トリップ ~片岡~
~回想 片岡~
片岡という人物は変わっていた。いや、エンジェルミストに来た人物はたいてい変わっていたのかもしれない。片岡は常に威圧的だった。
「ここが、トリップさせてくれるところか?」
いきなり、部室に来て開口一番の片岡のセリフ。それがこれだった。
イスに座っていた、私とあたる、そして綾瀬は見上げるように片岡を見た。
背が以上に高く、日に焼けたその褐色の肌に、筋肉質の体系化この倉庫、いや、こんな科学系の学部には違和感があった。おそらく別の学科の人間だろう。もしかしたらこの大学ですらないかも知れない。私はそう思っていた。ただ、どこかで見たことがある。そんな違和感があった。いや、その違和感なら綾瀬の時もあった。本能で何かを感じていたのかも知れない。
大きな声で話している片岡を普通に眺めていた。そう、私もあたるもどんな対応にもなれて着ていたからだ。癖のある人ほどこの「エンジェルミスト」を試したがる体。そして、もう一人この部室の常連の「綾瀬」もなれてきていた。それだけ、この部室には変な人が来るからだ。
私たちはトリップした世界のレポート作成していた。短い間でより効率よくトリップするレポートをつくっていた。それと、トリップした後の自分の体調管理も同様だった。そう。心停止をするために、ある程度心電図を自分たちでとっていたからだ。医療系の学部も併設しているため、備品には事欠かない。私たちは自分の体の管理も行っていた。
「ねぇ、こんな事って必要なの?」
綾瀬はいつもけだるそうに言っていた。綾瀬がくれたデパスを一度鼻からすすったのを覚えている。確かに、ハイになれた。けれど、あのどこか違う世界に無理矢理連れて行く、「エンジェルミスト」には適わなかった。私たちは心電図をとるようになって、気がついたこと。それは、トリップをする感覚を開けるほうがいいという事が。特に連続してトリップすると、心停止をするため負担もあるのだろう。それに、1週間くらい感覚をあけないと、あのトリップは味わえない。そう、中途半端なトリップだったり、すごくダークなトリップになるのだ。そう、徐々にこの「エンジェルミスト」での問題点もわかってきた。それに、「綾瀬」と会ってはじめて量を間違えた『あの時』のこともある。だからこそ、色んな実験をしてきたんだ。そう、そういう会話をしている時に片岡はいきなり大声を出してこの部室に来たんだった。
「ここでトリップできるんだろ。ハルシオンをアルコールで飲んだときみたいな中途半端のじゃないだろうな」
ある程度薬を試した人物。それが片岡だった。私は片岡と話しながら感じていた。自分が中心でないと気がすまない。他人を見下している。実際、無理矢理にでも精神的上位に立たないと、自分を保てない。ま、威勢はあるけれど、内心は不安なんだろう。そりゃそうだ。誰に聞いたか解らないけれど、今までにないトリップ。怖いのだろう。それを必死に隠している。不思議なものだ。このエンジェルミストをはじめてから、人を見る目がついてきたのかも知れない。私はそう思いながら、片岡にエンジェルミストを注射した。
注射して、片岡が話してきた。
「なんだ、何も変わらないじゃないか」
そう、注射してしばらくは普通の状態。私は、ペンライトを目の近くに当ててみるように伝えた。
トリップする前に何かを凝視していると、早くトリップできる。まず、一番初めに起きるのは焦点があわなくなることだからだ。
徐々に片岡の体が揺れてくる。そう、トリップの前兆だ。そして、片岡のトリップが始まった。
1分後。戻ってきた片岡はびっくりしていた。何かを見たらしい。
「光の向こうから声がした。あれは一体なんなんだ」
呼吸を整えながら話している片岡を見ながら思った。こいつは常連になるタイプだ。その予感通り、エンジェルミストの常連がまた一人増えた。どこからかアラームが聞こえる。ああ、ここは私の居場所じゃないんだった。
私は何かに呼び戻されていた。ひたひたとやってくる何かに。
~現実 見知らぬエンジェルミスト~
トリップの時の癖だ。アラームをセットする。自分でも気が付かないうちに携帯のアラームをセットしていたらしい。もうそろそろ1分。榊さんが戻ってきてもいい頃だ。あの、引き戻される感覚。水面が見えるのになかなか近づけない、あの感覚。まるで水面の向こうには世界がうっすらと見えるのに近づけない。そう、強制的に戻されているのに、不思議と光じゃなく現実を目指している。どこかでまだ生きたいって思っているからかもしれない。死ぬだけの勇気があれば「エンジェルミスト」なんか使わない。生き続けることに何も恐怖していなければ「エンジェルミスト」にも出会わない。不思議なものだ。引き戻される瞬間はなぜか「生きたい」って思っているんだから。少し前までは現実では経験できない感覚を経験しているのに。
