トリップ ~約束~
~現実 約束~
携帯がなっていた。バイブにしていたが、床との摩擦で音が鳴っていた。少し眠っていたのか。時計を見ると1時になっていた。携帯を見るとあたるからメールが来ていた。私は少し眠っていたのかもしれない。いや、「エンジェルミスト」の毒気にあたったのかもしれない。久しぶりに人をトリップさせる。私もトリップをしていたんだ。何回も、何回もあの時もトリップをしていたんだ。あの世界に、エンジェルミスとの世界に魅せられていたんだ。あの光に、その奥に楽園があると信じていたんだ。ここではないどこかならそれは楽園に感じられていたのだから。でも、今ならわかる。楽園は自分で作るものだって。与えられたものは楽園なんかじゃない。作られたものは後から来るむなしさには勝てない。私はだからこそ、「エンジェルミスト」を・・・
まとまらない。思考はいつだってそうだ。形をなしては消えていく。泡沫のようなもの。形に出来なかった思考はもう二度とやってこない。私にはそうだ。いつからそうなったんだろう。解らない。昔からかも知れないし、ここ最近かも知れない。ただ、形に出来なかったものはもう二度と私の前にはやってきてくれなかった。
私は携帯を見た。あたるからのメールだった。
「明日13時から大学に行かないか?それと、あの埋めたビデオを掘り返したいんだ」
そう、あたるは全てのビデオが埋まっていると思っている。私は一つだけビデオを抜いている。もっと早く「この事」を知っていれば、いや、もっと私に勇気があれば。私の時はあの時に止まっているのかも知れない。
ほかのビデオは捨てても良かった。ただ、記録として、いや証として、いや私自身犯した咎の全てとして残しておいたんだ。全てを捨ててしまったら楽に慣れたのかも知れない。でも、忘却のかなたに持っていっていいものじゃない。受け止めないといけない。どこかでそれが解っている。現実がいつもひたひたと押し寄せてくるのと同じように。
ただ、一つだけ、これだけは手元においておきたかった。ここではこのビデオを見ることは出来ないけれど。でも、手元にあるだけで頼れるんだ。そして、私に全てを言い聞かせてくれる。
私があたるに「わかった」というメールを送って、思い出した。ビデオを取る事になった時を。深く、よりもっと深く、私は沈み行くように身を委ねた。
~回想 ビデオ~
「ねぇ、買って来たよ。ビデオ。今ね、私ちょっとリッチなの」
綾瀬がそう語る。何でリッチなのかは知らない。けれど、ビデオを買ってきた時はちょっとだけ、悲しげで、でも、どこかに達成感があった綾瀬だった。その表情はまるでつかめない幻のように儚げで、キレイだった。
0.002mgの使用。あのカラオケでの時から一週間後のことだ。この時はまだ、1週間開けないと完全なトリップが出来ないとか、ダークなトリップを行うことを知らなかった。
そう、このことは綾瀬が使用してわかったことだ。
「ねぇ、もう一回トリップしたいの?いいでしょ」
そういってきた綾瀬を止めることが出来なかった。0.002mgの連続使用。綾瀬はトリップをした。
ビデオを回す。よくみると、あたるがいなくなっていた。あたるはたまにいなくなる。自己主張をしないせいか空気みたいに感じてしまう。でも、私にはあたるは必要なんだ。いないと私が私でなくなってしまいそうだから。私と綾瀬と二人きりのときに、覚醒時の「アレ」はいきなり起こった。
「こんなお金で片付けるの?私はそれだけの存在なの」
綾瀬は泣きながら、叫びながら覚醒したわなわなと震える綾瀬。瞳孔は定まっていなかった。明らかに普通じゃない。いや、今まで見たことないくらい綾瀬は取り乱していた。
私は気がついたらカメラをそこに置いて綾瀬に近づいた。座り込んで頭を抱えて震えている。私はそっと抱き寄せて、頭をなでた。
「大丈夫、大丈夫だから」
だが、綾瀬は私が近づくことで余計に暴れて、私を殴りつけて蹴りつけてもきた。泣きじゃくる綾瀬。半狂乱になっていた。その綾瀬を私は力任せに抱きしめた。どれだけ殴られても、けられても、綾瀬に、一人じゃないって伝えたかった。いや、それはただ私のエゴだったのかも知れない。ただ、次第に綾瀬が暴れるのが落ち着いていくのもわかった。
私は綾瀬が徐々に落ち着いていくのがわかった。そう、徐々に呼吸が落ち着いてくるのがわかる。時間だけが過ぎていった。綾瀬の呼吸が普通の状態になった。その瞬間だった。
「ちょっと、陸、何しているのよ」
いきなり綾瀬はそういった。説明しても信じてもらえない。私は横に転げ落ちたけれどちゃんと今起こったことを撮ってくれていたビデオをその場で再生した。
