29.憂い
アマリアの住むリー男爵邸には、通いのメイドがいるくらいで、ほとんどの生活は自分たちの手でこなしていた。元々、庶民と同じ生活をしていたから、爵位が重石にしか感じられない家族である。
男爵が経営する菓子店に、アマリアがアイデアを出して商品化するうちに、店舗が次々と増えていき、ついには、「ルーデンス」などという高級菓子店までも経営するようになってしまった。元々は薬草を扱う問屋業を営んでいたが、そちらの方はある事件をきっかけに廃業してしまった。当初、廃業によって一家が路頭に迷うことを覚悟していた当主だが、アマリアの菓子店のおかげで、生活はすぐに立て直すことができた。
アマリア・リーの父、フランツ・リー男爵は、店の巡回を終え、邸宅に戻った。玄関ドアを開けた瞬間から、ふんわり、甘い香りがしている。ということは、娘のアマリアがまた菓子作りに没頭しているのだろう。集中している娘の邪魔はしたくない。フランツは、そのまま階段を上り、自室へ向った。自宅で夕食を摂った後は、レストランの巡回も控えている。昼の巡回から夜の巡回までの数時間は、睡眠にあてるのが、フランツの習慣であった。
アマリアは、父の帰宅に気づかず、新作の菓子に取り組んでいた。今は、ドライフルーツを練り込んだケーキに、ホワイトチョコレートをかけた焼き菓子を考案中だ。
オーブンからは焼き菓子特有の香ばしい良い香りが漂う。その間、使った器具を片付けて、台の側にある簡易椅子に座って、焼き上がるのを待っていた。
裏口から物音がして、つられるようにアマリアは顔をそちらに向けた。木箱を片手に、ハンチング帽をかぶった青年が現れる。
「まーた、甘ったるい匂いをさせてるな」
彼の名は、クレイ・ワイズという。身長が高く、日に焼けて健康的な体つきをしている。ハンチング帽の隙間から、焦げ茶色の髪がピンピンと跳ねている。
彼は西部商会の商会員で、リー男爵とは古い付き合いである。リー男爵は薬草卸業を廃業すると同時に、すべてのノウハウ、顧客をこのクレイ・ワイズに譲った。クレイはその恩義を忘れず、リー家に頻繁に顔を出しては、「何か困ったことはないか」と尋ねてくる。そうこうしているうちに、アマリアとクレイは恋仲になった。年齢的にも、クレイが22歳、アマリアが17歳でつり合いが取れている。婚約は内々で行い、婚姻は、アマリアが高等部を卒業後に、ということで話がついていた。
「もうすぐ焼けるから、試食していってよ」
「おうっ」言って、木箱を台の上に置く。「良い牛肉が入ったから持ってきた。夕飯にでも使ってくれ」
「わー、豪勢!ありがとう。クレイも夕食食べて行くでしょ?」
「頼むから、砂糖漬けにしないでくれよ」
言って、クレイはニッと白い歯を見せて笑った。
と、そこに裏口とは反対にある食堂から続きになっている入口から、アマリアの兄、ジョセフ・リーが顔を出した。
ジョセフは、病的なほど白い肌に、成人男性としては少し細すぎる身体をしていた。昔はしゃんと伸びていた背筋も、今は老人のように折れ、とにかく覇気がない。夢と現実を交互に行き交うような虚ろな瞳をしていた。
「やあ、アマリア。ジェーンは来てないかい?おや、クレイも来てたのか」
アマリアは一瞬だけ悲しげに視線を落とし、笑顔を作ってから顔を上げた。そのまま、兄の元へ歩み寄る。
「お邪魔してまーす」
「あまりさぼってると、親方に叱られるよ?」
クレイが親方について見習いをしていたのは、6年以上前のことだ。それでも、クレイは「はーい」と気軽に応じるだけにとどめた。
「まだよ?今日は遅いわね」
「そうなんだよ。せっかく、不眠に効くハーブを調合したのに。帳面にまとめたけど、考えてみれば、彼女が自分で調合できないだろうから、作ってみたんだよ」
そう言って、手のひらサイズの小さな麻袋を見せた。女性が好むようなリボンで結んで、可愛らしくラッピングしている。
「帳面の方は、ラティに頼んでちゃんと届けてもらっているよ?でも、そっちもかわいいね」
「喜んでくれているかな?ラティちゃん、何か言ってなかったかい?」
「休みは会う予定ないんだよねー。学校が始まったら、ちゃんと聞いておくね。それより、もう4時でしょう?今日は来られないんじゃないかしら」
「そうか。残念だな・・・・・・」
肩を落とし、ジョセフは踵を返し、トボトボと食堂の方へ向う。その背を見届けて、アマリアはまた項垂れた。
アマリアと兄のジョセフとは一回り離れている。とても優しい兄で、実直で、誠実で、誰もが彼に好感を持った。本当ならば、兄が父の後を継ぎ、菓子店ではなく、薬問屋として成功していたかもしれない。兄の薬師としての腕前は、宮廷薬師にも匹敵するものだった。一時は、薬師として宮廷に出仕してほしいと請われていたこともあるのだ。しかし、そうはならなかった。
すべては、6年前。ジョセフがある伯爵令嬢に恋をしたことから始まった。ジェーン・バノン伯爵令嬢。いや、元と付けた方がよかったか。
