100.地獄への手引き③
数日後。
聖ケイドン魔法国に、カスバート・ケトルの姿はあった。いつものように外郭都市から内郭都市への転移装置を使って移動するが、その前に簡単な検査と処置を受けなければならない。
「毎度、毎度、こればっかりは慣れないな」
真っ白な室内に、真っ白な簡易ベッド。自身も真っ白な検査着を身に着けている。消毒液の独特のにおいが充満する部屋だ。
「我慢してください」
そう言ったのは、仰向けに寝るカスバートの横で点滴台を確認している看護師の女性だった。カスバートと同世代くらいの女性で、彼女もまた真っ白な上下のナースウェアを着用している。
「へいへい」
「カスバートさんは未だいい方ですよ」点滴袋をハンガーにかけて、グリップを調整しながら看護師は言う。名札にはレイナ・コルボットと記されていた。「GB輸液も低い濃度で済むんですから」
GBワクチン。これは、戦場に向かう者全員が摂取しなければならない。そうしないと戦場に充満する瘴気であっという間に体が朽ちてしまうからだ。不思議なことだが、ロザ出身者はGBワクチンを接種しなくても瘴気に耐性がある。だからこそ、ロザ出身者は魔法国を顧客とする人買いから狙われやすいのだ。
しかし、それも何度か繰り返すうちに耐性は下がる。よって戦場に長くいる者ほど高濃度のGBワクチンを接種しなければならない。ワクチンはもちろん副作用があり、最終的にはワクチンにやられるか、戦場でやられるかの究極の選択を迫られることになる。
幸い、カスバートはロザ出身者の中でもさらに耐性があるらしく、逆に普通の濃度のGBワクチンでは体に毒になる。そこで、輸液という形で低濃度のGBワクチンを体内に入れていた。これは同郷のアマネ・リアも同じである。
「ゲンはどうだ?」
「だいぶ、苦しそうです」
(当然だな)
馬鹿げた問いをした自分を恥じる。ゲンは共和国出身で少年兵として戦場に出ていた。家族に売られたのだという。ひょんなことからアマネやカスバートと関わるようになり、そのままカスバートの小姓のような役割についてしまった。本人もやる気があって、馬車の扱いはもとより執事の真似事までしてくれて、今ではなくてはならない存在になっている。
カスバートが彼と出会ったとき、ゲンはすでに規定値をはるかに超えた高濃度のワクチンを数時間ごとに摂取しなければ日常生活にも差しさわりがあるという状態であった。退役するようすすめても、故郷の家族に仕送りしなければいけない、と頑なにそれを拒んだ。あと数体撃破すれば年金、さらに戦場で死ねば慰労金が家族のもとに入る。だから、やめられないと言った。
カスバートはゲンを引き抜き、軍属のまま自分の下で働くよう便宜を図った。アマネには大きな借りができたが後悔はない。仕事柄、戦場に出るのは最低限であるためGBワクチンの接種も自然と減る。そうすれば、わずかながら延命になる。慰労金はカスバートの元で3年働く給与より少ない。だから、生きて仕送りを続けるよう諭し、現在に至る。
(内地で待ってろと言ったのに)
ゲンはついていくといって聞かないのだ。今頃、久しぶりのGBワクチンの副作用でのたうち回っていることだろう。副作用は3日ほど続く。高熱と全身の痛み、のどの渇きと列挙したらきりがない。
「そういえばアマネさんも数日内にお戻りだそうですよ?」
「そうなの?」
カスバートは瞬く。聞いていた話では、龍の国に行くということだったが。それにしても聞いていもいない個人情報をベラベラしゃべるレイナ・コルボットに自身の警戒信号が灯る。後でザっと身辺調査をしておこう。仕事上、こういう嫌な予感は放っておくと大惨事になるのがお約束だ。
「はい。GB接種の予約が入っていましたので」
「そう・・・・・・」
(うまくいかなかったのかな?)