「私、こんな事言ってたんだ。なんか今回は光じゃなかった。すごい、暗い世界に引きずり込まれて、あの、思い出したくもない事を
ずっとリピートを延々とするの。ずっと、ずっと。もう、連続でなんて使用しない。でも、一体なんで」
綾瀬が不思議がっていた。私は自分の体で実験をした。間隔を狭めるとよりリアルにやってきた。黒い恐怖。ゴツゴツした感じ。そして、あのなんともいえない匂い、痛み。そのリピート。何度も自分の体で実験した。それでたどり着いたのが、1週間は使用しないという事だった。そして、もうひとつ。この時に今の自分の状況を調べた。
医学的にもこの2分という時間はギリギリだと私は思っていた。心停止による無呼吸状態の時間が長いと脳が酸欠を起こす。そう、30秒以上ですら危険なのがもう2分である。ボーダーは10分。だからこそ、私たちは2分からの危険を踏み込むべきではなかった。そう、解っていたはずなのに、私たちはおろかな間違いを更に犯していった。
~回想 0.003mg~
徐々に私たちにも慣れがあったのかも知れない。そう、0.002mgのトリップを繰り返していた。片岡がたまに綾瀬にちょっかいを出している。
「なぁ、今度合コン開いてくれよ。いいだろ」
片岡を見ていると何があってこの「エンジェルミスト」にいるのが良く解らなかった。
私は、片岡については怖かったので少しだけ調べたことがある。片岡は子供の時から野球少年だった。弟と二人で甲子園にも出て、プロ球団から指名もあったらしい。だが、その時期に交通事故にあい、肩を壊したそうだ。
それまでは、学校でもスター選手として優遇されていた。けれど、その事故から周囲が片岡に対する接し方が変わったらしい。家族の中でも弟が優遇されるようになって、どこにも居場所がなくなったらしい。どこにもいられない。
それは、まだ片岡が過去の栄光にしがみついているからなのかも知れない。けれど、不思議な事にここ「エンジェルミスト」のサークルの中では一度も「野球」の事を口にしなかった。
ま、誰も「野球」なんかにはそんなに興味がないからかも知れない。いや、誰も「昔の片岡」を知らないところだからこそ居心地がいいのかも知れない。
「ってか、片岡むかつく。あんた、自分の顔みて言ってみたら?片岡って坊主だし、ゴリラみたいな顔してるんだよ。ウホってカンジ。って、今思った。このエンジェルミストで十分でしょ。あんたがエレクトするのなら。まだ足りないなら、0.003mgで試して見たら?そんな根性があるのならね」
綾瀬はそういった。確かに、もう限界ギリギリだろう。心臓停止から3分。脳に何らかの障害が残ってもおかしくないレベルだ。
だが、片岡は焦ってもいなかった。
「じゃ、0.003mgを使ったらコンパしてくれよ。それでいいか?」
そういって片岡は私の方を見た。ま、当人がやると言うのならば止めることはないのかも知れない。いや、私は止めるべきであったのかも知れない。この「エンジェルミスト」を管理しているのは私だ。多くの人からの依頼で投与してきている。だが、このメンバー以外は0.001mgまでだ。
ここにいる4人だけが違うステージにまで上がっている。ある意味酸欠状態の中毒なのかもしれない。いや、体が徐々にこの無酸素状態に慣れてきているのかも知れない。渋っている私に片岡はさらに言ってきた。
「俺はスポーツ選手だったんだ。お前ら知らないだろうけれど。肺活量も全然違うんだよ。3分ぐらい潜水できるくらいの肺活量があるんだ。だから大丈夫さ」
片岡は得体の知れない自信に満ちていた。だからこそ私は怖かった。何の裏づけもない自信。そんな私に綾瀬は言ってきた。
「いいじゃん、別にしたいって言っているんだから。それに、私も知りたい。0.003mgの世界を」
無邪気にそういう綾瀬を見て思った。ただ単なる興味から綾瀬はそういっている。私も確かに知りたいといえば知りたい。だが、心のどこかでそんな興味本位で、投与していいものなのかを考えていた。綾瀬が私の耳元で囁いた。
「いいじゃん、片岡なんだし」
綾瀬がそう囁いた。私はその吐息に、いや綾瀬の匂いに負けたのかも知れない。何かが私の中で壊れたのかも知れない。そして、いつものように「エンジェルミスト」を取り分けて片岡に投与した。そう0.003mgを。
ビデオを用意して、時間を計り始めた。トリップ経過から3分経過。0.002mgの時はここから無意識で何かを話し始める。だが、片岡に何も変化は訪れない。一瞬、心臓が動いていないのかと思って、胸に手を当てて調べて見た。動いている。呼吸も普通だ。だが、意識が戻ってこない。