ジェーン・バノンはある目的のためにジョセフに近づいた。勝手な予想だが、その頃、ジョセフは父について、商売の勉強をしていたし、貴族の家にも配達や注文を受けるために出入りしていた。そこで、ジェーンがジョセフの存在に目を付けたのだろう。元々、女性に免疫のないジョセフは、ジェーンの手管にあっさり捕まった。気づけば、ジョセフは、ジェーンのために毒薬を作っていた。
一度はジェーンとの関わりを断ったように見せて、ジョセフはジェーンとの逢瀬を重ねていった。発覚したときには、すでにジョセフからジェーンに毒薬が渡っていた。ラティエースが打った手が成功しなければ、ジョセフともども斬首台の露と化していただろう。ラティエースも、一か八かの賭けだと言っていた。
ラティエースは、ゼロエリアへ直行し、ある少年を連れてきた。その子はスリが得意で、ラティエースはその子に薬を取り換えるよう依頼し、寸でのところでそれは成功したのだった。
ジェーンは、下剤にすり替えられた毒をバーネットの母、ドローレスに使った。幸い、ドローレスは一命を取り留めたが、ジェーンとジョセフは殺人未遂で警吏に逮捕され、二人は留置場に拘留された。
ジェーンとジョセフは隣どうしの留置所に入れられた。そこで、ジェーンは、複数の警吏に乱暴をされたのだった。助けようにも、ジョセフは留置所を出られない。ただ、ジェーンの悲鳴や泣き声、争う物音、叫びを、夜通し聞き続けるだけだった。翌日、ジェーンは首を吊っている状態で見つかった。暴行の跡からも、ジェーンがそれを苦にして自殺したのは明らかであった。
ジョセフは壊れた。あの時から、いや、あの時より少し前に心を置き、その場に留まり続けている。クレイも見習い時代の14、5歳に見えているようだった。事件解決から6年の月日が流れても、ジョセフはジェーンが生きていると思い込んでいるし、何なら、今も思い続けている。
アマリアも両親も、何で気づいてやれなかったか、と今も悔いている。それは、ラティエースやエレノアも同じ思いであった。分かっていたのに出来なかった、と悔恨している。
(シナリオか・・・・・・)
どうやっても避けられない運命。何もしなければ大やけどを負うところを、切り傷ぐらいのレベルにまでしてくれたのは、ラティエースとエレノアのおかげだ。そうでなかったら、今頃、アマリアは存在すらしていなかったかもしれない。
(バーネットちゃん、どうしてあんなことするんだろ・・・・・・)
ラティエースたちと違って、アマリアはほんの少しだけバーネットに同情的であった。毎回、それを覆す騒動をやってくれるのだが、心配せずにはいられない何かがあるのだ。
皇子と結ばれたいならそうすればいいと思う。ラティエースたちも、皇子との仲を裂こうとはしていない。ただ、ラティエースたちに危害を与えようとするから、応戦するしかないのだ。ラティエースたちとて死にたくはない。
(時々、苦しそうなんだよね・・・・・・)
男子生徒たちに囲まれ、ちやほやされている彼女が、ふとした瞬間、寂しげな表情を浮かべる時がある。その視線の先を、なんとなく追ったら、そこには楽しげに笑う女子生徒のグループがいた。肩をたたき、晴れやかな表情で会話を楽しんでいた。学園では、どこにもあるありふれた光景であった。
「おーい、アマリア。帰ってこーい」
アマリアはハッと我に返る。
「ああ、ごめん、ごめん」
「あんまり思い詰めるな。なっ?」
クレイには、バーネットに関することは何も言っていない。今も、ジョセフの件で沈んでいたと勘違いしての言葉だろう。それでいい。クレイは何も知らなくていい。
「うん、ありがとう」
アマリアは言って、クレイに微笑みかけた。
現状を憂いているのは、何もラティエースの身近な人たちだけではない。ガリウス・イーツもその一人であった。
作業台の上に広げられる何枚もの設計図。建物から公園、配管図なども所狭しと並べられている。
ガリウスがいる場所は、メブロの中央に立てられた小屋だ。此処は指揮所として機能しており、四方の壁には、進捗表から資材のリスト、設計図といったあらゆる図案が所狭しと貼り付けられている。これでもマシになった方だ。不規則に見えて、一応、区分けされているのである。が、隙間があればその上に貼り付けるものだから、重なって、ちょっとした冊子状態になっている箇所もある。梁と梁と間にロープ渡して、そのロープにも色々な許可証や設計図がつり下がっている状態だ。
ガリウスも、ここまで切羽詰まった納期の現場は初めてである。
「ガリウスさん、これ、マジで仕上げるんすか?」
そう問うたのは、作業員の若者であった。若いながら統率力があり、他所から来た労働者もうまく使える男で、ガリウスは連絡役に抜擢していた。
「そういうお達しだ」
(なーにが、何も決まってないだ!!)
