20.醜聞
マクシミリアン・ロザ・ケイオス・アークロッドは、そのとき何が起こったか分からなかった。
怒気に染められた皇帝の顔。
泣き叫び、夫である皇帝の脚にすがりつく皇妃。
ぶたれた頬が熱を持ち、痛みをゆっくりと広げていく。
「貴様はっ!貴様という奴は!!!」
顔を真っ赤にし、血管が浮き出た憤怒の表情の皇帝が、もう一度、マクシミリアンの頬を打つ。
「やめて、あなた!お願いです!やめてちょうだいっ!」
ええいっ、と皇帝は皇妃を足蹴にする。
「母上!!」
「お前が、お前がちゃんと教育しないからこんなことになったんだぞ!なぜ、こんなことになった!どうして、どうして・・・・・・」
今にも怒りで卒倒しそうな皇帝に、皇妃は這いつくばって「お許し下さい。お許し下さいませ」と繰り返す。そんな皇妃を無視して、テーブルの上に重ねられた新聞を、皇帝はマクシミリアンに向けて投げつける。紙面がバラバラと床に舞い落ちる。
――――――高級衣装店「D-rose」、皇室に賠償要求!?(帝都新聞)
――――――M皇子、愛人Bのドレス未払い騒動!!(ロザ・タイムス)
――――――前代未聞!デビュタントに緋色のドレスで登場。皇子殿下のお気に入りB男爵令嬢。(デイリー・R)
――――――300年ぶりの側妃制度復活か!?B・K男爵令嬢内定済み?(週刊ロザ)
新聞の一面の見出しはそれぞれ、想像をかき立てる文句が躍っていた。一応、プライバシーに配慮しているのだろうが、ロザ帝国の皇子は今のところ一人しかいないし、そのお気に入りも知っている人は知っている。
「こんなものではないぞ!明日の朝刊には、Dーroseとお前が交わした契約書、お前がドレスを作らせた免状とやらが公開される。情報提供者からは、お前によって無理矢理にドレスをキャンセルさせられたご令嬢が幾人もいると。補償があるということで譲ったのに補償はなく、帝室に問い合わせてもなしのつぶて。結局、Dーroseが総力を挙げてキャンセル分も仕上げたそうだ!」
「そんなの、わたしには記憶のないことでございます」
「何が記憶にないだ!!」
母親と共に床に膝をついた息子に、皇帝は容赦なく蹴り飛ばす。
「マックス!いや、陛下。もう、おやめ下さい!!」
本来、かばい合う親子は美しいのだろう。が、ケイオス一世には、醜悪にしか見えない。
「司法省にも確認を取った。お前の筆跡で間違いない。Dーroseの弁護団も証拠を取りそろえている。それとも何か?側近のアレックスが手心を加えたのか?そんなわけなかろう。アレックスは、お前の署名をもらう前に、各部署に確認を取っている。お前の所に署名をもらいに行ったときも、数名の役人と共に赴いておる。アレックスの不正を糾弾する役人は誰一人おらん!!むしろ、サインを阻止しようとして、お前に叱咤されていたと言っていたぞ」
「そんな・・・・・・」
そういえば、アレックスからも「本当にサインしてよろしいのですか?もう一度、契約書をお読み下さい」とくどいくらい聞かれた気がする。
「D-roseは、今回の件で廃業届を出してきた。この国からD-roseとその傘下の店は消える。これがどういうことか分かるか?どれほどの経済損失を出すか分かっているのか?D-rose本店がこの国にあると言うだけで、他国に対しどれだけの優位性が保てていたか分かっているのか?」
マクシミリアンの暴挙を上げればきりがない。D-roseの撤退だけでなく、ペンネローエ公爵からの苦情申し立て。帝室コレクションの持ち出しも、エレノア・ダルウィン公爵令嬢への貸与を理由にしたと言うことが判明している。それらの問題を、マクシミリアンが解決できるわけがない。相手に対しても、損失以上のものを差し出さなければ、事態は収束すまい。これ以上、帝室の尊厳を損なわない上で、だ。
「陛下、廃業届は認めなければいいだけのこと。それに、わたくしの衣装をこれからは、すべてDーroseに発注しますわ。これは店にとっても大変名誉なこと。これで、D-roseの件は解決しますわ」
「するわけなかろう」
皇帝は、ばっさり切って捨てた。
「誰が喜ぶものか。むしろそなたの衣装を仕立てる衣装店が減ることだろう。事実、ロイヤル・ワラントを辞退する店が相次いでおる。特に、皇妃に関するものが多い。お前に使ってもらったところで、ブランドの価値が落ちると判断されたのだ」
「そんな・・・・・・」
矜持をへし折られた皇妃の顔面が蒼白になるが、皇帝には知ったことではない。