「片岡、片岡」
私は怖くなって片岡を揺さぶってみた。変化はない。閉じられたまぶたを開けて目にライトを当てる。瞳孔の変化もない。
「変わって」
綾瀬はそういって、片岡にビンタした。片岡のほおは赤くなった。だが、変化はなかった。諦めかけていた時、片岡が叫びだした。
「俺が一体なにしたっていうんだ」
時計を見る。もう10分経過している。片岡の体が震え始めた。覚醒する前触れだ。だが、覚醒しているはずの片岡が呆けている。
「片岡、片岡」
私は片岡に話しかけた。
「あぁ、あぁ」
返事は有る。だが、まるで夢の中でうつろな状態。いや、睡眠薬を飲みすぎて健忘を起こしている状態に近い。多分、まだ意識がはっきりしていないはずだ。0.002mgの時と同じだ。後少しで戻ってくる。
「何を見たの?」
綾瀬が片岡に話しかけた。
「光につつまれて、そして、気持ちよくて、
みんなが笑っていた。そう、まるで母親に抱き上げられている。子供の気分。なのに、なのに、、、、」
片岡はぼそぼそと話し始める。普段話さないことも、この時は誘導されるがままに話してしまう。ただ、感情的になるため質問は考えないといけない。だが、綾瀬はおろおろしている私と遠くから見ているあたるとは違って楽しそうに質問をしていた。
「ねぇ、なんでエンジェルミスト試したかったの?」
楽しそうに綾瀬は質問をしている。うつろな片岡はぼそぼそと話し始めた。
「誰も、俺を知らないところにいきたい。哀れむやつ。そして、去っていくやつ。もうたくさんだ。逃げたかった医者もどこか哀れんで診やがる。だから、ここは居心地がいい。
そして、安らげる。だからだ」
私は横で不安になった。これは0.002mgの時とは違って確実に意識はないのではと。だとしたら、使う時は気をつけないと。けれど、好奇心もある。私は気がついたら綾瀬を見ていた。その綾瀬の顔は怖いくらいキレイに見えた。私は綾瀬の事をもっとしりたい。このエンジェルミスト0.003mgを使えば知れるかも。
私は不思議とそんな変な感覚、衝動に襲われていた。目の前で片岡がこんな状態なのに。落ち着くために首を大きく振った。そして、時計を見る。もうすでに15分が経過している。そろそろ片岡の目がはっきりしてくる。
そう、それまでの目はどうみても焦点があっていなかった。
「うっ、ぐぇ」
片岡に変化が起きた。呼吸が荒い。
「うぅ、気持ち悪い」
そういって、片岡は横になった。だが、横になりながら、片岡は話し出した。
「今までは光を見ていただけ。でも今回は光の中までいけた。光の中そこには、願う世界がそこにあった。そう、夢の続きが確かにそこにはあった。ああ、あの場所に戻りたい」
恍惚な表情を浮かべながら片岡は確かに何かを見ていた。
「それだけ?おぼえているの?」
綾瀬は聞いた。おそらく、片岡が話したことに意識があるのかを、いや、話したことを覚えているのを知りたかったのだろう。だが、片岡は覚醒の時を覚えていなかった。いや、覚醒の時に見たものは別なものだった。
「覚醒の時。みんなが遠くになっていった。そう、徐々に自分が世界からフェードアウトしていく感じがあった。そして、あいつがいた。あいつが笑っていた。あいつも、あいつも」
そういって、片岡は震えだした。あたるがどこからか毛布を持ってきて、片岡にかけていた。そして、あたるが話し出した。
「り、陸、0.003mgを試したいんだ。い、いいかな?」
あたるはなかなか自己主張をしない。いや、この中だと自分から話しかけることも少ない。そんな自分を変えたがっているのは知っている。私は悩んだ。でも、この片岡をみていると、トリップでは今までとは違うらしい。だが、片岡の苦しみ方を見ていると不安だ。
「大丈夫だよ。じ、自分で決めたんだ。やらせて」
あたるはそういって、注射器を取り出した。注射器を煮沸して用意を始めた。私は今までこんな積極的なあたるを知らない。私は変わりたがっているあたるにやめておけばいいのに首を立てにふってしまったんだ。
そして、0.003mgを注入。私はこの時止めるべきだった。誰かこの時に私を止めてくれればと願った。いや、その予兆はどこかにあったのかも知れない。耳を澄ませば聞こえてくる。ひたひたと何かがやってくるのが。いや違う。何かが私を呼んでいるんだ。そうだ、現実が私を連れ戻しに着たんだ。いつだって現実はそうやってやってくる。まるで全てを解っているかのようにさげすむように私を迎えに来るんだ。いつだって。