ラティエースにメブロの采配を任された数日後、ロイヤル・M・ホテルに呼び出された。出迎えたのは、ミルドゥナ大公の使いの者だという。手渡されたのは、メブロ全体の地図であった。そこには、詳細な建物が書き込まれ、すでに店名すらあった。
「えっと?」
ガリウスが戸惑いつつ、首を傾げる。使者だという男、マーディン・ロッドが笑顔で繰り返した。
(使者じゃないだろ。支配人って名札付けてるじゃん。使者っていうなら、名札に「使者」って付けるべきでしょ)
そんな心中の悪態を、マーディンが聞き取れるはずもなく、彼は接客業に携わる人間としてお手本となる笑顔で言った。
「期日までに作ってください、だそうです。そのための人員、材料はすべて用意します。金に糸目も付けないとのことです」
「いや、しかし、今、商人たちの要望をとりまとめている最中でして」
「ええ、そちらも進めてもらって構いません。ですが、こちらも同時進行でお願いします」
「同時進行しちゃうと、すでに決まっている区画とぶつかっちゃいますよ?」
「それを言いくるめて、下がらせるのもお仕事です」
「お仕事ですか?」
「そう、お仕事です」
そんなやりとりを思い出す。冗談かと思ったら、翌日から、ガリウスの家に次々と設計図や許可証、白紙の銀行小切手が運び込まれていく。ちなみに、家を教えた覚えはない。さらに翌日。考え込んでいると、ミルドゥナ大公派遣の工事業者が列をなして現れた。妻にたたき起こされ、「あんた、今度は何したの!」と玄関先に蹴り出された。
(あっ、これ本気だ)
ガリウスは観念し、工事業者と共にメブロへ向った。メブロには、すでに石材や塗装用の薬剤、木材を切り出す工具も一通り揃えられていた。今も毎日のように、建材が運び込まれくる。炊き出しや簡易休憩所のスタッフは、何とロイヤル・M・ホテルから派遣されているというではないか。すべてマーディンの指示だという。一度、マーディン自身が陣中見舞いとかで、高級酒を片手に訪れたこともあった。別れ際に、「がんば!」と拳を作った両腕を胸元あたりで立てたときは、酒瓶で頭をかち割ってやろうかと思った。ほんの僅かに残っていた理性が、「此処で殺人事件を起こすと、納期に確実に間に合わなくなる」と知らせてくれたおかげで踏みとどまれたのだ。
とにかく、レベルの高い食事やふかふかの寝台に、工事業者は俄然やる気を出し、さらに噂を聞きつけた者たちが、仕事を求めてメブロにやってくる。ガリウスの仕事は、メブロに参入したがっている商人たちを押しとどめるのが主な仕事となった。区画にわずかに残る空白の場所を争っての入札は白熱し、ようやく数店舗が参入することに決まった。残りの商人たちにも便宜を図り、メブロに店は構えられなくても、仕事を依頼すると言うことで大体が納得して引き下がった。
「ところで、この北側の奥、それなりの広さをとってますが、此処は何になるんですか?」
若者が指さした場所は、北側のエリアで、なぜか城門があるのに、このエリアの入り口にも門を作るように依頼されていた。出入り口はこの門だけだ。その奥には、4店舗しか店を置かず、ただその一つ一つが大きい。ダルウィン公爵が経営する百貨店規模の大きさだ。
「わたしも教えてもらってはいないんだが、重要な店が入るようだから、しっかり頼むよ」
「うっす」
そう言って、若者は設計図を片手に現場に戻っていく。
そうは言ったが、ガリウスも正直、このエリアにどんな店が入るか知らされていなかった。しかし、推測することはできる。店の外観図、そして間取り図。この外観には、特に見覚えがあった。
(いや、まさかな・・・・・・)




