空飛ぶ小さなギルドマスター
「──それで？ あんたら一体何を騒いでたんだい？」
突然小さな身体でパタパタと何処かから飛んできたギルドマスターを名乗る妖人に、思わず言葉を失っていた望子たちを見てクスクスと笑っていた彼女はニヤニヤとした笑みを浮かべたまま、彼女が表へ出てくる原因となった騒ぎの理由を尋ねんとそう口にする。
「……あ？ あー、依頼を受けようと思ってたんだが」
「そうそう。 そしたらこの人が駄目って言うから」
我に返ったウルが気まずげに口を開く一方、フィンは受付嬢を指差して拗ねた様にそう答えた。
「んん？ 何の依頼？」
「あ、あの……例の……」
それを聞いたファタリアと名乗るその妖人は、望子たちの前から受付嬢の方へスイっと移動して彼女の手元にあった書類を覗きこんだが、当の受付嬢はそんな彼女に向けて、何故か心底言いにくそうに依頼の討伐対象をぼかすかの如くそう告げる。
「……あぁ、『海賊』の──」
するとファタリアは、その短い言葉で充分理解したのか頷きつつそう呟こうとしたのだが──。
「ぎ、ギルドマスター！ それは……っ！」
「え？ ……あ、やば」
「は？ 何が──」
受付嬢は突然ファタリアを咎める様な強い声音で叫び、何の事だと首をかしげた彼女も一瞬で然知ったりとばかりに顔を顰める中、全く話の流れを解せていないウルは怪訝な表情を浮かべて問いかけようとした。
──その、瞬間。
「うああああ！ 来るな、来るなぁああああ！」「ぅ、ぐうぅ……！ すまねぇ、すまねぇ……っ！ 不甲斐ない俺を赦してくれぇ……！」「もう、もう嫌だ！ 俺はこの町から出るぞ！」「お、おい！ 逃げるのかよ！」
突如、決して広いとは言えないギルドを埋め尽くす様に、狼狽、慟哭、遁逃──様々な負の感情が宿った冒険者たちの声が彼女たちの耳に届く。
「ひゃあ！？」
「な、何が起こって……」
「……うっさ」
それを聞いた望子が怯え、ハピが困惑する一方、フィンはむさい男の泣き声なんて聞きたくもないとばかりに小さく呟いて、頭の横の青い鰭を押さえていた。
(これは……恐怖に、焦燥……喪失感といった所か)
そんな中、ローアは研究の最中に散々聞いた救いを求める生物の声にある種の懐かしさを覚えつつ──。
(あの頃はこの様な声に囲まれていても何とも思わなかったが……ミコ嬢と出会った今ではな)
彼らもまた他でも無い望子と同じ人族に当たるのだと考えると少し思う所もある様で、何やら複雑な表情を浮かべていたのだった。
「あちゃー……やっちゃったか。 すっかり忘れてたよ……ったく、面倒臭いったらない」
「……おい、ありゃどうなってんだ？」
一方のファタリアは顔を隠す様にとんがり帽子の鍔を引っ張り恨み言に近い呟きをしていたのだが、そんな彼女へウルが比較的正常な冒険者たちに取り押さえられている彼らを見遣って問いかける。
「詳しい事はあたしの部屋で。 セリーナ、あいつらへのフォローは任せるよ」
「そ、そんなぁ！」
ファタリアは心底嫌そうな顔をしながらもそう答えて、セリーナと呼ばれた受付嬢へ面倒ごとを押しつけながら奥へ行き、当の彼女は若干涙目で叫んでいた。
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ボロボロなギルドの廊下は当然ボロボロであり、ギシッと鳴る音に望子などはビクビクしつつ、普通サイズの扉の前で止まったファタリアはその横の壁に取り付けられた彼女専用だろう小さな扉から入室する。
「ほら、ボーッとしてないで入った入った」
その扉の向こうから顔だけ出してそう告げる彼女の言葉を受けた望子たちは、顔を見合わせてから大人しく従い、同じくボロボロの執務室へ歩を進めた。
意外にも普通サイズのソファーも置いてあり、質は悪いという事を除けば普通の執務室の様に感じられるその部屋の奥、普通の机の上に設置されていた間違いなく彼女の専用の小さなソファーに彼女が胡座をかく。
「さて、まずは何から……あぁそうだ、ようこそギルドへー、ってとこかね？ 冒険者諸君」
空気を変えようとでもしたのかおどける様にそう言ったファタリアに、ソファーの数が足りない為に取り敢えず望子とローアを座らせて、立ったまま……或いは浮かんだままの亜人たち三人を代表して、ウルは至って真剣な表情で口を開き──。
「……そういうおふざけは求めてねぇよ。 さっきのあいつらの騒ぎは何だ？ 尋常じゃなかったぞ」
先程の喧騒について問いただす為に、彼女へ鋭く赤い眼光を向けて低い声でそう口にする。
するとファタリアはいつの間にか手元に用意していた細く小さい葉巻を、四枚の羽のうちの一枚、赤い羽に掠らせると何故か葉巻に火がついた。