数時間後。
カスバートは点滴を終え、入国審査をパスした。途中、ゲンを見舞ったが、息も絶え絶えに「先に戦場に行ったら化けて出ますよ」と言われ、そのまま気絶した。血走った目に押され思わず「はい」と小さく返事してしまった。
(ほんじゃまー、内地をブラブラしますか)
カスバートがまず訪れたのは、繁華街の外れにある酒場だ。客層もわりと珍しい職業に就いている者が多い。中心部の酒場は老若何男女入り乱れ騒がしいが、その酒場は割と静かで、しかもかなりディープな情報が飛び交っている。一応、間口は開けてはいるが、客を選んでいるのか厄介そうな者は店主の配慮で出入りが少ない。ありがたいことに、カスバートは出禁も喰らうこともなく、内地に戻った際は手土産片手に必ず立ち寄っていた。
繁華街の大通りを抜け、わき道に逸れる。喧騒が遠くなり、小さな店が並び、ポツポツと明りが漏れている。路地裏と言うのに明りが行き渡り、ゼロ・エリアにはない安心感がある。アインスやユエの経営する有名カジノや高級娼館はあくまで表の顔。実のところ、大通りに面していない場所の方がゼロ・エリアの多くを占めるからそれだけ闇も広く、深い。一歩路地裏に踏み入れたら迷路のような構造になったゼロ・エリアの暗部。焦りや恐怖で初心者は更に迷い、知らずに奥に入り込み命を落とす。そういう場所だ。
いつもならこういうことを考えないのに、柄にもなくゼロ・エリアの闇を考え直したのは、やはりあの少年を助けたからだろう。仲間を〇され、たった一人自分だけが生き残ったあの空虚感。今更だが、よく耐えきれたと思う。復讐という目標がなければ、生きようとは思わなかった。
(ミーユに預けたから滅多なことにならないと思うけど)
あの少年は復讐という選択を取るだろうか。それならそれでいい。せっかく助けた命だが、アインスとセキリエ相手ではやれることなどたかが知れている。あの時のラティエースはただ仕事をしただけだから、逃げたカスバートを執拗に追うということはしなかった。しかしアインスとセキリエは違う。彼らは敵と見なしたらどこまでも追いかけて命を取る。
願わくは、復讐でもなく、そして戦士でもなく、普通の人生を送ってほしいと思う。
(勧誘しておいて、それはあまりに勝手か・・・・・・)
自嘲の微笑を浮かべ、カスバートは年季の入った木製のすり切れたドアノブに手を掛けた。
「あらー。久しぶりじゃない」
カスバートの姿を認めると、カウンター前に立っていたマスターが顔をほころばせて言った。
「マスター、久しぶり」
カスバートはマスターの前のカウンターに座った。
白髪をオールバックにして一つにまとめたマスターが何も注文していないのに蒸留酒とナッツの入った小皿を出す。この店のマスターは五十過ぎの年齢でやや小柄な男だ。白髭を整えたマスターは柔和な微笑を浮かべる。
「これ、お土産」
紙包みに入った瓶を手渡すとマスターが「いつも悪いわね」と受け取る。
「ラドナは良いワインを作るのよね。なかなか売ってなくて。いつもありがとね」
「いいよ、こんくらい」
言って、スモーキーな蒸留酒に口をつける。ようやくホッと気が抜けたと思ったら、大男が後ろから肩を抱いて酒臭い口を寄せてくる。
「よーっ、カスバート。戻ってきたんだな」
「相変わらず飲んだくれてるんですね、ノームさん」
ノームは、この店のマスターの恋人だ。現在、無職。人当たりが良いので客あしらいが上手く、一応、この店の用心棒と言えなくもない。それに加え、ノームの前では客が口を滑らせることが多く、一般人で知りえない情報を多数有し、適宜、情報を流し小遣い稼ぎなんてこともしている。カスバートも上客の一人だ。
「冷たいこと言うなよー」ノームは口をとがらせ、「せっかく会えたのにさー。で、俺にお土産は?」
「あるわけないでしょ」
「んじゃあ、此処の払いでいいよ。マスター、カスバートと俺に同じものもう一杯ね」
「もう、飲みすぎちゃだめよ」
そう言いつつ、エールと蒸留酒の入ったグラスをカウンターに置く。
「どさくさに紛れて、俺の払いにしないで下さいよ」
「けち臭いこと言うなよ。そういや、さっき軍の上級研技官が来たんだけどさ」
「・・・・・・」
この一言で支払い云々について、カスバートは口にすることができなくなった。支払い拒否した途端、ノームは席を外し、どこかに行ってしまうのは自明だ。
