21.波紋を広げる人たち
娼館『ラキシス』では、他の娼館とは一風変わった制度を導入していた。それは、売れている娼婦の下に、数人の妹を付けるというものだ。姐である売れっ子は、妹たちに教育を施す。文字の読み書きから、舞踊、歌謡、作法まで様々である。その中で、期待できそうな娘たちを、マダム・ローズは姐から引き取り、学校に行かせたり、資格を取らせるなどをして面倒を見ていた。育てた姐には、多少の金が入るので、自分の育てた妹が自分の借金を減らしてくれるのであれば、と教育に身を入れる。教育に関する金は、娼館の真の主、アインスの資金提供で成り立っているらしい。主のちょっとした慈善事業ということらしい。
とにかく、売られてきた娘も、本人の努力次第で身体を売る以外の借金返済方法があるということだ。そうやって娼婦としてデビューする前に娼館を出て行った女たちもいる。たとえ、娼婦として生きていかなければならなくても、それまでに培った教養は彼女たちを十分助けた。ラキシスの客は、教養人としても一流の者たちばかりで、寝室で過ごすことだけを求めてラキシスを訪れているわけではなかったからだ。
キャロル・ジーンもまた娼婦になるか、それ以外の道で食べていくか決断が迫られている娘であった。姐であるロゼリアからは、お針子を薦められたが、キャロルとしては素直に頷けない。確かに、お針子として職に就けば、身体を売らずに済むし、慎ましやかだが自活もできよう。だが、キャロルは娼婦の方が自分には合っていると思っていた。華やかだし、確かにイヤな客もいるが、売れっ子であればドレスも宝石も好きなだけ手に入る。ロゼリアの宝石箱にはあふれんばかりの装飾品で埋め尽くされ、クローゼットもプレゼントされたドレスで入りきれないほどだ。
ロゼリアは、客を楽しませる話術はもちろんのこと、大学の論文にも精通していて、教授たちが弟子を連れて論文を添削させるくらいだ。外国語も三カ国語は流ちょうに話せるし、所作ももちろん貴族令嬢に引けを取らない。愛人や後妻、もしくは正妻に、という話は常にあるが、ロゼリアは首を縦に振らない。
(わたしは、娼館で贅沢して過ごしたいわ)
そのためには、売れっ子にならなければならない。しかし、キャロルは勤勉ではなかった。細かい作業が好きで刺繍は得意な方だが、それくらいだ。売られてきた当初は文字も読めなかったが、読み書きは何とか出来るようになった。同じ時期に入った娘は、マダム・ローズに引き抜かれ、海外の大学に入ったというが、キャロルはマダム・ローズに声を掛けられることはなかった。それでも、ロゼリアは、無理して娼婦になる必要はない、とキャロルのためにお針子の仕事を客から紹介してもらったのだ。借金は、その客とロゼリアが折半して負ってくれるらしい。お針子の仕事に慣れたら、毎月少しずつ返済するという話だった。マダム・ローズは「またかい。いいかげんにしな」と言いつつ、ロゼリアの提案を渋々受け入れた。
ロゼリアの妹になった娘たちの大半は、娼婦にならずに済んでいるという。それは、ロゼリアが客の助けを借りつつ、別の方法での借金返済の道を作るからだ。ロゼリアの妹であったある娘は幼なじみと結婚し、夫婦で借金を少しずつ返していた。その後、夫が事業で成功し、娘の借金は完済。またこれまでの恩義を感じて、ラキシスの娘たちに職を提供したり、教育資金を寄付したりしていた。娼婦になったロゼリアの妹たちもまたロゼリアの真似をするから、最近では娼婦として育つ前に娼館を出て行く娘が多く、マダム・ローズは頭を抱えているくらいだ。
「キャロル。これを出してきてくれるかしら?」
そう言って、自室から出てきたのは、ロゼリアであった。客が帰ってからそのまま寝たのだろう。豊満な肢体を包んだ下着姿で、乱れた赤髪がなんとも言えない色香を漂わせている。
キャロルは、他の妹たちと共に応接間の掃除をしているところであった。箒を立てかけ、ロゼリアの元へ駆け寄る。ロゼリアから一通の手紙を差し出された。
「ファミギア様宛よ」
ファミギアとは連邦の外交官で、ロゼリアのお得意様だ。ロザ帝国を訪れる度に、ラキシスを利用する。金払いも良く、他の娼婦たちにも連邦の品を振る舞ってくれる上客だ。前回訪れたときに、来週には帰国すると言っていたから、それまでにもう一度会いに来てほしいとでも書いたのだろう。
「分かりました。エヴァンズ(高級レストラン)に届ければいいんですよね?」
「ああ、頼んだわよ」
あくびをかみ殺して言って、ロゼリアは寝室へ引っ込んだ。夜の営業まで時間があるから二度寝をするのだろう。
(やった!)