榊さんの体がぴくっと動いた。そろそろ始まる。覚醒するときに心臓が動き出す。徐々に。体の機能が一旦停止していたのが、また動き出す。そう、戻ってくる傾向だ。
「どうでしたか?」
私はやさしく語りかけた。そう、この戻ってくる時にあるのは普通の苦痛ではない。まるで、ずっと水中にいて光は見えるのに水面にたどり着けずにもがいている感じ。しかも、どちらかというと、光の世界から強引に連れ戻される感じがあるからだ。だからこそ、戻ってくる時は心配である。けれど、たかが0.001mgのトリップ。このレベルならば違和感も少ないし、得られる快感も短い。そう、戻されるあの「違和感」は少ないのだ。呼吸が乱れている榊さんは、一瞬呆けていた。この症状はひょっとして、精錬方法が違っている。私は気がついた。
「綾瀬」ですらきちんとした精錬方法は知らない。もちろんあたるも同じだ。この「エンジェルミスト」は確かにトリップできるけれど、不完全品である。私はお茶を用意した。あったかいお茶を。
「落ち着きましたか?」
少しほうけているけれど、恍惚としている榊さんの顔をみて、この人はまた「エンジェルミスト」を使う人になるって確信した。どこかに希望を探しているから、けれど、今いる場所に希望がない。だからまたあの光に、快感を求めてしまうんだ。
かつての私もそうだったから。
私は自分が0.002mgのトリップしたときの事を思い出した。
~回想 0.002mg~
「陸、陸」
あたるの声がどこからか聞こえる。そうだ、私は調子に乗って0.002mgにチャレンジしたんだった。それは純粋に試したかったからかもしれない。いや、強がりたかっただけなのかもしれない。時計を見る。トリップしてから五分も過ぎていた。どうして五分も?私はどうしていたのか。あたるに聞いた。
「私は5分間もトリップしていたのか?」
もし、5分もトリップしていたら体のだるさはこんなものではないはずだ。確かにまだ、どこか感覚が鈍っているのも事実。それに、どこかあたるの声が聞こえる前に綾瀬と話した夢をみた感じもする。けれど、何かがちがう。頭の中にもやがかかったような感じだ。そう、まるで睡眠薬を飲んだのに、無理矢理起こされたかのようなけだるさがある。いや、なんとなく覚えている。水の中で音がちゃんと聞こえない時のように、なんだか会話をしていた記憶がある。思い出せない。いや、どこからが記憶なのか想像なのか、妄想なのかがわからない。まるでファルシオンをお酒で飲んだ後、起こされた時みたいな感じだ。私の記憶がすでに私の記憶でなくなっている。
「陸、覚えてないの?」
あたるが話してくれた。そう、私は二分後にいきなり目覚めたらしい。その目覚め方は苦しさで一杯のあの辛さではなく、ある意味普通に近かったらしい。だが、おきてから呆けている。「綾瀬」が話しかけたら普通に答えていたらしい。そう、何に対しても。そのとき綾瀬は、
「このエンジェルミストの作り方教えて?」
と言っていたそうだ。私は得体の知れない薬品名を羅列していたそうだ。実際、この「エンジェルミスト」を作るには複雑な精錬が必要だ。同じ薬学部出身の綾瀬ならば、正解にたどり着くかもしれない。睡眠薬を飲んだ後にたまに起きる「健忘」それに近かった。ただ、どこかにうっすらと記憶がある。思い出そうとすると何をしていたのかも思い出せそうだ。だが、健忘状態が続くのは、危険だ。そう、エンジェルミストの使用方法をもらしてしまいそうだ。それ以降、私たちは0.002mg以上使用するときはビデオカメラでトリップしている自分を撮影する事に決めた。
健忘のときに一体自分が何をしているのかがわからないから。いや、うっすらとは覚えている。けれど、意思がどこまで保てるのかが、いやどれが現実なのか、わからないからだ。あの時のビデオ。そう、大量のビデオは大学の郊外に埋めた。あの場所に。最後に私とあたるとで。だが、どうしても埋められなかった1本がある。それは今も私の手元に残っている。見ることなんてないのにもかかわらず。あの時の最期のぬくもりだけが忘れられない。ぬくもり。私の手にある温もりがリアルへとまた連れ戻しにきた。