「あれはねぇ……例の海賊に挑んで敗北を喫した奴らだよ。 ただ敗けただけなら良かったんだけど……あいつらの殆どが仲間を失ってるからね。 そりゃあ自棄酒も呷るし、荒れもするってもんさ」
「『海賊』という言葉一つであれ程に……？」
ふぅ、と小さな口から少量の煙を吐いてからそう説明した彼女に、心的外傷どころでは無さそうであるがとローアは興味深そうにふぅむと唸る。
「ちなみにほぼ全員が紅玉か銅ってとこだよ。 例の依頼の受注には紅玉以上が絶対条件だからね」
「……ボクたちじゃ受けられないってそういう事だったんだ……あの人に悪い事しちゃったかも」
ファタリアがそこへ付け加える様に、あれだけ喚いていた彼らの決して低くない等級を明らかにする一方で、フィンはここにはいない受付嬢へ、依頼書の情報も碌に目を通さぬまま詰め寄ってしまった事を自分なりに反省して、少しだけしゅんとしていた。
──あくまでも、少しだけではあるが。
「ま、正直あたしはあいつらにもこの町にも大した思い入れは無いし、問題起こさなきゃ何でもいいさ」
「……どういう事？ 貴女、ギルドマスターなんじゃ」
そんな折、器用に輪の形の煙をいくつか吐いてそんな風に言い放ったファタリアの言葉に、愛着とか無いの？ とハピが疑問を口にする。
「……あたしがここのギルドマスターになったのはつい最近なんだよ。 正確には前のギルドマスターが海賊に殺された事で後釜として配置されたんだ」
すると彼女は苦笑しつつ、一応真面目な話だという自覚はあるのか葉巻を手元の灰皿に置いてから、机の端のペン立てに入ったおそらく前任者が使っていたのだろう普通の羽ペンを持ち上げ、その理由を話した。
「んーと……何でギルドマスターが海賊にやられる事があるの？ 町に攻めて来た訳でも無いんでしょ？」
そんな彼女の説明にフィンは首をかしげ、品薄や調味料の不足といった間接的な被害は受けていても屋台自体は開いていた店主や、憔悴などしている様子も無かった門兵を思い返してそう問いかける。
「あたしが聞いた話じゃ、そいつは元銀等級の正義漢だったとか何とか。 海賊による被害が拡大していくのを見て、我慢出来ずに突っ込んでいって──翌日、波止場にそいつの生首が置かれてたらしいよ。 まぁ、それを発見したのはとある冒険者で、住民たちには事故だと言ってあるらしいけどね」
それを受けたファタリアが重々しい息を吐き、ここへ赴任する際に散々聞かされた事情を口にしつつ舌を打つその一方で、あまりにも唐突な惨憺たる話に望子は、ひえぇと身体を震わせ怯えてしまっていた。
「……それで？ あんたらはどうして海賊の討伐依頼を？ こんな幼い子二人も連れて……まさか武勲を立てようって訳でも無いだろうし」
主だって彼女と話をしていた亜人から反応が返ってこない事で、一段落ついたと判断したファタリアは本題とばかりに問いかける。
「あー、まぁ……海を、渡りたかったんだが。 この感じじゃあ……無理なんだよな？」
するとウルは、まさか魔王討伐の為に魔族領へと言う訳にいかず言葉に詰まりながらも聞き返した。
「そりゃまた悪い時に来たねぇ……ま、取り敢えずあんたら全員、免許出してみな。 話はそれからだよ」
ファタリアはそんな彼女たちを同情する様な視線で見遣りつつ小さなソファーからふわっと離れ、てしてしと机を叩きここに置けと暗に告げる。
それを察した望子たちは頷き合い、それぞれ鞄や革袋から免許を取り出して机に置いた。
「ふんふん。 翡翠が三人、鋼鉄が二人か。 悪くは無いけどこれじゃあ──んん？」
その後、ファタリアは机に置かれた五枚の免許の近くをふわふわと浮かびながら、遠隔で微量の魔力を流して情報を読み取っていたのだが、突然何かを察して免許のうち一枚の元へ降り立ち、両手と両膝をついて懐から小さな片眼鏡を取り出して覗き込む。
──それは、各所のギルドマスターにのみ支給される魔道具の一種、『鑑定眼鏡』。
ある程度の魔力を流す事により、免許に自動で記される依頼の情報の中で、無意識下に冒険者たちが公にしたくない情報を読み取ってしまえる優れ物。
(……領主の指名依頼を受注、それを達成……上級魔族及び、魔族の軍勢を……撃退……！？)
ファタリアはこれを用いる事で彼女たちが奇々洞穴にて魔族の軍勢を──それをやったのは同じ魔族のローアだが──退けた事実を知る。
(これが本当なら、海賊なんて余裕なんじゃ……この娘らにあれ、適用してみる……？)
咥えていた葉巻を無意識のうちに落としてしまうくらいに衝撃を受けていたファタリアは、一転まるで悪巧みでもするかの様に突然黙り込んだ自分を首をかしげて見遣る望子たちを上目遣いで見つめていた。
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