外に行く口実が出来たと、キャロルは口角を上げる。娼館の外に出るには、誰かの遣いぐらいしか許されない。時々、姐について客と一緒に観劇などに行くこともあるが、大抵は妹は連れて行ってもらえない。客が嫌がるのだ。妹同伴のときは、姐である娼婦によほど良いところ見せたいか、度量があることを見せつけたい時くらいだ。あとは、引退する姐が、妹と引き合わせる場合くらいか。
キャロルは掃除を他の妹たちに押しつけて出かける支度をする。マダム・ローズに許可を取ってゼロエリア内にあるエヴァンズへ急いだ。エヴァンズの支配人に手紙を渡し、キャロルは大通りを外れて、裏通りへ進む。この辺は、ジャンス・ファミリーの管轄だが、表通りにも近い方なので、比較的安全だ。もっと奥へ進むと、娼館に所属できない底辺の娼婦や、中毒者が道ばたに座り込んだり、金を巻き上げるために人殺しもいとわないような目つきの男たちがいる。キャロルのような小娘が一人で歩けば、ものの10分で死体となっていることだろう。それくらい危険な処もあるのだ。
キャロルは裏通りのとある建物の裏口に回った。ノックすると、大男が出てくる。
「カスバート様、いる?」
ああ、と言って大男はドアを開けて中に入るよう促す。看板も何もない建物の内部は賭博場になっていた。カスバートが経営する違法カジノである。支配人室と書かれた部屋のドアをノックする。
「誰だ?」
「キャロルです」
「入ってくれ」
中に入ると、そこには葉巻を加えたカスバートが、執務机に向って、書類を読んでいた。学園の帰りなのだろう。裾を出しっぱなしにした制服のブラウス、スラックス姿のカスバートがキャロルを出迎える。
「カスバート様!」
「キャロル。よく来たね」
「ロゼリア姐さんのお使いです」
「じゃあ、少ししか一緒にいられないね」
言いながら、カスバートは席を立ち、キャロルの前に立った。
「会いに来てくれて嬉しいよ」
「わたしもお会いしたかったです」
カスバートは微笑んで、キャロルを抱きしめる。キャロルもカスバートの背に手を回した。
「で、手紙って?」
抱擁の時間が終わり、キャロルはソファーに座り、カスバートは葉巻を始末して、キャロルの膝の上に頭をのせる。キャロルは愛おしそうにカスバートの髪をなでた。
「ファミギア様ってご存じですか?」
「マルバタ連邦の外交官だろ?へぇ、彼ってロゼリアさんの客だったんだ」
「はい。来週には帰国されるそうなんです」
「なるほど。それまでにもう一度遊びに来てね、と恋文か。他には?」
「特には。カスバート様が仰っていた特徴の女性客。あれ以来、予約はないですね」
「まっ、ラティエースもそこまでバカじゃないか」
その独白は、キャロルの耳には入らなかった。
「その方がどなたと会っていたかも分かりませんでした」
「知ってるよ。その前に始末しようと刺客を送り込んだけど失敗しちゃったし」
「刺客?」
「そっ。やっかいな女でさ。ジャンスおじさんがアインス・ファミリアの娼館を襲うって聞いたから、刺客を紛れ込ませて、あの女がいるっていう部屋を襲わせたんだけど、見事に外れだったや」
「そんなに、邪魔なんですか?その女」
「ああ。でも、これはオレ個人の問題だからね」言って、カスバートは手を伸ばし、キャロルの頬に触れる。
「もうすぐジャンスおじさんが、アインス・ファミリアに抗争を仕掛ける。ラキシスも例外じゃないけど、君だけは絶対に助けるよ」
「カスバート様・・・・・・」
「しばらくは娼婦として諜報活動をしてもらうことにはなると思う・・・・・・。ごめんね、オレにもっと力があれば、君を娼婦にする前に身請けできたんだけど・・・・・・」
「構いません。カスバート様のためならば」
「オレが、君を一番の娼婦にしてあげる。そして、いずれはケトル夫人になってくれ」
はい、とうっとりした表情でキャロルは頷く。
「それにしてもカスバート様の邪魔をするその女。何者なんですか?」
「そうだなぁ・・・・・・」
キャロルの髪をもてあそびながら、カスバートはふっと笑う。そして、その思いを言葉にすることはなかった。
(オレと同じ転生者ってやつさ)