「アマネを見かけなかったかって?」
「あいつの入国は数日後ですよ」
「それがさー。注射が嫌で違法入国したそうよ?勝手に外郭都市に転移装置設置して、内地の自宅にもう一つ転移装置おいて。魔素の異常な流れを観測官が発見して発覚したそうよ?」
「あいつ・・・・・・」
カスバートは頭を抱える。
「すっごいよねー。針が嫌なだけで、億単位の設備投資をしちゃうなんて。GBワクチンを打たなくても別に内地の人間に感染するとかはないけど。まあ、そもそも内地の人間は、軍人が何と戦っているかなんて知りもしないだろうけど」
魔法国の一般人は、本国は、他国と戦争をしていると思っている。GBワクチンの存在は、筋肉増強剤とくらいしか思っていない。カスバートも今のところGBワクチンを接種しなくても問題ないが、将来的に瘴気に侵される可能性がある。カスバートの場合は、瘴気を浄化するための接種と言うよりも持ち前の耐性を底上げし、予防することに近い。これがゲンの場合となると、瘴気に汚染された体を浄化し、なおかつ戦場においては瘴気感染を予防する。それでも耐性のないゲンは戦場に入れば瘴気に汚染される。
「で、上級技官は何て?」
「センター長がアマネの注射嫌いを考慮して、GBワクチン配合の飴ちゃんを開発したんだと。輸液と同じ成分だし、いずれは緊急用錠剤として商品開発する予定の代物よ。今までも案は出ていたそうなんだけど、ワクチン成分が糖分に触れると壊れやすいとかで技研側は実用化には今一つ乗り気じゃなかったんだって。でもカーノス様の後押しで実用化に向けて本格始動してたそうよ?」
「うわっ・・・・・・」
アマネの注射嫌いから実用的な軍用品が誕生しようとしている。戦場で遭難し、GBワクチンの効果が切れればそれは死に直結する。それもタブレットがあれば数日は生き延びられる。ワクチンのアンプルは激しい動きですぐにダメになりそうだから、「飴ちゃん」は確かにいいかもしれない。
(あいつの注射嫌いで技研が動くってのが、複雑だよな・・・・・・)
「とりあえずカーノス様のサインで入国審査書類はパスしたようよ?」
先ほどからノームは上級官吏の名をつらつらと述べているが、それは彼がただの酔っ払いだからではない。一応、無職だが前職の関係で今も上とは太いパイプを持っている。
「あいつくらいですよ。七人の魔女の一人に重要とは程遠い入国審査書類にサインさせるなんて」
「そうねー。でも、カーノス様もアマネが戦場に行ってくれないのは困るだろうし。そもそも、アマネが自前で転移装置を設置したのも、入国ゲートでだまし討ちのように点滴したり、睡眠薬入りの飲み物飲ませて、眠っているうちに点滴したりしたからでしょ。あと、客に扮した技官が首筋に打ったこともあったなぁ。その頃になってようやくカーノス様もそんなことに人件費を割くなら、黙って通らせて後からワクチンを接種させた方がいいと考えたんでしょ。どうせ戦場に行くのは変わりないんだから。そこで接種させればいい」
「でもアマネはその更に上をいった」
「そうそう。カーノス様、大慌てでここを出て行ったよ」
ノームは心から楽しそうに笑い声をあげる。確かに、冷静沈着で知られる男が動揺する姿を見られるのは珍しいし、愉快といえなくもない。
「ということで」ノームはカウンターに小さな小袋を置いた。「クロム経由でもいいから渡しておいて。今は大丈夫でも将来的に体は蝕まれるんだから、予防は大事よって。ちなみに飴ちゃんは、ブドウ味とイチゴ味」
「なんすか、その肌ケアみたいなうたい文句は」
そう吐き捨てつつ、カスバートは小袋を受け取る。ふと視線を上げると、マスターが小首をかしげていた。
「アマネちゃん、針が苦手っていうわりに、ピアスの穴は開いていたわよね。あれも、針で穴をあけるものじゃないの?」
確かに、と思わず口にしそうなったがカスバートはキュッと口を引き結ぶ。チラリと横をみれば、ノームもまたキュッと口を閉じていた。
「・・・・・・あいつは、そういう矛盾した奴なんですよ」
さて、ここで問題です。
アマネはピアスの穴を開けたとき、どうして我慢できたのでしょうか。
1.ひたすら我慢した。
2.最初から穴が開いていた。
3.エレノアとアマリアに開けてもらったため、暴れることができなかった。