「廃業を認めないだと?D-roseはデビュタント以降、開店休業状態。廃業を認めなくとも店が開かなければ同じことだ。それをわざわざ廃業届を出してまで今回のことに対し抗議しておるのだ。なぜ、分からぬ。なぜ、己の軽挙が国を損なうと理解できないのだ。民心が離れることすなわち国の瓦解だとなぜ理解しようとせぬ!お前たちが身につけている絹も、最高級の物品を使うことを民が黙認している理由がなぜ、分からぬのだ!」
国民が、皇族を含めた特権階級が贅沢をしても許される理由。それは、庶民ではできない責務を負っているからである。その義務を怠った場合、国民は牙を剥くだろう。絶対的少数の貴族側は、数の圧倒性には勝てないのだ。
地位に見合う振る舞いを出来ない愚か者たちを睥睨し、ケイオス一世は踵を返す。人払いを命じたため、室内には皇帝たちしかいなかった。自らドアを開け、出て行く。
「ああ、マックス、大丈夫?」
皇妃は、皇帝が退室すると同時に息子の両頬を包み、怪我の具合を確認する。
「はっ、母上こそ・・・・・・」
「わたくしは大丈夫よ。頬を冷やしましょうね。だれか!だれか氷を」
大きな声で呼ばわり、皇妃はマクシミリアンに向き直る。
「大丈夫よ。陛下は今はお怒りでしょうけど、話せば分かってもらえるわ」
「そう、でしょうか・・・・・・」
あんなふうに力任せに殴られ、怒声を浴びせられたことなど初めてであった。出て行った父親の目に宿る光は、失望を多分に含んでいた。あの目を見た瞬間、皇帝の中で自身の価値がゼロになったのだ、と悟った。
(俺は父上に見捨てられた・・・・・・)
当代皇帝ケイオス一世は侍従を引き連れ、大会議室へ向っていた。道中、謁見申し込みのリストを手ずから確認する。
「まずは、ペンネローエ公爵令嬢の名誉回復からだ。情報収集を頼む。司法長官、行政長官、広報部長を呼べ。ああ、財務大臣も同席させよ。時間はそうだな・・・・・・。昼餉を共にせよと伝えろ」
かしこまりました。そう言って、秘書官のダムル・エン子爵令息が頷く。
「根源貴族会議の開催要請が届いております」
(ついに来たか)
D-roseの件一つにしても、開催要請がなされてもおかしくない。あのブランドは世界中に展開しており、領内に支店を置いているところも多い。各領地がブランドと共同して事業を展開しているところもあり、撤退は痛恨の極みといった諸侯もいるだろう。
根源貴族とは、ロザ帝国建国の支えとなった八家にのみ許される皇帝列席の会議である。2大公はもちろん、男爵2家、伯爵、侯爵、公爵が各一家ずつ。そして、爵位のない名家、プロネンス家で構成される。
「留め置け。最優先ではない。諸々の処理をしてから根源貴族会議をする。必ず近いうちに開催する故、しばし待てと伝えよ」
ケイオス一世とて無策で根源貴族会議に出席する気などない。丸裸で武器も持たずに、激戦地へ向うようなものだ。
(今回の件で、マクシミリアンが皇帝に推挙されることはなくなった・・・・・・)
次代皇帝は、根源貴族会議の承認が必要となる。そのことを知る者は少ない。この会議の特性上、議事録も残されない非公式なものだからだ。が、この秘密会議の決定事項は、そのままロザ帝国の歴史を作り上げてきた。人道にもとるようなこともこの会議では平然と議題に上がり、平然と無慈悲な決断が下される。
(マクシミリアンの謀殺が決まってもおかしくない)
それはなんとしても阻止しなければならない。ケイオス一世にはまだ息子への情が残っていた。その情が冷静な判断を阻んでいると分かっていても、一人息子を切り捨てるなど出来ようはずもなかった。
それと、と気まずそうにダムルが言う。まだ凶報は続くらしい。
「言うがよい」
「軍諜報部より連邦、共和国軍に派兵兆候あり、と・・・・・・。詳報に関しては問い合わせ中です」
内部から食い破られるか。それとも外側からか。悪いことは重なるというが、こうまで立て続けに同時に起ろうとは。ローエン伯爵の軍辞職の話もあってのタイミング。
(容赦ないな・・・・・・)
しかし、他国の状態が同じようだったら、国境線に派兵を命じていただろう。連邦と国境を接する場所には大きな塩湖がある。あれは、喉から手が出るほど欲しい。
ダムルの報告は、会議室に到着したことで終わった。ダムルがドアを押し開くタイミングで、ガタン、と席をたつ音が響く。
「待たせたな、ダルウィン公爵」
ケイオス一世は言って、長テーブルの中央に座る。
キンバート・ダルウィン公爵は右腕を腹にあて、左腕を少し伸ばして何かをすくうように右へ移動させ、同時に頭を下げて、臣従の礼をした。
「ご機嫌麗しゅう、ケイオス一世陛下」
――――――ダルウィン公爵本邸。
デビュタントのイベントを終えた最初の休養日。
