワンピースに、顔にも血しぶきがついている。
「何があった・・・・・・?」
担架で運び出される白い布に被さったもの。次々と運び出されていき、中には白い布から赤い血が滲んでいる。
「助けられなかった・・・・・・」
ラティエースがうわごとのように呟く。両頬についた涙の跡。アインスはラティエースをマダムに押しつけ、中に駆け込む。そこで立ちすくんだ。
細い身体に深々と刺さった短刀と剣。走寄り、短刀と剣を抜き去って抱き起こす。ぐったりと力がなく、すでに息がない。
「どうして・・・・・・」
ロゼリアの背にはいくつもの刺し傷が見て取れた。身につけているのは、店に出る前によく着ていた綿の夜着。アインスが気まぐれに贈ったそれを、ロゼリアは手ずから洗濯をして、大切にしていたことを思い出す。その着古した夜着の背中一面が、赤黒く染まっていた。
「なんてことだい。何で・・・・・・」
マダム・ローズも部屋をさまようように、おぼつかない足取りで入っていく。
「ロゼリア。ロゼリア・・・・・・」
前髪をかきむしって、何度もロゼリアの名を呼ばわる。「旦那様」、「アインス様」とあの朗らかな声で返事をしてほしい。そう思って何度も呼ぶのだが、ロゼリアはピクリとも動かない。
アインスの前に影が落ちる。顔を上げれば、虚ろな表情のラティエースが立っていた。
「ラティ、一体何が・・・・・・」
「分からない。商会の帰りに立ち寄ったら、人だかりができていて・・・・・・。公爵に頼んで、私兵を入れた」
あれは、警吏ではなくダルウィン公爵家の私兵だったのか。そうは思っても、だから何だというのだ。頭が言葉を受け止めても、理解にまでたどり着かない。アインスもまた混乱していた。
「変なんだ。いつもの抜け道も、裏道も、避難部屋も鍵がかかっていたり、塞がれたりしてて。誰も逃げられないようにしてあった」
「それは・・・・・・」
「誰も助からなかった」言って、ラティエースは崩れ落ちる。「誰も・・・・・・」言って、すすり泣く声が続く。
「キャロルがいません」
マダム・ローズの声が割って入る。
「いない?」
キャロルは、ロゼリアの妹だったはずだ。できが悪いと言いつつも他の娘たちと同様に可愛がっていた。
「隅々まで探しましたがおりません。外の担架も確認しましたがおりません」
「拉致された?」
「そうかもしれませんが・・・・・・」
マダム・ローズは言い淀む。
「どうした?」
「あの子、最近、遣いに出るとなかなか帰ってこなかったんです」
「それに、男ができてたみたいだ」
マダム・ローズの言葉を引き継ぐように、ラティエースが続ける。
今日は、そのことでラキシスを訪れたのだった。ウィズは急な仕事でこれなくなり、ラティエースが一人でやってきた。そして、惨劇の跡を発見したのであった。
「そうか」
拉致されたのか、はたまた内通者なのか。どちらにせよ、キャロルを探さなければない。自ずと襲撃者にたどり着くことだろう。
「絶対に許さない・・・・・・」
唇を強くかんだのだろう。言ったラティエースの唇からは赤い血が滲んでいた。双眸に宿るほの暗い光は、復讐の炎だ。止めるつもりはない。アインスの胸にもその炎は宿っている。襲撃者たちには、この炎に焼かれて消えてもらう。ちり一つ残さずすべてを焼き尽くしてやる。
許しはしない。決して。