父親のキンバートは休みというのに皇城へ向った。ポモーナも茶会引っ張りだこで、当日出席できなかった夫人たちからデビュタントでの出来事を聞きたいとせがまれているらしい。こうして、温室で暢気にお茶を楽しんでいることに罪悪感を抱かないでもないが、エレノアができることなどない。新聞社にはネタを充分に渡してあるし、帝室の尊厳を、日ごとに削っていくことだろう。
「楽しそうだね、エリー」
アマリアが、うれしさを隠しきれないエレノアを見て言った。エレノアは、午後のお茶にアマリアを招いたのだ。公爵邸の温室は、陽光を取り入れるために、すべてガラス張りで出来ている。中の植物は華やかと言うより素朴な緑を中心としたものだ。通路とその脇に白亜の丸テーブルと2脚だけの椅子。プライベートな空間で、客を招くことは滅多にない。
「ええ。とっても楽しいわ」
「わたしは疲れちゃったなぁ」
「まあ。もうすぐ夏休みだし。もう少し頑張りなさいな」
「ところで、ラティは?」
自分と同じようにお茶会に招待されていると思ったら、ラティエースの姿がなかった。
「逃げたわね」
「逃げた?」
エレノアの言ったとおりである。ラティエースはロイヤル・M・ホテルに宿泊していた。邸宅に戻れば、ブルーノが煩さそうだし、ダルウィン公爵も今回のデビュタントの後始末に奔走していることだろう。少し休息したかったラティエースはホテルに避難していた。
「まあ、いいわ。どうせ、明日から学校だし」
と、茂みが揺れる。その音に引き寄せられるようにアマリア、エレノアが振り返る。
「お嬢様」
サリーが温室の茂みから姿を現す。
「お休みの処申し訳ありません」
言って、エレノアに手紙を差し出す。封蝋に皇妃の紋。
「早速来たわね」
エレノアが手を差し出せば、心得たサリーがペーパーナイフを手のひらに置く。素早く封を切って、手紙を広げる。どれどれ、と言って読み進めていった。
読み終え、手紙を丁寧に折る。一拍おいて、エレノアは声を上げて笑った。
「おっ、お嬢様?」
ついに壊れてしまったか。アマリアとサリーは、そんな失礼なことを一瞬、考えてしまう。
「ああ、おかしい」涙を拭って「皇妃はことの重大さを分かっていらっしゃらないわね」
「皇妃は何と?」とサリー。
「この期に及んで、登城して皇子殿下をお慰めせよですって。笑っちゃうわ」
「なんて失礼な。厚顔無恥にもほどがあります。旦那様にすぐに知らせましょう」
「いいわ。早馬がもったいないし」
エレノアは吹き出して、笑い始める。ひとしきり笑ったあと、エレノアはティーカップに手を付ける。
「それにしても、帝室の宝石を持ち出すとは思わなかったわ。しかもわたしの名を使って。嫁いでもいない娘が、あれを着けると言うことは、準皇族の扱いを受けると言うこと」
貴族の娘が婚約をして、婚約披露式、結納式まで済ませると準婚姻といって、ほぼ婚姻状態と見なされる。時には婚家の権力を行使することもできるのだ。その家の秘宝を身につけたり、婚家に伝わる伝統を受け継ぐこともできる。これが皇族との準婚姻の場合、皇族の代理として公務を行ったり、帝室コレクションの貸し出しも認められる。皇帝の許可の元、皇族と婚約している娘が身につけることを許されるのだ。これによって、その娘がいずれは帝室の一員になると内外に知らしめることが出来る。バーネットがやったことは、帝室の歴史上、初の試みともいえる。
エレノアは、婚約披露式まではやった。やりたくもなかったのだが、皇妃主導の下、皇子不在で強行されたのだ。結納式までは出来る状態でなかったので保留だが、一応、準婚姻の状態と見なされている。
婚約披露式の強行は不快であったが、それによって内外で公務が出来たことはよかった。官吏たちからの信頼も得られたし、感謝されることも多かった。外交によって人脈を広げられたのも悪い話ではなかった。
準皇族のエレノアも帝室の宝飾類を借りることが出来る。しかし、決して貸与を申し出ることはなかったし、それとなく促されたこともあったが、決して身につけなかった。公務の際も公爵家の紋を、身体のどこかに身につけていた。
「どう言い訳するのかしら。婚約者がいる状態で、別の子に皇家の秘宝を貸し与えたのよ?」
「皇帝陛下が許すわけがございません。やはり、皇子殿下の独断かと」
「当然でしょう。でも、これで言い訳が出来なくなった。どんな理由があろうとも、皇帝に無断で宝飾品を持ち出したのよ?皇帝のメンツにも関わるわ。もし、皇子の無断借用を認めれば、皇帝側はずさんな管理をしていたと責められるわ」
「では、どうするのでしょう?」
「どうするのかしらねぇ」
心底嬉しそうに、エレノアは言った。
(嬉しそうだなぁ。エリー・・・・・・)
悪巧みする時のラティエースとはまた違った狡猾さが顔に出ている。
ずずっ、とマナー違反とされる音を出しつつ、アマリアは紅茶に口を付けた。




